THE KEY2 THE WORLD

 第三話 【凋落】…(3)   道には迷わない。だがゴールの在り処は知らない。


「うまくいったのか、いかされたのか」
 フェンネルは独りごちて顔をしかめたが、
「どっちにしたって今ある結果は変わらないと思いますよ」
 宿のカウンターに向かうスヴェルに軽く払われる。

 婉曲的な暗殺命令が出ていたのだろうルミナスを拉致したにも関わらず、ナルバートンからの追撃はなかった。拍子抜けするほど簡単にスヴェルやマグダレーナと合流し、「徹夜は美容に悪い」「眠い」という人間としてもっともな意見を取り入れ、とりあえず宿を取って休むことになったのだ。
 並んでいる中ではそこそこ大きいが、騒ぎ立てている者もなく大人しそうな宿。
 天にはいくつも魔導の光が置かれていて、これでもかというほど明るい。

「追われたら逃げればいい。やられたらやり返せばいい。先に先に手を打っていくのは大事なことですけど、キリがないですよ。眠い時は寝ましょう」
「……お前、時々異様に楽天的だな」
「バレリーが慎重になった時はね」
「…………」
「副会長は会長を補完しないと」
 誰ひとり後先考えない勢いだけの集団なんて恐ろしいだろうが──胸中でそう舌打ちしつつ、しかし王都に接触したいと言い出した時の威勢が消えたのも確かだった。
 ナルバートンだけでも巨大過ぎる。力も、思想も、好奇心の矛先も、スケールが違いすぎて傾向と対策なんて考えるだけ無駄なような気がする。
 フェンネルは喉元まで出掛かかった自嘲を飲み込んで、手近な椅子に座った。
 (ひじ)を付いて手にアゴを載せ、カウンターでやり取りしているスヴェル、マグダレーナ、そして宿の若造をボーッと見やる。
「…………」
 酒場兼食堂兼ロビーの一階には、酔い潰れて寝ているオッサン二人しかいなかった。
 空になった酒瓶もグラスも片付ける気はないのだろう。もう何時間も放り出されて不貞腐れているようだ。
「…………」
 しかしどれだけ見える視界に精神を集中させようとしても、背後に佇む気配に苛立ちは募る一方。
「……アンタ、立ったままでいるのか」
 業を煮やして、フェンネルはじろりと後ろへ目を向けた。
 すると、
「座った方がいいのか?」
 案の定と言うべきか、ルミナス=ラヴィアータの冷ややかな眼差しに見下ろされる。
 月下美人の強い芳香を錯覚する声音。嘆息と呆れの混じった。
「勝手にしろよ」
 悪態をつく気さえ失せて顔を逸らすと、しかしルミナスは続けてきた。
「何故お前がこんなところにいた?」
「成り行きだよ、成り行き」
 それ以外に何と説明すればいいのか。
「──お前は昔から覚悟が足りない」
 成り行きの中身を知らない奴に、そんな説教をされる筋合いはない。
「一人助ける勢いはあっても、一人見捨てる覚悟はないだろう」
「例えば?」
「手負いの人間一人のせいでグループ全員の生存確率が著しく下がる場合、お前はそいつを見捨てられるか」
 表現を変えてはいるが、つまり、王都の暗殺標的にされているルミナスがいるせいでスヴェルやマグダレーナ、フェンネルも巻き添えを食って危険だと言いたいらしい。
 フェンネル自身はルミナスを助けると自分で決断したのだからともかく、その決断によってスヴェルやマグダレーナの危険度は増した。
 もし彼らが命の危機に面した時、その原因であるルミナスを排除できるのか。
 答えを求められている。
 要するに、それがこのルミナス=ラヴィアータという男の、“決断”に対する責任の取り方なのだ。決断する者への美学なのだ。
 ご立派。
「…………」
「道徳と情だけでは小さな傷を致命傷にしかねない。そうなる前に誰から非難されようと怨まれようと合理的な選択ができること。強いとはそういうことだ」
「それはあの時の言い訳か?」
 ぞんざいに言い捨てたのは当てつけ。
 大人気ないとは分かっているので、フェンネルはすぐに話を戻した。
「知らなかったのか。俺はアンタが思ってるより合理的だ。レーテルの体裁を整えるためにシャロンを転ばせるくらいワケなかった」
 二年前、レーテルは王都につけ込まれる隙を作ってしまった。
 フェンネルは、その隙を埋めるためにシャロン=ストーンをメディシスタの会長職から降ろそうとしたことがある。
 レーテル魔導学校の内政の安定を考えれば、チェンバースのフェンネル、メディシスタのシャロン、双璧と(うた)われたどちらも欠けてはいけないと分かってはいたのだが……。
 だからこそ、シャロンがレーテルを出奔した後にフェンネルもあの学校を出たのだ。天秤の釣り合いを取るために。
 チェンバース、メディシスタ、権力がどちらかに偏ってうまくいったためしはない。
「見捨てられるかだって? 見捨てられるさ。可愛げのない奴から順番に見捨ててやる。ただし、事態が完全に俺の手に負えなくなったら、だ。残念ながら、まだ限界を感じたことがないからご披露する機会がねぇんだが」
 茶化すな──背中でそう聞こえたが返事はせず、カウンターから戻ってくるスヴェルのもとへと立ち上がる。
「三部屋空きがありました。マグダレーナ、バレリー、ルミナス会長は僕と一緒でいいですか?」
 テキパキと鍵を渡していくスヴェルの横で、マグダレーナが眉を寄せた。
「ルミナス会長があなたと相部屋するのですか?」
「一人にしたら僕らのために姿を消すかもしれないでしょ」
『…………』
 さすが。伊達に長々六年間も生徒会に居座っているわけではないらしい。ルミナス期、フェンネル期、そしてマグダレーナ期と三代に渡って経験しているのはこの男だけだ。
 ちなみに、ルミナスとマグダレーナに接点があったのは、マグダレーナが入学してからルミナスが宮廷魔導師に引き抜かれて会長職を放棄するまでのおよそ半年間。
 それもマグダレーナは生徒会の役員ではなくクラス選出の評議委員でしかなかった。彼女がルミナスの性質を知らないのも無理はない。
「問題ないさ。相部屋で構わない」
 ここまで朗快に言い切られては苦笑するしかないのだろう、天眼の魔導師は素直にスヴェルの言に従った。
「それにしても──」
 副会長殿を先頭にぞろぞろと階上へ、廊下の奥へと足を運ぶ。
「地下でも地上の通貨が使えてよかったです」
「こんな牢獄都市のためだけに貨幣鋳造なんてしてたら、税金払ってる奴等が泣くぞ」
「いや、物々交換とかありえそうだと思いませんか? 僕もマグダレーナも大したもの持ってきていないし……。払えるとすれば、バレリーの魔剣くらい?」
「お前、俺の魔剣を高級腕時計くらいにしか思ってないだろ」
 廊下の突き当たりが寝台のふたつある広い部屋。マグダレーナはその隣で、一番手前の部屋はフェンネル。
 他にも数室の扉が並んでいるが、下同様二階も静かなものだった。
 それじゃあ解散、と睡魔の誘惑を受け入れながら鍵を持ち直せば、
「バレリー」
 まだ休ませないつもりか、ルミナス=ラヴィアータ。
 嫌々ながら視線だけ向けると、悠然とした白皙に高見から言われる。
「預かってもらいたいものがある」
 それが人に頼む態度かオイ。



