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The beginning of the end






「ストラス総統」

名を呼ばれて、青年は立ち止まり軽く身体を返した。
彼は呼び主を確認すると小さく目を開く。

「……マルコシアス侯爵閣下……。オセもご一緒で……」

「アルフースの所へ行くのか?」

「え、えぇ」

青年──ストラスは、うなずきながらしっかりと相手に向き直った。
万魔殿(パンデモニウム)の広いホール。
眼の前にいるのは第七座天使侯爵マルコシアス。そしてその部下、オセ豹総統だ。

「アルフースは謹慎中なので、今日行なわれた会議の内容をお伝えしておこうと思いまして……」

「あいつもよくやるよ、まったく!」

マルコシアスが人目もはばからずに大笑いした。

「本当に尊敬します」

後ろに控えたオセまでもが真面目な顔でさらりと同意した。


人をのせ、核心をはぐらかす巧みな話術と気安く豪快な性格、がっしりした身体に精悍な顔つき。地獄の30個軍を率いるマルコシアスは親分肌で兵士達からも慕われ、しかし好戦的な一面も持っているので参謀部の言葉を無視して突き進むこともしばしば、な男。
そしてそれに拍車をかけているのが、澄ました顔をしている後ろの若者、オセである。

暗い青色の髪に、おそろいの武人装束、そして切れ長すぎる冷涼な双眸。
いわゆる美丈夫という奴。
しかしその外見とは裏腹に、彼はマルコシアスに輪をかけて過激なのである。彼を従属させようと呼び出した召喚士を何人返り討ちにしたかしれない。


「あの仮面美人、久々戦場に出るかと思えばその度謹慎喰らってやがるな」

「あの方は上への相談なしに自軍を動かされてしまいますから……しかも誰も予想しない方向へ」

ストラスは苦笑とはまた違う、淡い笑みを浮かべた。それに同調するように、マルコシアスもまたニヤついた笑みを寄越してくる。

「だがあいつの読みはいつでも当たる」

「えぇ」

このマルコシアスはストラスの上司であるアンドレアルフースと同じ階級、侯爵。静かなアルフースと対極にある性格が功を奏してか、旧友に近い間柄らしかった。
彼がアルフースの居城を訪ねれば、美貌の悪魔は面倒臭そうな顔をしながらも受け入れる。
これが気に入らない客ならば、門前払いもあり得るのだ。

参謀部のアルフースは、マルコシアスとオセが言うことを聞かないと言っては怒る。
軍本部のマルコシアスとオセは、アルフースやストラスの策がまわりくどいと言って怒る。
それでも互いの城に入り浸るのだから、可笑しなものだ。
どちらかといえばマルコシアスが一方的にアルフース城へ押しかけているのだが。

「今回の援軍が美貌侯の軍で本当に助かりましたよ。おそらく他の軍では、引き分けるか撤退だったかもしれませんからね」

オセが上司を仰ぐ。マルコシアスは相変らずの笑みのまま。

「だからってあれは少々やりすぎだがな」

「マルコシアス閣下の軍への援護ゆえの行動でしょう」

ストラスは美しい金糸を揺らして紅の目を柔らかく微笑ませた。便乗してオセが容赦なく付け加える。

「これがグラシャラボラス総統やヴィネ王の軍だったら、あの方は絶対に援軍要請を無視しますよ、きっと」

「それでまた謹慎を喰らうわけだな」

そういう悪魔なのだ、アンドレアルフースとは。
優秀だが、嫌なものは嫌。しかしやるとなったら手段を問わない。
そこにきてあの美貌なものだから、お高くとまっていると陰口を叩かれて敵も多い。本人もそれを自覚しているが、改善する気は全くないらしかった。

「だからってなぁ。一個軍丸ごと天軍に(ふん)して大将を討ちに行くなんざ、正気じゃない」

「しかし天軍の敬礼から各将官の名前と顔、組織構造や呼び名まで全ての情報を集めていらしたんでしょう? アルフース閣下は。おまけに天軍が進めている作戦まで予想して、まるで矛盾ない行動をなさっていたと聞きましたよ。完全に天軍の一員だったと。そんなことを出来る者が他にいますかねぇ? それに、アルフース侯の奇襲で大将を討ち取られた天軍が指揮系統を失ったからこそ、我々は敗走せずに済んだんでしたよね、閣下」

