White Hazard

第七章 「Hopeless Dawn:4」

──希望というものは、夜明けに似ている。 寒々しく、神々しい。 そしてほとんどの人間がその存在に気付かない。




── 北東領 首都 ミューシア 政務長官兼領主:ユガ=ユーリ ──


「失礼します」

執務室の扉が開かれ、官吏が入ってきた。
机に向かってボーっと頬杖をついていた青年は、碧眼の視線を上げる。
彼は歳若くもこの都市の政務長官だった。流れる金髪を後ろで軽く結び、青を基調とした貴族衣装に身を包んだ、この青年が。

「何か用かい?」

「帝都イェルズ=ハティ宰相閣下より通信が」

「つないで」

「はい」

面白みの欠片もない官吏が出て行きしばらくしてから、机の上に置かれた通信水晶が光る。
彼は綺麗に手入れされた指を伸ばして応答ボタンを押した。ブラウスのひらひらした飾り袖が書類の上を撫でてインクを擦ったが、気にしない。

「こちらミューシア、ユガ=ユーリ」

「帝都、イェルズ=ハティです」

水晶から聞こえてくる声は、白々しいほどに形式ばっている。
透明で、素っ気ない。

「宰相殿がわざわざ、何かご用がおありで?」

「ミューシアは皇帝からの問い、どのように答えるおつもりですか?」

ユーリは自分に与えられた部屋を見回し──悪趣味なほどけばけばしく飾り立てられた部屋だ──、こんな所を見せたら宰相はどんな顔をするだろうかとふと思う。
そして官吏や都民の言いなりに、都の色へと染められている自分が嫌になる。
嫌いだと口で言ってはいても、それを打開する気力と術を持たない自分が嫌になる。


「皇帝からの問い?」

わざとらしく訊き返すと、

「ユーリ」

咎める声。
若者は喉の奥で笑うと立ち上がり、背後の大窓から己の統治する都を見下ろした。

──南東国、首都ミューシア。
気候がよく、海に面した白亜の大都。
大陸中のカネモチがこぞってここに邸宅を構えるため物価は驚くほどに高く、閑人たちを満足させるためにありとあらゆる娯楽が集まっている。おまけに税金はガッポガッポ入るものだから、道路は広く公共設備は質・量ともに軽く帝都を上回る。

やっぱり、馬鹿げた都だ。ここは住むために、生きるために作られた都ではないのだ。遊ぶため、人生の暇つぶしに作られた遊園地だ。

「分かってる、分かってる。生きるか死ぬか、だろう? 僕は生きるつもりさ」

「…………」

「分かってる、分かってる、僕個人の意見を聞いてるんじゃないって言うんだろう?」

凍てついた沈黙に、両手を挙げて降参する。
ユーリは嘆息して再び窓の外を見下ろした。
彼は金色の髪を指先でもて遊びながら、言う。

「この街の人間はさ、どうやったら今の暮らしを守れるか、それしか考えてないんだよ。ネクロマンサーの言うことを聞けば、今の裕福な暮らしのまま死に続けることができるんだろうかって迷ってるバカがいる。もう少しマトモな奴は、全ての者が死の中で同じ時を繰り返す世界にあって、はたして金を持っていることに意味があるのか考え中」

元貴族の生意気御曹司、世間をナナメからしか見ていない碧眼が笑った。
人当たりがよさそうな端正な顔立ちも、冷ややか。

「残りの奴は、我々の軍と共に戦って死んだり財産を失ったりするのが嫌なんだ。自分が戦いに行って財産を失って世界が平和になってみてよ。戦わなかった隣人は財産を失わないうえに平和だけはしっかり享受(きょうじゅ)してるんだ。それなら戦いになんて行かないで、世界が勝手に平和になるのを待った方がお得だろう? ねぇ?」

ミューシアの名望家たちが聞いたら、さぞかし泣いて憤慨するに違いない。
あれだけ贈り物だの接待だの尽くしてやったのに、恩を仇で返す若造がつけあがりやがって、と。

「よってミューシアは都市としての判断はしない。けれどミューシア軍は帝都からの派遣軍。やはりここは、僕と同じように生きることを選んだ軍人のみでネクロマンサーからのミューシア防衛にあたるのが、領主兼政務長官としての筋立て正しい判断だと思う」

