冷笑主義

─ ジェノサイド ─

4.カラスアゲハ



 ──父。

 何もない虚空から羽ばたく白い鳩の如く投げ出されたその言葉に、しかしソテールの頭の片隅はひどく冷静だった。
 あり得ないことではないと、どこかで思っていたのかもしれない。

 幼い頃、枢機卿や神父たちの口から何度も語られたユニヴェール家は、クルースニクの名門という輝かしい冠を掲げていながらも常に黒い霧に包まれていた。
 その一族を語る聖職者たちの口ぶりは、神や教皇を語るそれとは対極だったのだ。
 憧れというよりは、怯え。尊敬というよりは、畏怖。誇りというよりは、頭痛。
 ともすれば英雄であろうクルースニクを語るのに、彼らは声を落とし目を伏せ眉をひそめた。
 今でも、シャルロ・ド・ユニヴェールがローマに現れた日のことは忘れない。
 白い外套を羽織り、死に際の太陽に長い影を従えて、彼はソテールとその横にいた緋色の枢機卿の前に立った。
 そして帽子を脱いで軽くお辞儀をし、飄々(ひょうひょう)と告げてきたのだ。

“私が新しい主です”、と。

 家名は言わなかった。
 けれど、橙に染まった外套の縁取りは黒い蝶……それが彼の全てを語っていた。
 “お待ち申し上げておりました”、と月並みな挨拶をどうにか紡ぎだした時の枢機卿は、これがいつも怒鳴って追いかけてくる輩かと思う程、引いていた。ひきつっていたと言った方が正しいかもしれない。
 招かれざる客がやってきた──味方が増えたはずなのに、その男の出来しゅったいは一瞬にして聖域に緊張をもたらしたのだ。