オセの歯に衣着せない言葉は何も珍しいことではない。それが例え自らの上官相手であっても、だ。
けれどだからこそマルコシアスの方も慣れて聞く耳をもたない。

「あいつは頭がいい割りに頭が悪いんだ。策略には長けているのに、自己保身を忘れる」

「自己保身しているような輩が上に立っても、そのうち自分の兵士に愛想を尽かされますよ」

声をひそめることすらしないふたりの声は、通り過ぎてゆく悪魔や雑談している悪魔たちに充分聞こえているはずだった。
それでも咎められたり絡まれたりしないのは、普段の凶暴さ加減の賜物だろうし──トーンを落とさないのは本人たちに悪意があってのことだ。
ストラスは軽く、本当にごく軽く、嘆息した。
が、次に紡がれたマルコシアスの言葉に思わず顔を上げる。

「自分を守るってこたぁ他人を守ることと同じくらい大事なんだがな、本当は」

マルコシアスは深い意味を込めていなかったのかもしれない。けれどストラスにはそれだけが大きな音で聞こえた。

「結局自分と他人の連鎖だろう? 俺から見て他人だってそいつにしてみりゃ自分だ。で、そいつから見れば俺は他人だ。その中で自分を守るだの他人を守るだの区別をつけるって何か無意味じゃないか?」

「……はい」

はっきり言って侯爵殿の言っている意味はほとんど分からなかったが──ストラスは感覚的にうなずいた。

「あいつが死んだらお前は悲しい。俺も悲しい。だよな?」

「えぇ」

おそらくこちらが理解していないことを察したのだろう。
マルコシアスが砕いてきた。

「俺の軍がチンタラやってるせいであいつが死にでもしたら、俺は一生後悔だのなんだのに(さいな)まれて立ち直れないかもしれない」

疑うような白い視線を自らの部下から受けて、マルコシアスが一度咳払いをする。

「あいつが生きてここにいるってことは、それだけで俺やアンタの平穏を守っていることにもなっているわけだ。自分を守ることはつまり他人を守ってもいる。世界から完全に隔離されてる奴なら別だが、およそそんな奴は存在しない。誰もが何らかの形で連鎖の中にいる」

「そうですね」

「自分を殺して他人を救って英雄になろうとする奴がいるが、それは同時誰かを裏切っている。自分が死んでも世界は変わらないと思っている奴がいるが、それは世界をデカく見すぎている」

「……アルフースは……」

「あいつが何を考えているか知らんが、アンドレアルフース様ともあろう者がそこんとこをイマイチお分かりでないんだよなぁ」

栗色の髪の下で、紅の瞳がお手上げの色を見せた。
紅。
ルシファーと共に反乱し、地の底へ堕とされた者たちに与えられた、罪の烙印。

「死んでも守りたいっていうけどな──まぁあの美人に本当にそんな激情があるのか疑問だが──、守られて残された方は迷惑だと思うんだよな。一生その痛みを抱えていかなきゃならないんだから。本当の英雄になるなら、他人も守って自分も守らなきゃダメだ」

ストラスは持論をのたまっているマルコシアスを見、ふとこの人の守るべきものは何なのだろうかと考える。けれど、もうひとりの自分が遠くでつぶやいた。

“馬鹿げてる”

そう、考えるだけ馬鹿げている。
この人はたくさん守るべきものを持っている。

「英雄になりたいんですか、閣下」

ふんぞり返るマルコシアスに冷たい声をあびせるオセ。それを斜め下に見やりながら上官がため息をついていた。

「お前、この話の重要なところはそこじゃないだろう? ちゃんと聞いてたか?」

「じゃあ訊きますけど、貴方が守るべきものはなんです?」

「そりゃお前、可愛い部下たちと俺の愉快な仲間達だ」

「そのネーミング、アルフース侯には受けないと思いますよ」

「あいつに気に入られなきゃならん理由はない!」

他愛無いじゃれあいの会話を聞きながら、少しだけ羨ましいと思ってしまう。
武人の気質なのか本人たちの気質なのか、彼らの言葉は実にストレートだ。気遣いがない代わりに、含みも嘘もない。

