White Hazard

第八章 「エスパダのレッドラム:1」

【レッドラム】 red-rum(赤い酒) →逆さ言葉→ murder

 

騒がしい足音がこちらに向かってきた。

「……まーた頭に血が上った連中の小競り合いか?」

エスパダ政務長官の椅子に座っている男は、ウンザリしたようにつぶやく。
片方の目を眼帯で覆ったその剣士、政務長官などにはふさわしくないが、それもこの街ならではだ。

──エスパダ

ここは剣と賭け事の街。血気盛んな強者どもが酒と剣を両手に持って闊歩する、一見華やかで陽気な街。本当は、それゆえに流血が絶えない危険な街。

そういう流血沙汰をなだめるのも仕事のうちなのだ。
というかそればっかりだ。
紙と睨みながらペンを走らすのが本業ではない剣士というのも重なって、くだらないことで報告を受けるのはいい加減嫌になる。
しかもそういう事態は大体奴らに酒が入ってから──つまり、夜中にやってくる。

今夜もそうだ。

「長官!」

バンッと勢いよく扉が開かれ、官吏が叫んでくる。
その後ろからはドタドタと足音を立てて、軍の将軍たちが入って来た。

……少しばかり尋常でない。

「どうした? 客人のケンカくらい軍でおさめろ。そうでないと、宰相に“アヴァロン、シグリッド、カナトス、そして我が軍がいれば陛下の玉座は決して落ちない”なんて大口叩いたのが馬鹿みたいだ」

ため息混じりに愚痴れば、官吏は蒼白の顔をして窓の外を指差してきた。

「それが! ケンカが大きくなって一団が押しかけてきたんです!」

「押しかける? この政務庁に?」

男は立ち上がり、背後の窓の外を見た。
そして目を疑う。
外は火の海だったのだ。
民だか客人だか見分けなどつかないが、暗闇は大量の松明(たいまつ)に燃えていた。地上は煌々と朱に照らされ、その手が及ばぬ虚空の夜にも火の粉が舞っている。