「先人に感謝するか、それとも怨み罵るかは、お前の自由だ」
 月光を背に、シャルルが穏かな眼差しで息子を見やる。
 それを感慨なく払いのけたユニヴェールは、
「感謝しますとも。気違いじみた先人方のおかげで、私は今これだけの力を手にしているんですから」
 淡白に言う。
 そして彼は、薄氷の蒼い目だけをこちらに向けてきた。
「ソテール、知ってるか? ユニヴェール家当主の父親はみんな吸血鬼なんだ。つまり──当主は死んだ後吸血鬼になるってことだな」
「知らない」
 考えもしないで応えると、
「だろうな」
 ユニヴェールは相変らずの軽い笑みのまま、両肩を引き上げた。
 そして嘲り気味に口を開く。
「始まりはいつだったのか詳しくは私も知らない。だが、発端は継承争いだという。……どこにでもあるような血生臭くて、くだらない、な」
 心底くだらなそうな口調。
「古のある日、ユニヴェール家の当主が殺された。もちろん代わって新しい当主──殺された男の息子──が立った。だがその直後、ユニヴェ−ル家公然の秘密だったはずの真実が何故か外に漏れたのだ。秘密。なんだか分かるか?」
「三流劇だと、なかなか譲らない父親にしびれをきらし、息子が殺したってところだな」
 ソテールの言葉に、相棒はうなずく。
 どうやら一流血族の悲劇の筋書きは三流らしい。
「せっかく当主の座に納まった息子だったが、その罪が世間に明らかになるとすぐに教皇から破門を言い渡された。破門のクルースニクなんて当主でいられるはずがないのは当たり前だな? ここでも例に漏れず血を流す継承争いがなされた。破門の当主は暗殺され、継承候補も次々と死に、結局彼の甥が当主となった」
 ユニヴェールの声は、史書をただ読み上げる如くヤル気がない。おそらく、覚えていることをそのまま音として発しているだけだろう。
 その言葉の羅列は放り出されては絨毯に落ち、影に消えてゆく。
「だがそこにひとつ問題があった。父親殺しの罪で破門されたまま先代は殺されたんだ」
 意味深げにユニヴェールの口端が吊り上げられた。
「破門されたまま死んだ者は吸血鬼になる?」
「正解」
 相棒が大袈裟に手を叩いた。
 優雅に劇を鑑賞した貴族の如く。シャルル・ド・ユニヴェールにあてつけるように。
 白い手袋ゆえに大した音はしなかったが、その過剰すぎる演技に、ソテールは彼の相棒が今、淵に立っているのだと知った。
 霧の中と、霧の外、陽のあたる場所と暗く湿った場所、その淵にいるのだと。
 あごを引いた男の顔が白と黒の光とかげにくっきりと彩られる。
「男はクルースニクから一転、吸血鬼となって死の底から蘇り、彼の妻のもとへと戻った。……そもそも厳格な名門ユニヴェール家に嫁ぐ女など尋常な精神の持ち主ではないからな、妻は化け物になった夫を見ても卒倒しなければ追い払いもしなかった」
「それはお前の予想だろ」
「そうでもなけりゃダンピールなんて生まれやしないさ」
「……どうだか」
「ともかく、元クルースニクだったその吸血鬼はなかなかしぶとい輩で、教皇庁は容易に滅ぼせなかったらしい。元クルースニクということで、教皇庁の手の内もよく知ってるわけだし。おまけに、だ。面倒なことに、吸血鬼の妻は生まれたダンピールがユニヴェール家の正統な継承者だと主張し始めた」
 ユニヴェ−ルが言葉を切った。
 ソテールは継いだ。
「また血が流れたんだな? 当主になったはずの甥は暗殺され、代わりにダンピールが当主となった」
「正解」
 言って、白い貴人は靴で床を鳴らした。
 彼はソテールの前を過ぎ、部屋の隅で立ち尽くしている姫の前を通り、吸血鬼シャルルの後ろへまわって割れ砕けた窓の外を見下ろす。
「そしてダンピールは父親である件の吸血鬼を討ち取って、その地位を不動のものとしようとした。……自分は母親の策略で当主になったわけじゃない、確かな力の裏付けがあってこの首座にいるのだと内外に示したかったのかもしれないな。──だが結局、教皇はダンピールを破門した。彼は、吸血鬼を滅ぼしたクルースニクではなく、親殺しの息子という烙印を押されたんだ」
 夜は、静寂に浸っていた。
 悪鬼どもはどこへ還ったのか、広がる森に響くのは銀色の月の光が注ぐ音だけ。
 夜に忍ぶ生き物たちの息遣いさえも凍りついたような沈黙。
「しかし──、失意の彼は考えた。彼個人ではなく、“ユニヴェール”を怪物に育てる遠大な計画をな。今は教皇庁に飼われているしがない身分だが、いつか教皇をもひと蹴りにするような“ユニヴェール”を創り上げてやる。世界を根底からくつがえしてやる、と。まぁ、そんな感じの計画だ。……自らを認めようとしなかった世界そのものへの復讐だったのかもしれないな」
 シャルルが一歩退き、ユニヴェールに向き直る。
 だが、息子は気にした様子なく語り続けた。
 その視線の先、幾千の星が瞬く空を蝙蝠が音もなく滑ってゆく。
「彼は自ら命を断った。だが、闇に住まう化け物となり戻って来た。もちろんダンピールを残すために、だ。そして生まれたダンピールは“つなぎ”だった当主を暗殺し、血の上の首座に就く。そして──後は繰り返しだ。親を殺し、破門され、自ら吸血鬼となりダンピールを残す。ダンピ−ルは“繋ぎ当主”を殺し、血の上に立ち、親を殺し、破門され……」
「全てはお前を創るためだったのだよ、シャルロ」
「そう。私のためだ。賭けだったがね」
 口を挟んだ父親を制し、ユニヴェールは演劇口調で続ける。
「だが天は“ユニヴェール”に味方した。幾重にも繰り返され重ねられたダンピールと吸血鬼、そしてクルースニクの血。背反する三者は重ねられるたび強い要素だけが上塗りされ更に高められ、母親の血が入ってなおそれを圧倒したのだ。そして計画者の予定では、もともと能力の高いユニヴェール家、数代重ねればやがて……」
「ダンピール、クルースニク、吸血鬼、全ての要素においてそれ以上ない最高の数字を持つ者が現れるはずだった、って? ……それがお前か、ユニヴェール」
 ソテールの問いに、ユニヴェールが霜の降りたため息をついてくる。
「当主が父親殺しで破門を繰り返すことを、教皇庁は黙認し続けた。──奴らの権力は常に刹那的だ。次の時代などどうでもいい。目先の吸血鬼が消え去ればそれでよかったのだ。……家ごと血濡れていようが、自分の血だか他人の血だか分からないくらい染まっていようが、“ユニヴェール”は“ヴェルトール”に劣らず必要だったわけだからな」
 そして彼は世界を眺めるのを打ち切りにし、窓から身を離した。
 見てはいけないものを見たように、彼と眼下の世界とが何かに隔絶されているように、彼は小さく頭を左右に振って開かれた静夜に背を向ける。
 そして何も映さない蒼眸を父親に。
「だが──、ある意味“ユニヴェール”の夢が完全に打ち砕かれた証でもあるのだ、私は」
「…………」
「“ヴェルトール”だけが扱うことのできる“光”。私ほどにクルースニク、ダンピールが完成された者でも、結局それを手にすることは叶わなかった」