「じゃあな、ストラス。あの堅物に“自愛”って言葉を覚えさせておけよ」

「そのうちまたお邪魔しますとアルフース侯にお伝えください」

現れた時と同じ唐突さで踵を返すマルコシアス。
その無礼をわびるようにオセがぺこりと頭を下げ、薄刃の目を細めた。笑ったのだ。

「アルフースも暇をもてあましていますから、行けば喜ばれますよ」

ストラスが真っ正直に受け答えれば、

「ウチの閣下は素直じゃないですから」

オセが彼の耳元に口を寄せてきた。

「自愛しろって、マルコシアスの感謝の言葉に訳して美貌侯にお伝えくださいね。アルフース侯がいらっしゃらなかったら、あの方は敗けて謹慎どころじゃなかったでしょうから。気にしてるんですよ、結構。自分の勝利のために侯が謹慎令を受けたこと」

「はぁ」

「それではまた、ストラス総統」

ストラスの生返事にクスクスと笑いながら、オセもマルコシアスを追って身をひるがえす。
足音を立てず走ってゆく紺色の若武者を見送りながら、ストラスは知らずひとつ嘆息した。

「あの方は激情型ですよ、閣下」

──それを決して外に見せないだけなんです。

出口へ向かって歩けば、薄青の紗衣が霞み雲のように彼の後を追う。
無表情な兵士に会釈をして石積みの門を出ると、堕天の時から変わらぬ黒い暗雲と荒野、そして活火山から流れる溶岩の赤が禍々しい景色。

「私と、他人」

ストラスは華奢な顔を地獄の世界へと向けた。

「区別をつけるのは無意味、ですか」

穏かな相貌におよそ似つかわしくない紅の瞳は、堕天の証。
神を冒涜し、刃を向けた罪の刻印。

「でも私は、守りたい者と自分を同時に守れるほどの力なんて持っていないんですけれど……」

つぶやいて、彼は優しい柳眉を寄せた。

「そういう場合ってどうしたらいいんでしょう」





◆  ◇  ◆  ◇  ◆





ストラスがアルフースの執務室に通された時、そこには先客がいた。
とはいえ城の者たちから“客”とはみなされていないため、半ばソレは無視状態。ストラスは待つことなく入室を許されたのである。

しかし。


「どういうことだ、ルノ。もう一度説明しろ」

「頭悪いなー! だ・か・ら、もういいって言ってんの! 俺は軍には入らない。地獄を出て行く。だから最後の挨拶をしに来たんだろ。それくらいのこと理解してくれよ」

「結果だけ言うなと言っている。経過を説明しろ」

「オレは組織に属していません。アンタの部下でもありません。よって説明義務もありません」

「ルノ!」


執務室の中にまで暗雲がたれこめていた。
大きなデスクの向こうにいる美貌はあからさまに不機嫌で、ストラスの眼前にあるソファに座り前へと足を投げ出している悪魔もまた、こちらの入室を知らぬわけでもあるまいに雰囲気を直そうとすらしない。

もう一度正面の男が若い悪魔を睨みつけ、その双眸がストラスへと向けられた。
天界と地獄、合わせてさえ凌ぐ者がいないと歌われ誰もが見惚れる堕天の悪魔、美貌侯爵アンドレアルフース。
ストラスが慌てて会釈をする前に、目で制される。

──待っていろ、と。

どうせ待たせるならこんな気まずい場所じゃなくて外にしてくれればいいのに……呆れ気味に思いながら、彼は数歩下がってその薄い背を壁へとつけた。
同時に主の険しい矛先が元の場所へと戻る。

「ルノ。私がやろうと思えば、お前を地獄から出さないこともできることを忘れたか?」

「そんなの関係ないね。あいつなら地獄門を無視して俺を呼び出せるさ、きっとな」

黒の髪、金色の瞳、人懐こい純粋な悪魔、シェーラー・ルノ。
それを睨んでいたアルフースの顔に、一片の亀裂が走った。

「呼び出せる……召喚士か」

「だから何だよ」

「…………」

「アンタの過去には関係ないだろ」

ナイフで傷跡をえぐってくる声音に、アルフースが小さく顔をしかめた。

「ルノ!」

「文句あるか」

思わず声を上げたストラスだが、奔放悪魔はこちらを見向きもせずに返してくる。

「アンタたちが自分の兵士を守らなきゃならないように、オレもあいつを守らなきゃならないんだ」


アンドレアルフースがかつて人間の召喚士を妃にしていたことは、公の場では口にすることを忌避される地獄の暗黙であった。
彼を召喚し、その知識を得るために用意された生贄の娘。
アルフースは人間の魂など飽いたから帰れと言ったが、娘は生贄に帰る場所などないと言った。

