White Hazard

第八章 「エスパダのレッドラム:2」

【剣】 1.諸刃の剣。つるぎ。刃物  2.剣を使う技。剣術。撃剣。  3.誇り




帝都では、通りを甘い焼き菓子の匂いとハーブ茶の芳香が占領する時分。
エスパダは何故かすっかり酒場も宿屋も閑散、大通りにはふたつの人影だけが止まない砂埃に吹かれていた。



「全部のお店や民家に押し入って探せば、いつかは見つかるんでしょうけどー」

カースが途方に暮れた様子で肩を落とす。

「いつになることやら……というか警備兵に追っかけられますね」

「あんな目立つ奴だからすぐに見つかると思ったんだがな」

RJは眉を引き寄せた。
そしてゲンナリ言う。

「腹減った」

「俺もです」

ふたりはまずこの街の政務庁へ行った。
アヴァロンの洒落たレンガ積みとは趣を異にする、威圧的な灰色をしたエスパダの政務庁。

だがエスパダ長官のシェロ=グレイルは不在、副長官のシトロン=ルル−までが不在だった。しかも官吏たちは、機密事項なので出張先は教えられないというのだ。

……使えない。

その後片っ端から酒場と宿屋を(こっそり)ひっくり返してまわったのだが、ローズそのものはおろか、彼女の姿を見たという人間さえいなかった。


「何か食べなきゃ持ちませんよー。幸いまだお金は充分あるんですから……」

カースが小袋の重みを確かめるようにして周りを見回した。

「なんか軽いもの買ってきますね」

ローズに持たせると無駄使いが激しい。RJは金銭感覚がいまいち。必然、財布の紐はカースが握っているのだ。一行の中で一番ひ弱な人間が常識部分を担っているとは、なんとも情けない話ではある。だが、仕方ない。誰しも万能ではないのだ。

「エスパダ……」

走ってゆくカースの後ろ姿、その背景として広がる街。眺めながらつぶやいて、RJは考え込んだ。
何故エスパダなのか、だ。
何故シュヴァリエ=スクレートはこんな荒んだ街を舞台に選んだのか。
商業的にも戦略的にも特に要所とも言えないこの街で、どうしてこんな遊びを仕掛けてくるのか。

「剣と賭博の街……」

観光用、冒険者用のフレーズを口にして、しかし彼はふと口を開け、思い出しながらゆっくりと別の文句を紡ぎ出す。
それは若い頃、どこかの街で学生として上級学校にもぐりこんでいた時に教科書で覚えたものだ。

「地の底に炎の大河流れし恵みの聖地、神の子造り人の子集い、毎夜宴で剣強く、鍛冶(かじ)の響きと祝杯の声、天地は赤く照らされて、星も月も焼き尽くし、大地の下広がる都は秀麗荘厳、炎の神の膝元(ひざもと)に、栄えよ永久(とわ)に歌えよ永久に」

唱えた刹那、RJは身体の芯を氷の手で掴まれ息を止めた。
全身の血が一気に引き、体温が急激に下がってゆく。
口ずさんだその数行が呪いの言葉であったかと思うほど、身体が勝手に(おのの)いた。
震え、冷や汗が出る。
顔は蒼白だったに違いない。
これが何なのか、彼は知っていた。
名を、焦燥という。

彼はふいにあの男を思い出したのだ。
彼に人外魔境を託したセレシュ=クロードという皇帝と、彼がその皇帝に言った言葉を。

<インペリアル・ローズは任せておけ>

そしてこの街の中に感じたのだ。
亡きジャデス帝国皇位継承者シュヴァリエ=スクレートという男の、冷たい悪意を。

「…………」

RJは息を殺したまま、自らの喉元に手をやった。

「……ディエスめ、遊びなもんか」

どうにか吐き捨てた声にはまだ負けん気が残っていて、彼は自分に安堵する。
だが、一度感じてしまった焦燥と悪意はそう簡単に払いのけられるものではなかった。

「シュヴァリエは本気だ」

エスパダ。
RJは、気がついた。
あのネクロマンサーがこの地を選んだのは気まぐれではなく、彼が地獄から蘇り、大陸に死を運ぼうとする理由を暗に示していたのだと。
そしてセレシュ=クロードの望みがどれほど遠く、RJの選択がどれだけ浅はかであるかを嘲っているのだと。