 真のクルースニクは光である。
 つまり──光を武器と出来る“ヴェルトール”である。
 そしてその牙城に風穴を開けるかと思われた、シャルロ・ド・ユニヴェール。
 しかしユニヴェール家最強と謳われた彼でさえも、光を扱うことはできなかった。その才は、なかった。
 “ユニヴェール”がどれだけ暗黒に身をやつし血に溺れても、ヴェルトールは超えられないのだ。
 教皇庁が“ヴェルトール”を飼う限り、“ユニヴェール”はそれを駆逐することは出来ない。

「“ユニヴェール”は負けたのだ。私が証明した。“ユニヴェール”は“ヴェルトール”の上に立つことはできない。教皇庁の上に立つことはできない、とね。……父上、アッチへ言ったら、そういう結果が出ましたとご先人方にご報告ください」
「…………」
 シャルルはぺらぺらよくしゃべる息子を見つめたまま、黙していた。
 ひとすじ通った鼻先でフンと笑い、ユニヴェ−ルがぼそりとこちらに向かって言う。
「なんというか……スゴイ家だろ。お前のところとは狂気と執念の格が違うんだ」
「……ウチは意外と普通だけどな……」
 半眼でつぶやきながら、ソテールは口の中で苦虫を噛み潰した。

 ──正気じゃない

 このご時世、後継者争いで血が流れることなど珍しくはない。
 だが、これほどまでに強く純粋な欲望は珍しい。
 ただ、“力”のために。
 ただ、教会を圧倒する“力”を得んがために。
 自ら闇に身を堕とし、他をことごとく血に沈め、未来に完成されるであろうその一点を目指して身を滅ぼしてゆく。
 クルースニクとして短い栄光を生き、その血を次の連鎖へ繋ぐためだけに、“強大なるユニヴェール”のためだけに、全てを捨てて死ぬ。
 それは──……むしを連想させた。
 ただひとつの王のためだけに本能だけで死の行進をするあの者たち。
 ひとたび暴走を始めれば、誰にも止められず突き進む。
 街を呑み、空を覆い、彼らはどこかを目指し続ける。
 その終点が滅びであろうと、死であろうと、彼らは決して道を変えない。
 戻らない。
 歩みを止めない。
 あたかもひとつの意志を持っているが如く、群れはうねり数を増し、彼らの世界を縦断する。
 そしていつしか消え去る。

