狐幻想分かれ道

15000キリ番記念 純満すばる様にささぐ


ある春の日、少年はその人と出会いました。
二匹の小さな子狐を抱えた少年が、大きな桜木の下でその人物と会ったのです。
その出会いはいつ定められ、誰が膳立てしたのでしょう。
それは、少年にもその人にも分かりません。

ともかく彼らは出会い、そして世界は廻
(めぐ)り続けるのです。





◆  ◇  ◆  ◇  ◆





大地は新しい緑で覆われ、黄色のたんぽぽがちらほらと陽光に輝いて。冬の間じっと黙り込んでいた桜の木々には、ピンクのつぼみ。
あと数回春風が吹いたなら、すぐ満開に花開き、空を煙らせるに違いありません。

そんな風景に彩られた公園を、幼稚園とやらの青いスモックを着、体に大きい手縫いの横かばんを下げ、少年はとぼとぼと歩いていました。
母親の姿は横になく、子どもなりにとても憂鬱そうな足取りです。
帰りたいけれど帰れない。彼はまさにそういう状況なのです。

そりゃあそうでしょう。よほど神経の図太い子どもでなければ、小さな狐を二匹も抱えてなお、さくさく家に帰れようもなし。
猫や犬ではありません。
狐なのです。
しかも二匹。
ぬいぐるみのような茶色の毛玉ですが、狐なのです。
しかも二匹。

おまけに少年にはもうひとつ困ったことがありました。
少し先に見える桜の木の下に、さっきからじっと少年を見つめている男の人がいるということです。ちっとも進まない足が、更に進みません。
その人はチラチラこちらを見るのではなく、完全に彼だけを見つめているのです。
悪いことをしたつもりはありません。
けれどあまりに注視されるので少年はいてもたってもいられなくなり、目を伏せてものすごい速足でその桜を通り過ぎようとしました。

が。



「坊主、その狐どうした?」

桜の木の下でじっと様子を伺っていた男の人が、逃さぬ語調で声をかけてきました。

「……おじさん、誰?」

少年は意を決してキッと男を睨みます。

「お前、我が見えるか?」

「当たり前じゃん」

実に小生意気なガキであります。
だが男の人は怒るでもなく、すっと目を細めました。

「そうか、見えるか」

少年は知る由もありませんが、その男の名は『焔
(ほむら)』と言いました。
焔のことが見える人間というのは、実際とても少ないのです。
気配を感じることはできても、憑いた者を介して言葉を交わすことはできても、彼のこの姿を見、そして彼の声を聞き話を出来る者は、ほとんどいないのでした。

墨のように黒い長髪を上で結い、どこの国の者とも思えぬ金の流れる双眸。消えてなくならんばかりに線の細い体躯
(たいく)と、時代錯誤な袴姿。
どことなくぼやけた風体は、時代劇に出てくるどこぞの若様を思わせます。


「……ところでお前、その狐をどうした?」

「拾った」

少年の返答は、文句があるなら言ってみろと言わんばかりの語気でした。
母親に怒られるだろうことを感じて落ち込んでいた彼ではありますが、実は同年代の仲間の中でもあっちだこっちだと指差し駆け回るタイプの子どもなのでありました。
もともと、気が強い坊やなのです。

「拾った? どこで」

「あそこのマンションの近く」

顔にはとげとげした警戒の色を浮べたまま、それでも少年は視線で後ろを振り返りました。

「で、どうするんだ? 狐を二匹、飼うつもりか?」

「…………」

焔は意地悪です。こと人間に対しては、意地悪です。

「犬や猫じゃない、それは狐だぞ? 母親は何と言った」

「…………」

少年は口を尖らせて焔を見上げました。

この男は、分かっているのです。
少年がなぜのろのろと公園を歩いているのか、分かっているのです。
答えを知っているのにわざわざ訊くなど、なんて意地悪なんでしょう。
人でなしです。