何故ならこの地は──。


「兄貴〜〜! こんなものしかなかったんですけど、いいですか〜?」

戻って来たカースに手渡されたのは、薄焼きのパンにベーコンやらから揚げやらトマトやらが挟んである“タピ”だった。
上等だ。

「ちょっと安くしてもらっちゃいましたよ。売ってたのが気前のいいおばちゃんで」

カースはこの街の風景にすっかり溶け込んでいた。
帝都では不良だとか裏の輩だとみなされてしまう(ほこり)だらけのジャケットも、エスパダではそれでこそ立派な仲間扱いだ。
ローズのようにドレスをまとっていても浮くが、それは女だからこそ許されるのであって、もし男が洒落たベストなんぞを身に着けて通りを歩いたら、おそらく無事に宿へは帰って来られまい。
身包みはがされて路地裏に放り込まれるのが常だ。

「でもおばちゃん、ローズのことは知らないって言ってました」

「ローズのことも聞いたのか?」

「当たり前ですよー。……あ、それとも何かマズかったですか?」

口を押さえてカースが上目にこちらを見てくる。
RJは笑って手を振った。

「違う違う、何でもない」

言いながら、この若造の方が自分よりよっぽどローズを心配しているのではないかとしみじみ思う。自分は責任や約束の心配しかしていないじゃないかと、かすかに痛む。
オフィーリアのことだって、棚上げしたまま。
後ろを振り返りながら背中を押されて前へ進み、戻れないところまで来てしまっている。……もう、戻るわけにはいかないのだが。


「ところでカース」

「はい?」

まだ食べないのかという不満顔で若造が返事をする。

「何故ここにエスパダの街があるか知ってるか?」

「はい?」

今度のは、完全な疑問符だった。

「昔、この大陸にはラフィデ−ルという種族が人間と共に住んでいた。彼らは人よりも精霊に、神に近い者達で、人間には扱えない様々な奇跡を扱った。彼らは雨雲を呼び、怒り狂った濁流をなだめ、炎をもって悪しきものを焼き、風と自由に遊び空を飛んだ」

「そういう話は何度も聞いたことがありますよ。……下級学校の窓の外で。……そういえば、帝城もラフィデ−ルが造ったって、ローズが言ってましたよね」

「ラフィデールそのものにも得手不得手はあったらしいが、風や石、炎や水、そういった自然のものを上手く扱えたんだと」

「それとエスパダがどう関係してるんです」

ただの与太話ではないと直感したのだろう、カースがやや真面目な顔をして、語尾を下げてきた。
RJは心の影で笑い、随分前の埋もれた記憶を引っ張り出す。

「昔、この地には炎の精霊と呼ばれる種族のラフィデールが人間と共に住んでいた。地下には“炎の河”が流れていて、ラフィデールはその炎を使い鉄を打ち、剣を(きた)え、そしてその技術を人に伝えた。この街は鍛冶──特に剣にかけては一級と言われるようになり、剣の街と称され栄えた」

「炎の河?」

「溶岩流のようなもんだろう。火山でもない限り見ることもないもんだが、それがラフィデールの手腕ってやつなのかもな。こんな平地に“炎の河”を出現させるなんざ。……他に理由があったのかもしれないが」

「……へぇ、ラフィデールってすごかったんですね。でも、今はここに炎の河なんかないと思うんですけど、どうしたんです?」

「消えた」

「は?」

「消えたんだ、本当に。神話やおとぎ話では、栄え富を得た人間がそれをめぐって争いを始め、ラフィデ−ルは流れる血を嫌ってこの大地から去って行ったってことになってるが……真相は俺も知らない。だが経緯はともかく、ラフィデールがいなくなり始めてから炎の河は冷え固まって岩となり、この地から炎の熱は消えた。史書はそう言っている」

