「塔」
──その塔は、成長と共に崩れゆく。
君は、塔と聞いて何を思う?
塔というものが造られるワケはなんだと思う?
地下に自らが埋まるための墓か。
最上階に宝を隠すための金庫か。それとも塔の壁そのものが宝を隠しているのか。
見えない支配者が世界を見下ろすためのものか。
永年を生きた魔術師がひっそりと暮らす場所か。
何かの目印か。
敵を見つけるための砦か。
単なる芸術か。
まぁ、ざっと挙げてみただけでも随分ある。
けれど僕がこれから話す塔は、およそそのどれにも当てはまらない。
待てよ。……墓標ではあるかもしれない。でも同時に道標でもあるわけだしな……。
ともかく。それは世界の片隅にひっそりとあった。
広大な濃い緑の森から伸びる白亜の塔。それは森と荒野の境目からでも充分に見ることができ、その先の街からも臨むことができた。
恐ろしく巨大なわけじゃない。胸を打つような美しさでもない。
強いて言えば──、普通だったんだよ。
目に止まらぬほどの普通。そこまで普通であることが異様なほどのね。
塔は、当たり前のように人々の生活に溶け込んでいた。空を見上げた先、教会に視線をやった先、荒野を馬で駆ける時、庭の花壇に水をやっている時、それは必ず視界のどこかにあるんだ。
見えていると思っていなくても、見えている。
その瞳に、必ず映っている。
雨の日も晴れの日も雪の日も。
けれどそれだけ塔を見ていながら、誰一人として気がつく者はいなかったんだ。
その白い塔が日々少しづつ天へと伸びているということに。
そして反面その伸張にきしみ、ところどころ外壁が崩れていっているということに。
……でもまぁ、仕方ないのかもしれないね。
人ひとりが持っている時間なんていうのはたかだか百年。塔の成長は百年で劇的な変化があるようなものではないし──ほら、毎日会っている人間の変化ってのはなかなか気付かないものだろう? 塔は完全に風景の一部になってしまっているから、誰にも分からないんだ。毎日ちょっとずつ伸びては崩れていることになんかさ。
世界の一番初めには、そこに塔なんて存在していなかった。
僕がそう教えてやったところで、人々はきっと信じないだろう。
「……信じないというか……どうでもいい、だ」
あぁ、そうだね。彼らにとってはどうでもいいことなんだ。
世界の始まりには塔が存在していなかったことも。
それが長い年月をかけていつの間にかあの大きさに育ったことも。
ただ上へと伸びるだけだったアレが、積まれた歴史の中いつからか壊れ始めていたことも。
そして──その一連の成長と崩壊とを、僕らはもう何度も目にしているということも、どうでもいいんだろう。きっと。
彼らは、塔がそこにあろうがなかろうが伸びようが崩れようが、淡々とした日々は何事もなく続いていくのだと思っているのだから。
「ひと息つけ」
相棒が淹れてくれた紅茶は、いつでも微妙に味が違う。
異様に濃かったり、葉のブレンドが違ったり、ミルクが入っていたり、そのミルクの甘さも違っていたり。
もし彼がいれる紅茶がいつでも変わらず一級品に美味しかったら、僕は退屈で退屈で死ぬところだったろう。
「死にはしないさ」
このとおり彼は必要最低限のことしかしゃべらないもんだから、結局僕ばかり日がな一日ペラペラ馬鹿みたいにしゃべってなきゃならない。
あの塔を眺めながら、時間が存在しないこの塔で。
「もうすぐか?」
相棒が僕の視線をたどった。
僕は皮肉げな微笑でそれに応える。
あぁ、残念ながらもうすぐだ。
そしてふたりしばし無言で森にそびえる塔を眺めた。
今回の塔も、もうすぐ壊れる。
そして何度目かの“せ界の終わり”がやってくるんだ。
「何がいけないんだろうな」
珍しく感情のこもった──口惜しげな──相棒の声。
何がいけないんだろうね。でもそれを考えるのは僕の仕事じゃない。
僕はただの観測係なんだから。
レポートに“分析結果”を書くのは相棒の役目なんだ。
君は、塔と聞いて何を思う?
