THE KEY SHORT STORY SIDE
紫眼の系譜

25000HIT 電池さまに捧ぐ





男は、人影の失せた夜の廊下を歩いていた。
学校──レーテル魔導学校の廊下。
そこは魔導の腕を磨くために各地から人間が集まってくる場所であり、組織としては国家に次いで第二位の力を有するだろう場所であった。

「学校か」

今夜は月が明るいので、明かりは灯っていない。
青と紫。そして冴えた月光が混じる中、彼はふと足を止めてため息をつく。

「俺はここへ何をしに来たんだ?」

学校。
それは、教師たちが組織だって目的に応じた教育を行なう場所の総称である。
この学校で言うならば……優れた魔導師を育てる、という目的だ。

「だが、違うな」

自分は剣士であって魔導師にはなり得ない。魔剣士という類の最高峰を目指せばいいのかもしれないが──それが望みではない。
それに、そこにはもう完璧なる別候補がいるのだ。
考えてみれば、元々魔導というものに執着などなかった。実際のところ、ここに入る理由さえもなかった。言葉にするのも躊躇われ……笑える程に子どもじみたひとつの理由を除けば。

思いながら彼は──シャロン・ストーンはふと我に返る。
無意識の右手が、サングラスにかかっていたのだ。
美しい紫の双眸を隠すサングラスに。

「……弱い。……弱い。それだけは分かっている」

その証拠が今ここにいることであり、そしてこのサングラスだった。
それは変わらず、変えられない。
弱いままでいる限りは。





◆  ◇  ◆  ◇




「ねぇ会長。魔導師文化による歴史的枠組みの考察……って、一体何を書いて欲しいんだと思う? グローウィン先生は」

レベッカが問えば、

「魔導師の文化によって創られる歴史的な枠組みを考察すればいいんだろう」

斜め向かいに座った男がミもフタもない答えを返してくる。
彼女は仕方なく手元の羊皮紙へと再び視線を落とした。無論、そこにはまだ一文字も書かれていない。

「これで書き直し3回目。いい加減私のプライドが悲鳴を上げてきたわ」

乱雑なメディシスタ生徒会室。
テーブルの上に羊皮紙と数冊の古書を並べているのは、風紀委員長レベッカ=ジェラルディ。ワイン色ローブに身を包んだ、自称防御魔導師。

そして彼女の本よりもうず高く積まれた書類を前に、ぼんやりと足を組み座っているのは会長シャロン=ストーン。会長職でありながら、規則を無視した黒のロングコートを羽織り、サングラスで双眸を隠す校内最強の剣士。
彼と互角に刃を合わせることができるのはチェンバース会長のフェンネル=バレリーただひとりだけだと、自他ともに認めている。

「……片手間に書くからいけないんだろうが」

書類に手をつける素振りすら見せずに、彼が言う。
対してレベッカは、羊皮紙を睨みつけたままうめいた。

「私は魔導師の文化なんてどうだっていいのよ。そんなもの私の求めるものには欠片も役立ちはしないんだから! 無駄なの、無駄無駄」

「そのわりには普通の人間よりも時間を費やしているように見えるが?」

「えぇそうよ。私は他人よりも多く無駄に時間を使ってるのよ、私のせいで!」

いちいち指摘されなくても、そうだからこそ無性に苛立っているのである。性質の悪い矛先のない苛立ちだが、もしどうしても矛先を明確すべきであったら──自分以外にない。
しかしそれを考えることは憂鬱でしかないのだ。

自業自得。
分かっているがやはり、多少は落ち込まざるを得ない。
暴走魔導師レベッカ=ジェラルディと言えども、だ。

「私が欲しいのは“絶対”よ。絶対の力。……絶大じゃないから注意してね? 絶対。こんな埃っぽいセピアな部屋でくだらない言葉遊びをつづってる場合じゃないのよ本当は。他にやらなきゃいけないことは山ほどあるっていうのに、何で私は今、魔導師の文化について頭を使わなきゃならないの? 不条理だわ」

まくしたて、一息ついてレベッカは眉根を寄せる。
彼女はシャロンに向ってしゃべっているつもりなのだが、いかんせん相手は全く聞いていないようだったのだ。
彼はどこか上の空で、そこに居ながらにしてどこか遠くへ行ってしまっている。

と、やおら彼が立ち上がった。

「──シャロン?」

レベッカが疑問符を上げたのと生徒会室の扉が開いたのはほぼ同時。

「シャロン=ストーン、いい加減にしてください! 先方は相当お怒りですよ。あなたともあろう者が無意味にお待たせするなど言語道断です! 何回催促すれば気が済むんですか!?」

