THE KEY2 THE WORLD


 眠りから覚めると、そこは見知らぬ世界だった。

 自分の息遣いが妙に大きく響く静寂の中。
 彼女の目に映ったのは、広大無辺な緑の草地に林立した白い樹々だった。
 どこまでも見渡す限り、人工的に育てられているかの如く、白い幹に白い枝を伸ばした同種の樹々が大人しく並んでいる。
 しかもそれらの樹には、花はおろか葉の一枚もついていなかった。ところどころに見える赤い実でさえ、本当にわずかな数だ。ひとつの樹にひとつなっているかいないか……くらい。
 そのうえ、林の中を駆けて来る風には樹の匂いというものが全く混じっていなかった。身体の横を通り抜けてゆくのは、土と、岩と、草の匂いだけ。

 化石か、骨、あるいは樹々の墓場を思わせる、気味の悪い白の林──彼女はその中にぽつんと投げ出されていた。
 緩く波打ったダークブラウンの髪、やや眠たげな目、ワイン色のローブ。
 “少女”なんて可愛らしい時代は可愛らしく過ぎ、もうすでに、自分の投げた爆弾くらい自分で処理しなければならない見た目ではある。


「で……、どうしろっての。コレ燃やせって?」
 地平まで続いている不自然な白を見つめながらぼそりとつぶやくと、
「燃やさないでください」
いきなり後ろから声をかけられた。
「…………」
 彼女が振り返った先には、ひとりの若い男が立っていた。青い僧衣らしきものをまとった彼は、こちらと目が合うとヘナッと笑ってくる。
「私の話している言語、分かりますか? 理解できますか?」
 存在感の薄い、気の弱そうな顔だ。最弱。どう頑張っても警戒する気が起きない。
 眉尻と目尻がセットで下を向いていて、漂ってくるのは“理知”よりも“博識”の雰囲気。
 男が微妙に緊張した笑顔のまま続けてくる。
「分からなかったら、分からないって言ってくださいね」
──否、博識でもない。馬鹿だ。
「アナタは誰ですか?」
 失礼極まりない考察を胸に留め、彼女は訊いた。
 すると突然、常時困り顔のもやし男がぱぁぁっと破顔する。きっと、言葉が通じたことが嬉しかったのだろう。
「私はフォース=リダーと申します。リダーとお呼びください」
 そして彼は、胸に手を当てて深くお辞儀をしてきた。
「ようこそお出でになりました、新しき神よ」



