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幻獣保護局 雪丸京介 第11話

「エインシャント・ドラゴン/古き竜」





英雄とは何者ぞ?
賢者とは何者ぞ?

望まれる行いと、望まれぬ行い。
そんなものは誰でも知っている。
善と悪、区別がつかぬなどと言うは、なんと往生際の悪いこと。



だが、問う。
善良なる者よ、それは素顔であるか?
また、問う。
悪業なる者よ、それは素顔であるか?

人は幾重にも重なる面を持ち、湧いては消え、迫っては消え、当の本人にさえその本性は分からない。

人は誰もがいくつもの仮面をもち、舞台役者の如くとっかえひっかえ仮面をまとう。
時を変え、場を変え、泣き、笑い、善き人、悪い人、次から次へと仮面をまとう。
世界に紛れようと、仲間と戯れようと、人々に認められようと。
人は、仮面をまとう。



だが、ある時ふと問うのだ。

──私は、どこへ行った?





◆  ◇  ◆  ◇





「アンタみたいなのがいるから俺たちの仕事が増えるんだ!」

だんっと大きく机を叩かれて、グラスの水が飛び散った。

「…………」

少年は口をへの字に曲げ、上目遣いに横を見上げる。そこには、柳眉をわずかに寄せて口を結んでいる線の細い男がひとり。
浴びせられる怒号もどこ吹く風。

「…………」

ふたりの態度がお気に召さなかったのか、目の前で喚き散らしている男がさらに音量を上げてきた。キレイに剃られた頭にしかしヒゲだけは立派な、村人そのいち。

「ここはなぁ、お役人様の世話になるような場所じゃぁねぇんだよ! 税金もちゃんと払ってる。何かお達しがあれば逆らわない。ここには竜退治の英雄殿もいるから治安もいい! 俺たちはしっかり村の警備をしているから、お尋ね者だって入れやしない」

「役人も入れないんですけどね」

「だからその証拠を見せろって言ってるだろうが! お前が役人だっていう証拠をみせろ!」

「見せました」

「こんな紙切れ、いくらだって偽造できるだろうがっ!」

「……そんなこと言われたって、ねぇ」


怒鳴られ続けている優男が、遠い目をしてつぶやいた。
あわせて少年も我知らずため息をつく。
そしてそのまま天を仰いだ。
しかし少年の目に映ったのは、陰気な染みだらけの木目天井。暗澹
(あんたん)たる気分になって目線を下げれば、頑強な男の見るも耐えない怒面。慌ててもっと下を見れば、これまた頑丈だけが取り得の粗末な薄汚い机。

──これじゃあ罪人扱いだ

少なくとも、もてなすべき客人だとは思われていないのは確かだった。
村に一歩足を踏み入れた瞬間ばたばたと大きな男たちが現れて、優男と少年、ふたりはここに連行されたのだ。村外れの、小さくて粗末な、しかしそこだけ高い壁に囲まれた建物に。
誰が見たって牢獄の一歩手前。
連れて行かれた部屋の入り口が、鉄格子ではなく簡素な木扉だっただけのことだ。


「じゃあ一体どうやったら僕が協会の使いだと信じてもらえるんです? 魔術使えば信じてくれます? なんなら村ごと消してみます? 手品ではないですからもとに戻せませんけど」

「…………雪丸」

いくらでも偽造できると大男がこちらへ突きつけているのは、名刺が一枚。指令書が一通だ。


『魔導協会 外遊部門 幻獣保護局 雪丸京介』

そう書かれた紙片。
そしてもう一枚。これは名刺よりもかなり大きかった。
つらつら書かれた内容を要約すれば、この村から通じる山道の中ほどにいる、竜を保護しろという協会からのお仕事命令。
ちゃんと上司のサインも押印もある。
だが、当の村人は信じない。目の前にいるぼけーっとした子連れ男が協会の役人だと信じろという方が酷だろうか。

「……雪丸、村を消すってアンタが言うと洒落になんないぜ」

「他に方法ないでしょ」

「あのなぁ」

少年は優男を軽く睨みつけた。

「アンタって気にかかるとむやみに骨折って尽力するくせに、時々何もしないで究極の結論出すのな」

はねた黒髪に、細い体躯。いつもなら柔和な笑みがのっている顔は──しかし少しだけ不機嫌の色。それでも、その男からは役人なる冷ややかな風が吹いてはこない。お役所特有である、ガラス越しの雰囲気もない。

