花束

すべては偶然と奇跡の産物さ






「ガヴェイン! 僕を森まで連れて行ってくれない?」

子ネズミのパーシヴァルは、農場の片隅で地面をつついていたニワトリに声をかけた。
その場所はちょうど穀物庫の陰になっていて年中日陰。だから時々でかいミミズに出会うらしく、いつでも誰か──ニワトリがいた。
それにガヴェインは彼らの中でも年長のうえに男前な寡黙雄鶏で、こういう良い場所を独り占めしていることが多かった。

「ねぇ、ガヴェイン!」

「──」

草の実をのんびりついばんでいたガヴェインが、立派なとさかを太陽へと向け、こちらを見下ろしてくる。
彼の目は片方しか視力がない。左側の目は斜めに走った傷の中なのだ。
昔、忍び込んできたキツネと闘った時の勲章らしい。

「……森に……何をしに行く」

「マーリンに会いに行くんだ」

「あのじーさんに?」

「そう」

「……乗れ」

ガヴェインは男前で寡黙だから、根掘り葉掘り聞いたりしない。
彼はただギロリとパーシヴァルを見、首を下げてくれた。
灰色ネズミはニワトリの白い羽をつかんでよじのぼり、彼の背中に乗り込む。

穀物庫は農場の隅の隅にあるから、木柵をくぐり抜けて緑の草原を全速力で駆け抜ければ(ニワトリの足で)すぐ森に着く。

そしてその森には“賢者”と呼ばれる者が住んでいると言われていた。
小鳥たちが噂していたり、リスたちがしゃべっていたり、名前だけは農場の仲間も知っていた。賢者の名は“マーリン”、相当な老フクロウなんだそうだ。

でも、農場の仲間は誰もそれを確かめに行ったりはしない。簡単に──そりゃ多少の危険は伴うけれど──行けるのに、誰も木柵をくぐろうとはしない。
あーだこーだと勝手な推測を並べ立て、相談しようかと愚痴をこぼすアヒルたちも、こんなところで犬や猫におびえて暮らすのは嫌だ嫌だと嘆くネズミの仲間も、結局ここから外へは出ない。

ガヴェインだけが、外へ行くのをためらわないのだ。


「落ちるなよ」

低い声がしたかと思ったら、ガヴェインがいきなり走り出した。
彼は慣れた身のこなしで木柵をくぐると、すさまじい勢いで緑の上を疾走する。
パーシヴァルの耳元でびゅんびゅんと風が過ぎる音がした。上下に揺られ、少年は思わずぎゅっとガヴェインの白い羽を握り締める。

小さな体が宙に浮き、飛ばされそうになる。
がくんがくんと目がまわる。

尻尾がちぎれるかと思うほどの速度。 外の景色を眺めるどころじゃない。
どうにか前を見ると、怪物のような黒い森がもうそこに迫っていた。



「生きてるか?」

ガヴェインはさすが平然としていた。
あれだけ走って息ひとつ乱れていない。トレードマークの真っ白な尾羽も。

「な、なんとか……」

パーシヴァルはゼェゼェと荒く息をしながら、ガヴェインの背で居住まいを正す。
ニワトリは一歩一歩、土と落ち葉を踏みしめながら森の奥へと進んで行く。
しんとした森は濃い空気に満ちていて、そこかしこに生き物の気配がしていた。

はるか上方で飛び立つ小鳥。影のように枝を渡るリス。眼の前を横切る小さな羽虫。
ガヴェインが一瞬立ち止まり、またいだ地面にはアリの行列。
落ち葉の下にはミミズの尻尾が見えている。
普段ならついばむところだが、しかしガヴェインは進み続けた。

──危険なのだ。ガヴェインとはいえ、ニワトリが森の中を歩くのは。

農場は彼の領土だけれど、森は奴らの領土だ。
いつ奴らに侵入を悟られるか知れない。
今だって、どこか向こうの茂みから、監視されているかもしれないのだ。
呑気にしているヒマはない。

「ガヴェインはマーリンがどこにいるか知ってるの」

パーシヴァルが訊くと、

「彼はいつでも同じ木の枝で寝ている」

ニワトリは首を伸ばし森の奥を見た。
もちろん、歩は止めない。

「ガヴェインは退屈だって思ったことないの」

パーシヴァルが再び訊くと、

「退屈?」

ニワトリが首を傾げる。
ネズミは両手を広げて、少しだけ声を大きくした。

「朝になればみんなを起こして、鳥小屋から出してもらえば一日中ずーっと地面をつっついたり日なたぼっこしたり、でもずーっとキツネがこないか警戒してて、夜になれば鳥小屋に入れられて寝る。毎日この繰り返しだろ?」

「…………」

「僕らだってそうさ。猫におびえながら穀物庫にいて、たまに外に出れば今度はハヤブサやキツネや何もかもに注意を払って逃げるように走るんだ。たまに引越しをしたって、どうせ同じ穀物庫の中。時々ドジな奴がネズミ捕りにかかったりして……そんなことの繰り返し」

はぁ、と子ネズミはため息をつく。

「僕はガヴェインみたいになりたいんだ。キツネと闘って追い返したんだろ? 僕もそういうすごいことがしたい。英雄になってみたい」

「…………」

いつものことだけど、ニワトリは何も答えなかった。





森の賢者は、昼間寝ている。それでも、

「マーリン、あんたと話したいって坊やがいる」

「……………………ほう?」

ガヴェインが木の上へ向かって声をかけると、返事がきた。
けれど、その声の主が何処にいるのかは分からない。
重なり合う木々の枝や葉は黒い影となり、賢者の姿をその中に隠していた。