ラフィデ−ルが大陸から去り、消えたのは炎だけではなかった。
エスパダでは大地の炎の代わりに薪を使うようになっため、街を取り巻いていた森──レジエント(ほのお)の森と呼ばれていたという大森林──は徐々に消えていった。
同時、古き石の精が造ったという遺跡の街キャメロットでは、雨が降らなくなった。
大陸のいくつもの泉が枯れ、川は細くなり、風には砂が混じるようになった。
土地はやせ、農夫の数は減り、遊牧の民が増えた。
闇の森東に広がる永久凍土が森へ迫り、西の死者の大地はその影を拡大させつつある。

一方美しき都ミューシアも豪雨に見舞われること度々。
東の谷、マグ・メルの街からは深い霧が晴れることなく。
フォーマルハウトのアヴァロンは、時々現れては街を荒らしてゆく竜巻に頭を痛めている。

「エスパダは、ラフィデールに愛想を尽かされ荒廃した街の代名詞だ」

「兄貴……?」

声に焦燥が混じったのだろう、カースが険しい顔でこちらを見た。
だがRJはクルリと表情を変えて口の端を吊り上げる。

「エスパダを(うた)った一節の中にある。“大地の下、広がる都は秀麗荘厳”。演出好きのネクロマンサーだ、使わないはずがない」

「…………」

しばしこちらの目を探っていたカースが、人差し指を立てた。

「……この下にラフィデールの造った都があるってことですか? ローズはそこに?」

暗殺者はニヤリと笑い、自らも立てた人指し指を若造のそれに弾く。
そして彼はタピの紙袋に手をつっこみながら、通りを真っ直ぐに歩き始めた。

「兄貴、入り口がどこにあるか知ってるんですか?」

「そーゆーもんを隠してるトコロなんざどこも一緒だ」

「……政務庁!」

「今度は忍び込む」

「うわぁ、なんだか暗殺者っぽいっですねー!」

「……暗殺者だよ」

RJは力なく笑った。



だが押しやった焦燥はどこへも去らない。
軽くもならない。

大地は死につつある。
ネクロマンサーはそれを知っている。ゆえに、枯れて滅びる前に人々を安楽の死へと導こうとする。

だからこそ、舞台はエスパダなのだ。
ラフィデールに見捨てられた街、エスパダ。
大地の炎が消えた都。

それは、セレシュ=クロードの望みがどれほど絵空事であるかを語る街でもあった。
ネクロマンサーが運ぶ死に打ち勝っても、イェルズ=ハティを黙らせても、“不滅の帝国”には辿り着けないのだ。
神の子に捨てられた大陸は日々生気をなくし、滅んでゆく。
守った帝国は、乾いた砂に呑まれてゆく。

戦っても、無駄。
勝っても、無駄。
守っても、無駄。
誰かがそう囁く。


──……そんなことはセレシュの問題だ。俺は依頼を完遂(かんすい)するだけだろうが。


冷徹に言い聞かせれど、薄ら寒い焦燥は消えない。

なぜならば、RJの栄光は過去のもの。
彼への賛辞と賞賛は死の上に並べられたものであり、その腕は誰かの息の根を止めるだけのもの。

彼の本能は知っていた。
暗殺者RJは、かつて誰かを守り通したことなど、ない。






◆  ◇  ◆  ◇  ◆






「大地は死んでいる」

薄暗い闇の中で、男がそう言った。
それは、深い洞穴に滴る水のような声音だった。

「放っておいてもやがてこの大陸は滅ぶだろう。彼らがここにあると信じているこの世界は、もはや抜け殻に過ぎないのだから。抜け殻は風に吹かれやがて塵芥となる定めなのだよ」

「……大地は蘇る」

ローズは目を閉ざしたまま、空気と言葉を吐き出した。

「私が見捨てぬ限り、セレシュが見捨てぬ限り」

身体が凍って動けない。指一本を動かすことさえままならなかった。無理矢理動かそうとすると、ミシミシと音がしてポッキリいってしまいそうな気がする。
そんな状態でも頑張って言ったのにしかし相手は、

「過信はしないことだよ。お前たちだけで何ができる? 我々から見ればお前の力は遥か強大で、我々から見ればセレシュ=クロードの意志は狂人かと思う程に強い。だがそれは、この大陸が失った恵みに比べれてどれだけ微弱なことか」

