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 息を潜め感情を表に出さないように努めているらしい女王眼下の者たちだったが、努力が実っていないことには気が付いていないようだった。
 空間が広い分空気の冷たさが残るだだっ広い廊下を歩きながら、ローテローゼは口の端に思い出し笑いを浮かべる。
 呆然としている顔、蒼ざめている顔、敵意剥き出しの顔、薄ら笑いを過ぎらせる顔……あの場に絵師がいたらさぞかし喜んだことだろう。あれほど生き生きと人間的な表情集はあるまい。

 無意味な自己紹介を放りなげた後、彼女は質疑応答の時間も設けずに玉座を下り、広間を出た。
 今彼らの言葉を聞いたって、どうせ公共の利益を(うた)った利己的な詰問がばらばらとまとまりもなく出てくるだけだ。
 作戦会議をやらせてからでないと時間の無駄。もっとも、頭を突き合わせた意見書でさえ、どれだけ意味のあるものになるのかは疑わしいが。


「ローテローゼ様」
 赤絨毯の廊下をしゃなりしゃなりと奥へ歩いていると、後ろから呼ばれた。
 彼女が立ち止まると、後ろから追いかけてきた声の主も止まる。
「…………」
「…………」
 その者、どうやら彼女の前に回って膝を付くのは断固拒否らしい。
 だがローテローゼはそんな意地の張り合いに参加するつもりは毛頭なかった。
「何か用ですか」
 まわれ右をして向き直れば、空気のような存在感で立っているラグナ・ブランカ。
 ローテローゼは彼の涼しい顔を見上げた。
 黒髪の下の藍の双眸は落ち着き払い、確かにこちらを見下ろしている。
「お部屋へ戻られるようでしたら、今ご使用されていますお部屋を引き続きお使いいただきますよう」
「そのつもりですが、それは先代の部屋を使うなという意味にとった方がよろしいですか?」
「王の部屋はこの城の中で唯一、あそこだけと決まっております」
 ブランカの答えは明瞭だった。
「それでは、今日から王の部屋は私の部屋だけと定めましょうか」
 唇だけ笑うと、
「それには議会の賛成が必要ですね」
 向こうも口元だけの穏やかな笑みを返してくる。
「集めましょうか?」
「そんなくだらない議題、民意を問う必要はありません。王の部屋で眠るから王なのではなく、王の眠る場所こそが王の部屋なのではありませんか」
「それが厨房であっても、(うまや)であっても、ですか」
「そう言ったつもりです」
「…………」
 一時の間が空いて、ブランカが藍の目を細くした。
「貴女がそういう方で嬉しく思います。でしたら。今ご滞在いただいている部屋は急な仰せでご用意しましたゆえに整っておらず、御身にふさわしくないと考えておりました。しばし別の場所に移っていただけますか?」

* * *

「…………」
 それで用意した別の場所というのが馬番の小屋だというのだから、笑える。
 王の馬の世話一切を取り仕切る馬丁(ばてい)の部屋ですらなく、ただ馬が盗まれないかを見張るだけの老夫婦の住まい。
 厩に対面する形で作られたその小屋は(つまり城の中ですらない)、壁となっている木の板が雪の湿気をたっぷりと吸い、隙間風が足元を冷やし、窓も扉も立て付けの悪い、しかし馬番小屋と聞いて誰もの想像を裏切らない、ある意味立派な馬番小屋の中の馬番小屋だった。
 あげく住人はラグナ・ブランカに習って口を利かない。
 ……教育は行き届いている。
白湯(さゆ)をいただけますか」
「…………」
 とりあえず寒いので頼んでみると、いかにも土をこねて作りました的なカップに入ったお湯が、どんと音をたててテーブルに置かれた。
 あちこち虫が食いでこぼこで、おまけに始めから水平でないテーブル。
「……鬼」
 ローテローゼは小さく嘆息し、カップのフチに口をつける。
 どうやらこの国を潰すには、やや時間がかかりそうである。


To be continued.

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