「僕は森の外の農場に住んでいる、ネズミのパーシヴァルです」

「……ネズミ」

半分寝ぼけたような声。
パーシヴァルは続けた。
ニワトリの背の上に立って、精一杯、木の天辺にまで届くようにと声を張り上げる。

「僕、何かすごいことがしたいんだ! 僕以外には出来ないようなこと、ガヴェインみたいなこと。誰かを守ったり、貴方みたいにたくさんの知識を持ってみんなに教えたり、……どうしたらいいんでしょう? あの農場にいて、今のまま過ごしていてはいけないってことだけは分かるんだけど、──冒険に出たらいいでしょうか? それとも猫と闘ってみる?」

「……好きなようにすればいい」

「え」

「冒険に出たいのなら、出ればいい。猫と闘いたいのなら、闘えばいい。お前がそれを成し遂げようが、命を落とそうが、私には関係ない」

「!」

「だが──」

「だが?」

「冒険や闘いだけが特別なことではない。お前が気付こうとしないだけで、日々はわずかの必然と、そしてあり余る偶然と奇跡で出来ている」

「…………」

パーシヴァルは頭上を仰いだ。
降ってくる言葉は、ゆっくりと森の中に染み込んでゆく。

「お前が一歩地面に踏み出した時、偶然その場にいたはるか小さき者達は命を落とすだろう。お前が偶然落とした秋の草の実は、奇跡的にガヴェインから逃れ、冬を越え、奇跡的な位置取りで雨と陽光とを浴び、春になって芽を出すだろう」

ガヴェインは静かに目を閉じている。

「お前がネズミとして生まれたのも奇跡。あの農場のネズミとして生まれたのも奇跡。ガヴェインと同じ時を共に過ごすこともまた奇跡。今まだ私に食われず命長らえているのも奇跡」

最後はかすかに含み笑いが混じっていた。

「それは……貴方が食べようと思っていないからでしょう?」

「──だがいつ食べようと思うか分からん。それは必然か? 偶然か?」

「食べようと思って……僕を捕まえて食べることは必然」

パーシヴァルはヒゲをぴくぴくと動かし、答えた。
マーリンのしわがれた声音がうなずく。

「腹が減って食べようと思うのも必然。そこにお前がいるからお前を食べようと思うのも必然。だがそこにお前がいるのは必然か?」

「貴方にとっては、偶然」

「お前を捕まえるのも偶然だ。狩りに絶対はない」

「…………」

「生まれるべくして生まれた者などいないのだ。皆、偶然生まれた。……どこまで必然が入り込もうと、結局必然は偶然に支配される。我々の意志は必然かもしれぬが、それは偶然の上にある」

抑揚はない。
どこまでも一本調子で、語っているというよりも独り言に近かった。

「一歩、そして一瞬は、数多の偶然と奇跡、そして必然の欠片で作られる。お前がいまそこにあることを当然と思うな。ガヴェインがそこにあることを当然と思うな」

「……はい」

パーシヴァルはうなずいてそのまま梢を見上げていたが、それ以上言葉は降ってこなかった。
静まりかえった森には虫たちが落ち葉の裏を歩くかすかな音さえも響き、遠くの方からきつつきが木を掘る軽快なリズムが聞こえてくる。

「じーさん寝たな」

ガヴェインがつぶやいた。
彼はパーシヴァルの返事も聞かずにさっさときびすを返す。
だが揺られる少年は文句を言ったりしなかった。
黙っている子ネズミに、

「パーシヴァル。やはり農場を離れるか?」

ニワトリが訊いた。

「たぶん、いつかね」

それは即答。

「……ほう」

子ネズミは森の空気を思いっきり吸い込み、息をついた。

「今すぐ何かしようとは思わなくなったよ。でも、農場での奇跡と偶然を満喫したら、僕はきっともっと奇跡と偶然に会いたくなる」

「それを冒険と言う」

ガヴェインが小さく笑った。
彼が一歩地面に足を降ろすたびその隻眼(せきがん)に映る景色は変わり、偶然と奇跡と必然が(こぼ)れ落ちる。

大樹の苔むした根。そのわきに生きる白い花。そこで小さな黄色い蝶が羽を休めていた。
同じ光景をパーシヴァルとガヴェインふたりで目にすることは、おそらくもう二度とないだろう。

「世界は奇跡と偶然に満ちている。退屈なものか」

「ねぇガヴェイン。僕はきっと欲張りなんだ。誰よりも多くその奇跡と偶然を感じたい」

パーシヴァルは大きな目を(まばた)かせ、前を見た。
それを聞いて、ニワトリがくつくつと笑う。

()つ時には知らせろ。マーリンのじーさんと見送ってやる」

「分かった。……あぁ、止まって!」

突然ネズミが叫び、森を抜けるまであと少し、もう緑の野が見えているというところで、ガヴェインは言われたとおり立ち止まった。
パーシヴァルは器用に白い背を滑り降り、森の地面へと飛び降りる。
そして怪訝そうな顔をするニワトリを尻目、彼は茂みの奥に群生していた小さな小さな青い花を腕いっぱいに摘んでゆく。

「パーシヴァル?」

「母さんに持って帰るんだ。通り道に偶然花が咲いていたからね」






THE END


Back   Novels   Home

全員、アーサー王関係の名前でいってみました。






執筆時BGM by Yuko Andou [忘れものの森]
Copyright(C)2004 Fuji-Kaori all rights reserved.