「…………」

男が絶句して静まり返った長官室に、外の喧騒がわずかに届く。
槍の穂を合わせる金属音、飛び交う罵声、豪快な笑い声、何かが割れる音。

「やつらの要求は何だ?」

隻眼の剣士は朱色の群集を見下ろしたまま、静かに訊いた。
久しぶりに腕がうずく。
戦いに身を置く定めの者ならば誰もが分かる感覚──全身の血が、冷えていった。

「皇帝陛下に反旗を翻し、ネクロマンサーに(くみ)する者と思われます」

「……そうか」

舌打ちと共につぶやいてから、彼はふと黒眼を細めた。

「そういえば、ルル−副長官はどうした? いつもなら彼女が一番初めに駆け込んでくる……」

言って振り向こうとしたその首筋。

「…………」

硬質の刃が斜に当てられていた。

「剣を取れば、シトロン=ルル−副長官の命は保障しませんよ」

「…………」

低く言われて、彼は剣にかけた手を降ろした。

「何の真似だ?」

「──貴方は素晴らしい剣士です」

耳元で官吏が笑った。さっきの官吏とは声が違う。将軍たちよりも更に後から入って来た者だろうか。

「そして素晴らしい暗殺者でもある」

「…………」

男は口を結んだ。

「でも今、貴方は無力です。神のいない大地に奇跡は起きない」

だから──、そう続ける声には、わずか聞き覚えがあった。
ずっと昔。彼がこの地に(おもむ)くよりも遠い過去、この穏かな底冷えのする声を聞いたことがある。

「しばしエスパダをお借りしますよ、シェロ=グレイル長官。貴方と、RJと、セレシュ=クロードにとって忘れられぬ時となるよう」

グレイルは自らに当てられた刃から、窓へと視線を移した。
そこにはひとりの官吏の顔が映っている。
冴えた蒼色の双眸に、くすんだ銀の髪。

ネクロマンサー、シュヴァリエ=スクレート。







◆  ◇  ◆  ◇  ◆






RJ、インペリアル・ローズ、カースの一行がエスパダに着いたのは、イェルズ=ハティがレオ=カイザースと密談を交わしたその日の正午過ぎだった。

「なんだか……雑々した街ですね」

カースが馬から降りて言った。

「門に衛兵がいなくて素通りなんて珍しくないですか?」

「ここは帝都やアヴァロンとは質が違うからな。あそこは居住経済としての街だが、ここははみ出しモンの宿屋みたいな街だ」

RJが説明したとおり、真っ直ぐ伸びた大通りに見える看板は、宿屋か食堂、武器屋か賭博屋。裏手の方からは、鍛冶屋が鉄を打つ音が聞こえてくる。
そんな街ゆえに、道行く者たちの腰には必ずと言ってよいほど剣があり、昼間だというのに酒瓶を手にしている者も多い。空気にまでアルコールが入っているようで、弱い人間なら街にいるだけで酔ってしまうかもしれない。
それでも、何でも屋、護衛屋、傭兵、冒険者、剣闘者、そんな類と思しき格好の人々が騒ぎ罵りあいながら集っている様には、活気がある。

「騒々しいですけど……なんだか、華がありませんね」

「世界に女剣士がいないわけじゃないが、」

RJは城の女将軍を思い出して笑った。

「アヴァロンの娘たちみたいにひらひら着飾って出来る職業でもないしな。娼婦がいないわけでもないが、彼女らは危険だから店の外へはほとんど出てこない。法外者の溜まり場だから、ハッキリ言って治安は最低だ」

「だがもともとはイイ奴らみたいだぞ」

開けっ広げの酒場からいかつい男たちに手を振られ、ローズが満面の笑みで振り返す。すると集団は拍手喝采下卑た口笛を飛ばし、何やらヒソヒソとやり始めた。

「……イイ奴なんじゃなくて、ただ単にお前みたいなのが珍しいんだよ」

RJが目を水平にしてローズを見やると、彼女は首を傾げてくる。

「人間外がか?」

「確かにそれも珍しいがな」

目を移すと、男たちがカードをめくり始めていた。
どうやら、誰がこの()びた旅人から小娘を奪うか決めているらしい。

「人間ってのは愚かなものでな。とかく人を外見で判断しがちだ。その中でもここには馬鹿な男が集まっている。この街で女と言えば、宿屋の女将か酒場の娼婦、同業者の剣士くらいのモンだろう? そこにいかにも高貴で世間知らずな顔をした小娘が現れてみろ。中身が人間か爆弾か見分けてる理性なんか保たれるわけがない」

RJはフッと明後日の方向へ苦笑を漏らした。

「飢えた狼どもには、羊は羊にしか見えん。狩人が羊の皮を被ってるとは思わんのさ」

「ははぁ」

ローズがニンマリと笑う。
横でカースが肩を落としていた。

「兄貴、そういう極端なこと教えると……」

「迫られた瞬間吹ッ飛ばせばよいのだな?」

「……オオゴトになりますよ」

「…………」

わいわいとはやし立てられて、ひとりの男が席を立った。人の腕一本くらいマッチ棒の如くポッキリやれそうな、御仁だ。
ローズは早速、“何か御用がおありですの?”な仮面で微笑んでいる。

「飯の前に面倒事はごめんだな」

RJはつぶやき、男が三歩目を踏み出す前に腕を振った。
次瞬、

『──!』

男の歩が止まる。
そして酒場が水を打ったように静まりかえる。

しばらく投げる機会がなかったのだが、勘はそれなりに残っていたらしい。
一本のナイフは男の足元に。もう一本はテーブルのど真ん中に、狙い違わず刺さっていた。
おそらく彼らには、ナイフを投げた瞬間すら見えていなかっただろう。