「これが、本物だ」
 宿の小さなテーブルの上に(かしこ)まって置かれるこれまた小さな砂時計。
 本来ならばレーテルの中心、魔導遺物管理施設で厳重に保管されているはずの代物、『未来視の砂時計』。
 砂の上にレーテルと王都を乗せ、ひたすらただ一方へ淡々と砂を落とす終末時計だ。
 時計をひっくり返しても、砂の落ちる方向は変わらない。
 上から下へ、下から上へ、レーテルと王都の足元は確実に削られてゆく。
 時間の魔導が仕掛けられているのだと識者は言い、しかし理論上、発見から四千年もの間、時間の魔導が持続するわけもなく。
 魔導の理論から逸脱した、故に『世界の創造物』。
 レーテルの学生ならば、嫌でも授業で一度は見学させられるありがたい一品だ。
「……なんでアンタが持ってる」
 スヴェルたちの部屋なのだが、フェンネルは勝手に寝台の端を拝借して足を組んだ。
 そして半眼で盗人を睨みつける。
「王都にあるはずじゃないのか」
「王都に偽物を渡したからだ。当たり前だろう」
 ──何が当たり前なんだ。ややこしくしやがって。
 フェンネルは大きく呼吸をして眉間に手をやった。
「……すいません。話が見えないのですが……」
 こちらの険悪な気配に押されたのか、いつもの強気な態度からは信じられないほどしおらしくマグダレーナが手を挙げてくる。スヴェルから勧められた椅子に行儀よく座って。
「バレリーはガイアから報告されていたから経過が分かってるでしょうけど、僕ら途中で別行動していたからサッパリサッパリなんですよ。説明を求めます」
 他方、万年副会長殿は漂う剣呑な空気にも全く動じていない。
 慣れか、鈍感か。
「そうかそうか、忘れてた。面倒臭ぇなぁ、オイ」
 フェンネルはお嬢様のために努めて明るい調子で背を伸ばした。
 面倒臭いとはいっても、要点はそんなに多くはない。
 未来視の時計をレーテルから盗んで地下都市に落とされた天眼の魔導師。ルミナスの処遇を一任されたナルバートン。世界の法則の瓦解。魔導の根本的な崩壊。大魔導師の臨む新たな道、魔術師。そして彼が化け物である証、それぞれ魔導を使うナルバートンの分身たち……。

