
<1>
「本日からわたくしが、この国の王です」
玉座にゆったりと背を預ける女が、艶然とした口調で言った。
朝の清冽な空気を暖める炎だけが音を立てることを許された大広間。
「わたくしの名は、メイアン・アルディ・ローテローゼ。どのように呼んで下さっても結構です」
真紅の豪奢なドレスで身を飾り、漆黒の髪を純白の真珠で彩り、細い腕には金の輪が幾重にも。
美しい顔にはりついている微笑はまやかしか、雪の肌に映える紅の爪は悪魔のものか、“女王”と呼ぶには幼くも見え、“女王”と呼ぶ他ないほど老獪にも見え。
『…………』
集められた精鋭の家臣たちは研いだ視線で彼女を睨んでいた。
「先代は国民からも臣からも非常に慕われていたと聞いています。ですが彼女はもはや民の母ではなく貴殿らの主君でもありません」
居並ぶ家臣たちを見下ろす目に表情はなく、声は無駄に優雅だ。
怜悧な言葉が、花園に舞う蝶の如く響き渡る。外はこれから凍てつく雪の季節を迎えるのだというのに。
「初めは仕方がないとしましょう。しかしいつまでも昔の飼い主を恋しがられては困ります。情に流されて主を間違えることのないよう、忠告しておきます」
彼女がこの城に姿を現したのは昨日だ。それはちょうどこの国の女王が姿を消して三日目。
大臣のひとりが気付いた時にはすでに城内を闊歩していて、衛兵にどうして通したのだと問い詰めても覚えていないと首をひねるばかり。
そうこうするうちに彼女は勝手にひと部屋用意させて滞在し、主だった家臣を招集した。
女王の名を使っての召集だったため、領土の各所に散っている重臣たちは皆、“陛下はご無事だったのか!”と喜び勇んで駆けつけたわけだが……。
彼らが目にしたのはこのとおり、彼女が探し出した女王を披露する絵ではなく、彼女が女王だと披露する絵だった。
「わたくしは先代の体制をそのまま引き継ぐことはしません。当面は今のままであるとしても、人を見極め、改変してゆくつもりです。もちろん、不平不満、諫言、進言があれば遠慮なく述べなさい。的外れであったからと言って罰することはありませんから」
「ローテローゼ様」
突然、家臣の一人が声を上げ、彼女の流れる演説を遮った。
皆の視線が集まった先に立っているのは、学者が羽織るような灰色の法衣をまとっている男だ。
虫も殺さぬような優しい面持ちの、人生一度も他人に棘を向けたことのないような、男。
「なんですか」
「何故陛下は退位させられたのでしょう」
その男の言葉に、空気が凍った。肌に刺さるほど。
お前に“陛下”は使わないという宣戦布告に聞こえたからだ。
しかし、
「それはご自身で皇帝陛下にお尋ねしてみるとよいでしょう。すべてはあの方のお考えです」
女王は簡単に氷を砕いた。
そして紅唇に底のない微笑みをのせたまま、
「貴方は……ラグナ・ブランカ、ですね?」
問う。
「……はい」
対して、腰を折った男も物腰柔らかな笑みを浮かべていた。
だがそれはいつも見せている彼の性格ゆえの笑みではなく、隠そうともしない好戦的な笑みだった。
「貴方は先代の指南役だったと聞いています」
「というより、世話係です」
「わたくしは付き人も侍女も誰ひとり連れてきませんでした。人選を任せます」
「…………」
男の笑みは白けていたが、女王は気にした様子もなかった。
「よろしいですか?」
「……分かりました」
優男の忠義な返事を聞くと軽くうなずき、彼女はやおら立ち上がる。
背丈があるわけでもないのに、鮮烈な華の色。生気に溢れた紅は人も広間もすべてを圧倒し、思わず閉ざした網膜にさえ焼き付いて離れない。
緑に埋もれる一輪ではなく、所狭しと咲きこぼれむせ返るほどの芳香を漂わせる爛漫。
「わたくしはこれで休みます。暗殺したければ刺客を送ってきなさい。話がしたければ訪ねて来なさい。先代が恋しくて仕方がない者は、その間にこの城を出て行きなさい」
女王が眼下に一瞥残して身体の向きを変えた時、
「ローテローゼ!」
叫んだ者があった。
目の覚めるような赤い髪の彼は家臣たちを押し退け玉座の真下にやってくると、
「お前の噂は聞いたことがある。氷の女王──だったか?」
敵意以外の何も含んでいない冷眼で紅の女を見上げた。
しかし彼女は怒るでもなく怯むでもなく、感動のない眼差しを赤の騎士に返す。
「国外ではそう呼んでいたかもしれませんね。しかし身内には──」
ローテローゼは躾のなっていない飼い犬から目を放すと、玉座の真正面、大扉の上の白い壁に彫られたこの国の紋章を眺めやった。
石の白がまばゆい鈴蘭の紋章。
小さく可憐で繊細な気品、確かに先代には似合いだろう。
だが。
「身内には?」
促されて、彼女は視線を赤の騎士へと戻した。
「わたくし、薔薇の女王と呼ばれていました」
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