タイムリミット

6000HIT記念 森のふくろうさまに捧ぐ

 
 
男はふと首を傾げた。
 
──何かが変だな……
 
今日開かれた会議のファイルが綺麗に平積みされ、塵ひとつ落ちていないやり手なデスク。
部屋には応接ソファ一組とその重厚なデスクひとつしかなく、それは彼がここの主であり、
このビルの主であることを示していた。
 
彼は息をつき手を止めて、ゆっくりと後ろを振り返った。
そこは一面ガラス張りの窓で、魔都東京の乱立ビル群が見渡せる。
 
 
──まだまだウチより高いビルが多すぎるな
 
夕闇迫る魔都の中、彼は独りごちた。
 
彼はいわゆる成り上がり者であり、一代でこの会社をここまで大きく築き上げてきたのである。
 
始めはすべてを見上げていた。
しかし年月を重ねるごとにそれらと並び、そして見下ろすようになっていった。
 
世間では“おじさん”と称される年齢にあって、どこにあっても“社長”と呼ばれるのは
ちょっとだけ誇らしい。
 
 
無論、手汚い真似をしてきたわけではない。
まっとうに働きに働いて──そりゃあ家族をないがしろにしてしまった日々もあったが──
努力の証として今の地位を手に入れたのだ。
 
だからこの食い潰しあいの魔都にあって、大した恨みも買わずにここまでこられたのだ。
もちろん、人の成功を妬む輩というのはどこにでもいる。
しかし彼は成功を妬まれることはあれ、彼という人格を怨まれることはなかった。
 
──あぁ。違和感のもとは……これか……。
 
 
彼は壁にかけられたひとつのカレンダーに目を止めた。
 
 
──なんだ、これは。不良品か?
 
 
そのカレンダーには日付がなかった。
 
いや、正確にいうと今日までしか日付がなかった。
明日から後の日付がない。マス目だけあって数字が入っていない。
ぺらぺらとめくってみれば、次の月も、その次の月も……
まぁ要するに今日から後の日付は、カレンダーの終りまで入っていなかった。
 
 
「広岡君。広岡君!まだいるかね?」
 
 
もう五時はまわっていてとりあえず業務終了の時刻であるが、
彼は彼の部屋からも続いている“秘書室”への扉に向かって呼びかけた。
すると、
 
「はい社長。なんでしょう」
 
すぐそこで待っていたのではないかと言うくらい素早く扉が開いた。
 
「何かご用ですか?」
 
顔を出したのは第一秘書の広岡。
狐・・・ちょっとトボケタ狐のような顔つきで、飄々としている男。
仕事はそれなりにきちんとこなすし、顔とは裏腹に信用できるヤツだ。
 
「このカレンダーおかしいぞ」
 
「はい?」
 
「ほら見ろ、今日までしか日付がない」
 
「はぁ・・・それはそうですが、しかしそう言われましても・・・」
 
広岡が困ったように口ごもる。
 
「そう言われましても、何だ?はっきり言え」
 
「今日までですし」
 
「あぁ?」
 
「今日までですからそれでいいんですよ」
 
──今日まで・・・?
「…………」

「明日はないんですから、そのカレンダーは正しいんですよ」

             
 
彼が黙っていると、広岡は涼しい顔で言ってくる。
 
 
──明日は、ない?
 
 
「それでは社長。私は今日くらい家族サービスに努めなければいけませんので、
これで失礼致します」
 
混乱しきりの彼が何か言う前に、広岡は静かに笑ってすすーっと扉の向こうへ消えていった。
 
 
明日からの日付がないカレンダー。
どのフロアのカレンダーも、職員机の小さなカレンダーも、みんな今日までしか日付がない。
彼はすべてスケジュールを広岡に任せてあるので、手帳を持っていない。
 
 
──もし持っていたとしても、きっと明日の日付はないんだろうな
 
 
世紀末の危機なんてもう過ぎ去ったと思っていた。
恐怖の大王も降って来なかったし、木星探査機カッシーニも落ちてはこなかった。
大体今はもう新世紀ではないか……
 
毎朝広岡が切り抜いてくる仕事関係の新聞ニュースしか見ていないうちに、世間は
何時の間にか終焉の日を迎えようとしていたというわけか。
 
どおりで、電気の消え始めたこの企業ビル街を見下ろせば、心なしかいつもより
人通りが多い。
先を争うようにタクシーを止め、戦士たちがマイホームへと帰ってゆく。
駅の方へと流れてゆく。
 
 
「私も、今日くらい家族と過ごそうか」
 
 
やりかけの仕事を放り出し、彼は何年ぶりかに夕食前に我が家へと帰った。
 
 
 
◇  ◇  ◇  ◇  ◇
 
 
 
──久しぶりだったな・・・
 
 
夜。彼はいつもの書斎で椅子に身をうずめ、軽く目を閉じた。
 
妻と娘と息子。前に4人で食卓を囲んだのはいつだったか。もう忘れてしまった。
 
今日はもうすぐ終る。
きっと世界ももうすぐ終る。
 
──世界の終わりとは、どんな風に訪れるのだろう。
 
どこかの国が核の時限スイッチでも押してしまったのだろうか。
それとも今、人類は謎の細菌にでも侵されているのだろうか。
 
誰も終焉について口にする者はいなかった。
道行く人々も、彼の家族も。
そして彼もそれについては何も言わなかった。
この日にあってそれは実に野暮なことに思えたからだ。
もうどうにもならない運命なのだ。
人類は最後まで、普通に暮らしとおした。淡々と。
ヤケになることも、自堕落になることもなく、粛々とすべてを受け入れた。
 
 
 
──最後に楽しい時が過ごせて良かった。
   今までの償いができて良かった。
 
彼は静かに壁の大時計を見つめる。
いつもよりその音が大きく聞こえる時計。
 
もうすぐだ。もうすぐ──。
 
 
 
5、4、3、2、1……
 
 
 
 
 
 
そして世界は4月2日を迎えた。

 

 

 

THE END

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も、もしかしたら途中で最後が分かってしまった方もいるかも・・・と恐々としている不二です。

エイプリルフールネタでございました。

そんなにも騙され続けることができるのか!?テレビとかはどーなんだ!?

というのはまぁ置いておいてください。テレビは見なかったんです。(おーぃ

細かいことは許して〜〜〜。

社長、たまには家族を大事にしてくださいね、という暖かい社員の話でありました。  不二

 

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