明るい茶髪のポニーテール。黒いコートの合い間からは派手なシャツ。気だるげな目をした男の横を、0と1が忙しなく通り過ぎて行った。
人工的に創られた真っ黒な闇の世界に、美しい青い光が流れてゆく。それらは閉鎖された世界の中で決められた動きに従い、命令に従い、刻々と姿を変えてゆく。
走ってきた光が超高層の摩天楼を築き、数瞬後に花火のような鮮やかさで崩れ落ちる。前に広がっていたハイウェイは横から音もなく伸びてきた別のハイウェイに衝突され、飛沫をあげて霧散する。
そうかと思えば次瞬あっという間にハイウェイは消え去り、その場所には隙間なくビルが立ち並ぶオフィス街が創られていた。
男は今、そんな世界の真ん中に立っている。巨大なコンピューターシステムの真ん中に。
彼はこの街の探偵で、──殺し屋だった。
──For 【夢幻苑】様 引越しそば企画
少女は息を切らして蒼い街を走っていた。ウサギのぬいぐるみを手に、走る。
出口がないのだ。このシステムからの出口がない。この街からの出口がない。走っても走っても、高い壁が音もなく眼の前に立ちはだかり、進めなくなってしまう。増殖した仲間たちも同じようなものらしい。みんながこの街を彷徨っているのが手に取るようにわかる。まるでゴールのない迷路に放り込まれたみたいだ。
「!」
ふいに頭上から降ってきた奇妙な光の明滅に驚いて見上げると、交差点に建てられたよっつの信号機が青から黄色、赤へとものすごい速さで変わっていた。
「……壊れてる」
当たり前だ。自分が──コンピューター・ウイルスがこのシステムに入り込み活動しているのだから、当たり前だ。時と共に、蒼い光が流れる度に、街並みが再構成される度に、少しづつファイルは破損してゆく。システムは破壊されてゆく。
この街が陥落するのは時間の問題だろう。
しかし彼女に下された命令は街の破壊ではなかった。外部へ出てゆき、更に仲間を増やすこと。それが彼女に課された使命なのだ。存在理由と言ってもいい。
「出口がない」
少女はのぞき見た薄暗い路地へと背を向けて、一時停止の標識の下に座り込んだ。
一度落ち着いた方がいいと思ったのだ。
「まだ行っていないのはどの区画かな」
眼の前の蒼いオフィスビルは奇妙に歪んでいて、時々不快なノイズが走っている。彼女は、持っていたクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
さっきまで持っていたのはウサギだったはずだが、そんなことはどうでもいい。
──早く出口を見つけなきゃ。システムが完全崩壊してしまったら、外へは出られなくなってしまう。使命が果たせなくなってしまう。急がなきゃ。
……と。
「どうしたの?」
「!!」
突然後ろから声をかけられ、少女は文字通り飛び上がった。
「ごめんごめん。そんなに驚くとは思わなかったから」
路地の暗がりから出てきたのは、彫りの深い顔をした若い男だった。明るい茶色の髪をポニーテールにして、黒いコートの下に派手なシャツを着ている。困ったように頬をかいている手首にはシルバーのブレスレット。
この世界でみかけも印象も意味のないものだけれど、誰もがなんとなく気を許してしまう風体をしている。
とっつきやすくて、話しやすそうな。
「お嬢ちゃんなんて名前? Klezクレズ? Netskyネットスカイ? Redlofレッドロフ? それともZafiザフィ?」
「え?」
並べ立てられた単語に、ドキッとして思わず素で訊き返してしまう。
だが男は気にした風もなく、朗らかに笑って手をパタパタさせた。
「ごめんごめん、ジョーク。さっきからシステムがブッ飛んだり暴走したりおかしいもんだから、つい、ね。で、アナタのお名前は? ここで何してるの」
「名前は……知らない」
少女は座ったまま、立てたひざに口元を埋めた。
「迷子か」