淀みなく笑い飛ばしてくれた。

「神話の時代は終わった。神の子(ラフィデール)は去り、大地には人間だけが残され、大陸は徐々に死んでゆく」

「殺しているのはお前だろう」

ふいに別の声が演説を遮った。
かすれた男の声だった。
対して、水の声は冷ややかにそちらを見下ろす。

「確かに、人々を殺しているのは私だ。だがそれは滅びへの恐怖を死の安楽に変えてやっているだけのこと。迫り来るどうしようもない滅びにさらされながら生きるよりは、永遠の平穏の中で変わらぬ時に身を任せる方がどれだけ幸せか」

「過小評価をしてはならぬな。セレシュは大陸を再生させる気だ。そしてセレシュがそう言えば、そうなる」

ローズは粗末な寝台に横たわったまま、ガラス玉のような目をゆっくりと開き、男を見た。
冷たい鋼鉄の牢格子(ろうごうし)越しに見える男は、剣の刃の如き銀の髪、宵闇の雪を思わせる淡い青の薄衣、柔らかな表情で佇む死人使い──シュヴァリエ=スクレート。

「無駄なこと」

死人が笑った。
空虚に。

「ラフィデールは大地を捨てた。以来大地は急速に緑を失い、乾いた砂が取って代わった。炎の血脈は流れを止め、街と街との間は砂漠か荒野。川も湖も枯れに呑まれゆき、泉は時と共に消えてゆく。インペリアル・ローズ、お前にならば見えるだろう? 不毛なる死者の大地が一歩一歩着実にこちらへと近付いて来る様が。死んだ土が静かに大地を侵食し、小さな花々は恵みを失い命を終える。ラフィデールの姿がなくなってからあの大地は急速に拡がり、今やあの大クレバスをも越えようとしている」

御託(ごたく)はいい」

叩きつけたのは、ローズではなかった。
それはまたしても、冷たい廊下を挟んだ向こう側の牢から聞こえた。

「お前はこの街をどうするつもりだ」

「少しお借りするだけです、グレイル長官。ちゃんと後で街は・・お返ししますから」

シュヴァリエの口調が一層芝居がかる。
ローズが霞む目を凝らせば、向かいの牢屋には独りの男が一振りの長剣を抱いて座っていた。
やや長い黒髪の、眼帯をした隻眼の剣士。
砂漠色をした軽装で、長官と呼ばれた割には荒んだ格好なのは、やはりエスパダ的な人間である証なのだろう。
声こそ殺しているが、シュヴァリエを見据えている片目は死んでいない。

「ルル−副長官はどうした」

「彼女は無事ですよ。今は」

「……今は?」

長官の──剣士の眼光が鋭く強まった。
それを涼やかに受け止めて、

「貴方の命も副長官の命もインペリアル・ローズの命も、全ては彼次第です」

「彼?」

「貴方がよく知っている人ですよ。貴方も昔は彼だった・・・・。……そうでしょう?」

シュヴァリエが意味深げに笑い、穏かにシェロ=グレイルを見下ろす。

「私は人々に平穏を与えたい。けれど、彼とセレシュ=クロードだけには地獄を見せてやりたい」

それは実に純粋な悪意だった。
純粋すぎて美しい一条の光にすら感じる、凍った悪意。

「……何をする気だ?」

「…………」

グレイルの問いに、蒼い死人はただ笑っただけだった。

「RJが来る」

ローズはふたりから目を逸らし、真っ平らな灰青色をした天井に向かってつぶやいた。

セレシュが今、城の庭園の一郭で足を止め、霜の降りた白薔薇の茂みに柳眉をひそめていることが分かるのと同様、あの暗殺者の動向も手に取るように分かる。

「彼が来る。それはお前を助けに?」

「…………」

彼女は答えなかった。
その代わり、シュヴァリエの声が地下牢に響く。
(くら)く、静かに。

「彼は助けになど来ない。RJは殺しに来るんだよ、あの時と同じように」

だがローズは目を細く死人へと流し、嫌味満面で笑った。

「あの男が、その時と同じ“仮面の殺し屋”ならば、な」






To be continued.



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