扉を開けたのが深い緑のローブを身につけた事務員(魔導師である)だと分かったのと、矢のような説教が降り注いだのもほぼ同時だった。

「分かっています。今行くところでした」

両手を挙げた降参のポーズで、しゃあしゃあとのたまう会長殿。
彼の長身黒衣となだめすかすような声音は、ヒステリ事務員から怒気を抜く。

「では、一緒に来てもらいましょうかっ」

「えぇ」

その短い単語から、彼の表情を読み取ることはできなかった。

「…………」

目を点にするレベッカのリアクションを全く無視して、扉がしっかりと閉められる。

「…………」

ふたつの足音が遠ざかるのを聞き、レベッカはブラウンの瞳だけをゆっくり動かした。
視線の辿りつく先には山積みの書類。

「…………」

ばっと手を伸ばし瞬時に一番上の紙っぺらを掴み、そして手を戻す。
一連の動作は虫を捕獲するカエルに似ていなくもなかった……が、とりえず気にしないで彼女は忙しなく書類に目を通す。


『    召喚状    4年  シャロン=ストーン

王都よりの来客あり。 本日午後3時に第二応接室へ来るべし。
                                       』


「午後3時って、もう2時間も過ぎてるじゃないのよ。何やらかしてんのかしらね、あの男は?」

レベッカが時計を見上げて憮然とつぶやくと、

「あの人の唯一の弱点は王都ですから、行きたくない気持ちも分かりますよ」

背後から流れるような声がかかる。

「……ハイネス先輩、いたの」

「いましたよ。さっきからずっと。向こう
(簡易キッチン)であなた方に紅茶を淹れて差しあげようとしていたんです」

両手に可愛らしいティーカップを持ち、金髪碧眼の美人男は凛と立っていた。
黒ローブの評議委員長ハイネス=フロックス。
恐ろしいほどの才能を持った召喚士。だが彼自身はその身を恨み、頑なに魔導師でありたがっている。

「王都との確執は、あの人に定められた苦難なんです。いいえ──ストーン家そのものに課せられた定め──と言うべきかもしれませんね」

ハイネスが紅茶をレベッカの前に置いた。
そして自らも椅子を引き寄せ、優雅に座る。
この男が現れるだけでセピアな部屋が色鮮やかに塗り替えられるのだから、ある意味驚愕に値するだろう。
プレイボーイの名も伊達ではないのだ。

「王都は、性懲りもなくシャロンを引き抜きに来たわけ?」

「おそらく」

「それで色々と口説かれることに気を重くして、ずっとここでぼけーっとしていたわけね、彼は。超人じみた堅物だと思ってたけど、案外人間っぽいところもあるのね〜」

確信して言ったのだが、ハイネスの反応はイマイチだった。
紅茶を口に運びながら、彼の眉間にはシワが刻まれる。

「会長はまだ迷ってるんですよ。ストーン家に従うべきか、離反するべきか」


ストーン家。
おそらくそれは、王都において王族の次に有名な家名。
何代もに渡って王都剣士団の長を継いでいる家なのである。一般に王都の役職は世襲制ではないから、あまりそのようなことは起こりえない。
だが剣士団の誰一人として、ストーン家の継承者たる若者を倒すことができなかった。
『最強である者が剣士団の長となる』その規則に従った故に、その地位はストーン家占有のものとなっていたのだ。ここずっと。

そして──その継承者の座は今、シャロン=ストーンの眼前に置かれている。


「秩序か、それとも波乱か」

軽薄だったかもしれない。笑いながらその言葉を口にするのは。
ハイネスの碧眼が静かにこちらを向いた。
だが彼は何も言ってこない。

「そういうことでしょ、結局ね」

シャロン=ストーンが家に従えば、全ては波立たずに終わる。今まで繰り返されてきた時間が、もう一度繰り返されるだけだ。
しかしシャロン=ストーンが家に反抗したのなら、それはストーン家の王都に対する反逆とみなされるかもしれない。
もともと為政者の手に余る部下というものは、根本で嫌われるものなのだ。いかに有能といえど、王都はストーン家の権勢を小さくしようと必ず動くだろう。

最悪、彼がレーテルについた場合には、冷戦状態にあったレテールと王都の間で一戦起こるという可能性もある。

「紫の瞳はストーン家の証。つまりは──継承者の証です」

ふたり以外誰もいない静かな部屋に、ハイネスの透き通った声だけが沈殿する。

「秩序か波乱か。その命題は過去紫眼を持った者全てに問い掛けられました。会長の父親にも、祖父にも、です。そして彼らは秩序を選んできた。けれど──」

「シャロン=ストーンは選択せずにレーテルへ逃げ込んだ」

言い置けば、ハイネスが紅茶を持つ手を凍らせて、目を丸くしてきた。
だがレベッカはため息とともにその視線を手で振り払う。

「そう本人は思ってるだろうなってこと」

──あの男は絶対にそう思っている。

「強い人間ほど、自分を弱いと認めるものでしょ?」

「そうですね」

弱いと認めることには強さが要る。
だが、弱きに甘んじれば弱きで終わる。
弱いと認めかつ強さを見上げる。
それが一番過酷であり、困難であり、強者の選ぶ道である。
頂きに到達する必要はない。選べばいいのだ、ただ。