「未来視の時計も、まさかこんな安宿のテーブルに置かれる日が来るとは思っていなかったでしょうね〜」
 変な感想を漏らしてきたのは言うまでもなくスヴェルだ。
「全員が貴様を崇め(たてまつ)ると思ったら大間違いだ! って言ってやれよ」
 どうでもいいコメントを返すと、言わば真正の箱入りですもんね、などと更にどうでもいいつぶやきが返ってくる。
「王都はまだ自分たちの持ってるモンが本物だと思ってるんだろ」
 天眼の魔導師へと顔を向ければ、男は相変わらず立ったまま空疎な嘆息を吐き出してきた。
「たぶんな」
「アンタにしちゃ随分思い切ったことをしたもんだ。バレたら一族どうなるか想像つかないワケじゃねぇよな」
 ただでさえ盗人のレッテルを貼られているのだ。なおかつとなれば事は個人に留まらないかもしれない。“みせしめ”。それが手っ取り早い組織の制御法というものだ。
「アンタを捨て駒に使った王都への復讐か?」
「ただの嫌がらせだ」
「あ、そう」
 それ以上続ける言葉もなく、額に手をやって黙する。
 窓のない部屋なのに閉塞感がないのは天井が高いせいか、都市の性格の割りに小綺麗なせいか。床板にはひどい染みもなくつるつるに磨かれていた。
 階上からも階下からも話し声ひとつ聞こえてこず、もしかしたらこの都市での宿とは本当に眠るだけの場所なのかもしれなかった。酒は酒場で、取引も酒場で、なんでもかんでも酒場で。
「俺は、お前よりもシャロン=ストーンの方が上に立つ人間としてふさわしいと思っていた」
 何を言い出すのか、この男は。
 床を見つめていたフェンネルは、顔を上げた。
 しかし真意を(ただ)した先のルミナスの青い双眸は、砂時計に落ちている。
「彼は天然に冷酷だった」
「?」
「彼にとっては、己が護ろうと誓った対象以外は道端のゴミ以下なんだ。どうなろうと興味がない。自覚はしていないようだったが」
「俺は、最近のアイツがどんな奴かなんてのは知らない」
「お前を攻める手はいくらでもある。護ろうとするものがあまりに雑多で広いからだ。だがシャロン=ストーンを攻めるのは容易でない。彼の護るものはただひとつだけ、彼はその前で剣を構えているだけだからだ」
「そりゃあ、すいませんねぇ」
 自然と凶悪な笑みが口に浮く。
 フェンネルは敷布の上に放り出していた二振りの剣を掴み、腰を上げた。
 それに応じてスヴェルが部屋の扉へと目をやる。
 水を打ったように静かだった階下がざわついていた。
 声ではない。気配だ。
「シャロン=ストーンは甘くない。護るもののためなら徹底的にやる。幾重にも、保険をかける」
 ルミナスがスヴェルの視線を追う。
「ナルバートンが見逃しても」
 マグダレーナが席を立つ。
「この都市では殺し屋には困らないですよねー」
 スヴェルが彼女の言葉を継ぎ、
「ちょっとばかりの賞金をかければ、人ひとりの命くらい簡単に消せるってことだな」
 その言葉をフェンネルは継いだ。
 そして間を置かずテーブルの上の砂時計をルミナスに投げつける。
「!?」
「アンタが持ってろ。責任持ってレーテルに返せ。シザース理事長が泣いて喜ぶぞ」
 忍んで階段を上がってくる振動が、聴覚にわずか触れる。
「俺はアンタの後始末をするつもりはない」
 昇りきれば気は急き迫り来る足音は駆ける。
「バレリー」
 ルミナスの言い草に貸してやる鼓膜の余白はない。
 扉が破られるまで待ってやる義理はない。
 扉の前に一歩が踏み込まれ、
「マグダレーナ!」
<ヴェルド・ユロ・シャニール!>