いえ、そういえばその言葉は悪口になりませんでした。
焔は人ではありません。彼は神様なのです。神様となった狐、白狐なのでした。
白狐、『焔』。
それが偉そうでぶっきらぼうな時代屋の正体です。
気を抜くと、真っ白で美しい尻尾が出てしまうと言うのは内緒の話。そんなこと本人の前で言ったら狐火であぶり焼きにされかねませんから。


「何故拾った」

焔の声は、怒っていません。咎めてもいません。だからこそ、少年はどう答えていいのか分かりませんでした。

「何故お前はその狐を拾った。狐など、お前の家では飼えないだろうに」

「だってかわいそうだ」

しょうがないので、少年は思ったとおりを口にしました。
見知らぬ男から花丸をもらう必要はありません。

「死んじゃう」

「その子狐は死なない」

焔の金色の目には、霜が降りていました。

「死ぬ事はない」

「どうして」

少年は思わずケンカ腰に食ってかかります。
しかし、まわりに人がいないことは幸いでした。何せ焔の姿はほとんどの人に見えないのです。もしこんなところを誰かに見られでもしたら、少年は病院へ連れて行かれてしまうでしょう。

「この狐はお前が思っているような狐ではないのだ。動物園にいるようなやつではない。こいつらは……お化けだ」

お化け。
今の少年では、そう言われる以外理解できなかったに違いありません。
稲荷狐だ、などと言われても分からなかったでしょう。

「母親を失ってしまったお化けなのだ」

焔の白い手が、少年から二匹の子狐を取り上げました。
お化けという言葉にびっくりしていた少年は、抗議する余裕もなく、口を開けて男を見上げます。

「お前がこいつらを拾ったマンション。あの地には昔から狐のお化けの家があったのだ。だが、マンションを建てるために壊されてしまった」

「引越しはさせてもらえなかったの?」

「お化けはな、普通の人間には見えない。人間は見えないもののことなど気に留めない」

「なんでお母さん狐死んだんだ?」

「正確には死んでいない。だが、悪いお化けになってしまった」

「家を壊されたから?」

「そうだ。怒って悪いお化けになって、自分の子どもすら区別がつかなくなってしまった」


稲荷狐は神の使い。そこにあればその地を護り、だが人間が彼らに非礼を働けば、狐たちは悪霊となって人々に災いをもたらすのです。
その事はただ伝えられている昔話ではありません。高位白狐の焔自身、悪霊になりかけた経験がありました。
焔は悪霊になる前に救われたから良かったものの、多くの狐たちは怒りのままに悪霊と化し、退治されてしまうこともしばしば。
いつでも追われ払われるのは狐の方なのです。
彼らと対等に話しをし、人間に裁きを下してくれる者は本当に少しです。


「この子狐も、そのうち悪いお化けになるだろう」

まだ少し冷たさのある風が、公園を吹き抜けていきました。

「こいつらはお化けだから、おそらくお前の両親には見えまい。本当に物を食べるわけでもないし、広い遊び場が必要だということもない。お前が手元に置いておこうと思えば、置いておける」

少年は男の冷ややかな目を見つめ、そしてその腕の子狐たちへと視線を降ろしました。
お化けにはみえない二匹の子狐は、自分たちの置かれている状況が分かっていないようで、あくびをしながら互いにじゃれあっています。

「置いておけるが、こいつらはやがて悪いお化けとなり、お前に不幸を運んでくるようになる」

子ども相手に真剣な眼差しで、声音で語る焔。
両親以上の厳しさの中で口を結ぶ少年。

「そこで質問だ。我はこの狐たちを悪いお化けにせずに育てることができる。小さな神様にすることができる。──こいつらを我が預かるとして、お前はまだ可哀相だと思うか?」

