幻獣保護局 雪丸京介 第13話

退魔師





(まも)りたいものはあるか?
全てを賭して護りたいものは。

例えそれが罪科(つみとが)となろうが、護りたいものはあるか?
その身を堕としてさえも守りたいものは。

人はそれを、愚かな激情と呼ぶやも知れぬ。
情に溺れた浅はかな人間よと、あるいは応変に信念を曲げることもできぬ世渡り下手な人間よと、見えぬ心の底で笑うやも知れぬ。

それでも護ろうと思うか?

その激情で己が身に天の裁きが下るとも。





◆  ◇  ◆  ◇  ◆






人の往来によって踏み固められただけの荒れた広路。
しかし立ち居並ぶ家や店は間口の広い立派な木造で、道行く人々も小粋な着物姿。そこは今まで歩いてきた国々とは全く違った情緒を感じさせていて、妙に落ち着くような、──それでいてどこか妖しくざわめく、古都。

「壮観だねぇ」

街を見下ろすことのできる、宿の二階。
借りた一室の欄干(らんかん)に身体を預けて座り、薄暮の外を眺めながら男が言った。

白紫地に淡い紋が入った着物と、深い藤色の(はかま)。白い羽織を軽く膝にかけ、右手には清流の描かれた扇子、そして左手にはみたらし団子。

「見て見なさいよ、シムルグ。これを風流と言わずして何と言おう」

風に流されている黒髪に、穏かな物言い。
魔導協会、外遊部門、幻獣保護局──雪丸京介。

いつものスプリングコートをどこかに押しやり、完全に景色と同化しているその男は、密かに世界を牛耳っている【魔導協会】というお役所の役人である。
広い広い世界に点在する様々な国、地をめぐり、消滅や迫害、乱獲の危機に瀕している幻獣を保護するのが彼の仕事。
しかし本来ならばこの男の実力、キャリア双方からしてこんな辺境にいるべき者ではなく。
協会本部の中枢でお偉い官僚さんたちに混じって世界を動かす──それだけの功績と魔術の腕前はあるはずだった。
もともとの素質として他人を部下として扱う性分でないのは明白だし、彼ほどの魔術師を協会建物の中に飾っておくのもある意味無駄な話ではある。力というのは、使ってナンボなのだから。
けれど少なくとも彼は、“保護局”のような分家にいるような魔術師ではないのだ。

細かいことで散々上と衝突したあげく左遷されたという話は協会の誰もが知るところだけれど、本当にそれだけが原因なのかは定かでない。
存在感があるような無いような、この男の微笑の裏にはまだ何かある──

──と、シムルグは思っていた。


が、ともかく今は目先の利益だ。
赤毛の髪に白の着物、深草色の袴をつけてこれまた完全に溶け込んでいる少年シムルグは、畳の上であぐらをかき雪丸京介を睨みつけた。

「雪丸、アンタその団子何本目だよ」

「三」

「何本買った」

「四」

「二人で分けたら何本づつだよ」

「三と一」

「何でそうなる!?」

「だって、ねぇ。考えてご覧よ」

涼やかな顔をした優男は、ぱたぱた扇子で仰いでこちらに視線を戻してきた。

「身体の大きさが違うじゃない。やっぱりね、なんでも二で割ればいいってもんじゃないと思うわけだよ。頭使って分相応に配分しなきゃ。シムルグがお腹痛くなったら困るでしょ」