 しかしこちらから厚い木板を粉砕してやる。なんて親切!
 口笛を吹く間もなく、まともに木片を喰らって昏倒している輩を踏みつけ第二陣がやってくる。
「スヴェル!」
<炎に自由を!>
 いつの間にちゃんと発動する魔導を見つけたのか、錆び剣を持ったお客がまとめて盛大な爆炎の中に消えた。
 ……煙い。
「バレリー! なんだかさっきも似たようなことしてたような気がするんですけど!」
「気のせいだ!」
 一言で片付けてゴロツキどもの中に斬り込んでゆく。
「一日に二回も襲撃されて一回襲撃してなんて身が持ちませんよ!」
「お前忘れるの得意だったろう!? 一回分の襲撃くらい忘れろ!」
「えええ!?」
 こういう連中は、連携ナシだが何せ数が多い。
 しかも攻撃に合理性がない。
 とんでもないところから飛んでくる鉄剣を避け、そいつの顔面に蹴りを入れる。
 沈んだ輩と入れ替わるようにイガイガの付いた棍棒が唸りを上げて振り下ろされ、床を蹴ったフェンネルの影を廊下ごと粉砕。
 棍棒男の背後に着地と同時、眼前を防ぐ男を一人、二人と薙ぎ捨てる。
<ライアー・コズン>
 マグダレーナの殺気に振り向けば、棍棒男が白目を剥いて自らの開けた床穴に頭を埋めていた。
 そして必然目に入る彼女の後ろ。
 目の色を変えた華美の権化の薄紗が舞っていた。空を滑る指の間には、精霊への指示が描かれた呪札(じゅふ)
「スヴェル! マグダレーナ! 伏せろ!」
「ブリーズ!!」
 ルミナスが腕を一閃、フェンネルの頭上を蒼い光の呪札が切り裂き、
「アンタ今俺狙ったろ!!」
 罵声をかき消して花火の如く弾け飛ぶ。
 何事かと賊共が空中を見上げた瞬間、
『!?』
 音速を超えた重い衝撃波が彼らの身体を殴り飛ばした。
 爆心の直下にいたフェンネルも砲弾をぶち込まれたように目の前がブレ、内腑(ないふ)を打つ圧力の余波に息が止まる。
「オイオイオイ……どさくさに紛れて俺も始末する気かよ」
 膝を付いた状態で無理矢理肺を動かし、呼吸を取り戻す。
 緩慢な動作で立ち上がれば、宿の壁に叩き付けられた賞金稼ぎたちが白目を剥いてずるずると落ちて行くところ。
 まるでホラー芸術だ。
 お世辞にも綺麗とは言いがたい色に染められた壁の前には、一般人が見れば「幽霊!」と叫ぶだろう青白い男が立っている。
 ルミナスそっくりな冷凍された視線。
「ブリーズ、戻れ」
 主の声への反応は、機敏な猟犬。
 彼は鋭い風の軌跡を描いて魔導師の袖へと溶け消える。
「──風の精霊か?」
「出るか出ないか分からない魔導より、この方が早いだろう」
 深い瞬きは肯定。だが声に優越はない。それよりも、影。
 その嫌な色が引っかかる。
 フェンネルは目を細めて影の正体を見極めようとしたが、
「今のうちに宿を出るのが得策ですわね」
「何度逃げればいいんですかねぇ」
 レーテル二人の会話に戻された。
「バレリー! どこへ行きますか!」
「知らねぇ! 人のいない方へ行け!」
 アジ・ダハーカの人間すべてがルミナスを追っていると思ったら大きな自惚(うぬぼ)れだ。王都の駒になるのはゴメンだという奴だってたくさんいる。
 しかし、宿を転げ出し宛てもなく走っていればそこかしこから「アレだ!」「いたぞ!」という声が聞こえてくる。
 そのたび、追いかけてくる人間の数が増えているような気もする。
「分かった! アンタが目立ちすぎるんだよ!!」
 フェンネルは肩越しに振り向き、後ろを走っているルミナスに叫んだ。
 ややキツい麗貌、貴族全開な衣装、派手な精霊術。
 身を隠す要素は皆無だ。
 しかし返ってきた言葉は素っ気無い。
「生まれつきだ、仕方ない」
「あー! 腹立つ! 腹立つコイツ!」
<ヴェルド・ユロ・シャニール>
「あーーーー!」
 マグダレーナが付いて来る一団を吹っ飛ばしたのと同時、スヴェルが悲愴な声を上げて立ち止まった。
「止まんじゃねェよ!!」
「忘れました!」
「何を!」
「宿代返してもらわなきゃ!!」
「どうでもいいだろそんなもん!」
「1ルビを笑う者は1ルビに泣くんですよ!」
「泣け! 気の済むまで! 死ぬよりマシだ!」
 声を張り上げ過ぎたのか、ぐらっと視界が揺れた。
「!?」
 しかし直後にそれは大地の鳴動だと悟る。
 地震だ。
 大きい。
 がくがくと膝が笑い、足下から響く不気味な地鳴りが身体を震わす。
 ぱらぱらと壁が剥がれ落ち、都市の灯が音を立てて(もてあそ)ばれる。
 あちらこちらでガラスが割れ、戸惑いの声と怒鳴り声が入り混じる。
 誰も、自力で立ってはいられない。
 追っ手のみなさんが右往左往しているのを確認し、フェンネルは壁に背を預け、まとった黒衣の中から小さな水晶玉を取り出した。
「……何ですか、それ」
「俺の発明品」
 魔導が無効なら意味がないが、
<以心伝心>
 彼の力に応えて水晶玉は輝き始める。
<キサカです>
 そしてそれはしゃべる。
 目を丸くするスヴェルとマグダレーナにニヤリと一瞥をくれ、
「地震、上は大丈夫か?」
 訊く。
<揺れていますが、それよりも風が>
「風?」
<ものすごい暴風です。北から。木も家も根こそぎ薙ぎ払われそうな勢いですよ>
 声だけを拾うはずの魔導。しかしその荒れる大気の影響を受けているのか、ザザッと不快なノイズが走る。
<こちらは南の街壁を背にしているので大丈夫ですが、バレリー、貴方は今どこにいるんですか。出口で待っていたのにちっとも……>
「地下都市に取り込まれた。場所は分からん」
<えぇ!? え? 地下都市?>
「詳しい話をしている暇はない」
<──呼んでる>
「……何か言ったか?」
<はい?>
<呼んでる>
 突如、水晶から伝わる声に別の声が混じり始めた。
<呼んでるんだ>
 否、混じっているのではない。己の神経に直接叫ばれているのだ。
「…………」
 フェンネルは未だ揺れ続けている視界を閉じ、次の一声を待った。
<呼んでるんだって!>
 キィーンと耳をつんざく金切り声は、キサカより直情的で暴力的。
 眉をひそめた刹那、目を閉じたまぶたの内側に黒々としたその激情が燃え盛り頭蓋を侵蝕し──、
「!」
 全てを持っていかれそうになり、フェンネルは寸前で双眸を見開いた。
 数度大きく息をつき、
──コンキスタドール……
 自らの腰に帯びた魔剣の鞘を握りしめる。
 魔が叫んでいるのだ。自由を寄越せと。走ることのできる形を寄越せと。
「……キサカ、事務所の奴等はベラドアへ避難させろ。このままテフラにいたら大変だ」
<了解です>
「テフラの地上へ出る方法を探す。出た後の足がいる。お前は待機できるか」
<はい>
「頼んだ」
 言い置いて魔導を解き、水晶をしまう。
 今いる場所がテフラの地下とは限らない。出られた先がキサカの待っている場所とは限らない。時を間違えば、キサカが逃げ遅れるかもしれない。
 ルミナスが小言を降りかけてきそうな舵取りだった。
 だが、一人で背負うのも強さなら、誰かに信頼を置くのも強さのはずだ。
 護られるだけの弟子を育てた覚えはない。期待への裏切りを怖がるつもりもない。
「バレリー、その水晶! その魔導!」
 顔を輝かせたスヴェルが揺れる地を這って来ていたが、彼は元上司がまだ会話を止めていないことに気付いて動きを止める。
「呼んでるって?」
 フェンネルの押し殺した疑問系は腰の剣へ。
<呼んでる>
「誰が、誰を」
<世界が、誰かを>
 不安げなマグダレーナの渋面と更に険しいルミナスの渋々面を経由して、空の見えない頭上を仰ぐ。
 風がうなり吹き荒び、大地が()えて応える。世界が呼び、竜が応え、魔剣が求める。
「そうか」
 しかしその竜の腹の中では、揺れに慣れた賞金稼ぎたちが再びこちらを目指して集まり始めていた。
「悪いが、今この身体をお前にくれてやるわけにはいかない」
<嫌だ! 剣を抜け! オレは行かなきゃなんないんだ!>
「黙れ!」
 檻の中から噛み付いてくるヒステリックな喚き声を一喝する。
 と同時、
「フェンネル会長! 来ました!」
 マグダレーナに肩を押される。
 身の安全よりもぶら下げられたエサ、ナルバートンの制御下にない小物どもだがやはり数はやたらと多い。おそらく、彼らが数えられる最大の数よりも多い。1、2、3……たくさん。
 フェンネルは足を止めくるりとまわれ右をすると、殺気だった群れにびしっと指先を向けた。
 なるほど小物、何故か追っ手の足も止まる。
「シャロン=ストーンを知ってる奴! 挙手!」
 素直にぞろぞろと手が挙がる。
「……なんでアイツこんなに有名人なんだ……」
「ここが彼の管轄だからだ」
 冷静なルミナスの回答。
 いちいちウルサイ。
「いいか、じゃあアイツに伝えとけ。天眼の魔導師はフェンネル=バレリーが責任を持って(かくま)ってやるから安心しろってな! マグダレーナ!」
<ヴェルド・ユロ・シャニール>
 お約束のように、前列が吹き飛び後ろで構える輩と衝突。
 月並みな怒号と罵声が地下に反響し、仲間割れが始まる。
「はい撤収!」
 フェンネルは勢いよく黒衣を翻した。