雪丸京介。

“優男”を絵に描いて無責任に世界へ放り出したような、その男。
今は犯人よろしく黒っぽい薄手のコートに身をつつみ、つまらなそうに足を組んでいる。

「だってさぁ、シムルグ」

穏かな黒曜の視線が少年──シムルグをちらりと一瞥。
それはそのまま移動して、さんざん悪態をつきながら部屋を出て行く村人の背を見送る。

「きっと彼らはこれから協会に問い合わせるだろうね? そうしたらおそらく──知らない間に免職になってなけりゃ──僕の身元は証明されるだろうさ」

綺麗な双眸をしていて、鼻梁もすっきり通っているその顔は、ともすれば人間味を失う造りをしている。だが何がそうさせるのかは知らないが、この男にはお得な愛嬌があった。
彼が立った場所には、たんぽぽの花のような余韻が残るのだ。

「証明されりゃそれでいいじゃないか」

「問い合わされること事態が問題なんだよ。一体村で何をしでかしたのかって、後で僕は絶対にネチネチ怒られるんだ」

「……いつもの行いのせいだよな」

「そうなる前に村を消しちゃえば問題ないと思うわけだよ」

「大問題」

実際、言いながらも何も動きを見せない彼なのだから、本当にやる気はないのだろう。
この優男。ほにゃららした外見に騙されてはいけないのだ。
指を一回鳴らしたそれだけで、どれほどのことができるのか……おそらく彼の主である協会でさえ計れていないに違いない。
昔、ひと街全ての人間を葬ってしまった経歴もあるくらいだから、こんな村は朝飯前で消せるだろう。国をひとつ、あるいは世界ひとつ消してしまうこともまた──。

つまり、それほどの魔術師なのだ、人はみかけによらない。
蚊も殺さぬ顔をして、かすかにのぞく氷片。

「まぁ、そのうち本物の役人だって分かるでしょ。でもそれまで僕がここでじっと空腹に耐えていなきゃならない道理はないね?」

どうやらお腹がすいていたせいでご機嫌斜めだったようだ。
シムルグは目立つ赤毛をくしゃくしゃとかきまわした。

「向こうはこっちを知らないんだから、こうなってるのは仕方なくって……ここにいなきゃならない道理はあると思う」

少年が苦々しくそう結論付けた時、すでに雪丸京介の姿は横にない。
軽く目を見開いてシムルグが振り返れば、彼はいつの間にか扉の前に立っており、いつもの如く飾り気のない笑みが口の端にのっている。

「だけど結果僕たちは何も嘘を言っていない。終わりよければ全てよしのパターンさ」

言った男は、それこそ満面の笑みで小首を傾げてきた。
こういうことをしているから、何でもないことで怒られるんだ──少年は出かかった言葉を喉元で飲み込んだ。

──シムルグ。

それは伝説に君臨する鳥の王。
輝ける炎の翼ではばたき、長き年月の知識を有する者。そして今は、しがない薄給役人に連れられた少年という、仮の姿。

「……好きにしろよ」

彼は大きく嘆息。
知者ゆえに分かっているのだ。
屈託なく穏かに笑っている雪丸京介。そいつには何を言っても無駄なのだ、と。
早く早くと悪ガキのように手招いているその魔術師には、やらせておくしかないのだ、と。

「なんでこんな奴に付いて来たかなぁ……」

シムルグは椅子から降りながら、もう一度大きく息をついた。





◆  ◇  ◆  ◇




「うーむ」

シムルグはメニューを凝視して子どもながらの唸り声をあげた。
若鶏のクリームドリアもおいしそうだが、定番のハンバーグセットも捨て難い。デザートを頼むことも許されたが、これまたチョコパフェにするかフルーツパフェにするか、それともティラミスにするか迷うところである。

「僕はオムライスとクリームソーダね」

メニューも見ないで断言してくるのは、言わずと知れた雪丸。

「じゃあオレはオムライスとチョコパフェ」

「オムライスがふたつ、クリームソーダひとつ、チョコパフェひとつ、これでいいですか?」

「いいよ」

雪丸がウェイトレスに向って微笑む。
たぶんこの食堂を切り盛りしている家の娘さんなのだろう。シムルグと同じくらいの外見をした少女だった。
ぱたぱたと足音も軽く去ってゆく彼女を見送り、雪丸が視線を戻す。

「ここがどういうトコロか知ってる? シムルグ」

村の広路にあった一軒の小洒落た食堂。表が色とりどりの花で囲まれたそこの、窓際特等席。
テーブルの隅に一輪挿されたマーガレット。その白い花越しに雪丸の目は外を眺め、しかし問いは少年へ。

「知ってるぜ。竜の村、だろう。ここの裏にある岩山には、色々な竜が住んでいる。その中の気性の荒いやつが時々村に悪さをする。それでいつも村は滅びと復興を繰り返してきた」