「──賢明な判断です」

微動だにしない宰相の返答に、ユーリは軽く水晶を睨む。
だが窓の外に失踪してくる馬車を見つけて露骨に顔をしかめた。
白塗りに金でゴテゴテと装飾がされている、この土地でしかみられない馬車。きっとまた、どうしたら一番得できるのか分からなくなったカネモチが泣きついてくるのだ。

皇帝陛下が望まれるだけ何でも献上するから、帝城に保護してほしい、と。大陸で最上の待遇が受けられる場所で、嵐が過ぎ去るのを待たせてほしいというのだ。
自分のことは自分で決めろと突き放したのは、皇帝当人であるというのに。

……帝城そのものが嵐の降りる場所となることも知らないで。

「賢明な判断を下しておくのが賢明でしょう?」

馬車から転がり出て、こけつまろびつ駆けてくる老人を鼻で笑い、ユーリは再び椅子に腰掛けた。

「表向き」

「──えぇ。そうですね」

宰相の声が、微かに含み笑った。
そしてそれ以上の言葉なく通信が切れる。

ユーリは手を組み扉を見つめた。
口を結び、凝視する。

──約束どおり、僕をこのふざけた遊園地の子守りから解放してくれるんだろうね? イェルズ=ハティ。


「長官!」

数秒後、扉が荒々しく叩かれた。

「何か用かい?」

彼は微笑を作り、さっきと同じ調子でそう答えた。






◆  ◇  ◆  ◇  ◆






「夜が、明けますねぇ」

「……あぁ」

青い制服を身に付け、槍を手にした近衛隊長ノクティス=セレスティア。ぼんやりと世界を眺め降ろしながら彼が声をかけると、珍しく皇帝が返事を寄越した。
ふたりは城の高台にいる。
帝城を囲むよっつの監視塔。その最上階、いわゆる屋上だ。

「ひどく──冷たい夜明けですね」

「夜明けとはそういうものだ」

稜線から濃紺が薄まり、刻々と空は色を変えてゆく。
鳥の声があちらこちらから聞こえ始め、薄紫に黒い影が横切るようになる。
そして世界は白んでゆく。
二日目の夜明けはそうして訪れた。

槍の穂先のように冴え冴えしい空気。
再び世界に訪れる凍てついた黎明(れいめい)

夕暮れは安堵の嘆息を運ぶが、夜明けは未来の不安を運んでくる。

「どれだけの人間が生きることを選んで集まるでしょうか」

「さぁな」

西の地平を見つめる皇帝は、軽く即答してきた。
長い銀色の髪が強風にあおられ、淡い青の帝衣がひるがえる。

「なにも生きるという選択が正しいわけではない。生きる意志のある者を私が率いる、そしてきっちり勝敗つけてやる、ただそれだけのことだ」

「……また、たくさんの命が失われますね」

ノクティスがそうつぶやいたのは、別にあてつけではなかった。
無意識に出てしまったのだ。
どうせ風に飛ばされて皇帝には聞こえないだろうと思っていたが、──返事はしっかり返ってきた。

「だからこそ我々はその死に報いる結果を出さねばならん」

「……えぇ、そうですね」



ノクティスは元もと一兵士だった。
それもセレシュ=クロードに敵対する側の、だ。
それでも生き延びることができたのは、この皇帝のキマグレに他ならなかった。

彼は他の兵士達同様クラディオーラ陣営で捕虜となっていたが、何故か当時軍師だったアザ−=フォーマルハウトが彼を指名し、皇帝の警護をしろと言ってきた。
あの時の周囲の驚きようは忘れるに忘れられない。みんな口をあんぐりと開け、初老の重鎮たちは皇帝にすがりついて軍師は頭が壊れたと訴えた。
だが皇帝は素っ気なく“アザ−の好きにさせろ”と両断したのだ。
そして大陸が一応平定され内政が整え始められると、ノクティスは“近衛隊長”という地位をもらった。理由の全く分からない、数奇な運命だ。

しかし事がそれほど重大にならなかったのは、前例があったからに違いない。
皇帝自身が、敵国の者であったイェルズ=ハティを自軍の第二軍師として取り上げたあげく、宰相という第二位の地位まで与えたとあっては、近衛隊長などかすむかすむ。

しかも軍師に就いたイェルズ=ハティが、すでに囚われていたネクロマンサー“シェ−ヌ=スクレート”を極秘に逃がしたのだ、という噂まである。
それが本当ならば──ほぼ本当だろうとノクティスは踏んでいるが──、セレシュ=クロードはよほどの暗愚(あんぐ)か、そうでなければ聖なる愚者だ。
そしてほとんどの臣下が後者だと思っているだろう。