あの塔は何故造られたんだと思う?
勇者が勢い込んで剣を振り回しても、何もいない塔。
歴史学者が胸をときめかせて入っても、何も与えない塔。
最上階への階段さえもない。
ただ、そこにあるだけの塔。
塔は世界の始まりと共に生まれ、世界の歩みと共に成長する。
人々の織りなした数々が新たな壁となり、塔は日々天へと背を伸ばす。
刻々と、永き年月を経て塔となる。
薄い薄い絹の布を静かに重ねていくように、塔は誰にも悟られず指を刺されず己を高める。
世界の始まりには何もなかった森に、やがて影を落とすまでになる。
そしていつしかどこからでもその姿を臨めるほどに大きくなる。
百年という時間しか持たぬ者たちは、自分の中でそれに気付くことはない。
疑問を抱き神話として語り継いでいた者たちも、塔が景色となる内にそれを忘れ。
ここまでのあの塔の呼び名は“歴史”。
塔は歴史と共に高くなる。
全てが忘却される頃、塔は成長しつつ崩れ始める。
あまりにも大きくなりすぎたものに生じる破綻の糸目。
塔にひびが入るのは、世界にひびが入る時と一致する。
富み、進み、巨大になり、世界はいつの間にか人々の広げた手よりも大きくなる。
そして背負えるよりも重くなる。
けれど世界は止まらない。
迷走しつつも確実に突き進んでゆく。決して止まらない。
見え始めた破綻を食い止めようと、世界はさらに前へと加速して進む。
そしてひびは亀裂となり、亀裂は崩壊になる。
限界まで成長した塔は音もなく崩れ去り、同時僕の眼の前にあった世界も崩れ去る。
ひび割れてから崩れるまでの塔を“砂時計”という。
塔は世界の崩壊へとカウントダウンを始める。
「何がいけないんだろうな」
相棒がまたつぶやいた。
彼は、何故世界が滅びてしまうのか知りたがっているんだ。
何故世界は止まることができないのか。頭を悩ませている。
それを解明するべく彼が作り出したのが、あの塔とこの塔だ。
あの塔は世界を測るためのもの。
僕がいるこの塔は、あの塔の成長と崩壊を観察するためのものなんだよ。
世界の全てが滅んでも、この不可視の塔だけは滅びない。
すごいだろう。
「…………」
……相棒に睨まれた。
何故滅びないかって?
そりゃあ君、“終わりは始まり”って言葉を知ってるだろ? それだよ。
行き過ぎた世界が止まれずに崩壊しても、そこからまた新たな歴史が始まっているのさ。
終わったその瞬間から、塔は世界に生まれ、新たな成長を始めている。
オールリセットってわけだね。
文明が、人々が、大地が滅んでも、世界はまた始まる。
塔はまた生まれる。
……それでもって僕はまた塔の成長具合と崩れ具合を観察しなきゃならない。だからこの観察小屋は何があっても滅びないんだよ。
退屈な退屈な始まりと終わりが僕のまわりではぐるぐる回ってる。
ねぇ相棒。いっそのこと彼らに教えたらどうだろうね。
あそこに見える塔は、塔じゃない。
あんたたちの世界そのものだ、って。
終わりへ向かって崩れ落ちている砂時計だって。
そうすれば少しはこの世界も長持ちするんじゃない?
彼らだってまさか“どうでもいい”なんて言わないと思うケドね。
神様にそう宣告されたらさ。
「余計なことを言ってないで……記録」
はいはい。
ったくもー、人使いだけは荒いんだから。
──×月○日 一日にりんご一個分成長、異例。
崩れ加速。ひび拡大。亀裂五本あり。
崩壊まであと数十年。
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