どこからそういう結論が出るのか知らないが、男が勝手にそう言って勝手に納得する。彼女にしてみれば色々言い訳をしなくていい分、都合がよかった。ホッと息をつく。
「参ったな。本来いるべき場所を見つけてあげようにも、さっき言った通りシステムが変なんだよな」
男が長い足の片方に重心をかけ、片手を腰に、余ったもう一方の手をあごにやる。
「ウイルスの仕業だって言って修復しようとしてるらしいけど、ファイルを治療しても治療しても治るのは一時だけみたいなんだ。あいつらアンチウイルス・プログラムは知ってるウイルスだから問題ないって言い張ってるけど、治らないわもっと壊れてくわで……」
「ふーん」
「活動しているウイルスの影に、あいつらアンチウイルス・プログラムが見つけられない親玉がいるのかも。絶対新しいウイルスだってのに」
「…………」
「このままだと“ボンックラッシュ”もあり得るかもなぁ」
男は、不謹慎にも楽しそうに肩を揺らす。
「お兄さんの名前は何て言うの?」
少女は彼を見上げ、首を傾げた。男の目は綺麗な碧眼だった。
「あぁ、俺の名前は──0HAY」
「ゼロハイ?」
「正確には0HAY-almighty」
「ゼロハイ−オールマイティ……難しい名前」
繰り返してため息をつくと、彼は肩をすくめて軽く笑む。
「0HAYで構わないさ」
「じゃあ、0HAY」
少女は立ち上がってスカートを払う真似をした。
砂なんてあるわけないんだけど。
「何ですか、お嬢さん?」
男が畏まって胸に手を当てる。
「私、もう行く」
「行くってどこに。さっきから言ってるだろうが。システムおかしいから帰れるはずの場所にも帰れないよ。運が悪きゃふらついてるうちに君も感染するんだ」
0HAYの声は呆れて怒っている。
眉も寄せられていた。
「でも行かなきゃ」
譲らない強い語気で、少女は手にしたクマのぬいぐるみを綿が出んばかりに握り締める。綿なんか出るはずないんだけど。
「じゃあね」
(──崩壊する前に、出口を見つけなきゃ。早く見つけなきゃ)
0HAYにくるりと背中を向けて、彼女は走らなければと息を整えた。そして蒼の大地を蹴り上げて一歩踏み出す。
「しかしこの街には出口なんてないぞ、Zooズー」
追いかけてきた男の台詞に、少女の足は二歩目で止まった。
「気付いてないのか? オマエはもう崖っ淵だ」
刃のような声は、音ではなくデータとして直接身体に叩き込まれる。
痛い。
「どういう……」
少女はぎこちない動きで0HAYの方へと振り返る。
瞬間、蒼い街に鋭い銃声が轟いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「0HAY……」
軽薄男がこちらに向けた銃口から、白い煙があがっていた。
しかし男の目は少女を見ていない。
そして衝撃で、少女の手からクマのぬいぐるみが落ちた。つぶらなビーズの瞳の間、眉間ジャストミートで貫通、焼け焦げた銃創。
少女の白い手が、落ちてゆくぬいぐるみを掴つかもうと伸ばされる。しかしその手が届く前に、更なる銃弾が容赦なくぬいぐるみに撃ち込まれた。
「0HAY!」
「活動ウイルスは子供の姿。彼らはそれぞれ何か玩具を持っている。フェラーリのミニカー、小さなシャベル、ウサギのぬいぐるみ、三輪車、ロボット、人形……。活動ウイルスを狙って破壊しても、システム崩壊は一向に止まない。ということは活動ウイルスの影に、それを生み出す親玉ウィルスがいるということになる。親玉は自分がアンチウイルスプログラムに見つかりそうになると、活動ウイルスを身代わりに差し出して、プログラムがそれにかまけている間に逃げてしまう。だからあのボンクラどもには親玉を発見する事が出来ない」
クマのぬいぐるみが、蒼く発光するハイウェイに落ちてゆく。ひどいスローモーション。けれど彼女の手はもうそれを追わなかった。身体が自由に動かない。