皇帝は騙された愚か者のフリをしている。彼は何か腹に秘めている。だがそれが何なのか、誰も知らない。



ノクティスは小さくため息をつき、

「本当に、そうですね。大陸に平和をもたらすことが我々の義務であって──」

言いかけて振り返った。
石階段を登ってくる足音が聞こえたのだ。

彼はおっとりとした顔を出来る限りまで鋭くし、屋上へ出てくる唯一の扉へと槍を構える。が、すぐに降ろした。
扉を開けて屋上に現れたのは、宰相その人だったのだ。
以前に増して白さを強めた官服に身を包み、意志を殺した琥珀の双眸を伏せ、その男は慇懃に礼をする。

「──陛下、ご報告が」

柔和だが、一片の隙もない声音。

「何だ」

対して皇帝はさして気の入らぬ調子で訊く。

「先日略式の返答は得ておりましたが、カナトスのエドムント=バジレウスより正式な返答あり。カナトスは全軍をあげて陛下と共に戦う、と。それから──」

「……それから?」

言い淀み、どう伝えたものか迷っている様子の宰相に、皇帝がわずか身をずらして目をやった。それを受けて宰相が一気に言う。

「バジレウス長官から陛下に直接の伝言を頼まれまして。その、“官吏や軍人に生きるか死ぬか考えさせる暇があったら、忠実に働きますという誓約書でも書かせとけ” だそうで」

「そうか、罵倒されたか」

皇帝が声を上げて笑った。

「エドムントは辺境に飛ばされて随分怒っていたからな。しかも官吏が腐っていてかなり苦労したらしい。八つ当たりだ」

エドムント=バジレウス。
名前の主は、アヴァロン、シグリッド長官と同じくクラディオーラ時代からのクロード家臣下のひとりだ。
ノクティスは一度だけその男と話をしたことがある。彼が西にある大河の都カナトスに就任する前だった。
歳は皇帝よりも上、鋼色の髪に身体つきは武人のそれ。だが名前のいかめしさや武勇伝の数々とは裏腹に、なんだかしなやかで軽い人だなぁというのが印象に残っている。
ノクティスや他の官吏が重々しく考えていた国の行く末を、その柳みたいな男は軽く一笑に付したのだ。
“なるようになるだろう”、と。


「次いでミューシアのユガ=ユーリより返答あり。ミューシアとして意見がまとまる目処(めど)が立たぬため、選択は都民各自に任せる。ユーリ本人はミューシア軍を率いて都の警備に当たる、と」

「…………」

皇帝は聞いているのだろうが何も言わなかった。
だが慣れているのか宰相は続ける。

「問題はキャメロットです。他の都市はまだ返答の調整がつかないやら何やらと連絡がつくのですが、キャメロットのみ全く音信不通です」

「キャメロットの長官は……メラノス=プロパトールでしたね。闇の森出身の」

ノクティスが言うと、宰相がうなずく。

「いかが致しましょう? 誰かに様子を見に行かせますか?」

「いや、放っておけ。どんな形であれすぐに結果が出るだろう」

「……とは?」

「ローズがそのうちキャメロットに入る」

暁に染められた大地を見下ろし、皇帝はさらりと言った。
ノクティスは思わず宰相を顔を見合わせる。
──この皇帝はどういう情報網を持っているのだ?

それを察したのだろう、皇帝が目を閉じ両の口端を吊り上げた。

「ローズに私の居場所が分かるように、私にもアレの居場所の見当はつく」

「……そうですか」

一言吐き出した宰相の顔に、一瞬だけ押し殺した憂いがのった。
宰相も知っているのだ。
インペリアル・ローズがどれだけ皇帝に、そして皆に影響を与えていたのかを。
彼女を西に向かわせてからというもの、いや、実を言えばそれよりも前から、セレシュ=クロードは演説を打つ時以外あまり人前に姿を現さなくなっていた。
政務にもあまり手をつけなくなっていた。
そしてローズがいなくなってからは全くやらない。
歌姫に歌を歌わせ、庭園で花を愛でる。塔で夜明けを待ち、夜は星を見上げる。
政務は弟であるフォール=クロードにやらせろとまで言い放ち、実際昨日はフォールが御璽(ぎょじ)と筆を取った。