「ローズ、馬鹿なことにかまってないで行くぞ」

RJは黒衣を翻した。

「ちッ」

彼女はお嬢様らしからぬ捨て台詞を残し、それでもしぶしぶ付いて来る。

「ナイフ勿体無いですけど……あの人たち、追って来ないんですかね?」

カースが後ろを振り返り振り返り、言った。

「みたいだな。少しは馬鹿じゃない奴も混じってたんだろう?」

言い捨て、RJはローズの頭を小突く。

「いいか? ここは飯食うためだけに寄ったんだからな。穏便第一だ」

派手に威嚇したクセに……という後ろからの言葉は黙殺する。

「行方不明及びケンカ及び爆破及び長官関係者に世話になるのは禁止」

「分かった分かった」

「本当に分かってるのか?」

「分かってる分かってる」

「俺の言葉を理解したんだろうな?」

「貴様私を何だと思っておる! 人外だからと言って馬鹿にしておるのか!?」



だがローズの浅薄な確約を信じたその数分後、RJは早速彼女の姿を探していた。



「あんのアホ娘〜〜〜。セレシュからの頼まれモンじゃなきゃ一度地獄に突き落としてるぞ」

両手をわきわきとさせながら、暗殺者は恐ろしげな笑みを浮かべる。
だが、

「逆に突き落とされる可能性もありますけどね」

カースはもはや無我の境地で力なく笑っていた。

「目を離せばすぐにフラフラフラフラ……あいつは観光かなんかと勘違いしてるんじゃないか?」

「楽しいんじゃないですか?」

「何が」

「大戦で荒廃した街がこうやって復活してるところを見るのが」

「…………」

さも当たり前のように言われて、RJは口を閉ざした。

「ローズよりこの帝国のことが好きな奴なんているんですかね」


建前なしに言ってしまえば、大陸にいる人間の大半が、上にいるのがセレシュだろうがハティだろうが関係ないと思っているだろう。
彼らにとって本当に大切なのは、住んでいる場所が戦地にならぬこと、そして取られる税金の額くらいのものだ。

亡き故国を未だ愛している者はいても、(おこ)って数年のこの帝国など愛している者は数少ない。

国なんてものは滅びにしか向かわない。時と共にゆっくりと腐敗し、崩れてゆく。
国なんてものは人を縛るためにしかない。法で縛り、金で縛り、どこへ行っても国の定めた枠の中。
そう断ずる賢者も多い。


「何が一番最初なんだろうな」

「──はい?」

つい声に出した疑問に、カースが不思議そうな顔をしてくる。
RJは歩くのを止めた。

「セレシュが建てた国だから、あの男が護ろうとする国だからローズは愛するのか。それとも、ローズが愛する国だからセレシュは不滅にしようとあがくのか」

彼は言いながら、道の向こうを視線で突き刺す。
男の殺気に気が付いたカースが、一歩遅れてその姿──通りの先に佇む青年──を視界に入れた。そしてつぶやく。

「……ディエス=ヴァ−ミリオン」

RJは無意識にうなずいた。
あの派手な赤いレザーコートは見間違うはずがない。
数日前には帝都で会いひと悶着起こした、そしてカースの言によればアヴァロンにもいたという、暗殺者ディエス=ヴァ−ミリオン。
“仮面の殺し屋”沈んだ後、新進踊り出た若手の第一線。


「お兄さーん」

なつっこい声音の奥には、挑戦的な含み。
RJはただ片眉を上げた。

「カースに預けておいた伝言は聞いてくれた?」

「“RJ”を殺すのは容易じゃない」

「容易だったらワザワザ宣戦布告なんかしねぇだろー」

「……せいぜい頑張るんだな」


他人事に聞こえたかもしれない。だが、他人事に違いない。
それが“暗殺者RJ”なのだ。

何故RJが生きて伝説となる程恐れられたのか。
この新鋭にはすでにヒントは与えてあるわけで、答えに気付くかどうかは本人次第だ。
もっとも──RJが何者なのか気付いてなお、個人的な戦いを仕掛け続けて来る奴はいなかった。過去には。

