冷笑主義

─ ジェノサイド ─

00.ユニヴェール家の肖像



「それにしても、ダンピールにやられてなお舞い戻ってくるとは、どういう手品を使ったんです?」
 長椅子の背に手をかけて、ロートシルトが首を傾げた。今日ははまた一段と派手な衣装だ。道化と貴族が紙一重になっている。
「なんで昼間なのにアンタがいるの」
 座っていたシャムシールが背をそらして上を見上げる。
 ユニヴェールがそのあごをつまんでカクンと元に戻す。
「じっとしてなさい」

 ヴァチカンから帰還して数日、パーテルのユニヴェール邸には、はるばるミラノからひとりの画家が呼ばれてきていた。
 ローマだのヴァチカンだの暗黒都市だの高飛車な輩を黙らせた記念に、ユニヴェールが一家の肖像画でも描かせようと言い出したのだ。美術愛好家の道楽。無論、提案風ではあるが彼が言い出したのだから相談でも何でもなく、口に出された時点で決定事項なのだが。

 そんなわけで彼らは今、ユニヴェール邸二階の一室に会し絵画のモデルを務めていた。
「僕があの手紙を差し上げたから、卿は暗黒都市の思惑を見通すことができたんだ。功労者なんだからいたっていいだろう? 暗黒都市とココとは地下直通だし」
「戦いの最中には顔も見せなかったのにー」
「そ、そんなことはどうでもいいんだよ。私は君たちと違って戦うのは苦手なんだから、足手まといになるだけさ! それよりユニヴェール卿、どうやって復活したんです?」
 シャムシールの追及を大人気なく押しやって、ロートシルトが吸血鬼の顔をのぞきこむ。
 のぞかれた男は逃げるように顔を背け、嘆息。
「ユニヴェールの血か、あるいはセーニの血か、それとも他の誰かの血か、いずれにせよすでに私の身体となった血が、ダンピールの血に勝っただけの話だ」
「?」
「私はおそらく、どんな形であれ肉体の一部がこの世にある限り戻ってくる」
 要領を得ないのか返事をしてこない若吸血鬼に、屋敷の主は言葉をつないだ。
「ダンピールの血が吸血鬼の肉体を浄化し消滅させるものと仮定した時、ダンピールの血をも凌ぐ血──例えばセーニの血が──消滅せず残ったとしよう。しかしそれはセーニの血であると同時に、すでに私の身体の一部でもある」
「あぁ、なるほど」
 むやみに明るい声音で、伯爵殿がぽんと手の平を打つ。
「その残った一部から再生したわけですね」
「どこかの馬鹿どもは再生には“血”が必要だというのに、凍らせたり鼠に喰わせたり自分の腹を満たしたり、無意味なことばかりやらかしてくれたがな」
 赤き血の流れは生命の源。それゆに生ける屍である吸血鬼はそれを喰らい続け、悠久の命を得る。
 そしてそれはユニヴェールとて同じこと。
 パーテルの戦いにおいて、ヴァチカンの地下において、ローマにおいて、教皇の今際いまわにおいて──、大地に流された血はすべて闇が呑み干しその仮初かりそめの命としたのだ。
『あははははは……』
 三使徒がそろってうつむき頬をかいた。
「じゃあパルティータの血をもらえば私も──」
 メイドに伸ばされた手を、ユニヴェールがばしっと払いのける。
無駄だ(ノンサンス)。大抵の吸血鬼は血の数滴からなんぞ再生できん。灰からでさえ復活できないではないか」
「そういえば」
 ロートシルトがしゅんと引き下がる。
 代わりにパルティータが主に喰い付いた。
「──では、貴方は全て見ていらっしゃったんですか? 滅びたようにみせかけるため、生き延びた己を大地に潜ませ、全て見ていらっしゃった?」
 彼女はもう、馴染んだ灰色メイド服に戻っている。
「そう信じたからこそ、お前はヴァチカンの地下で自分の血を零したのだろう?」
 主の、紅の瞳だけが彼女に向けられる。
「…………」
「…………」
「それはそれとして」
 不穏な沈黙に、フランベルジェがのんびり割って入った。
「ずいぶん遅いお出ましではありませんでしたか? パルティータが処刑される、あの派手な舞台を待っておいででしたか?」
 すると、ユニヴェールがキラリと不敵に目を光らせた。
「息子が殺られたのを見て、神から奪い返して来ぬ親がいようか。なぁ? レオナルド」
「……私には子がおりませんゆえ」
 話を振られた画家が手元から視線を外さず答える。
 その言葉に重なって、
「……奪い返して来たんですか……?」
「今どこに?」
 ルナールが口を開け、パルティータが訊く。
 ふたりを順に見やり、吸血鬼は腕を組み足を組みかえる。……モデルの意識などない。
 そして彼は目を閉じた。
「信用できる輩のところに預けて来たさ」