 第二話 【二人】…(1)   神様は何も知らない。




「……は?」
 見知らぬ場所に放り出され、“貴方は神サマです”と言われたら、とりあえずこう返すべきだ。
 それも、立腹調子でなければいけない。
 食堂で、待てど暮らせど注文の品が来ないことがあるだろう。連れはもうほとんど平らげている。従業員を呼び止めて問い質すと「あ……これから作りますんで待っていていただけます? 混む時間なんですよ、今」と逆に怒られる。あの時の心境でなければいけない。そんなバカな話があるか、ナメるのもいい加減にしろ──と。
「えぇ……とですね。私は貴女をお迎えに……参りました」
 彼女の語気にややひるんだ優男は、しかしぎこちない笑顔を浮かべて踏み留まったらしい。恐怖で吹っ飛びかけた決まり文句を手繰(たぐ)り寄せるように視線を上の方で彷徨わせ、どうにか言葉をつないでくる。
「こ、ここへ来る以前のことは何も覚えていらっしゃらないと思いますが、名前というものがないと何かと不便です。当方で用意したものがありますので、それをお使いください。ええと貴女のお名前は──」
「私の名前はレベッカ=ジェラルディ。他の名前はいりません」
 彼女は彼を見上げてきっぱりと告げた。
 すると、もやし男──じゃない、リダーが僅かに息を呑んだ。青い目がほんの少し開く。
「覚えて……いらっしゃるんですか」
「名前だけは。あと、魔導師だってことも」
「……そうですか」
 彼は素直に驚いているようだった。
 そんなにスゴイことなのか。履歴書の名前欄と属性欄が埋まるということは。他はすべて空欄だというのに。
 そうだ。空欄なのだ。空だ。真っ白だ。何もかも。
──目上の人には敬語を使いましょう。 ──スープは音をたてずに。 ──欲しいものは金を払って買え。 ──やられたらやりかえせ。
 常識・・はすらすら出てくるのに、自分に関する記述だけがすっぱり抜けている。
 住所、職業、学歴、家族、友人、特技、好きなこと、苦手なこと……。
 自分にはもともと過去がないのか? それとも過去となるべき記憶を失ったのか?
「ご自分のこと、他に何か思い出せます?」
 腰を落とし、レベッカと同じ目線になってリダーが首を傾げてきた。濃い青瞳が真正面にある。その底は期待しているようでもあり、怯えているようでもあり。
「……いいえ、何も」
 彼女が答えると、彼は力なく微笑んだ。他人のことだろうに、泣き出しそうな顔で。
「気にしないでくださいね、何も思い出せないのが普通なんですから。僕は名前すら持っていませんでした」
「けれど、名前を思い出せる者もいる」
「そう、です」
「思い出すということはつまり、私は過去を忘れているだけなのね? 私が何者だったのか、どんなことをしていたのか、どんな人達と一緒にいたのか、私は知っているはずなのね?」
 知らず、丁寧語が取れる。
「お、おそらく……」
 気圧されコクコクうなずくリダーに、彼女は平坦な声音を保ったまま畳み掛けた。
「でもアナタは“ようこそ”って言ったわよね。それは、ここが私が日常を過ごしていた場所じゃないってことだと思うんだけど。失った記憶を取り戻したとしても、私はここを知らない可能性が高い。違う?」
「そ、そのとおりです、レベッカ=ジェラルディ。貴女はここに来たことがありません。貴女の失われた知識の中にも、この場所は記憶されていないでしょう」
 リダーが陽炎のように立ち上がった。
 差し出された彼の手に自らの手を添えて、レベッカも立ち上がる。
「ここは選ばれた者たち、すなわち神々が住まう世界です」
 リダーが無辺際(むへんざい)な白林を仰いだ。遮る葉のない林からは空がよく見える。高くも遠くもない、青塗りの空。
「神の国。名は、アヴァルース」
「…………」
 レベッカはリダーの視線を追いながら、眉ひとつ動かさず腕を組んだ。そして口の中で反芻(はんすう)する。
「アヴァルース」
 世界に名前を付けた奴は、世界で一番傲慢な奴に違いない。
 そんなことを思いながらつぶやいた。
「私はどこかの世界から抽選で当たって神様になってここに来たってわけね」
「お、おそらく……」
「……なんで片っ端から曖昧なのよ」
 横目で優男を見上げて凄む。
 彼は目を泳がせて、伏せた。
「……僕らにも記憶がないんです。ですから、アヴァルースを越えたことは何一つ分かりません。知りません。思い出せません。……アヴァルースのことでさえ、すべては経験の蓄積に過ぎません。僕らはこの大地がどこまで続いているかさえ、知らないんですから」
「不自由な神様ね」
「……本当は、僕らが神という存在なのかも、疑わしいんです。選ばれて来たなんて言うのも、証拠がない。誰が自分たちは“神”だなんて言い出したのか知りませんけど、……その根拠もありません」
「自称“神様”ってわけ?」
「はい……」
「まぁ、自分たちは救いようのない大罪人で天国も地獄も受け入れ拒否だったからここへ来たんだ、なんて自負する方がおかしいわよ。大罪人より神様の方が精神衛生的にいいじゃない」
「…………」
 リダーが目を丸くした。そして何が可笑しかったのか、笑う。
「そうですね」
──と、その足元にぽとりと赤い実がひとつ転がった。
 二人はそろって白い枝の広がる頭上を仰ぐ。今更見上げたって何が見えるわけでもないのに、だ。
「私は──」
 レベッカはすぐに視線を戻し、草の上に転がっている赤い実を右手でつまみあげた。左手で受け、ベルトにつけた皮袋の中に落とし込む。
「私は、どこから来たのかしら」
 リダーは答えてこなかった。
 代わりに肩を叩かれる。
「そろそろ、行きましょうか」
 どこへ、とは訊き返さなかった。
 どこへでも行く覚悟はできていたからだ。



