1.鋼 ……THE KEY
壇上で彼女が風紀委員長就任の挨拶をしている。
誰だ、一番似合わないポストを与えたのは、と聴衆は心の中でつぶやいていることだろう。
もしかしたら、どうしてこんなことになってしまったのか、どこで何を間違えたのか、元凶を探すべく思いを巡らしているかもしれない。
ごめんなさい。我々のせいです。
彼女は主を必要としていた──ように思う。
頭を垂れ手を取り仕えるべき主というものではなく、彼女を制御できるだけの主、彼女が力を貸してやるに相応しい主。
彼女はきっと、それを求めてここへ来たのだ。魔導理論や魔導概説などという陳腐なものではなく。
入学したばかりの彼女が、幼馴染だというフェンネル=バレリーに連れられて校内見学をしているのを見かけたことがある。まだバレリーがチェンバースの副会長だった時期だ。
特にどうということはなかった。
飛びぬけて美人というわけでもなかったし、心を掴まれる雰囲気もなかった。あげく、秘めた闘志なんて欠片も持ち合わせいなそうな眠たげな目つきをしていた。
しかしそれを覚えているほど、印象に残っていたのも事実だ。
だから、彼が彼女の名を口にした時、それほど驚きはしなかった。
「レベッカ=ジェラルディ」
入学してから一年の間に、彼女の名は多くの人間の知るところとなっていた。
良くも悪くも。
「何でしょうか」
その彼女が今、ソファに身を預けたひとりの男を見下ろしている。
「単刀直入に言う」
シャロン=ストーン。
代々王都の剣士団団長を務めるストーン家の跡取りで、レーテル魔導学校メディシスタ生徒会会長である男。
「次年度の生徒会役員に立候補してくれないか」
「メリットは?」
シャロン=ストーンに頼まれて出すべき第一声ではない。
というか、一年生が発すべき言葉ではない。
そもそも人間としてどうなのか。
僕の──ハイネス=フロックスのそんな視線を感じているのかいないのか、ともかく彼女は堂々と言ってのけた。
「メリットは……そうだな、権力、でどうだ」
対する会長も躊躇いなく返していた。
紫眼を遮るサングラスのせいで表情は読み取れないが、口元には淡白な笑みがのっている。
「お前の言葉と行動に、権力の盾と矛が与えられる」
レベッカ=ジェラルディを引き込むなんて大博打だ、諸刃の剣だ、と騒ぐ連中もいたけれど、シャロンも僕もそれは杞憂だと踏んでいた。
彼女が自身の行動によって自身を追いつめるほど愚かであるならば、とっくに停学か退学処分を受けているだろう。
それを巧みに逃れていることこそ、彼女がある種の賢明さを備えている証拠ではないか?
それにあのフェンネル=バレリーも、彼女がチェンバースの生徒だったらスカウトするんだが──と口を滑らせたことがある。
「…………」
彼女は突っ立ったままの姿勢でしばらく黙っていたが、一瞬こちらに目をやったかと思うと、つまらなそうに口を開いた。
「私の言うことが、やることが、その時正しいことだとは限らないですよ」
「後々正しければいい」
「私はこの学校のために何かする気はありませんよ。そんなことに興味はないもの」
「学校のために頼んでいるわけじゃない」
「では?」
「個人的な勘だ」
そこで初めて、彼女の目に生気が走った。
「貴方の迷いを私に断ち切れって?」
「──」
シャロンが珈琲に伸ばした手を止め、彼女を見上げた。そしてややあって、ゆっくりとした動作で立ち上がる。
「お父上の率いる王都に従うべきか、魔導師たちの期待に応えてレーテルを背負うべきか」
その姿を目で追いながらも、彼女の口上は続けられた。
「私が生ぬるい水槽をひっかきまわせば何か決断のキッカケが見つかるとでも思っているんですか? そんな甘っちょろい」
長身の男は真っ直ぐ前を見据えて彼女の横に立つと、
「──奢るなよ」
一言その頭上に降らせた。
「…………」
大抵の人間はそれだけで怯むか蒼ざめるかするだろう。
しかしレベッカ=ジェラルディは違った。
彼女は口の両端を吊り上げてニヤリと笑ったのだ。
「お前は俺の手札に過ぎない」
会長はそのままこちらのテーブルへやってくると、無造作に広げられていたトランプのカードから一枚つまみあげた。
「だが切り札になるとは思っている」
彼が彼女に見せた一枚、言わずもがな、そこにはジョーカーが描かれていた。
得体の知れない不敵な微笑を浮かべた道化師。
今のレベッカ=ジェラルディそっくりだ。
「切り札が必要なのね?」
彼女はお世辞にも成績優秀ではないし、魔導の実技だって防御こそ得意のようだけれど、あとはどれも平均的だ。
どうしてここまで強気で出られるのか謎ではある。
しかし察しは付いていた。だからこそシャロンは彼女を呼んだし、僕も反対をしなかったのだ。
「──ひとつだけ」
彼女が身体ごとシャロン=ストーンに向き直って指を立てた。
「何だ」
「貴方の信念を決して曲げないこと」
朗々と言い放つと、彼女は返事を待ちもせずにワインレッドのローブを翻した。
乾いた足音が僕の視線を横切り、会長の前を素通りし、くるりとターンしたのは扉の前。
王都の役人よろしく慇懃な礼に予言めいた言葉がのる。
「立候補することと選ばれることは別ですが、貴方が望んでいるなら現実にしましょう」
そして今日、彼女は宣言どおり独力で風紀委員長の椅子に座ったのだ。
彼女は主を必要としていた。
彼女の、鋼の意志を捧げるべき主を。
そして彼は鋼を必要としていた。
その背骨を貫くべき鋼を。
非理論的に言えば、運命だったのだ。きっと。
THE END
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