幻獣保護局 雪丸京介 第12話 後編

Dr.カラドリウス





その屋敷では、17になるのだという子息の誕生パーティが行なわれていた。
所狭しと並べられた皿には夢見るほどの料理が山盛りにされ、シャーベットやケーキ、フルーツなど、デザートもあり余るほど贅沢に出されている。
美しい衣装に身を包んでワインのグラスを片手に、次から次へと語り合う招待されし貴族人。
飾り立てられた広間はシャンデリアの光に彩られ、空気は陽気に浮き足立つ。

主役の若者は国王のように煌びやかな服を着せられ、挨拶にまわるたび、祝いの品をもらっていた。金髪に少々くすんだ碧眼のいかにも金持ちの坊や。

「おめでとう、もう17歳だなんて信じられないわ」

「ありがとうございます、小母
(おば)様。やっぱり紅のドレスがお似合いになりますね」

「まぁ、いつの間にそんなお世辞を言えるようになったのかしら。……けれど、もう宮廷の方にお仕えするクチを見つけたんですって? やはりすごいわねぇ」

「いいえ、僕がすごいのではなく父に感謝しなくてはいけないんです。役人を管理する、まぁ……閑職のようなものですけれど」

「それにしたって素晴らしいじゃない?」

小母様と呼ばれた女性が口元に手をあてて小さく笑い声を立てた。

「父が、ですよ」

彼が大仰に手を広げてみせた時だった。
その手が横を通り過ぎようとした少年をかすめ──、

「無礼な! 何をするんだ!」

若者の怒鳴り声が会場を揺るがした。

「あぁ、ごめんなさい」

怒鳴られた少年はあっけらかんと頭を下げる。
若者の腕を避けようとしてバランスを崩し、持っていたパンプキンスープを逆にかけてしまったのだ。

「ごめんなさい!? この日のために仕立てた服だぞ! どうしてくれるんだよ! 謝って済むと思っているんじゃないだろうな! 親は誰だ!」

「親ではないですけど、保護者です」

背後からの即答。
振り向けばそこに、ひとりの飄々
(ひょうひょう)した男が立っていた。
身なりこそ豪奢で美しいが、どこか道化めいた顔つきの笑み。
そして何を考えているんだか、肩に真っ白な鳥を乗せている。

「……あんたどこの誰だ」

「僕はこういう者です」

差し出された名刺。
それに視線を落とすや否や、若者はさらに声を張り上げた。

「ふざけるのもいい加減にしろよな! 僕をからかってんのか!? そんなことしてどうなるか分かってるんだろうなお前!」

『魔導協会 外遊部門 幻獣保護局 雪丸京介

                   おまけ一号 シムルグ 』

「ふざけてませんよ」

黒髪黒眼の麗人は、受け取ってもらえなかった名刺をひらひら振り、鼻で笑っていた。

「ふざけてませんとも。ねぇ、シムルグ」

彼が小首を傾げて件
(くだん)の少年を見やると、

「俺たちはいつだって真剣だ」

赤毛のシムルグは胸を張る。

「ほらね、ふざけてなんていません」

「……お前たち何様のつもりだ。父上に願って監獄送りだな。性根を叩き直してやるよ!」

若者が陰惨な目つきで言い捨てた。
全てを自分以下に見る、おめでたい目つき。
だが優男はひるんだ様子もなく、『監獄』という言葉に恐怖した風もなく、にっこり肩をすくめた。

「その言葉、そっくりそのままお返ししましょうか?」

「俺たちは父上に頼まないけどな」

若者は茶化した少年をにらみつけ──

「僕が何をしたって言うんだ、えぇ?」

優雅な余裕で見下ろしている貴人の襟首を掴む。
対する男はあくまでも静かな声音、微笑む双眸。

「貴方今日、子どもをひとり、死なせたでしょう」

「……知らないな」

「貴方の乗った馬車に跳ねられそうになった子どもを、殴りつけませんでした? 執拗に」

「そんなことは今日に限らずいつものことさ。──そうか、死んだか、そりゃ知らなかった」

感慨もなく吐き捨てる若者だが、まわりで様子を伺う貴族たちも彼と似たような顔をしていた。


──そんなことどうだっていいだろうに……、と。


「死ぬとは思わなかったけどなぁ、いいんじゃないか? 数が減ればこの街ももっと美しくなるだろう? 物乞いや捨て子のいない綺麗な街に」

「そうかもしれませんねぇ」

男が薄い笑みを浮かべ、襟を掴む若者の手首を掴み返した。

「何するん……──っ!?」

罵声を浴びせようと声を張り上げ、しかしそれは途中で音のない喘ぎに変わる。
男が空いている方の手を空で一閃した瞬間、長テーブルに並べられていた何本ものワインが、盛大な音をたてて端から順に砕け散ったのだ。

