後継者




「アレン。──ハリスが死んだ」

ソファの上で新聞をかぶり横になっていた男は、上から降ったその言葉に僅か動いた。
そのままの姿勢で訊く。

「どうして」

「相手の刺客に襲われた」

「……莫迦(ばか)な奴」

男は顔の上から取り去り畳んだ新聞を、横のテーブルに投げ捨てた。
小さめ伊達眼鏡の奥で眠っていた双眸を半分だけ開き、なげやりにつぶやく。

「俺は俺自身、随分な人でなしだと思ってたが──それでも友達が死ぬってのは嫌なもんだな」

しばし見つめた天井は、古典調にそろえられた部屋の調度品たちとは似合わぬぞんざいな板の目で、それがこの部屋の真実なのだと無言で訴えてくる。
彼の部屋ではないのだからどうでもいいのだが、なんだか滑稽だ。

彼はゆっくりと上半身を起こし、細葉巻(シガー)に火を点けた。

「アンタも痛手だろ、バーナード。エース・エージェントが消されちまったんじゃあな」

「あぁ」

苦虫を噛み潰したような答えが返ってきて、アレンは紫煙を吐き出し笑った。

「このギョーカイは、需用はあれど人手が足りないときたもんだ」


アレン=アードラ−。
歳の頃は20代半ば、淡い茶色の髪にいつでもダルそうな目。ともすればただの目つきが悪くてヤル気のない無法者に見えるのだが、その顔にのった華奢な眼鏡が何故か際立ち、男のキレ者ぶりをアピールする。
エリを立てた琥珀色のレザーコートで身体を包み、お客様用のソファに土足を片方投げ出すほど態度はデカイ。

「人手はないが競争は激しい。どれくらいの金の仕事がもらえるかは、当人の順位実力功績次第だろう」

「……どういう意味だ」

男──アレンは半眼の目だけを動かし、向かい側に座った壮年の仕事斡旋(あっせん)者を見やった。
バーナード=マンスフィールド。
この事務所の主であり、アレンや死んだハリス、その他“このギョーカイ”の人間たちに仕事を持ってくる元締めだ。
表向きは法律家兼、探偵。
表ではそれほど大きな名前ではないのだが、しかし裏にまわれば知らない者はいない。

「お前がハリスを殺ったんじゃないかって噂がある」

険しいバーナードの顔からして、冗談ではないことくらい見て取れる。
だが、アレンは細葉巻を咥えたまま冷ややかに言った。

「……へぇ」

「あいつがいなくなれば、お前は業界のエースになる」

「ナンバー1がいなくなれば、ナンバー2は必ず疑われる。定石さ」

「…………」

「お前はハリスの後継にふさわしくないという奴もいる」

「俺は別にあいつの代わりになりたいなんて思っちゃいないね。──テキト−な仕事でそこそこの金を貰ってる方がいい。命は大切にしろってのが両親の口グセでね」

アレンは薄く笑って、煙る細葉巻をバーナードの方へ突きつけた。

「ゴチャゴチャ言ってる奴らにハリスの代わりをやらせればいい。エース・エージェントの地位なんて、欲しいやつにやれよ」

「…………」

「莫迦は死んでも治らないって言うがな、度胸もないクセに吠える奴らは一度死んでみれば結構いい薬になるぜ、きっと」

ケラケラ笑うハリスの声に、押し殺したバーナードの声が重なった。

「だがハリスの後継はもう決まった。ケート=エヴァンズ女史直々のご指名だ」

「へぇ? 鶴の一声ってやつかい」

答えは知っていた。
けれど彼はあからさまに片眉を上げて見せた。

“後継”。
常にオリジナルの亡霊を背負わねばならないその檻の名に、皮肉を込めて。

「みんなが(ねた)む、その可哀相な奴は誰だ?」







◆  ◇  ◆  ◇  ◆







後ろ手に閉めた扉の外は、いつもと変わらぬ灰色の街だった。
廃屋まがいのコンクリート建物が立ち並ぶ、閑散とした裏通りに降り立って、彼は空を仰いだ。

細葉巻を咥え、レザーコートを揺らし、しかしキッチリとしたビジネスバッグを手にして眼鏡を光らせているところを見れば、誰もが彼は不良な勤め人なのだと思うだろう。
自己流を貫き上の指示にイチイチ刃向かうが、その実キレ者で上の鼻を明かしまくっている……すぐにそんな王道の筋書きが浮かぶ男。

確かに彼はキレ者だ。
勤め人でもある。
だが、彼は上に刃向かうことはしない。

肩書きは“代理人(エージェント)”。
その中でも表には出せない厄介事を極秘のうちに処理する“不可視の代理人(インビジブル・エージェント)”だ。
依頼人の利益のためならば詐欺まがいの戦略をしきつめて、いくつものカードを巧みに切る。
法の網目をかいくぐり、盾に取り、手段選ばず押して押して一歩退く。
相手の先を読み、餌をちらつかせ、進退不可能なところまで追い込んで、相手には勝ったと思わせながらしっかりちゃっかり核心は頂戴する。

武器は知能と度胸とセンスだが、彼らの功績は表の世界に多大な影響を与えるわけで、仕事の内容によっては命も奪われる。ある程度腕に覚えがなければやっていけるものではないのもまた事実。

特に、バーナード管理下では若き最高の代理人(エース・エージェント)と歌われていたハリス=レックスが関わっていたような国単位の交渉では、勝つか負けるかではなく勝つか死ぬか、だ。
代理人は政治屋に代わって裏で国の未来を手に握り、しかしその権力の代償は大きい。
こちらも相手も負けることは許されず、双方は双方の代理人を消すことに微塵のためらいももたない。
エース級の人材などそうたくさんいるわけではないのだから、後継の二番手(セカンド・エース)というのは大抵一番手に劣るもの。一番手を早く消したもの勝ちというわけだ。

そしてもちろん、負けた代理人に明日はない。



「こっちはまだ死にたくないって言ってるのに、バーナードの親父もエヴァンズ執政副長官もムゴイことするぜ、まったく」

吐き捨てられた言葉とは裏腹に、眼鏡の奥の目は楽しげに細められ。
彼は細葉巻を近くの簡易灰皿に押し付けると──モラルの遵守は成功の秘訣なのだ──、寒々しい風の吹き抜ける街へ一歩踏み出した。


後継者。

その道を行く者の名はアレン=アードラ−。
肩書きは陰口耐えないセカンド・エース。
その内実は傲慢不遜な国家代理人。

「あぁ〜、面倒くさ」



Is it OK?






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実はこれ、かれこれ数年プロットだけが放置されている話の冒頭というか破片なんです。


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