少年は少し考えました。
そして、要するにこの男はお化け狐の飼い主になってやると言っているのだと理解したのです。しかも良い飼い主になってやる、と。

「大事に飼ってもらえるなら、可哀相じゃない」

喉の奥から出た声は、少年が自分で驚くほど小さくてかすれていました。

「だけど! その狐がお化けだなんて証拠どこにあるんだよ」

彼は、やっぱり小生意気なガキでした。
しかし焔は何百年も生きてきた由緒正しい神様です。一枚も二枚も上手です。

「一度この狐を連れて帰って母親に見せてみるか? 大笑いされるぞ。なんなら公園を出て通りがかりの奴に見せてみろ。ふざけるなと怒鳴られるのがオチだがな」

焔は、少し性悪に思えても由緒正しい神様です。
子ども相手でも手加減できない一本気な神様なのであります。

「お前は可哀相だと言ってこの狐を拾ってきた。だがこいつらを私が飼えば、その理由はなくなる。今なら二匹両方引き取ってやるぞ」

「そんなこと言って毛皮とか動物園とか、売るつもりだろう!」

「仲間を売るものか」

焔はちらりと背後を見やりました。
つられて少年もそちらを見ます。次の瞬間、彼は目を丸くしてぽかんと口を開けました。

「……おじさん、尻尾」

「我も狐のお化けだからな」

少しだけ誇らしげな声。
袴の向こうに、白い尻尾がやんわりと揺れています。
風の流れにあわせて優雅にそよいでいます。

「どうする、坊主。この子狐は可哀相ではなくなるぞ。──我に渡すか?」

「…………」

曇りのない金色を見上げながら、少年は分かっていました。
その人に渡すことが最善であるのだと。
嫌だという理由はないのだと。

「……渡す」

どうにかこうにかそれだけは言えました。

男がどういう顔をしたのか、少年には分かりませんでした。
言い捨ててすぐ、彼は焔に背を向けてしまったからです。
母親に叱られた帰り道のように、ずんずんと早足でその場を去ってしまったからです。



大きな荷物を背中から降ろしたはずなのに、泣きたい気がしました。
大事なものを盗られてしまったような、気がしました。
なぜか家までの短い道のりが長く長く感じて、そしてずっと家に着かなければいいのにと思いました。



けれど少年の家はもう、彼の前にありました。
彼は家に着きました。もう狐は持っていないのだから、それについて母親から叱られることはありません。
扉を開くのにためらう理由はありません。

「…………」

が、彼は家の前で回れ右をしたのです。
スモックもかばんも身に付けたまま、回れ右をして走り出しました。
ねじをいっぱいまで巻かれたように、ひたすら公園を目指して走りました。
黒い目はただ前を見据え、言いたい言葉は喉のすぐそこまで出ています。
道行く人が驚いた顔で振り向きました。
息が苦しくなり、身体が重くなりました。
それでも少年は走ったのです。

走って走って……



果たして、その人物はまだ桜の下にいました。
少年が戻ってくることを知っていたかのように、未だ二匹の小狐を抱いたまま、見事な立ち姿でこちらを眺めています。

「何をしに来たのかは分かっている」

少年が何かを言う前に、その人は言いました。
けれど少年ははっきりと大きな声で、誰にも入る余地の無い声で、叫びました。

「その狐は僕が飼う! 悪いお化けにはしない! 僕が飼う」

テレビに映っている人間の誰よりもきれいな顔をしたその狐が、ちょっとだけ微笑んだようにみえました。が、すぐに堅い声が降ってきます。

「何故」

「何ででも!」

少年は即答しました。
それが理由だったからです。

「何ででもだ! 僕が飼う」

「悪い……」

「悪いお化けになんてしないって約束するから!」

少年がだんっと地面を踏みつけると、その男はしばし彼をじっと見ていました。
男が何を考えているのかは分かりません。
降りてくるその視線は冷たくもあり、悲しくもあり、しかし優しくもありました。