そう無責任に言いながらケラケラ笑っている男。
沈みかけた夕陽に照らされて、膝元に投げ出された白羽織が橙色に染まっていた。

「分かった」

シムルグが答えると、雪丸は一瞬キョトンとした顔になり、すぐまた笑みに戻る。
少年はそれを見逃さなかった。

「事故じゃないわけだな? そこまで考えてくださって三本食べたわけだな、アンタは」

「…………、うん」

「何だその間は!」

……絶対にこの男は何も考えずに三本食べた。

「雪丸。食べ物の恨みはコワイって言葉知ってるな!?」

シムルグはだんっと畳を叩いてズカズカ詰め寄る。
だが当のご本人は右から左に聞き流したようで、視線は再び暮れる都に戻されていた。

「調度いい。見てご覧よ、シムルグ。これからが仕事だよ」

「アンタの仕事であって俺の仕事じゃないんだけどな」

「──逢魔が時」

人の話を全く聞かずに、楽しげな雪丸。

「大きな(わざわい)の時と書いて大禍時(おうまがとき)とも言うんだけどね。ココから先は彼らの時間だ」

「彼ら?」

見当はついていたが、シムルグはとりあえず訊き返す。
雪丸の底のない黒い瞳がゆっくりとこちらを向いた。
彼は手にしていた扇子を口元へ持ってくると、ぱちんと閉じる。

「人の心が生み出した、(あや)しの魔物たち」

彼そのものが妖しの魔物ではないかと疑いたくなる、幽幻めいた微笑。

「今回の仕事は可愛らしい妖怪相手なんだけど……」

「誰?」

「座敷童子。知ってる?」

「鳥の王の知識をナメるなよ。古い屋敷に住みつく子供の妖怪だろう? そいつがいる間は家が栄える。もしいなくなってしまえば落ちぶれる」

シムルグ。
それはただの少年ではなく、30羽の鳥が集まって生まれたという伝説の大鳥。
鳥の中の王。
鳳凰や不死鳥と同じ、“霊鳥”に列記される大した輩なのだ。
鳥の姿になれば燃える炎をまとった朱色の羽。ゆえに人間の姿になれば髪は赤。

「さすがだね。ご名答」

妙な縁でこの魔術師に拾われたのだが、何度も離れる機会はあったわけで──不平を言いつつ未だくっついているのだから、彼も結構な物好きなのかもしれない。
それとも、心配なのかもしれない。
いつの間にか世界から消えていそうなこの男の行く末が。

「だけどね」

橙色の空を横切り、ねぐらへと帰っていくカラスの黒い影。
雪丸が目を細くしてそれを眺めやりながら、つぶやいた。

「そう簡単に行きそうもないんだよね」

晩夏の風が通りを駆け抜ける。
どこかで風鈴の音がした。

「僕はまた、人の想いを踏みつけなきゃならない」






◆  ◇  ◆  ◇  ◆






「デッケー屋敷」

「ねぇ。座敷童子がいるとこんな効果絶大なんだよねぇ。僕もほしいところだけど」

「アンタ家あったっけ」

「失敬な。魔導協会の近くに大きな家を借りてあるんだよ」

「ほとんど帰らないだろ」

「ま、ね」

ふたりが見上げた先にあったのは、立派としか言いようの無い屋敷だった。
夕暮れの刻限も過ぎ去り濃紺の闇が都を包み終わった今、門は閉まっていて中を(うかが)い知ることはできない。
けれど、敷地を囲む塀の長さからも、その上から見えている木々からも、土地は相当に広く庭も大きいことが分かる。その重々しく手の込んだ門構えを見れば中の建物も推測できよう。

「ここはこの都でも指折りの資産家になったらしいよ」

「資産家になった? 代々の名家とかじゃなくて?」

「数年のうちに、だそうでね。始めはそんなに大したことのない一官吏だったらしいんだけど、政敵が亡くなったり儲け話がトントン拍子に進んだり、だからこそ異例の抜擢で上級官吏に取り立てられたり、強いツキが留まり続けてるんだってさ」

「……ははぁ。その原因が座敷童子か」

「そういうこと」

雪丸が腕を組んで屋敷を見上げた。

「座敷童子は幸運を呼び寄せて家運を左右する。そこまでは別に構わないんだけどね」

「保護局の雪丸さんが出てきた理由は?」

シムルグは茶化して首を傾げた。
だが、それにはふたとおりの意味がある。
まずはひとつ。座敷童子が家を盛りたてるのは当たり前。なのに何故魔導協会が手を出してくるのか。何か不正が働いているのか。

そしてもうひとつ。──何故、雪丸京介なのか。
座敷童子という妖怪は恨みを抱いたり、人を喰うような妖怪ではない。いたって善良な子供である。なのに何故、そこへの介入として雪丸京介なのか。
魔導協会でさえ迂闊(うかつ)に叩けないほどの魔術師、何故彼が担当なのか。

「座敷童子がね、無理矢理この屋敷に閉じ込められているっていうのさ」

空には雲がかかっているのか、月明かりも星明かりもない。
門に掲げられた行灯(あんどん)が照らすその向こうには、得体の知れない闇がただぼんやりと広がっているだけ。今にも奥から白い手が伸びてきて手招きをしそうな、闇。

わずかに寒気を感じたシムルグを知ってか知らずか、雪丸はおっとりした調子で続けてきた。

「俗に言う、“結界”ってやつだね」

「結界張って座敷童子を閉じ込める? ……強欲だなぁ」

「いや──」

漏らしたシムルグのため息を、雪丸が優しく制する。
肩にかけられているだけの白羽織が夜風にゆらめいた。
屋敷の庭に咲いている花なのだろうか、どこからともなく強い甘い芳香が漂ってくる。