「どうしましょう」
 真剣な顔でマグダレーナ。
「瞬間空間転移はダメですかね」
 指を一本立ててスヴェル。
 その指を思いっきり外側に折ってやりながら、
「痛い痛い痛い!」
「そんなモン使えたら魔導師にとっては監獄にならねぇだろ」
 フェンネル。
「というかそんな魔導を習得している奴はいるのか」
 教師めいたルミナスの視線が全員を見回す。
「……理論はバッチリ」
 フェンネルの答えに皆でうなだれる。
 いつの間にやら地震はおさまっていたが、だからなんだという状況に変わりはない。
 ガイアの力を借りてどうにか追っ手を巻き、まだ騒ぎになっていない区画へ来たものの、この厄介な都市から逃れる術は欠片も見つかっていなかった。
 ガイアでさえ、この都市と外との繋ぎ目が見つけられないのだそうだ。内側と外側は全くもって異質。精霊の視線をも煙に巻く。
 あのイスパンディーロとかいう店員の言っていた「この都市は、竜です」という意味不明な説明も、あながち的外れではないのかもしれない。
 しかしだからといって無計画に勢いだけで暴れまわっても、アジ・ダハーカ中で騒動が拡大し、結果どこにも居場所がなくなるだけだろう。
「どうするんですの?」
「どうするんですか」
「どうするんだ」
「なんで俺に聞くんだ」
 巡る出口のない問い。
 その時、
「──おたくらお困り?」
 突然背後から馴れ馴れしく声をかけられた。
 聞き覚えのある、というかさっき聞いたばかりの声。
「ちょっと取引しないか」
 スヴェルとマグダレーナは見知らぬ人間への警戒を浮かべ、しかしフェンネルとルミナスは疲労を浮かべて振り返る。
 そこに飄々とした態で立っていたのは、地下でもサングラスの殺し屋。
 そう、チーム・アルボル・ナルバートンのひとり。


