White Hazard 

ZERO

 

男は、気配を察して身を起こした。
寝台のすぐ横に立てかけてあった薄刀に手をかける。
シンプルだが決して安くはない部屋を、丹念に見回す。
 
月のない夜。
静寂の夜。
レースのカーテンだけがかかった窓から見える、眠りについた屋根の群れ。
屋敷の者もすでに寝静まり、警備の──……警備の者などいなかった。
彼にはそんなもの必要ないのである。
彼は、公式にはこの世に存在しない者だった。
彼はただひとつの目的のためだけに生み出された異形の者。美しさと共に、強さを追求された兵器。
白磁の肌に金の髪。そして、人々を魅了する碧眼。
 
「誰だ」
 
久しぶりに血を浴びる、生者を刻める悦びを宿した彼の声。
だが……
 
「天国に行く時間だ」
 
部屋に響いたそれは、祈りを捧げる者の如く穏かに。
 
「言い残すことはあるか?」
 
 
──いた
 
 
部屋の角。
わだかまった闇に、それはいた。
何も語らない黒眼、何も伝えない顔、息すらしていないのではないかと思う、それ。
 
「言い残すことなんて、ない」
 
彼は応えた。
刹那人外の脚力で跳躍し、それ目掛けて闇ごと薙ぎ払う。
 
「死ぬのは貴様だ。私は死なない!」
 
そう、彼は死なない。
彼は──
 
「もう死人だもんな」
 
声は背後からした。
 
「残念だが俺はそんなにトロくない」
 
振り向こうとした瞬間、重い何かが身体を貫く。
 
「……貴様ァ……っ!」
 
目を見張って見下ろせば、銀色の鋭い短剣が自らの胸をえぐっていた。
心臓一突き、濁った鮮血が高価な絨毯に滴り落ちる。
 
だが、痛みはなかった。
そしてその心臓、すでに動きを止めて久しい。
 
「許さない」
 
常人ならばもう息もないが、彼はナイフを突き立てたまま飛び退り、影と間を取る。
流れ出た血液が彼を追って放物線を描き、散った。
しかし両者目もくれない。
 
「許さない」
 
「そんなことは死んでから言ってくれ」
 
仮面をかざしたように全く色が変わらない、闇の白皙が平坦に言ってくる。
黒のインバネスに身を包み、佇んでいる暗殺者。
 
「もっとも──そういう恨み言は俺じゃなく依頼人に言って欲しいがな」
 
抑揚のない声。
それがまた余裕を漂わせているようでカンに触った。
 
「私は死なない。貴様は許さない」
 
「どうかな?」
 
影が滑った。
彼も同時に床を蹴る。
光が閃き、鈍い金属音が耳を鳴らす。
彼の薄刀が空を斬り、男の短剣が頬をかすめていった。
頭上で打ち合い、向こうが後ろに跳ぶ。
 
彼は追って刀を斜めに振り下ろし──
 
「な……!?」
 
両断されていたのは彼だった。
なんとも綺麗に真っ二つ。これもまた用を果たしていない脊髄だったが、一閃で断たれていた。
体内で朽ちた赤が無残な海を作り、緊張を失って臓器がまでが流れる。
 
「そん、な……」
 
彼は死なない。
故にこれでも再生はできる。だが、この状態で今何ができる。
闇は待ちはしないだろう。上下が断たれては、動くこともままならない。
奢ったばかりの致命傷だ。
 
だがどうしてこんな奴に人の身体が一刀両断できる!?
何故たかが人間の暗殺者如きに……!
 
彼は負けないはずだ。
彼はもう死など怖くないはずだ。
死など超越したはずだ!
 
「まさか、貴様はぁぁ……」
 
彼は短く喘いだ。
碧眼を恐怖に開ききり、両腕で後退さりながら喘いだ。
ひとつの名が、アンデッド(不死の死人)の脳裏にちらついていた。
自らの血に染まった金髪が腕にまとわりつき、震える。
 
未だ闇に混じったままのその男は、微笑も冷笑も浮べずにただその長剣から血
糊を振り払った。背に隠し背負っていた、長剣。
そして彼は一枚の呪符をふところから取り出す。
 
「お前、焼いてしまえば再生できないそうだ」
 
「貴様は……貴様はあああぁぁぁぁ」
 
クライ・レジエント・ディルラージェ
 
 
 
残りの言葉を吐くことなく、美しき死人の身体は一瞬にして灰となった。
 
一拍。
思い出したようにレースが揺れる。
窓は開いていた。
そして、
 
「お休み」
 
闇が小さく微笑んだ。
 
 
 
 
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