「お兄さんを超えるためにシュヴァリエに雇われてやったんだ。宰相側はやれ余計な人間は殺すな、派手にやるな、いちいち小うるさかったからな……」

「それで?」

突き放すと、ディエスが悲しげに肩をすくめた。
そういう細かい演技は変わらない。というより、更に磨きがかかっている。

「皇帝陛下からお預りしたお姫様を探してるんだろ?」

「…………」

カースがこちらを見上げてきた。
RJはあらゆる表情を殺してディエスを見据える。

「お兄さんもカースもさ、っつーか宰相とか将軍とか、みんな。あの化け物が不死身で無敵だと思ってねぇ?」

「思ってる」

正直に答えた。
返事をもらえたことが嬉しかったのか、ディエスが大きく笑う。

「だろ? 確かに刺したって()いだって彼女は死なない。だけど、寒さにはめっぽう弱いんだってさ。彼女は化け物だ。自分では熱が作れない、ね」

「……熱が作れない?」

訊き返したRJ。だが思い当たる節はあった。
アヴァロンの雨。
全く濡れていなかった彼女だが、濡れていなかったのではなく濡れないように魔術を使っていたのだとしたら?
熱が作れないゆえに、熱を奪われるのを避けていたとも言えなくはない。

「俺は知らないよ、彼女が何者かなんてね。だけど、彼女も死ぬ可能性があるってこと」

「それを教えてどうする?」

自然、声に重さが増す。
いつでもディエスを殺せる体勢は出来ていた。
集中力を突き抜けた、波ひとつない意志。
力を抜いて立っているだけの身体の中、黒曜の双眸のみにそれが灯る。

「シュヴァリエがお兄さんで遊びたいんだってさ。ルールは簡単、インペリアル・ローズはこの街のどこかにいる。魔術で身体の芯から冷やされながら、ね。お兄さんとカースは彼女に魔術をかけた魔術師を探して殺しゃいい」

「それ以外にローズを生きて助ける方法はない、と?」

「あー、たぶん。でもお兄さんなら造作もないよな、人ひとり殺すくらい」

「あぁ」

答えた刹那、横に跳んで中剣を一閃。
蒼天に響く耳障りな金属音。
先手打ち込み、大きく飛び退いたのはディエスだった。彼の目はRJを素通りして更に後ろ、突っ立っていただけに見えた不良に向けられている。

「……カース」

RJにニ刃目を叩き込もうとしたその足元、カースからナイフが投げられ、彼は仕方なく退いたのだ。

「いつか言っただろう?」

RJは意地悪く口の端を吊り上げた。

「俺がダメでもカースがいる。……物覚えはいい奴みたいなんでね、お前もうかうかしてるとコイツに足元すくわれるぞ」

「そりゃご忠告どうも」

ディエスが余裕で笑い、こちらに背中を向けた。
走りもせず、屋根にも登らず。彼は普通にテクテク歩いて行き、路地裏への曲がり角で“じゃね”と手を振ってくる。
振り返すヒマもなく(振り返すつもりはなかったが──)、彼は街に消えた。

「…………」

通りにはRJとカース、ふたりしかいない。
あんなに騒がしかった街が、死んだように静まり返っていた。
犬の吠え声、鳥のさえずりひとつない。

「どうするんですか? 兄貴。魔術師って人を探して……殺すんですか?」

ディエスに対してみせた攻撃色はどこへやら、若者はいささか暗い影を顔にのせ訊いてきた。“殺す”のは嫌いらしい。
そうと知りつつRJは言った。

「それは後回しだ」

否定しなかった。

「?」

「よく考えろ。例えローズがそんな魔術をかけられたとして、あの娘がそれに対抗する術を扱えないと思うか?」

「あ。そういえば」

「戻ってこない。イコール囚われたままってことは、対抗魔術を使えない、あるいは使えていたとしても、戻ってこられない理由があるとみて違いない」

「そうですね」

カースが神妙な顔をしてうなずいた。

「ローズを探す。街の隅から隅までだ」

RJは眉をひそめて吐き捨てる。

「とんだ昼飯前だな」


鷹の眼差しで睨みつけたエスパダの街は、白々しくこちらを見下ろしていた。
素知らぬ顔をして、饒舌なフリをして、腹の底に何かを隠している。


──頼むから、もう一回会うまで死んでくれるなよ










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