「こんなに早く再会するとはね」
 もういい加減本気で疲れたのだろう、ルミナスが珍しく軽口を叩いた。
 ナルバートン1号は口端にニヒルな笑みをのせると、
「ビジネスは素早さが命だろ」
 肩をすくめてくる。
「エレボスが──あぁ、御大の飼っている(カラス)さ──、おたくが魔剣を持ってるって言うんでね。何て言ったか、そうそう、コンキスタドール、征服の剣」
 フェンネルは腰の剣を小さく持ち上げて見せた。怒鳴ったのが効いたのか、今は頑とだまりこくっている。……お子様か。
「それをくれたら、全員ここから出してやるって」
「へぇ」
 どいつもこいつも他人の持ってる物を欲しがりやがって。……お子様か。
「出してやるって、王都に引き渡すって意味じゃないんですか、どうせ」
 “御大”という呼称やルミナスの態度から男がナルバートンに通じる者だとは分かっているだろうが、相手が誰だろうとスヴェルだって言うことは言う。
 フェンネルを盾にしながら、だが。
「御大はそんなせこい真似はしない。お望みの場所に出してやるさ。門番だって取り除いておいてやる。王都はあの人の言葉に背けない」
 男がサングラスのブリッジを押し上げ、続ける。
「鍵は消えた。世界は用済み。征服の剣のみ神との架け橋。イカれた詩人が隠した反逆」
「何だそれ」
「エレボスの独り言」
「鴉がしゃべるのかよ」
「しゃべるさ。数年前からしゃべるようになった。彼はおそらく世界が何かを知っている。法則の崩壊についても。けれど彼の意識はひどく混濁していて、あとひと押しで消えそうなんだ」
 しかし今は関係ない、と男が台詞を払う仕草をする。
「鍵。神。詩人。反逆。どれを取っても我々に理解はできない。けれど、ひとつだけ心当たりがあるだろう」
征服の剣(コンキスタドール)
「そう、それだ」
「それで?」
「……それで?」
「それで、このコンキスタドールを手に入れてどうするんだ?」
「さぁね。そこから先は御大がまた考えるさ」
「結局、ただ欲しいだけじゃねぇか」
「悪いか」
「悪かねぇが」
「御大の使い道が何にせよ、おたくらに与えられた選択肢はふたつしかない。同意か、拒否か」
 誰も、フェンネルが魔剣を手放さない理由を知らない。
 だが誰もがそれを彼の持ち物だと認めていたし、彼が手放すはずがないと思っていた。
 根拠はない。
 ある者はそれを剣士の矜持だと言い、ある者は魔剣は彼の彼である拠り所なのだと言い、ある者は庶流のバレリー家が政の円卓につくための道具なのだと言った。
「この剣がどんな剣か知ったうえで言ってるんだろうな」
「持ち主を殺す剣。だがおたくはまだ生きている」
「まだ」
「そうだ、“まだ”だ」
 剣か、出口か。
 それは選択ですらない。
「おたくより御大の方が有意義にソレを使えると思うんだが」
「“これならフェンネルさんも喜ぶね”って使い方をしてほしいもんだな」
 彼は斜めな眼光を笑みに変え、腰の魔剣に指をかけた。長年馴染んだ鞘はしっとりと手に納まる。
「フェンネル会長!」
 マグダレーナが鋭く咎めてくるが、
「俺は剣士かもしれないが、その前に素敵な常識人だ」
 目で制する。
「だいたい、剣にすがりつく剣士なんざロクなもんじゃねぇ」
 失うのが怖くないと言えば嘘になる。
 だがその恐怖に負けてもっと重要なものを失ってしまったら、愚か者甚だしい。
 彼は黒い鞘ごと男にずいっと突き出した。
「やるよ」
 しかし男が手を伸ばした瞬間にひょいと逸らす。
「でも出口が先」
 男の眉が上がり、フェンネルの口元は吊り上がる。
 そして、
「その魔剣は私がもらうことになっている」
 対峙する二人の間に影が降った。
「…………」
「…………」
 人だ。人が降ってきた。雨の如く、雷の如く。
 予想だにしない現象に、空気がぽかんと口を開ける。
「勝手に話をすすめないでもらいたい」
 影は、すっくと立っても小柄な身長。
 こちらに向けられた黒装束の背中には、彼女の背丈より長い刀。
「エイリン……ロッド……」
 フェンネルが彼女の名前を口にするより先に、ナルバートン1号が空を仰いだ。
「なんで貴女が出てくる」
「お前には関係ない。引っ込んでいろ」
 極限まで無駄を削ぎ落とした非情な台詞に、ナルバートン1号が鼻白む。
 フェンネルがざまぁみろと目で笑えば、肩上で切りそろえられた黒髪がキッと揺れて彼女がこちらを向いた。
 思わず一歩退きたくなる迫力。
「付いて来い。出してやる」
 それだけ残して彼女の姿がふっと遠退く。
 地を蹴る音さえ聞かせず、空間を渡る忍。
「行きますか?」
 スヴェルの囁きに、フェンネルは黙ってうなずいた。
 どうせ他にどうすることもできない。