◆  ◇  ◆  ◇  ◆



「新しいのが二匹来る」
「そう聞いています」
 巨大な地底湖に、ふたつの声が交互に反響した。
「片方はダラスを殺す。片方は俺を殺す」
 ひとつは殺伐と攻撃的な男の声。
「“殺す”というのは、語弊(ごへい)があるね」
 もうひとつは華やかで伸びのある男の声。
 彼らの手元に光源があるのか、洞窟はぼんやりと橙色に照らされ、湖を覆う岩盤に水の揺らめきが映っている。
「この際、言葉遊びは意味がない」
「分かってるよ。君がずっとこの時を待っていたことはね。どんな言葉を並べ立てて諫言(かんげん)しようと、君の意志は変わらないだろう」
 ため息の代わりなのか、竪琴が二音、三音鳴らされた。この場には不釣合いな美しい音色が湿った洞窟に茫洋と広がり、吸い込まれる。
 わずかな空気の揺れが、余韻となって残った。
「諫言する気もないけれど」
「俺は世界の決め事に殉じるつもりはない。殺られる前に殺る」
 ひとりの男が、言い切ると同時に何かを湖に投じたらしい。穏かだった水面が急にざわつき始めた。底の方から長大な黒い影が浮き上がってきては水面すれすれでうねり、漣が立つ。見る間に影の数は増えてゆく。
「そうすれば死を免れると思っているのかい?」
 歌うような囁きに重なって、またもや何かが投げ込まれた。
──大皿に盛らねばならないほどの、肉片だ。
 そしてそれが水に飛び込む瞬間、湖面にいくつもの豪快な白波が立った。ぬめりのある鱗が光を反射し、びっしり並んだ肉食の歯が飛沫の中に見え隠れする。
 水中の巨体がぶつかり、牙を剥き、エサを獲り合う。
 見物人がいることなど気にしていない、まさに“貪り食う”お食事だ。
 しかしその見物人たちは圧倒されることもなく、叩きつけられる水音を気にすることもなく、淡々と会話を続けていた。
「死を免れるなんて思っていない。だが、やってみなければ肯定も否定もできない」
「正論」
 もし──、穏かな物言いの男がそう続けた。
「君が新しい神を殺して生き長らえたなら、私はどう歌えばいいだろうね。英雄としようか、それとも、禁忌を犯した魔王としようか」
「好きにすればいい」
「いや、……歌う前に私が消えるかもしれないか」
 一瞬にして水怪たちの饗宴は終わり、地に閉ざされた暗い湖には再び重苦しい静けさが戻っていた。
 遠くの方で、水滴の落ちる音がする。ゆっくりと、規則正しく。
 何かに向かって時を刻んでいる。
「そうしなければ木は枯れ、実は腐ってしまう」
「── イオン」
 それが片方の名前なのだろうか。
「お前は何を知っている」
 短い沈黙があった。
 だが、答えはありきたりだった。
「何も」



◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 少し歩いたところで、リダーが慌てて引き返した。
「わ、忘れるところでした」
 そう頭を掻いて、レベッカが座り込んでいた一番近くの樹に寄り、手近な枝に何かを結びつける。レベッカが後ろから(のぞ)き込むと、どうやら彼女の名前を書いたプレートらしい。
「これは貴女の樹です」
「……ふ〜ん」
 これ以上どういう反応をしろと言うのだ。記念植樹じゃあるまいし。
「水やりは当番制ですとか言わないわよね」
「そ、そんなこと言いませんよぉ。自然に任せるだけです」
「自然に任せる、ねぇ」
 さっき実が落ちてしまったので、レベッカの樹は丸坊主だ。なんだか情けない。
「とてもじゃないけど自然に任せてるようには見えないわよ、ココ。普通放っておいたら雑草伸び放題、樹だって葉っぱがつくでしょうに」
「葉は必要ないんです」
「……は?」
 冗談を言っているわけではない。本当に意味が分からなかっただけだ。
「貴女にはこれからノーリス=ダラスという方に会っていただきます」
「ボスね」
「そ、そういうわけでは……ただアヴァルースに長くいらっしゃるという……」
「じーさんね」
「そ、そういうわけでも……」
 レベッカの適当な合いの手にいちいち異を唱えてくるあたり、根っから真面目な男らしい。
 彼は“レベッカの樹”を後にして歩きながら、講釈をたれてくる。
「アヴァルースには地位だとか階級だとかいうものはありません。王もいなければ皇帝もいない。けれどいつの間にか首長の役割を果たしている方というのはいらして──、青のノーリス=ダラス、黒のミラ=インフェルノ、赤のバジェーナ=レイ……」
「あ〜、もういい。そんなに名前を羅列されても覚えられないから。つまり官僚制はないけど派閥はあるのね」
「…………はい」
 博識家は、彼女に正確な知識を植え付けることを諦めたらしい。
「でもって貴方はノーリス=ダラスの傘下にいる」
「そうです」
「でもって各派閥はアヴァルースの覇権をめぐって日夜いがみあっている」
「違います!」
 本当に冗談が通じない。
「詳しいお話はダラス様からお聞きください」
「その人が嘘を付かないって保証はあるのかしら」
「…………」
 しばしの間があった。そして、彼の消え入りそうな声がレベッカの耳に届く。
「……そういう言葉を聞いたのは初めてです」
 不快になったわけではなく、予想外の質問に戸惑っているようだった。
「今までに何人もの方をお連れしましたが……」
「私はアナタやノーリス=ダラスを疑っているわけじゃない。ただ、教えられたことを丸ごと鵜呑みにするほどお人好しでもないのよ。この目で確めて、この身体で経験するまでは」
「…………」
 リダーが黙り込んでしまった。
 釘を深く刺しすぎたかもしれない。



 会話がないまま白い林を抜ける。続いて現れたなだらかな丘を登りきったところで、ようやくリダーが足を止めた。
 丘の頂上は風が強い。彼の僧衣が音をたてて翻る。
「ここが──」
 彼が何の前置きもなしに視線を眼下に落としたので、レベッカも何気なくそれを追った。
 そして息を止める。
「!」
「多くの神々が住まう街、ベルカナです」
 白い林とは反対方向、彼女が見下ろした先には、三方を緑の丘に囲まれた石造りの都が整然と広がっていた。
 石を切り出して造られたのだろう数々の白い建物、涼しげな影を落とす木々、鮮やかな花が溢れる広い庭、上下左右を規則正しく貫いている石畳の大路、それに沿って流れる水路。街のあちこちで光を反射した流水が、キラキラ輝いている。誰かに秘密の信号を送っているかのごとく。
「対面にも丘があるので、ここは四方を囲まれた盆地ということになります」
 囲まれているのは三方ではなく四方なのか。いきなり訂正が入った。
 だが両側面の丘でさえ、丘と空との境界が分からないほどに曖昧なシルエットだ。対面の丘は全く見えない。霞に煙る遥か遠方まで、白亜の街は続いている。
 森厳な風格を持って、凛とした面持ちをして。
「壮観ね」
 お世辞ではない。
「ダラス様の邸宅は向こうの方になります」
 リダーの指は、今立っている丘の右麓を指していた。
 そして彼は随分長い間、自分が指した方を見つめていた。物思いに(ふけ)るように、細い眉が寄せられる。
 黙って待っていると、青い目がこちらを向いた。
「レベッカ、貴女の姿勢は正しいかもしれません。ダラス様や私は貴女に敵意を抱いていませんが、そうでない神もいますから」

 万民に愛されようとするのは馬鹿げたことだ。苦しいだけで、何の利もない。賢明な者なら、試みる前に骨折り損を悟る。
 それでももしみんなに愛されているように見える者がいるなら、そいつは本当は誰からも愛されていない。

