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- その男は初めてこの街へ来たようだった。
- 大して長い時間が経ったわけじゃないけれど、僕はその時のことを何一つ忘れていない。
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- そして僕は、彼が再び僕の目の前に現われることをあの日からずっと待っているんだ。
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- 昔から、街を入ってすぐの所にある僕の店にはそういう旅人がたくさん来る。
- だから僕は店主というよりも、この街の案内係のようなもの。
- もちろんそれが嫌だってわけじゃないし、面倒臭いってわけでもないよ?
- 僕はこの街が好きだし、誇りに思ってる。
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- それに、僕の店に来る人というのは必ず何かを抱えてる。
- そして必ず優しい顔になって帰ってゆく。
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- 両肩に暗く憂鬱な影を背負っていた人が、街門で見送る僕に透明な笑顔で
- 手を振って去ってゆく時。
- 僕は、僕にとってその瞬間が一番幸せかもしれないと思う。
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- ──って、そんな僕の語りはどうでもいいね。
- 問題はその男だ。
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- 彼は光を受け付けない漆黒の髪で、真っ直ぐで綺麗な目をした、僕よりもちょっとだけ
- 背が高い輩だった。
- 雇われ傭兵のようでもあり、物騒な暗殺者のようでもあり、……まぁ平たく言えば、
- 流れ流れるお尋ね者……というかんじ。
- 他人と相容れない堅い空気を身にまとい、決して自分の領域には相手を入れない。
- 典型的な誇り高き剣士。
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- 彼が僕の店の扉を開けた時、僕にはすぐ分かった。
- 彼は、何か大事なものを失くしてしまったんだ、ってね。
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- ちりん
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- かすかなベルの音が空気に波紋を描き、僕に来客を告げる。
- でも僕は奥のカウンター席に身をうずめたまま動かない。
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- だって。
- 知らない街の、何を売っているんだか分からない店で、扉を開けるなり店員がベッタリ
- くっついてきて、あーだこーだとしゃべりたてたらウンザリするでしょ。
- 何気なくちらちらと観察されるのも嫌でしょ。
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- だから僕の店は、僕の座るカウンターが一番奥にある。
- いくつもの商品を並べた棚々の最奥。
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- ……僕は整理整頓が上手い方じゃないから、“カウンターがどこにあるのか
- 分からなかった”なんて言われることもある。
- 仕事道具やら伝票やら、自分でもなんだか分からないけど、とにかく色んなものに
- 埋まってしまっているのだ。
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- そんなわけでお客さんから僕の姿はなかなか見えない。
- 珍しく棚の整理をしていたり、たまたま僕が立っていない限り、さ。
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- そして彼が来た時、僕はいつものとおり、カウンターの一部になっていた。
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- 男の後ろで静かに扉は閉まり、彼は文字通り探るような目つきで店内を見回す。
- ひんやりと薄暗いそこには彼以外に客はいない。
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- ──流行ってないんじゃん……っていう言葉はなし。
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-
-
- 天井近くまである棚は、人がようやくすれ違えるくらいの間隔で立っていて、そこには
- ぎっしりと、色とりどり・大小様々な瓶が置いてある。
- かといって、瓶に色がついているわけじゃない。
- 中身に色がついているのだ。
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- 男はゆっくりとした靴音を店内に響かせながら、宛もなく瓶を眺めていた。
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- 感動も、疑問も、何もない瞳のまま。
-
-
- ──何故カウンターに埋もれた僕がそんなことまで分かるかって?
- 僕はここの店主だよ?それくらい当たり前じゃないか
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- 彼はきっとその瓶の中身が何かなんて知らなかっただろう。
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- ……というより、知りたいという気さえなかっただろうと思う。
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- たまたま入った街の、たまたま入った店。
- そこに、たまたまなんだか分からない瓶がたくさん置いてあった。
- たぶん彼の中の認識なんてそんなもんだったんだろうね。
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- 「何かお探しですか?」
-
- 僕は音もなくカウンターから抜け出て、彼に声をかけた。
- こちらを向いた彼の瞳には、のっぺりした僕の笑顔が映る。
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- 「…………」
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- 向こうが話し掛けてくるまでは声をかけないのが僕の流儀だけど、この場合は違う。
- それは相手がお客さんだった時のことであって……彼は僕のお客さんではなかったんだ。
- 彼は──そう。
- たまたまここに辿り着いた旅人さんだったのだ。
- つまりは、僕が案内すべき。
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-
- 「あなたは何かを探してはいるけど、何を探しているのか分からない……。違いますか?」
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- 「…………」
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- ──当たり。
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- 僕の言葉に彼は何も答えてはこなかったけれど、その動きのない目がちょっとだけ
- 大きく開かれた。
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- 僕はそれを確認していきなり本題を持ち出す。
- こういうことに前置きはいらないのだ。
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-
-
- 「僕についてきてくださる気はありますか?」