「……振り出しに戻る」
 井戸の縁に手をかけ外を伺っていたスヴェルがげんなり言った。
「というと?」
 マグダレーナが彼を見上げる。
「ココ、僕らが逃げ込んだ井戸です」
「まぁ。本当に振り出しですわねぇ」
「テフラの地上に出たいって言ったのは僕らだから文句は言えませんけど……」
「風は吹いていますか?」
「いや、大丈夫みたいです。僕らを探してる人も、もういないみたいですよ」

 ──これ以上王都の監獄をうろつかれては困る
 出口付近で姿を消したエイリン=ロッドは、道案内した理由をそう言っていた。
 だがルミナスについては何も触れてこなかった。
 機密を守りたいのなら、この男を野放しにしてはいけないと思うのだが。
 井戸の小さな穴からテフラの空を見上げている天眼の魔導師を横目に、フェンネルは再び水晶を取り出しキサカを呼んだ。
<バレリー、どこにいます?>
「テフラのど真ん中」
<えええ!?>
「あの井戸だ」
<……あの、事情がよく飲み込めないんですが>
 そりゃそうだろう。井戸から逃げようとして地下都市で迷ってまた井戸に戻ってきたなんて、迷路でエサに辿り着けなくて結局スタート地点に返ってきたハムスターみたいだ。
「飲め込めなくても支障はない。今どこにいる」
<東門の内側です>
「了解。そこまで行く。大分静かになったみたいだな」
<逃がしてしまったと諦めたんでしょう>
「だといいがな。ではよろしく」
 エイリン=ロッドはシャロン=ストーンの命令で魔剣を狙っている。それは確かだ。
 彼女がナルバートンを牽制したということは、あの化け物魔導師は個人的な興味で魔剣を欲しがったということになる。
 やはりあの御大は根っからの自由人なのだ。誰の制止も聞かずどこまでもどこまでも好奇心が満たされるまで世界を掘り続ける。
 問題は、彼が掘り暴いた世界の隠し事を、どれだけ王都に提供しどれだけ己だけのものにするかだ。
 あるいは、真実どちらがどちらを飼っているのか。
「エイリン=ロッド」
 ふと、横でルミナスがつぶやいた。
 小さな井戸からテフラのくすんだ夜空を仰いだまま。
「その名前、聞いた事がある」
 フェンネルとキサカのやりとりを聞いていたのだろうスヴェルが井戸の外へ出て行き、小さな声でマグダレーナを呼んでいる。
「レーテルに在籍していたはずだ。俺と同じ学年だった」
「面識は?」
「見かけたことがある程度だ。向こうは俺をよく知っていただろうが」
 彼女は、シャロンが下したのであろうルミナスの暗殺命令を知っていただろうか。
 もし知っていたのなら、それを遂行する絶好の機会を見逃したことになる。
 実際、ナルバートンの前に現れた彼女の気配を事前に察知していた者はいなかったのだ。まさに殺り放題。
 無駄が嫌いな性分を貫き通して、問答無用に斬り捨てることができたはずだ。
 あの分不相応な長刀で。
「俺たちは、お互いを潰しあうために学んでたわけじゃあないだろ」
「今ここにないものを理想と言う」
「理想を掲げて裏切られるのが怖いか?」
「現実は甘くないと言ってるんだ。夢を見てると足をすくわれる」
「すくわれたら一回転して華麗に着地してやるよ」
 マグダレーナが登りきったのを確認してルミナスを促す。
 頑固な後輩に説教をするのは諦めたのだろう、彼は何も言い返してこなかった。