意識の外、オフィスビルはキレイサッパリ消えていた。
「今日の場合親玉はひとつだけだ。自らを隠すために自分をコピーする手もあるが、それをすると司令塔がふたつになって下っ端のウイルスが混乱しおかしな動きを始める。しかし今日はそれがなかった。子供たちの動きは一見無秩序に見えて、果てしない秩序の中にあった」
どこまでも続いている一本のハイウェイ。
とうとう落下したクマが粉々に砕け散った。無重力の中で鏡を割ったが如く、クマの欠片が四方八方にくるくると舞い、やがてそれらは蒼い光と同化してゆく。
そしてそれは最後、焼けたアスファルトに滴った思い過ごしの雨のように、一瞬の痕跡だけを残して完全に溶け消えた。
「……なんてこと」
目を見開く少女。
「削除されてしまった……?」
彼女の後ろにはいつの間にか少年が立っていた。彼女のわきには彼女より少し年齢が高いだろう少女。その後ろには片言しかしゃべれないような年の男の子。
システムとは完全に隔絶された動きで、子どもたちがぞろぞろとハイウェイの上に現れていた。
「子供の姿は目、鼻、口、その他色々なパーツの組み合わせだ。何十種類という各パーツのバリエーションから、ランダムにそれぞれ選ばれて構成されているだけ。俺独自のスキャンの結果、ユニーク個体は存在しなかった。つまり、親玉は子供の姿ではないということになる」
男が、銃をコートの中にしまった。
「となれば親玉は子供が持っている玩具の姿をしているに違いない。俺は君に辿り着くまでたくさんの活動ウイルスと接触したが──少し長居をしようものなら、何故かクマのぬいぐるみだけが他のものへと変化していた。巡回しているアンチウイルスプログラムから逃げていたんだ」
「貴方がみんなにちょっかいを出していたら、不可解な動きをしている奴がいるって、その情報は私も送られてくるはずよ!」
「不可解な動きなんてしていないよ。君の時と同じ、俺は実に友好的だったさ。君は、俺の事を他のウイルスに伝えたかい? 不可解な奴が接触してきたって」
「…………」
少女の叫びにも近い反論を、男はいとも簡単に跳ねのけた。
「そしてスキャンの結果、子供の持っている玩具でただひとつだけの存在は、クマだった。俺は次々活動ウイルスを渡り歩くクマを追い続け──君に会った」
『…………』
子供たちが無言のまま自らの手を見下ろす。それは蒼い輪郭だけが輝いて、薄く透明になってきていた。もともとこの世界を警備しているアンチウイルスプログラムが、彼らを削除しつつあるのだろう。
男がクマのぬいぐるみ──活動ウイルスをコピーし増殖させ、それぞれに命令を出していた親玉──を削除したことにより、子ども達はもはや増殖できない。逃げることもできない。
「アンチウイルスプログラムは騙だませても、俺の目は騙せない。親玉がただひとつの存在でいなければならなかったことが、仇になったな」
「ねぇ、0HAY」
少女は顔を上げた。
「なんだい」
「さっき私のこと、なんて呼んだ?」
「Zoo」
「……それが私たちの名前なの?」
「…………」
男が斜め上へ視線をやった。そして慣れなれしい笑顔で両手を広げ、
「そういうことだ」
断言する。
「君たちは俺の腕を上げるために創られた、新種のウイルスだ」
世界に蔓延まんえんするコンピューター・ウイルス。電子ネットワークが急速に拡大している今、その脅威を少しでも減らすことは何よりも重要なことだった。そして作られたのが、ウイルス対策研究所。言わずもがな、ウイルスを研究し予防法治療法を見つける場所だ。
その設備のひとつ、この蒼い閉鎖空間はいわば、実験場だ。システムを故意に感染させ、対処法を探るための。
「だからこの街には出口がない。街はネットワークに繋がれていない。君たちを外に出したら大失態だろ?」
そこで扱われるウイルスの総称は、【Zoo】。