だが、簡単には選べない。


「私はあの男を王都の猟犬にはしたくないけど──私が口出しすることじゃないわよね」

レベッカはうんうんとひとりでうなづき、自己完結。
隣りのハイネスは未だ思考の迷路に囚われて、ふと漏らしてきた。

「もし会長が離反を選んだら、彼の帰る場所はどこになるんでしょうかね?」

「帰る場所? そうねぇ……」

彼女は考え込むフリをして、ハイネスの顔を盗み見る。
大して動きのある表情はしていなかったが、彼は自身と重ねているに違いなかった。
師を裏切り、自らを裏切った召喚士集団。断固として彼らを許せないハイネス=フロックスには、召喚士として戻る場所がないのだ。

レベッカは数瞬本気で考え……、ぽむっと軽い調子で手を打った。

「さしあたって、私の手下にでもなっていればいいんじゃない? ねぇ?」





◇  ◆  ◇  ◆  ◇





「意味はあるか?」

男が見上げたのは、大魔導師として世に名を残したブラッド=カリナンの肖像画。
薄暗くただ闇雲に広い階段の踊り場に掲げられた、古の誇り。

──実際、意味などないのかもしれない。

彼が秩序を選ぼうが、波乱を選ぼうが、意味などないのだろう。
どのみち、世界の駒になっているだけだ。
秩序を選んで今が続いたとしても、波乱を選んで混乱の世となり国家の滅亡が訪れたとしても、この世界そのものに終わりがくれば違いはない。
ふたつの道の差異は、結局同じ点に帰結する。

“私もひとりで考えた。個としての私を生かすか、それとも今ある秩序を生かすか”

今日、応接室にいたのは彼の父親だった。
シャロンと同じ紫眼を持つ──継承者。世界のシステムに囚われた者。

“そして私はお前の母のため……個としての私を殺すことにした”

滑稽だ。
いつか全てが無となる虚構の演劇に、何故こんなにも悩まねばならない?

彼は、剣呑な笑みを浮べてこちらを見つめている大魔導師を睨みつけた。
それは、世界から解き放たれた者への嫉妬だったかもしれない。
姿を残し、名を残し、伝説を残し、だが彼女はすでに世界のシステムに束縛されてはいないのである。

だが──、

「……意味がなくとも構わないな。意味がなくとも俺はここにいる。そして俺は、ただ時間が欲しいだけだ」

この運命を呪ったことはない。
逆に笑ったことはある。
王都とレーテル。そして頑強な世界システム。
この箱庭を壊すか否か、彼の手の中にあると言っても過言ではないのだから。

そしてだからこそ、まだ結論は出せない。
見極める時間が欲しい。流されてはいけない。
──ただそれだけだ。

「俺がここにいる意味はそれだけだ」

決断されたなら、紫眼はその光を世界に向けるだろう。
何ひとつ遮るものなく、最も気高く最も繋がれた色は道を見据える。
双眸の喜怒は隠されることなく、黒のサングラスは記憶の底へとしまわれる。

その時が来たならば──。





しばし肖像画の前で独りごちていた男は、去った。黒衣は闇に溶け、冷たい靴音は夜の彼方へ消えてゆく。

「……ホントに何でも背負い込む人間ねぇ」

柱の影から面倒臭そうに女はつぶやいた。
息を詰めていた緊張をほぐすように、ダークブラウンの髪をかきあげる。

「私に言えば簡単なのに。壊したくないものは“絶対に”──、私に引き換えても守ってあげるんだけど」

言葉とは裏腹に、その時を期待している声音。
そして彼女は仰々しく手を広げ、誰にともなく笑った。

「私はそのためにこの学校にいるんだから!」





THE END

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あとがき

これは、25000HITを踏まれました、電池様に捧げたく思います。リクエストは「THE KEY」の短編。
お好みはシャロンだということで、このような話になりました〜。……って、オチがないっっ! 
うえに書くのが遅い……。ときたもんです。(スイマセ〜ン/汗)
前からプロットとしてシャロンの紫眼話とサングラス話はありまして。リクエストを期に出してみました。
シャロンのイメージが崩れなければいいんですが……(恐々)
というか、レベッカ嬢、ストーカーっぽい気が……。




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