私は死ぬことを期待されてここにいるのだ、と。

殺せと言い張る娘を持て余し、アルフースが彼女を妃に据えたのは数日後。
しかしそれから彼女の命の灯火が消えるまで、彼女がその夫と言葉を交わすことは一度もなかった。


本当に名ばかりの婚姻の後も、アルフースは変わらぬ明晰さと強さを持って上司であるフォーカス大公を支えたし、奥方は与えられた一室と庭園で日々を暮らした。

周りの人間からしてみればそれは、仮面をつけて装うことすらない寒々しい絵であった。
本人たちがどう思っていたのかは分からないが。


「あいつは確かに力はある。だけど今あいつに必要なのは強さじゃない、寄りかかることのできる木なんだ。支えなんだ。だからオレがその役をやってやることにした」

ルノがフフンと鼻をならす。

「…………」

顔の前で白手袋に包まれた指を組み、アルフースが目を細めた。

「危なっかしいアンタを放り出していくのはちょっとばかり悔いが残るけど、向こうの方が更に危なっかしいんだよ。なんて言うかなぁ、オレがいなきゃダメってかんじ」

主のその眼差しが何を意味しているのかストラスには分かりかねたが、その中にわずかな羨望がこめられていることだけは感じた。
一抹の羨みと悲哀と優しさ。

敵を威嚇する時の紅蓮とは全く違う、紅の色。

アンドレアルフースの黒い軍服に包まれた体躯が、椅子深くに沈む。

「召喚士の名は」

「クローネ=カイゼリン。緋色の髪をした、なかなかの美人だよ。アンタにゃ敵わないけどね」

「……死んでも守れよ」

言った主の双眸は閉ざされていた。
そして彼は背もたれに埋もれたまま面倒臭そうに手を振る。じゃれつく犬を追い払うように、しっしっと。

「アンタならそう言うと思ってたよ」

ルノが満面の笑みでソファから跳ね起きた。
そして彼は、顔を上げない美貌侯に向かって敬礼する。

「死んでも守る。誓う。約束する。アンドレアルフース」

「…………」

その時ほどストラスが、その若者の金色の目を綺麗だと思ったことはなかった。
どんな宝玉でも敵わない、あるいは主美貌侯爵の紅蓮の瞳でも敵わない、迷いを知らない鮮やかな陽光の色だった。
彼らが裏切り、手放し、永遠に奪われた、光の色。
ほんの一瞬だけ、天界への郷愁が胸をよぎった。

「それじゃーな」

返事も聞かずに──聞きたくなかったのかもしれない──若者はさっさと部屋を出て行く。
重い扉が開かれ、そして同じ音をたてて閉まった。
一日に何度も聞いている音なのに、放浪悪魔ルノの旅立ちと言ってもいいのに、それは重く身体に響く音で。

何か別のものまで閉ざされた錯覚に陥る。
決定的な何かを。

ストラスは視界を締め切ったままの主に近付いた。

「──言うべきことがあったでしょうに」

「言うだけ無駄だ」

沈黙で返されるかと思ったが、思ったよりも応えはまともだった。

「言って聞くような奴か?」

アルフースが薄く双眸を開いて上目遣いに問うてくる。
ストラスは小さな微笑で首を振った。

「いいえ」

「あいつは──」

アンドレアルフースが身を正してデスクに肘をついた。
黒髪と白皙のコントラストに遠くを見つめる玲瓏(れいろう)な目。ストラスでさえも息を呑んだ。

「我々のような罪に縛られた者ではない。かごの中の鳥でいてはならない者だ」

「ですが忠告するくらいは」

「知ってるさ。アレだって子供ではない。知っている」


人格を持つ同族を殺めてはならない。

それは破ればその身にも死が降りかかる、地獄の掟。
しかし召喚士を守るとなれば、その禁忌も必然近くなる。
それに加えてあの悪魔の性格、見えぬところに引かれた絶対の一線など簡単に踏み越えるだろう。