 同時刻──パテール レネック邸。

 男は薄っすらと目を開け、窓から入る光のまぶしさにもう一度目を閉じた。
 時を置いて再度まぶたを上げる。
 白い天井が見えた。窓辺には、名も知らぬ黄色の花。
 少し視線を動かしてようやく、自分が綺麗に整えられた寝台に寝かされていることを知る。
 すると、
「お目覚めになりましたか?」
 まるで見透かしたように部屋の扉を開けて、ひとりの女が入ってきた。
 栗色の髪を束ねた、落ち着いた雰囲気の婦人。
「ヴィスタロッサが連れて来た時にはどうなるかと思いましたが、本当に良かった。安心なさってください、貴方をヴァチカンに引き渡す意志はありませんし、馬はうまやで預かっています。それから──」
 彼女は近寄ってくるなり、小さな瓶を男に差し出してきた。
 ルビーの飾りがついた可愛らしい硝子の小瓶。しかし中に詰まっているのは灰。
「…………?」
 男が目で問うと、
「ユニヴェール卿から、貴方に渡して欲しいと頼まれました」
 穏かな口調で言われる。
 ──フリード。
 彼は受け取らず、じっとその小瓶を見つめた。
「それから、あの剣も」
 女が振り返った先には、白いクロスのかけられたテーブル。そしてその上には、二振の全く同じ形の聖剣。
 一目見れば分かる、ひとつは彼自身の持ち物で、もうひとつはかつての相方の持ち物だ。
「卿に、返しておきますか?」
 女が差し出した手を下げようとし、
「──いや、いい」
 男の声がそれを止めた。
 腕を動かすと引きつれるような痛みが走ったが、彼は構わず手を伸ばし小瓶を受け取った。
 火照った身体にひやりとした硝子が心地良く染みる。
「お医者様を呼んで来ますね」
 女が静かに部屋を出て行った。
 それを見送るでもなく、小瓶を見下ろすでもなく、彼は黒髪の下、蒼い目で天井を見つめた。見つめ続けた。
 そしてふいに笑い出す。
 吐息のように穏かな笑い声が口端からこぼれ、死にかけ消えかけていた痛みが、徐々に戻ってくる。彼の身体が時間を刻み始める。頭の奥が重く脈打っている。泣くつもりなどないのに、涙が頬を伝う。
 疲労なのか、安堵なのか。

 ──まだ、終わっていない。

 浮かべた苦笑はそのままに、彼は再び双眸を閉じた。
 彼が追う者は、やはり、また帰ってきた。
 そしてまたヴェルトールを試そうとする。
「クルースニクに向かって、化け物を呼び起こせって言うのかよ、お前は」
 



「ソテール隊長のところか」
 アスカロンがつぶやいた。
「彼は生きるでしょうかね?」
 柳眉をしかめて続けたのはルナール。
「無論だ」
 対して、目を開けたユニヴェールの答えはやけにきっぱりとしていた。
『…………』
「そうでなければ“ユニヴェール”はあの男を恐れたりはしない」