「では以上で失礼します」

礼をしてきびすを返した宰相が、袖口で小さく手招くのが見えた。

「陛下、交代の時間なので私もこれで」

「──ご苦労」

今だかつて皇帝から(ねぎら)いの言葉をかけられたことがあっただろうか。
ノクティスは皇帝の後ろ姿をしばし見やり、夜明けを後にした。

不安ばかりをかきたてる、夜明けの色。
何が不安なのかは自分すら分からない。
だからこそひどく苛立たしい思いがして、彼は宰相の足音へと一気に石段を駆け下りた。






◆  ◇  ◆  ◇  ◆






「アヴァロンから問い合わせがありました。“私のところからはレオノイスへ、ハストラング(シグリッド)のところからはヒエラやミューシアへの商荷が多くなってるみたいなんですケド、帝都が介入していたりしませんよネ〜?” とね」

宰相があの長官の口調を真似たので、ノクティスは吹き出した。

「笑いごとじゃありませんよ。アザ−=フォーマルハウトの目を欺くのは難しい。荷が全部武器だと知ったら、どんな攻撃を仕掛けてくるかしれません」

「…………」

柳眉を逆立てた宰相を、優男は改めて見た。

「貴方は本当に皇帝を討つつもりなんですね」

「皇帝を討ちたいわけではありませんよ。恐怖政治を討つと言っていただきたい」

「皇帝は何もかもお見通しだと思いませんか?」

「そうかもしれません。でも、そうでないかもしれません」

言って宰相が一歩一歩石段を降りながら、塔の壁をコンコンと叩いた。

「大陸はもう限界なのですよ、隊長。人々は恐怖に抑え付けられて不安と不満を募らせています。いつどこがヴィエスタの街のように焼き払われるだろうか、何が皇帝の逆鱗に触れてしまうだろうか、と」

一方で──、と宰相が天を仰ぐ仕草をした。

「あの男の恐怖もまた、限界にきています。覇王として君主となった者の威厳は戦いに勝利することによって保たれます。だが彼は勝利すべき相手を皆殺しにしてしまった。おまけに自分で自分の首を締めるようにローズを左遷したかと思えば、反動で実質的な政務を全く(かえり)みなくなった」

そして大きく息をつく。

「初めから噛み合わない歯車だったのですよ。歯車が噛み合っていない以上、もはやこの帝国の存続は不可能。どうしようもなくなってしまう前に誰かが速やかに代わりを打ち立てなければならない。そうしなければ、また元通り戦乱の世界が訪れてしまうでしょう」

「…………」

そうなのだろう、と思った。
だからこそノクティスは宰相側にいる。
けれど。

「セレシュ=クロードは気まぐれで貴方を宰相にしたんでしょうか」

「さぁ」

短い一言の中には、明らかに否定が混じっていた。
やはり宰相自身ただ皇帝を見下げて見捨てて見放しているわけではないのだ。
恐怖と力だけの暗愚ではないと、認めている。

「陛下は歌姫との一件がなくともローズを帝都から追い出した。あの一件は口実に使われただけだ、そういう気はしませんか」

「あの男は確実に自らの意志で自滅の道を選んでいます」

キッパリと、宰相が言った。その白皙は険しい。

「私は私の意志で皇帝を討とうとしている。しかし、何故かあの男に討たされているような気がして仕方ない」

そして彼は訊いてくる。

「隊長、どうしてだと思います?」

「…………」

ノクティスはしばらく考えた。考えて、思い当たった。

「それはきっと、陛下が何も絶望しておられないからでしょう」

宰相が足を止めた。

「僕らは帝国に絶望しています。ですが、陛下は何か希望をもっておられる」


買いかぶり過ぎかもしれないがノクティスは、セレシュ=クロードが自らの周りで起こっていることを全て知っているような気がしてならなかった。
宰相が“討たされている”というのも案外的外れではないかもしれない。

ノクティスは夜明けを見て絶望を数える。
帝国の命運が尽きるだろう日を、数える。

だが皇帝は夜明けを見て何か別のものを数えている。
おそらくは、帝国の未来を数えている。



「陛下は、何を見ていらっしゃるんでしょうね」

塔の外に出たふたりは、そろって上を仰いだ。

「私たちには見えないものですよ」

「よほど大事なものなんでしょうね」

ノクティスが笑って言うと、かたわらの宰相がひどく優しい目をしてつぶやいた。

「あの人の望みはきっと遠すぎるんです。おそらくこの地からも、この国からも」

インペリアル・ローズ。
そして不滅の帝国。









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