『…………』

不自然に張り詰めた静寂の中、葡萄酒の香りが部屋を満たし、テーブルクロスからポタポタと美しい雫が伝い落ちた。
何人かの婦人が気を失い、ほとんどの出席者が戦慄に口を開ける。
手首を掴まれたままの若者もまた同じく。

「……お、お前……」

「お前は一体誰なんだ、ですか? だから始めに名刺を差し上げたのに。僕は魔導協会から派遣されてきました、魔術師の雪丸京介と申します」

偽貴族がにっこり笑った。

「ところで──、人間を氷付けにしたらどうなるんでしょうね? 想像してみたことあります? どれくらい生きてるもんなんでしょうね? もしかしたらそのまま生きていて、何百年もたってから溶かしても生きていたりして」

「俺には想像できないな」

少年が、ワインを逃れたフライドポテトを右手で頬張りながら無責任に言い放つ。
斜めな視線で若者を見上げ、

「アンタも想像できないだろ。子どもをどれだけ殴ったら死ぬか死なないか欠片も想像できないんだもんな、人間を氷付けにしたらどうなるかなんて、分からないよな」

「やってみようか、シムルグ」

「面白そうだな」

「待ってくれよ! ンなもん想像できるだろうが! 死ぬに決まってんだろ!? お前らこの僕を殺すつもりか!? 父上が黙ってないぞ」

「……アンタってもしかして究極のバカ?」

少年が、フライドチキンを左手で頬張りながら首を傾げた。

「アンタの親父さんも氷付けにしちまえば万事解決だろうが。やっぱり想像力ないのなー」

「…………」

若者は、金魚みたいに口をパクパクさせ、腰を抜かした。
そこに世にも上品な声音が降る。

「貴方たちにはお金がある。綺麗な衣装がたくさんあって、食べるにも困らない。住む家だってこんなに大きくて、家族もいる。けれどねぇ、貴方たちには想像力がない」

優男がぞんざいに手を離した。
魂が抜けたようになっている若者は、そのままどさりと絨毯
(じゅうたん)に座り込む。

「浮浪の子ども達を道楽で虐げ
(しいたげ)、貧者を蹴散らし、物乞いを打ち捨てる。それが貴方たちの生活なんでしょうから、止めろとは言いませんよ。僕は貴方たちのお父さんでもお母さんでもありませんし。でも死なせるのは関心しません」

「死ぬなんて思ってなかったんだって……」

「だから考えなさいと言っているんだよ」

蚊の鳴くような若者のつぶやきを、魔術師が一蹴した。
口調は荒くない。だが、空気が氷槍で貫かれた。

「だから想像しなさいと言っているでしょう。何回も殴って、何回も蹴って。そうしたらどうなるか想像しなさいよ。死んでしまったらもう戻らない、取り返しなどつかない、許されない。その重みを想像しなさい」


魔導協会 外遊部門 幻獣保護局 雪丸京介。
ここにいる貴族たちは知らないが、ただひとりお供の少年シムルグだけは知っている。
魔導協会の肩書きは伊達じゃない。魔術師の名も伊達じゃない。
彼は、あの協会が危険視する程の力を持ったお役人。いつでも薄給を嘆く、仕事人。