「運命はお前を選び、今日を選んだ」

どこへともなく口ずさまれた歌のような言葉は、白雲流れる空へと消えていきます。

「お前であり、今日だった」

金色の目が空を仰ぎ、

「お前が選び、こいつらが選んだ」

少年の瞳で止まりました。

「我には抗う理由もない」

少年の手に、一匹の子狐が渡されました。

「……二匹を飼うには無理がある。お前はこの一匹を懸命に育てろ」

「でも」

「これだけは譲れない。いいな、全力で育てろ。そうしなければすぐに悪い狐になってしまうから」

「…………」

焔の眼差しは、痛いほどに真剣でした。
少年は黙って渡されたその子狐の頭をなでてやります。

「十年後。この桜木の下でこのもう一匹をお前に渡す。我が育てたお前の狐を、渡す」

「うん」

十年後。それは途方も無い年月です。
少年には分かりませんが、それはそれは長い時間の向こうです。
しかし、その約束はしっかりと少年に刻まれました。

「十年後。今お前が手にしている狐は、お前の最大の味方に。そして我が手にしている狐は、お前の最大の参謀になるだろう」

「うん」

少年が大きくうなづくと、焔の几帳面そうな細面の顔が穏かな春の色を帯びました。
伸びゆく命を慈しむ、神様の顔になりました。

そして今度は彼が少年に背を向けます。

降り注ぐ陽光に桜の梢
(こずえ)が輝き、つがいの小鳥はせわしなくさえずりまわり。
黒髪を揺らし、足音ひとつ立てないで、背高のっぽの御狐様は公園の奥へと去っていきます。
白い狐は輪郭ぼやけて景色に紛れていきます。


「明晴
(あきはる)!」

「……お母さん」

振り向けば、公園の入り口で少年の母親が苦笑いを浮べ、手招きしていました。

「どこに行ってたの! 勝手に先へ行っちゃったのに家には帰っていないし。探したんだからね」

「ごめんなさい」

風変わりな狐の言うとおりでした。
母親には少年が手にしている子狐が見えていません。ただ、彼だけを見ていました。

「より道してたんだよ。それだけ」

彼はパタパタと走ってゆき、母親の手を取りました。
ちらりと振り返っても、もうそこには誰もいません。
けれど、内緒の約束だけはしっかりと残されているのです。
彼の肩──器用に座っている子狐と、彼の心──理由なき運命を決断した心。
そこにしっかりと残されているのです。





◆  ◇  ◆  ◇  ◆





「運命に理由はなく、それに気付くもまた運命。妙にて不可思議な世の中よ」

都市を見下ろす山の中。
早咲きの山桜がはらはらと舞い散る下で、切れ長の双眸をこれ以上なく細めてつぶやく男がひとり。
白狐──焔。
抱いた子狐の頭を撫でながら遥か遠く、見えぬ彼方を眺めています。

「坊主は来るか? それとも来ぬか?」




彼と少年との出会いは、待つことなく流れ去ってゆく時間の中に確かな道標を立てました。
少年は未来へと続く分かれ道の真ん中に立ち、そして片方を選びました。


闇に彷徨う神を救う、尋常ならざる力の狐使い。
誰が未来を知り、誰がそれを教えましょう。
それは少年にも焔にも分かりません。

しかしともかく、時は流れ世界は廻り続けるのです。
来たるべきその時へと。




─了─





〜駄文っぽいあとがき〜

遅くなりまして申し訳ございません。(平謝り)これは、キリ番15000を踏まれた純満すばる様へ献上したいと思います。お題は「幼年期の終わり」。……クリアできてないような気がするのは私だけだと思いたい……。

小さい子どもというのは、『好き』とか『何かをやりたい』と思っても、その根源が分からないのだそうです。
例えば、絵を描くのが好きだった子どもに、絵を描いた後でご褒美をあげたとします。しかしその次に絵を描いた時ご褒美をあげなかったら。その子は他の子どもよりも絵を描かなくなるのだそうです。
始めは「好き」で描いていたのに、ご褒美を貰ったことにより絵を描く目的が「ご褒美」にすりかわってしまうというわけです。
まだ、「好き」というものがよく分かっていないということですね。
もちろん目的あっての「好き」「何かをしたい」それもあります。しかし、理由のない「好き」や「何かをしたい」も世界にはある。
理由のない自らの「何かをやりたい」を認め、断言し、責任を持とうとする。
強い大人への一歩かもしれません。(←急に弱気)

それにしても、どうして短編を書くと長編のプロローグ調になってしまうのでしょうね……。

不二 香




Novels   Home



Copyright(C)2003 Fuji-Kaori all rights reserved. cf.幻獣保護局 雪丸京介 第六話)