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No5. 違いの分かる女




 食堂の一番奥、暖炉前の席に陣取り、パルティータが目の前を見渡していた。
 夜の帳を隅に押しやったろうそくの炎が照らしているのは、所狭しと並べられた銀食器。それを彩る数々の料理。
 鼻腔をくすぐる礒の香りとハーブの香りが、古びた屋敷を柔らかく包む。
 しかし普段ならきらきらと期待で星が輝くだろう彼女の瞳は、今日はキリリと鋭い。

「ワインはブルゴーニュですね?」
 パルティータが一口飲んでグラスを置き、右を見やる。
「はい」
「合格」
 そこには白装束に身を包んだ仮面の男──暗黒都市の女王お抱えの料理人が立っていた。
 ただ、仮面の男というのは正しくない。
 彼は仮面を付けているわけではなく、仮面のような顔なのだ。生まれつき。
 石灰を塗りたくったような真っ白な肌に、常に妖しく笑う三日月の目と口。片頬には黒い星、もう片頬には赤い涙の印。
 素で仮面舞踏会に参加できるのだから、安上がりだ。
「このハムはパルマ」
「そうです」
「合格」
 ユニヴェールはテーブルの角を挟んで左に座り、二人のやり取りを無言で眺めていた。
 湯気立つ紅茶を手にしながら。
「このキャベツはアルザス」
 スープに手を伸ばしたパルティータが言う。
「そのとおりです」
「さすがですね。良い選択です」
 小娘に褒められて何が嬉しいのか、料理人は胸に手を当てて一礼している。
 しかし次の皿に移るやメイドは眉を寄せた。
「この時期にムール貝を使うならゼーラントのものにすること。ホタテはブルターニュのようだから合格です」
「すみません、手に入らず……」
「暗黒都市にいても手に入らないものなんてあるの? 常に一流のものを陛下のお口に入れるのがアナタの役目なんだから、しっかりしなさいね」
「はい。申し訳ありません」
 このメイドは、こうやってたまに暗黒都市の料理人たちから味見を頼まれることがあった。
 ユニヴェールのような死人はともかく、ベリオールや女王といった生まれながらの魔物たちにはまっとうな味覚がある。
 しかも誰もが想像するとおり、かなりウルサイ。文句なんぞ言い始めたら、それこそ皿を投げつけてやりたくなるほど語るのだ。マッシュルームひとつについて小一時間語れる奴など、暗黒都市の魔物と、マッシュルーム採りに生活と誇りをかけているじいさんくらいのものではあるまいか。
「まぁ。ノルマンディーのヒラメとプロヴァンスのハーブなんて、最高ですね」
 狐色に焼かれた物体をぽんぽん口に放り込み、メイドがうっとりと目を閉じる。
「おぉ! お分かりになりますか! 陛下は珍しくもハーブを好まれる御方なので、研究を重ねました。平目に香草を混ぜたパン粉をつけて焼き上げたんですよ」
「ローズマリー?」
「えぇ! ちなみにそのホワイトソースは海老を基本にしました」
「これは陛下もお喜びになるでしょう」
 暗黒都市のどこでどんな行いをしてきたのか──どうせルナールかロートシルトと一緒の時に決まっているが……あの都市に近付くなといくら言っても右から左に流されていい加減怒鳴る気力も失せてきた──この小娘が実はかなりの舌の持ち主だとい噂は料理人たちの間に広まっているらしかった。
 新作は、この小娘から合格をもらってから本命に出せば間違いないというワケだ。
「リンゴはケント産でなければダメよ。それ以外は認めません」
 ぴしゃりと言い置きながら、しかしフォークに突き刺されたリンゴのパイは次々彼女の口へ消えてゆく。
「…………」
 椅子に背を預け白けた視線を送っていたユニヴェールは、すべての皿がキレイになってから訊いた。
「何故お前にそこまで味の違いが分かる」
「何故って、私、こう見えても貴族並みの教育を受けていますから」
 そういうセリフを吐くならにっこりとでも笑えばいいのに、返されたのはコート・ダジュール沿岸から望む地中海の如く清々しい水平線。
「質問」
 ユニヴェールが手を挙げると、
「どうぞ」
 もう料理はないというのにフォークを握りしめたままパルティータがうなずく。
「ちなみに、誰に教わった」
 問えば、
「──鬼カリス!」
 待ってましたとばかりの勢いでフォークの先端がびしっとこちらに向けられた。
「あぁ」
 ユニヴェールは短くため息をつく。
 あの男は自分のこだわる部分は徹底的に教育するが、こだわらない部分はとことん手を抜く。
 そういう男だ。
「なるほどね」
 彼は身体を起こしパルティータからフォークを取り上げ、所定の位置へと静かに戻した。
「フォークを相手に向けてはいけません、とは教わらなかったのか?」
 やんわりとした猫なで声に危険を察して即座に椅子を引いた彼女の手首を逃さずがしっと掴む。
「再教育」
 吸血鬼の嬉しそうな薄笑い。
「…………」
 無表情なメイドの口端が引きつった。


THE END


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