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- ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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-
-
-
-
- やや強い風が吹き抜ける街のメインストリートをふたりで並んで歩きながら、
- 僕らは街の裏手へと向かう。
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- 白やクリーム色の壁、赤茶けた屋根、花咲く出窓に、軽快な足取りで行き交う人々。
- 童話の中の街のような僕の街。
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- でも値段交渉の怒鳴りあいは道まで聞こえてて、昼間っから酔っ払ったおじさんが
- おばさんにガミガミ叱られている。
- そういうところは他の街とあまり変わらない……。
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-
- 僕は苦笑しながら横の彼を見る。
-
- 「ここがどんな街か御存知でいらしたんですか?」
-
- 「──いいや」
-
- 無視されるかと思ったけれど、彼は短く返してくれた。
- 低くて、でもどこか懐かしさを感じさせる声。
- 良い声だ。
-
- そして僕はいつものとおり、いつもと同じ口上を並べる。
-
- 「ここは職人の街なんですよ。普通じゃ手に入らないものが多くそろっているんです。
- あの看板は呪符屋……もちろんそこら辺で売っているような簡単なヤツじゃありません。
- むこうにある針の看板は布屋。夜空を切り取ったのや、夕焼け、朝焼け。どれもここでしか
- 創れないでしょうね」
-
- そして最後に付け加えた。
-
- 「……まぁ、値段も法外なんですけども」
-
-
- とはいえ、ここで売っているものは、お金というシステムで計れるような単純なものでない
- ことは確かなんだ。
- 言い訳かもしれないけど、本当に素晴らしい品ばかりなんだよ。
-
- 死神城にある命のロウソクだってここのもの。
- 世界に散らばる魔剣の多くもここの出身だし、精霊使いが精霊を飼っておくにはここの
- 眠り花かごを使うのが一番いい。
-
-
- 「でも、いい街だと思いませんかっ!」
-
- 僕は道を吹き抜けてゆく風に負けじと叫ぶ。
-
- 「あぁ、いい街だ」
-
- 闇夜そのままの黒衣をひるがえしながら、彼も少し大きな声で言ってくれた。
- 真っ直ぐ前を向いたっきり彼は僕を見ようともしなかったけれど、その時僕は思ったんだ。
-
-
- ──いい人だなぁ……ってね
-
-
- けれど彼の探しているものはここにはない。
- ……この街にさえ、ない。
-
- 自分の探しているものが何なのかすら分からない彼。
- 彼の求めるものは……ここにさえない。
-
- だから僕は彼をそこへ連れて行った。
-
-
-
-
-
- 「ここの奥は風が生まれる場所です」
-
- 街の裏。
- そびえる山脈の裾野に広がる広大な森。
- 黒く、冷たい森。
- どこからでも踏み入ることのできる森にあって、“入り口”なんていうのは可笑しなもの
- だけれど、とりあえず僕らは森の奥へと続く小さな獣道の始まりにいた。
-
- 「風が生まれる場所?」
-
- 「僕も街の人も伝え聞いているだけなので詳しいことはよく分かりませんけどね、
- 僕の師匠が言うには、この森の奥、向こうにそびえる雪山のとある洞窟のそのまた奥に
- 風の生まれる場所があるんだそうです」
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- いつでもこの森からは冷ややかな風が街へ向かって吹いている。
- だからいつでも街は、裏から表へと冷涼な風が吹き抜けている。
- 神々が眠るといわれている氷れる山からの、生まれたばかりの風が。
-
- 「風は風の源で生まれ、風の源へと帰る。風は世界を廻り、世界のすべてを知る。
- 知らねばならないことがあり、そしてそれが何人にも知り得ぬことであったなら、命を
- 賭してもいいというのなら、風の源へ行け。そこにはすべての知識があり、そこには
- すべての答えがある」
-
- 完全に師匠からの受け売り。
- だけど、僕もこの言葉を信じている。
- 僕はすっと右手で山を指差した。
-
- 「あなたが求めているものはこの街にはありません。でも、あそこにならあるかもしれない」
-
- 「…………」
-
- 風に舞う黒衣の下に、剣士の命ともいえる長剣が見えた。
- これまた深い混沌の黒い鞘に包まれて。
-
- 「…………」
-
- 彼の美しく研ぎ澄まされた瞳が一直線に凍てついた山を見つめる。
- 彼は一度その双眸を閉じ、そしてゆっくりと開いた。
- 眠れる獅子が目を覚ますように──。
-
- 「この命を捨てる気なんてさらさらないが……」
-
- こちらを見た彼の目は、僕が今まで知っているどんな紫よりも綺麗だった。
- そして彼はその口の端に小さな笑みを浮べて山へと向き直る。
-
- 「……風の生まれる場所。行くだけの価値はあるだろう」
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-
-
-
-
- ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
-
-
-
-
-
- 僕は今まで何人もの人を表門から見送った。
- だけど、この森へと、あの山へと行く人を見送るのは初めてだった。
- そこまでにして何かを求める者に出会ったのは初めてだったのだ。
-
- ──彼が探すべきもの、失ったものってのは……何なんだろう?
-
-
- 僕は店に帰ってから、棚の瓶を眺めまわした。
-
- そうそう、僕の店は“失くしもの屋”。
-
- 世界中の失くしものがこの瓶ひとつひとつに入っている。
- もちろん僕の張った網から漏れてしまった失くしものもあるだろうから、完璧に全部そろっている
- わけじゃない。
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-
- でも僕は願わずにはいられなかった。
- あの人の失くしたものが、この瓶のどれかに入っていることを。
- 彼の探すべきものが何なのかを彼が知った時、僕がすぐ彼の力になってあげられることを。
-
- 彼はきっと帰ってくる。
- 森を抜け、山を登り、風の生まれる場所に辿り着く。
- そしてきっと答えを見つけるはずだ。
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-
- だから僕はずっと、静かにカウンターに埋もれたまま待っているんだ。
- 彼を街門から見送る日を、ね。
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-
-
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-
- 風は風の源で生まれ、風の源へと帰る。
-
- 風は世界を廻り、世界のすべてを知る。
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- 知らねばならないことがあり、そしてそれが何人にも知り得ぬことであったなら、
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- 命を賭してもいいというのなら、風の源へ行け。
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- そこにはすべての知識があり、そこにはすべての答えがある。
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-
- THE END
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- 残暑…というのはあまりにもブラックユーモアだと思う今日この頃。
- 残暑の方が暑いっていうのは納得がいきません。
- ってなわけで涼しげな(?)短編を一本アップ。
- ……あれ?な人が登場していたり。ふふふ。
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