──と、そんな屁理屈をこねてみたところで現状は変わらない。

 リダーの言葉が的を射ていたことは、街に入ってすぐ証明された。

「ねぇ、“そうでない”方が多いんじゃない……?」
 そうでない方──レベッカ=ジェラルディに敵意を持っている神。
「そ、そうかもしれませんね……この辺りはダラス様を慕う神々が多いですし……」
「どういうことよ」
 栗色の髪からぽたぽたと水を滴らせながら、彼女は頼りない案内役に噛み付いた。
 丘を下り清廉とした街に入り、まわりの大邸宅をきょろきょろ見物しながらリダーの後ろ歩いていたら、いきなり頭上から水が降ってきた。上に向けて怒鳴ろうとしたら、横から拳大の硬い果実が飛んできてこめかみに命中した。
 すぐさま犯人(ホシ)を探せど、姿はない。
 住宅街は必要以上に静まり返り、結託してホシを隠匿しているかのようだ。
 彼女はとりあえず路肩に転がった凶器の果実を睨みつけた。艶のある黄色が(まぶ)しく綺麗な実だが、許してはやらない。
「それはノーメルという果実です。漬けてお酒にしても美味しいですし、薄く切って粗目(ざらめ)の砂糖をかけて食べても美味し──」
 そんなことは聞いていない。
 彼女は無言で果実を踏み潰した。ダンッと力いっぱい。
「どういうことでしょうか」
 優男の顔から血の気が引く。
「……ど、どういうことと言われましても……それは……」
 石畳のわきに咲いている赤い花に目を逸らし、ごにょごにょと口ごもるリダー。
「何かやらかしたから敵意を持たれるなら納得するけど、まだ・・何もしてないのにこんな大歓迎受けたんじゃ、私も黙ってないわよ」
 レベッカは一歩退くリダーをねめつけて、手をバキバキと鳴らす。
 冷たいわ痛いわ冗談じゃない。ここで放っておいたら、どんなオオゴトに発展するか分かったもんじゃない。
「さぁ! 怒らないから説明を!」
 すると、
「何もしていないの敵意を持たれる。それすなわち、今君に向けられている敵意は君の行いや人格に対するものではないということだね」
今度は右斜め上から男の声が降ってきた。
「…………」
 目を移す。
「こんにちは」
 優雅に挨拶してきたソレは、白塀の上にいた。正確には、白塀に腰掛け老木を模した門柱にもたれていた。さっきまでは誰もいなかったのに、だ。
 肩までの金髪、造り物めいた年齢不詳の顔、ゆったりとした黒衣に紅の紗を羽織り、それらすべての刺繍は金糸。首や腕や指を極彩色の豪奢な装飾品が彩り、無造作に小さな金の竪琴を抱えている。
 一見、イカれた(うた)歌い。
 だが特筆すべきはその目だった。
 黒にも見え、碧にも見え、青にさえ見える対の瞳。心を見透かすことなどもちろん、答えなど知り尽くしているかのような──こちらが呈する質問の一字一句さえすでに知っているかのような──双眸。それが、レベッカを見下ろしていた。
「こんにちは」
 彼女は視線を外さず返す。
 いきなり厄介そうなのが出てきた……そんな値踏みをしながら。
「さて、君の行いや人となりに問題があるわけではない。では彼らは君の何が気に入らないのだろうね」
 男の眼光が増した。
 名前も知らない輩に、いきなり試されている。答えろと言われている。
 息継ぎの間を置いて、
『存在』
レベッカの解答と男の自答とが重なった。
 暗く変彩する奇人の目がすっと細められる。
「こんな所に……な、何をしにいらっしゃったんですか、イオン=ヴァ−レルセル」
 背景に同化していたリダーが、掠れかすれに牽制の声をあげた。御しきれていない警戒心が、焦燥となっている。
 だが白塀の上の男は答えない。
 彼の細められた目の奥は、レベッカ=ジェラルディだけに焦点を当てていた。
「君がアヴァルースにやってきた」
 口調は、街路樹がさわさわと風に吹かれる音より軽く。
「それゆえにノーリス=ダラスは死ぬ」
 薄い唇は、歪みない弓形に笑っていた。



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