「土地を捨ててしまえば楽なのにね」

雪丸はミもフタもないことを言ってきたが、事実それは正論なのだから仕方ない。
グラスを小さくまわして氷の音を響かせながら、彼は言う。

「それでも故郷は捨てられない。故郷ってのはつまり、帰る場所ってことでしょ。そういう人間っぽさっていいよね」

「アンタにも故郷ってあるのか?」

「ないよ」

軽い応答。

「…………」

少年には──鳥の王シムルグでさえ──、それが重大なことなのか否か、分からなかった。
しかし雪丸は詰まったシムルグを気にした風もなく、話を元に戻してくる。

「でもさ、この村は数年前から滅びを知らないんだ。昔はやれ竜に家を燃やされただの人をさらわれただの山道でとって喰われただの宝石盗まれただの、極めつけにはリンゴ三個盗まれたとか、何から何まで竜の烙印で協会に被害届が出されていたものだったけど。……パタリとなくなった」

「ドラゴンスレイヤー。竜殺しのフリート、だろ。それくらい知ってるって」

「なんだァ」

何故か失意の声をあげる雪丸。

「フリート様は有名人だもの」

そこに、下からの可愛らしい声音が重なった。

「この村でフリート様を知らない人はいないし。……とーーーっても強いの」

少女は自慢げなそぶりでオムライスをテーブルにのせてきた。
背丈が足りないので危なっかしいが……それもまた良し。
彼女はひらひらしたキルトのエプロンドレスを揺らして、シムルグを見上げてくる。

「ねぇ、やっぱり村の外でもフリート様は有名なのね?」

「彼はこの村に来る前から、竜退治で名を売っていた人なんだよ」

言葉を継いだのは雪丸だった。
少女のくりくりした目が移動する。

「彼は色々なところで、悪さをする竜を退治してきたんだ。しかし特にここの山は竜の巣だから──彼はずっとここに腰を落ち着けようと思ったのかもしれないね。みんなを守るために」

「すごーーい」

「良かったね。ここにいてもらえて」

「うん! このごろはね、他の村へ行って食べ物をもらってきてくれるのよ」

「食べ物を?」

「決闘をしに行って、その勝利の証拠にもらってくるの」

「……そう」

──……それは大人語に直すと強奪って言うんじゃ……

シムルグは、笑ったまま黙っている雪丸を斜めに盗み見る。
なんとなく、分かるようになっていた。
常人なら気付かない差異。それが、分かる。

「今日はフリート様に会いにきたの?」

「いいや、フリート様は人間だから僕の管轄じゃないからね。……僕は竜の巣を調べに来たんだよ」

どこがどう違うというわけじゃない。
だが、違う。

「危ないよ?」

「大丈夫。こう見えてもお兄さんちょっと強いから」

「ちょっとじゃ駄目だよ。すごく強くなきゃ」

「すごく強い」

「うっそぉ」

華やかな笑み。
誰もを呆れさせ、そして力を抜かせる、綺麗な微笑。
鮮烈な太陽のような色をした、のどかな日なたの色をした、微笑み。
昔は区別がつかなかった。
どんな時もそれは均一な笑みだと思っていた。
どんな時でも笑っている、そういう性格の男なのだと思っていた。

「僕はフリート様みたいに竜を退治しに行くわけじゃないから、大丈夫」

「ほんとね?」

「うん、ほんと」

「良かった。じゃあ後でデザートも持ってくるから!」

「ありがとう」

手を振って、雪丸京介は颯爽とオムライスに向き直る。

「いただきます」

ひと口食べて破顔。
彼はスプーンを咥えたまま、涙を流すんじゃないかと思うくらいに感動している。

「シムルグ、早く食べなさいよ。すんごくおいしいから」

雪丸がスプーンを動かすたび、デミグラスソースの匂いが少年の鼻腔をくすぐった。

──食べたい。

だが、その前に聞かねばならないことがあった。

「雪丸。竜かフリートになんかあるな?」

「ある」

またもや即答。
雪丸は、微妙な笑みで軽く片眉をあげてきた。
しかし何も問うてはこない。
代わりにごく静かな落とした声で、言う。

「フリートは、今までの人生でただ一匹の竜も殺していない」

「…………」

少年はさらに待った。
まだ、ある。

「フリートがこの村に来たその時以来、あの山から竜の巣は消えた。今あそこには、年老いた一匹だけが住んでいる」

「だってフリートはこの村に来て何度も竜を退治したって……」

「狂言さ」

「…………」

「フリートの経歴はみな、彼と──古き竜……エインシャント・ドラゴンが演じた芝居なんだよ」

「英雄と竜の芝居……、そんなのありか?」

「ありだよ」


雪丸京介。
その男の笑顔はひとつでない。
本当に楽しくてバカバカしくて笑っている時だってもちろんある。
たぶん、地で笑っていることの方が多い。

しかし。
シムルグの見立てによればこのアホバカ役人──真実を隠すときにも笑顔を使うのだ。









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