世界を破壊し尽くして自滅するか、最新のアンチウイルスウイルスプログラムに削除されるか、それともこの男に削除されるか。彼らの進むべき道は多くない。
「……ちょっと待って、貴方はもしかして……でも……」
少女が言いかけて口ごもる。
「何」
挑戦的に返されて、少女は一気に言った。
「おかしいわ。貴方の話を聞いていると、貴方は私たちを削除するために作られたプログラムではないみたい。私たちの情報を与えられたから私たちを削除したわけではないみたい。あなたはあなたが自分で情報を集めて、削除方法を考えたって言っているわ」
「おかしい?」
男が面白そうに口端をあげる。
少女は半分消えかけている拳を振るった。
「そんなことできるはずない。私たちは定められた動きしかできないはずよ。見かけどれだけ無限に成長できそうでも、私たちには、プログラムには必ず限界がある。それなのに……それなのに貴方の存在はまるで無限じゃない! 貴方が考える? 嘘よ。貴方がそう思ってるだけよ。全部プログラムされていることよ。貴方が分かってないだけよ。置かれた状況だけから考えるだなんて、そこから自分で進化するだなんて──」
「だから0HAY-almightyなんだよ」
男は冷たく遮さえぎって、くるりと少女に背を向けた。茶色の長い髪が左右に跳ねる。
「アンチウイルスプログラムとは別の存在。俺の名は0HAY-almighty」
「…………」
「この名前は、俺の生みの親のちょっとした茶目っ気さ。かな入力で0HAY、だ。シフトは使うなよ。キーボードのシールどおりに4つ打てばいい」
ハイウェイを押しのけるようにして、輝く摩天楼がサイドに乱立してゆく。その怒涛に押し寄せる波は幽霊のようになった子どもたちを一瞬にして呑みこみ、天高く闇を貫き連なり世界を照らす。
「0HAY……ワクチン−オールマイティ」
少女のつぶやきも、光の渦の中にかき消えた。
「ボンクラどもとは違うのさ」
小さな笑い声と共に歩き去る男の姿も白んだ世界に取り込まれ、世界は臨界に達する。音のないスパークと共に、全てが消し飛び──……、
<0HAY-almighty、テストクリア。システムオールグリーン>
機械的な女性の声が街に反響した。
そこに広がっているのは、初めと同じ蒼の街。
玄妙な蒼光は高速で流れ、遠くで摩天楼が築かれては崩れる。ハイウェイはどこまでも伸び、ぶつかって霧散する。
誰もいないオフィス街の一郭で、信号機の上に座った男が橙色の火を点し、煙草をくゆらせる。
明るい茶髪はポニーテール。黒コートの下は鮮やかな原色。コートの袖からのぞく腕にはシルバーブレスレット。
「今度はどんな奴を送り込む気かね。ちったぁ休ませてもらいたいんだけど」
その男、無限の力を有し街を護る、軽薄な探偵。
自ら進化し標的を葬ってゆく殺し屋。
与えられた名は、【0HAY-almighty】──全知全能のワクチン。
THE END
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あとがき
これは、【夢幻苑】様の引越しそば企画に参加させていただいたシロモノでございます。
テーマ「もしかしなくても崖っ淵」……ってアンタどこがそうなんだよ。苦し紛れに崖っぷちいれときゃいいんじゃねぇんだよと、書き終わった後で思いました。すんません……。
ウイルス定義の更新っていつもいつも面倒くさいんだよなぁと思ったところから出来た話です。
一台ひとり彼がいれば、定義の更新なんかしなくたって私立探偵のように犯罪者を捕らえてくれます。あぁ、なんて便利。 2004.9.1 不二。
執筆時BGM by [04版人間の証明より Be Moving Forward]
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