──恐れる。

「どれだけ誰に裏切られようとも這い上がる。それが“ヴェルトール”だ。“ユニヴェール”が重ねた裏切りに、彼らは一度も絶望しなかった」
「フリードにも、そうなってほしいとお思いですか?」
 パルティータの問いにユニヴェールは応えず、ただ笑っただけだった。
 そしてしばし。
 黙していた吸血鬼が思い出したように指を鳴らし、黒衣から紙切れを引っ張り出した。
「パルティータ。契約書の件なのだが」
「はい」
「私が当初書いたものより、給与額のゼロがひとつ多くなっているような気がするのはなぜかね?」
「提示金額では納得できかねましたので、署名の際に加えさせていただきました」
「……いつの間に」
 顔を強張らせてユニヴェールがうめく。
 その横でロートシルトが両腕を広げた。
「パルティータ。そんなにお金を貯めてどうするんだい? 私の屋敷に来てくれるなら最上の生活を保証するのに」
「そういえばお前は何故、ヴァチカンを出た後私の所へ来たのだ?」
「たまたまです」
「たまたま?」
「あの……」
 ロートシルトの質問は黙殺された。
「どこかお気楽な仕事内容でしかも高給で雇ってくれる所はないかと諸国を放浪していましたら、いいかんじの金ヅ……いいかんじで席が空きそうでしかもお金には困っていなさそうな主を見つけましたので」
「今金ヅルって言いそうになったな?」
「いいえ」
 ブンブンと首を振るメイドに、ユニヴェールは手を振ってもういいと告げる。
「しかし私が何だか知らなかったわけでもあるまいに」
「そんなことはどうでもいいのです」
 パルティータの黒曜に光が差す。しかし口調はあくまでも水平線。
「私はセーニです。セーニの夢は王となること。そのためには莫大な建国資金が必要です」
 ……言葉の裏にまだ何か隠している。随分とふところの深い聖女だ。
 ユニヴェールはメイドに白い視線を送った。
「そんな椅子が欲しいのなら、いつでも暗黒都市の座をくれてやろうと言ってるだろうに」
「他人のお下がりなどいりません」
 ぴしゃりと叩きつける毅然きぜんとした物言い。彼女が両手をわきわきさせたのを見、
「私はお前の財務省か」
 吸血鬼はげんなりした調子で窓の外を見やる。
「じゃあ僕は何ー?」
 無邪気な疑問はシャムシール。
「お前も俺もフランベルジェも財務省の部下なんだから、税金徴収人に決まってるだろ」
「花のない……」
 蒼の魔女が額に手を当てた。
「僕は陛下お付きの従者でいいよ」
 ロートシルト。
「じゃあ僕は陛下直属の近衛隊長あたりで手をうちましょうか」
 ルナール。
「僕は地位なんていらない。長い時間一緒にいられるならね」
「僕は陛下のためなら命を張りますよ」
 アスカロンとフランベルジェを挟み、端と端で火花が散る。
 話題の中心パルティータは、すでにその話は終わったとばかりにどこか違う次元をぼーっと見ている。

「さて……壊れたこのパーテルをどうしたものか。金は出してやったが……どうすべきかね、レオナルド」
 にぎやかな騒ぎを余所に、ユニヴェールが遠い目をした。
 窓に広がる景色は、坂の下の何もない荒野と崩れ落ちた町。それでもまばらに人の姿はある。
「お気に召すまま」
 年輪の刻まれ始めた顔をあげ、たくわえた口ひげを撫で、画家が言った。
「──いい答えだ」
 吸血鬼は、町に点在する民を見つめたまま満足げにうなずく。
 工具を持ち、木片を持ち、果物を持ち、復興を目指す人々。
 夏の陽射しに汗を流しながら瓦礫をどけ、石を運ぶ人々。
「だが、それは私が決めることではないらしい」
 死はぽつりと言い、画家と目が合うと気だるげに笑った。
「私は死人だからね」

 時代は終わり、そしてまた始まる。



THE END



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