 バカげている。
 ひび割れ砂時計の下に落ち始めた大地の上で、敵を作って剣を振り回し、壊れかけた魔導をぶつけあうなんてことは。
 バカげている

「とりあえず、レーテルと王都、両方の鼻をへし折ってみるか」
 フェンネルは腕を鳴らしてルミナスに続いた。



 暴風が去った後のテフラは、普段よりひどい有様だった。
 空気は砂っぽく、路地にはバケツだのブリキの看板だのサンダルだの錆びたライフルだのが散らばっていて、隅には千切られた木々の枝葉が山積している。
 フェンネルの黒衣をはためかせる北風は冷たく、暗灰色の厚い雲は生き急いで南へと流れて行く。
 しかし雲間から見える月夜の空はその色を薄め始めているようで、暁の目覚めもそう遠くはないらしい。
「東の門にキサカがいる。静かに──」
「いたぞーーー!」
 言いかけた矢先、(みち)の後ろから酔いの回った大音響が聞こえてきた。
「いたぞーーー!!」
 酒樽にバンダナをかぶせたような男が小さなナイフをかざして地面を踏み鳴らしている。
「アンタが目立ちすぎるんだ!!」
 フェンネルはルミナスに向かって叫び、
「それ、今夜二回目ですわ」
 マグダレーナが逃走を開始する。
「逃げてばっかり……」
 スヴェルが続き、
「他人のせいにするな」
 ルミナスが二人を追う。
「──アンタいつか麻袋に詰めてやる」
 酔っぱらいのけたたましい暁鐘(ぎょうしょう)に、ぽつぽつと火が灯るテフラ。
 二年間従え、そして追われる、灰色の街。
 単純な欲望が溢れ、生き残りに(しのぎ)を削る、世界の中心に見放された街。
 そして近付いてくるリズミカルな(ひづめ)の音。
「バレリー!」
 速いピッチで地が叩かれ、男とフェンネルの間に突如としてその姿は現れた。
 舞い上がる土埃、えぐられ飛び散る土塊。
 怒涛の勢いで突っ込んでくる馬群。
「東へ抜けます!」
 (ハナ)をきる黒鹿毛の上には、薄い眼鏡をかけた怜悧な青年、キサカ。
 返事は二の次、フェンネルは続く青毛に飛び乗った。
 先を行くマグダレーナはキサカが拾い、スヴェルとルミナスを過ぎる。
「乗ったか!?」
 駆ったまま後ろを見やれば、スヴェルの緊張感のないピースサイン。
 無論、ルミナスは心配などするまでもない。
 窓を開け喚き散らす住人、馬の後を全速力で追いかけてくる無頼漢、通りには飛び起きたならず者たちが出てくるが、疾駆する馬は一陣の風となってすべてを置き去る。
 罵りの波も鈍い刃も切り裂き、閉ざされた東の門へと迫る。
「ルミナス!」
「ブリーズ!」
 声と呪札に導かれた蒼い閃光が街を照らし、人々の目を焼き、轟音を立て、護りの扉を木っ端微塵に撃破する。
 立ち上がる砂塵、降り注ぐ木片。
 その中を四つの影は駆け抜けた。

 石の街壁に護られた箱庭を逃れれば、広がる荒野。
 風を遮るものはなく、空を閉ざすものはない。
 夜明けはまだ、しかし夜は終わる。

「バレリー! どこへ!」
 キサカの声が旋風に散る。
「北東に向かえ! レーテルへ!」
 二年ぶりの母校。
 それは、魔導師たちの故郷。



To be continued.

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