「貴方たちは、彼らがいなくなったって何も変わりゃしないと思っているでしょう。それどころかその方が街が美しくなると思ってる」

その問いに答える者はいない。皆恐ろしくて、ただその男の微笑みを見つめているだけだった。

「貴方たちは何でもかんでもDr.カラドリウスが治してくれるから、“死”の感覚を失っている。死への想像力を失っている。少し、性根を叩き直した方がよろしいね」

見かけは同じ貴人。物腰は聖母を凌ぐ天使。だが紡がれる言葉の裏には悪魔。

「神は人が生きている間、ただ見下ろしているだけだが──、魔導協会は全てを見、そして鉄槌
(てっつい)を下す。覚えておいた方がいいかもしれませんよ」

意味深げに言い置いて、男が少年を振り返る。

「シムルグ、行こうか」

「おうよ。いやー、食べた食べた」

少年がオレンジジュースを飲み干したのを見て、優男が疲れた顔をした。

「……お前さん、いい気なもんだねぇ。僕はきちんと仕事してるっていうのに」

「アンタの仕事であって俺の仕事ではありません」

「あー言えばこー言うし……ったくもう。親の顔が見てみたいよ」

恐怖だけを置き土産に、二人と一羽はその場から去っていく。
何事もなかったかのように。
ただの客人であったかのように。

「親の顔が見たいならさ、鏡見れば?」

「僕はお前さんの保護者であって、お父さんではありません」

「子どもが影響されるのは一番身近な大人だって言うだろ?」

「あのねぇ」

「だからこの街の貴族は隅から隅までイカレてるんじゃないか」

「……ごもっとも」







◆  ◇  ◆  ◇  ◆





雨の上がった華の都。
砂や埃は洗い流され、濡れた石畳に陽光が反射してキラキラと輝く。
路肩に植えられた木々の葉からは雫が滴り、水溜りには青空が映る。

止まっていた時が動き出したかのようにざわめき出す大通り。
露天商が店を並べ始め、ぽつぽつとドレスが華を咲かせに現れる。

そんな中を、世にも奇妙な一団が通り抜けて行った。

黒の衣装をまとった若い貴人を先頭に、赤毛の少年がその後ろ。そして続くのは孤児院にも入れず浮浪していた子ども達、身体が弱く日雇い労働さえできなかった物乞い達、そして誰もやりたがらぬ重労働をさせられていた貧民達。ボロ布で身を包んだ、集団。

「“死の国”という場所があってね。そこでは、貧しくて充分に治療を受けられないたくさんの者達が病と闘っているんだよ。魔導協会にも限界があるから、彼ら全員に最良の治療を提供することができない。……だから、今まで治るはずの病気でたくさんの命が失われた」

道化かそれとも貴族の若息子か、彼は肩にのせた白い鳥に話し掛ける。

「Dr.カラドリウス。君の条件どおりエミールを死なせた輩には説教した。この街の虐げられし人々も一緒に連れて行く。だからそこのみんなを救ってやっておくれよ?」

<喜んで>

「良かった」



ぞろぞろと長い行列は、寺院を通り過ぎ運河を渡り都の門をくぐり、風に吹かれる緑の草原へと出て行った。

彼らが消えた後、あっけに取られていた人々はしかし再び忙しなく動き始める。
馬車を走らせ、衣装を選び、客を引く。
驚きはしたものの天地がひっくり返るようなことではないし、困ることでもない。自らの子どもがさらわれたわけでもない。

日々は何事もなく流れてゆくのだ。
城壁を誰が直すのか、考える者はいない。新たに捨てられた赤子の面倒を誰がみるのか、思いをめぐらす者もいない。煙突掃除を誰がやってくれるのか、疑問に思う者もいない。

華の都は今日も、鮮やかなドレスに溢れ、金を奔放にばらまく紳士が闊歩する。
そこに存在している全ての者には歯車としての役目が与えられていることを、彼らは知らない。
歯車が欠けた時どうなるか、彼らは想像することもない。

──まさにその時が眼前に迫るまで、ずっと。







「Dr.カラドリウス」

雪丸が、遥か遠く前を見たままその名を呼んだ。

「想像して御覧なさいよ、君がこれからすることを」

彼は傍らを歩く少年の赤い髪を撫で、深く息をつく。そしてゆっくりと視線を滑らせ、肩にとまっている白い鳥を微笑みやった。

「もう、悲しい顔はしないね?」

<──はい>







THE END

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“死の国”については第十話参照のこと。
BGM by 久保田早紀 「異邦人」 中島みゆき 「銀の龍の背に乗って」
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