「後のことは誰にも分からぬ。神にも、な」

日々少しづつ未来へと伸びていく道が重なるか重ならないか、ただそれだけだ。

主はそう言って、デスクの脇へ押しやられていた冷めたコーヒーに手をやった。


「それで、ストラス。私がここに閉じ込められている間、万魔殿ではどんな茶番劇があった?」





◆  ◇  ◆  ◇  ◆





──貴方の言っていたことは分かるんですけどね、マルコシアス閣下。


ストラスは退室した直後、その日何度目かのため息をついた。

──世の中そううまくはいきませんよ。

彼のまわりは“自愛”なんて言葉を知らない者ばかりだ。
その時守りたいと思ったものを、後先考えずに死んでも守ろうとする者ばかりなのだ。

ルノは彼が見つけた召喚士を。
アンドレアルフースは自軍の兵士、自分の部下、そしてそれぞれの者がもつ誇りを。
そのためにどれだけ己が傷つこうが構わないと──そう思っている。
己が傷つくことでさらに傷ついている者がいるなど、考えてもいない。


──私が神とアンドレアルフースを天秤にかけたと知ったら、侯は怒るかな、オセ。


天界は好きだった。
神のことだって裏切ろうという気もなかったし、恨みもなかった。
けれどその頃から上司であったアンドレアルフースがルシファーについたと知って、彼も道を決めた。
瞳を紅に染める覚悟をした。

守りたかったものなど何もない。
ストラスが守らねばならないほど、アンドレアルフースの力は弱くない。
しかし味方でありたいと思っていた。ずっと。
あの人がどれだけ疑いをかけられようと、追い込まれようと、陥れられようと(そういうことをされやすい性格なのだ、あの人は)、力になれずとも必ず横にいようと、決めた。


──それが守るってことなんでしょうか?


そう自問して、彼は天井高い回廊を見上げた。
灰色の磨かれた石に彫られた途絶えることのない曲線。
どこまでも果てのない道のように、曲がり、交差し、合流し、そして別れ続いている。

彼はそのまま回廊の所々にあるテラスへ出た。
視界を遮る柵のない、完全に眺めを望むためのテラス。
らしくもなく石段に座り、組んだ手の上にあごをのせた。
上空を吹く強風が金髪をさらい体温を奪おうとするが、彼は長い睫毛を少し伏せただけ。

そして口元からは苦笑混じりの……またため息。

「──はぁ」

説教に紛れ込ませてアンドレアルフースに訊いてみたのだ。

“ルノを引き止めるべきだったんじゃないですか? 一体貴方が本当に守りたいものは何なんですか!?”、と。

そうしたら“分からない”と言われた。
模範解答ではなくて、分からない。

“戦場にいれば兵士たちやお前のような友を守りたいと思う。万魔殿にいれば誇りと地位を守ることに必死になっている。守りたいものはたくさんあって、その度優先順位は変わる。そしてそれを守るためなら死んでもかまわないと思うこともある。だが何が本当に守りたいのかは──分からない”

罰が悪そうな顔をしたあの顔を思い出す。
きっと、本音だったのだろう。

“今の私は、ルノの身を守ることよりもあいつの行く道を守ることを重んじた。けれどそれを後悔しないほどの覚悟はない。……そんな風だから色々な者に心配をかけてしまうんだな”

「何を守るべきかなんて、そう簡単に分からないんですよね」

ストラスは岩だらけの(くら)い大地を見下ろす。
優しくもなく、美しくもなく、愛もない焼け野。罪びとたちに与えられた寒々しい牢獄。
救いを求めるだけ無駄。奇跡など存在しない。慰めも期待してはいけない。

「でも私が私を守ることで他の人が──侯が守られるというなら、とりあえずは自愛しましょうか。ねぇ、マルコシアス閣下。それくらいなら私にだって出来るでしょう」


──私が死んで、もし万が一あの方が涙するようなことがあったら……申し訳ないですもんね


胸中でそう言ってから彼はハタと静止し、次瞬手にしていた書類をばふっと己の顔に当てた。
赤面を隠すように。
そしてくぐもった声でかぼそくうめく。

「私ってば傲慢……」






誰もが知っている。失ってからでは遅い、と。
しかし未来へと続く道はいつでも不可視で、何を失ってはならなかったのか、その答えは失ってから突きつけられるばかり。
何を守らねばならなかったのか、低く(あざわら)う現実の前に立ち尽くす。

それでも、彼らは答えを探すのだ。
何を守るべきなのか、紅の刻印の奥底で絶えず探している。

それが見つかった時こそ、真に強くなれるのだと信じて。
天よりも、神よりも。
運命よりも。





THE END


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カンの良い方は未来が見えたかもしれません。ルノが討たれることになったその理由が。







執筆時BGM by 小松未歩[anybody's game] [あなたがいるから]
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