 その凶暴なまでの本能と執念、人の目には狂気と映るだろう。

 “ユニヴェール”はまさに、それだった。
 濃い黒の霧に隠された中には、おぞましい蟲がいた。
 噂などではなく、確かにそういう生き物が存在していた。


「……お前が今語った全ては当主が妻をめとらねば知らされぬ事。何故お前が知っている」
「母が全て話してくれましたよ」
「…………」
 吸血鬼が目を閉じて天を仰いだ。
「アレは、お前を身篭ったと分かった時にはひどく嘆いた。どう抗おうと、お前が“ユニヴェール”から逃れられないと知っていたからな。濁流に放り込まねばならないと分かっていて産むことを、アレは嫌がった。……富や権力を欲する女でもなかったからな」
「死ぬほど聞かされました。だからこそ私はこの座に就くのにほとんど殺してはいませんよ。必要だった数人を除いて、幽閉です」
 ユニヴェールが軽快に笑い、対してシャルルの顔つきは険しくなる。
「それを忠告するために来たのだ、シャルロ」
 相棒の笑みが三日月の形で固まり、片眉だけがぴくりと動く。
「お前は“ユニヴェール”の本質を甘くみている。何故今までの当主がことごとく他の候補者を殺してきたと思っている? 連中は皆お前の、ダンピールの台頭を望んでなどいない。隙あらば潰してやろうと目を光らせているのだ」
「…………」
「私の弟──つまりお前の叔父だな、あいつが幽閉の城から行方をくらました」
「──そんなことがあれば私の耳に……」
 反論しかけてユニヴェールが言葉を呑んだ。
 袖に半分隠れてきつく拳が握られる。
「“ユニヴェール”の当主に味方はいない」
 シャルルの言葉には、年輪の重みがあった。
 彼もまたユニヴェールに生き、翻弄され、吸血鬼となった者。
「私にお前ほどの力はない。元当主だったとはいえ、“ユニヴェール”のクルースニクを十人単位で相手にできるほどには、な。だがお前は可能だ」
 老紳士は、紅の目で、父親の目で、言った。
「“ユニヴェール”の当主になったからには皆殺しの覚悟を持て。そうでなければ老いた母ひとり守れん」
「──!」
 今度こそ、ユニヴェールの両目が開かれた。
 そして、
「──光あれ(フィアット・ルクス)
 ソテールは唱えた。
 “ヴェルトール”の宝刀、蒼白い月光が意志を与えられ、身をひるがえそうとした老紳士を逃がさず貫く。
「ソテール!」
 ユニヴェールは声を上げたが、しかしその場を動いてはこなかった。父親をかばいもせず、かといってダンピールの剣も抜かず。
「化け物を葬るのはクルースニクの使命でね。デュランダル隊長がこんな大物を逃がすわけにはいかない」
 ソテールは黒髪の下から滅びぬシャルルをねめつけ、胸元で聖印を切った。
「“ユニヴェール”がお前を滅ぼす前に俺がお前を滅ぼせばそれでいい話だ。俺にはそう聞こえた」
「そんな──生易しい呪縛であったら……」
 気に入らない微笑。
 紅の双眸が暗い輝きを放っていた。
「我々はとっくに逃れているだろう」
「アンタは忠告をしに来たんじゃない。滅ぼされに来たんだろう。自分の役目に終止符を打ちに来た、違うか」
「…………」
 シャルルは口を結び、目を閉じる。
「──焼け」
 ソテールは剣の切っ先を吸血鬼へ、声を絞って光に命じた。



 友の父を滅ぼすことに、迷いがなかったと言えば嘘になる。
 しかし葛藤はなかった。
 何故だろう、衝動的に唱えていたのだ。
 滅ぼすなら今だ、と思ったのだ。
 鷹が獲物をその爪にかける瞬間のような。

 ──しかしソテールが、それこそ“ヴェルトール”なのだと悟るのは、まだ先のことだった。
 彼も傍観者ではなく、血の呪縛の中にいたのだ、と。
 この世界の内側に生きる人間だったのだ、と。



「ソテール。私は“ユニヴェール”の主なのか、それとも“ユニヴェール”が私の主なのか、──どっちだと思う」
 父親が焼け落ち積もった灰にダンピールの剣を突き立てて、ユニヴェールが軽く首を傾げてくる。
 灰はそれだけで再び赤く燃え上がり、何も残さず消滅した。
「両方だろうさ」
 聖剣を鞘に戻しながら言えば、
「少しは考えてから物を言え」
 間髪入れずつっこまれる。
「だってお前それは、カタツムリに向かってその貝殻がお前の主なのか、それともお前が貝殻の主なのかって言ってるようなもんじゃないか」
「……意味が分からん」
「貝殻がなかったらあいつらはカタツムリじゃなくてナメクジだろう? その点じゃ貝殻はカタツムリの主だ。だが、貝殻だって貝殻だけじゃただの貝殻だ。ナメクジ部分がいてこそカタツムリ。おまけに貝殻は喰うことも寝ることも考えることもしない。その点では貝殻は主とはいえないよな」
「…………」
 何か間違っている──と、ユニヴェールの顔は不満を訴えていた。
「つまりどっちが主かなんてのは見る方向を変えれば……」
 仕方なくソテールが続けようとしたその時、バタバタと階段を駆け上がって来る複数の足音がした。
「まだ化け物が残ってるのか?」
 ユニヴェールのいぶかりに重なって、
「ヴェルトール隊長、ユニヴェール卿!! ローマへお帰りください! この城にいるのは分かっているんですよッ!!」
『げっ』
 ふたりで顔を見合わせると、片隅の王女が呆れたような笑い声を漏らす。
「化け物よりも、ローマの御仁の方が怖いようですね」
 マルグリートはそんな悠長なことを言っているが、洒落にならない。
 おまけにユニヴェールが我侭を言い出した。
「執念深い奴等め。ソテール、貴様一応お縄になって謝り倒しておけ。私はちょっとだけ家に戻ってくる」
 予想していた言葉ではあったが。
「駄目だ」
 ソテールは出来る限り怖い顔をして、ユニヴェールの胸倉を掴む。
「今戻ればお前は“ユニヴェール”に呑まれるぞ」
「よく分かったな、皆殺しにしてこようと思ってたところだ」
「ユニヴェール!」
 怒鳴ると、相棒は思いっきり顔をしかめて耳を塞ぐ。
「聞こえませーん」
「お前いい大人が……」
 嘆息した瞬間にアゴにがぁんと強い衝撃が走り、頭の中がぐるんぐるんまわった。
 ソテールは思わず手を離し、二、三歩後ろへたたらを踏む。
 ……ユニヴェールのアッパーカットを喰らったのだ。
 窓の傍へ逃げたユニヴェールは涼しい勝ち顔で、固めた右拳にふっと息を吹きかけている。
「心配ない。ちょっと様子を見てくるだけだ」
「お前な……」
 異様にエコーがかかる頭をどうにか立て直し、ソテールは白のクルースニクを見据えた。
「戻ってこなかったら、どうなるか分かってるんだろうな」
「どうなるんだ?」
「絶交」
「お前、いい大人が……」
「地下室じゃなくて墓場に閉じ込めてやる」
「……そりゃゴメンだ」
 ユニヴェールが笑った。楽しげに。黒い霧をまとったまま。
 そして彼は颯爽と身をひるがえし、世界を切り取った窓から飛び降りて行った。
「…………」
 ひとり減った部屋は、突然温度が低くなる。
 喪失の大きさを教えられているのか、ただの感傷か。
「……無力だな」
 ソテールは自分を捕らえにくるローマ兵士たちの足音を聞きながら、部屋を見回した。
 窓のガラスは散乱し、テーブルは豪快に砕かれ、絨毯はビリビリ裂かれ、ランタンも割れてぽつねんと転がっている。
 無力だ。
 これだけ力があっても、無力だ。ユニヴェールも、自分も。
 結局はもてあそばれているだけなのだ。
 縛られているものと降りかかるものとに、振り回されている。
「我々は世界に対して無力です。けれど抗うことを無駄と思ってはいけません。それは負けを意味するのです」
 マルグリートがこちらへ歩いてきながら、動かぬ茶色の瞳で諭してくる。
 魔女という烙印を押された王女。
「我々がこの世界に生きている限り、虚無や冷笑は敗北となります」
「では、それは誰なら許されるのでしょう」
 ソテールの問いに彼女はしばし考え込み、
「…………」
 そして微笑の端で言った。
「世界の主ならば、あるいは」



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