「どうやら家人は知らないことみたいだよ。協会の報告書によれば」

「じゃあ別の誰か、か……?」

「そう」

雪丸の返答は短かった。
そのまま彼は考えるように黙り込む。
日中の暑さはどこへやら、夏草を渡りざわめかせるのは秋めく夜気。
その夜をわずかに明るく彩る虫の声。

「……そう、別の誰かなんだよ」

足袋に包まれ草履をはいた雪丸の足がくるりと横を向いた。
藤色袴の影が地面を滑る。

「どこへ行くんだよ」

「みたらし団子を買いに行った時にね、これと同じ香りがしてた屋敷があったんだ」

「場所を覚えてきたってわけか? いつもボケ−と歩いてる雪丸にしちゃ出来すぎだな」

「あのねぇ」

聞こえてくる声は相変らず綿毛よりも軽いが、見上げた優男の顔つきはやや堅い。
装束が装束だけにいつもより引き締まって──頼もしく見えないこともない。
だが、

「なぁ雪丸、アンタ刀なんて使えるのか?」

男が腰に帯びている刀の黒い鞘に視線をやり、シムルグは訊く。
雪丸は道を急ぎ前を向いたまま応えてきた。

「人を斬るのに使うつもりはないんだけどね。……あぁ、でも術を媒介するには調度いいかもしれない。やっぱり素手より錫杖っぽいものがあった方がいいんだ」

「……使うつもりもなしに買ったのかよ」

「経費だから」

飄々とした科白(セリフ)に、シムルグは思わず前につんのめる。

「それが理由かよ」

「だって、この衣装で刀なしじゃ格好つかないでしょうが」

雪丸が自覚しているとおり、確かに刀なしの彼ではどこかの二代目放蕩バカ……もとい若旦那くらいにしか見えない。

「…………」

しかしシムルグは、雪丸の言葉を反芻(はんすう)してはたと彼の背中を凝視した。
闇夜に浮かぶ白い羽織の背中。


──でも術を媒介するには調度いいかもしれない。やっぱり素手より錫杖っぽいものがあった方がいいんだ。


いつも物事の真相を最後まで隠しておく雪丸京介の性格を考えれば、これは失言だ。

「……雪丸」

シムルグは小さくその名を口の中でつぶやいた。彼が気付いて振り返ることはない。
協会も恐れる魔術師は、パタパタと呑気な足音を立てて歩いて行く。

「一戦やらかす気だな」

少年は言って胸中で付け加える。

──それも全力で。

「言ったでしょう。あの家は急に成長したって。そりゃ座敷童子がいるから普通の幸運は必然集まってくる。だけどそれだけじゃあない」

シムルグの心内を読んでいたかのように、前方から雪丸の静かな声がやってきた。

「政敵は急に病死、あるいは物の怪に憑かれてとり殺される。恐れた他の貴族があの家に呪いをかけるよう術師に頼んでも、ことごとく皆返される。──まるで、あの家に強力なお抱え陰陽師でもいるみたいにね。幸運がやってくるだけならまだしも、不幸が周りに積み重なり過ぎてるのさ」

「家の人間が知らないところで、誰かがあの家に座敷童子を閉じ込めたり、周りの敵を呪い殺したり、周りの人間からの呪いを跳ね返したりしてる……ってことか?」

「家の人間がやらせているわけじゃない。他の誰かがその意志でやっている。──分かるかい、シムルグ。僕はあの家の結界から怨念めいた信念を感じたんだ。“何があろうとあの家を守る、あの家の者を幸福にし続ける”ってね。……あれはすでに狂気かもしれない」

雪丸が立ち止まり、月のない暗闇の空を見上げた。

「その想いのためだけに何人もの人が病に伏して、失脚して、殺されて、色々な場所に幸福を運ぶべき座敷童子は閉じ込められている」

彼がふと言葉を切った。
目を細くしてどこか遠くを見やり、再び口を開く。

「その想いがどうであれ、僕はあの結界を破らなきゃならない。座敷童子が悪霊に変わってしまう前に、あの結界を破らなきゃならない」

「座敷童子が悪霊に……。それで協会が動いたわけか」

シムルグがうなずくと、雪丸が小さく口端を噛んでつぶやいた。

「僕は、彼らを護らなきゃならない。──人の想いを砕いても、ね」

彼が一呼吸置いてこちらに向けたその顔には、いつもと同じ柔らかな微笑。

「狂気に正気で対抗するのは大変なんだよ。まさに、力尽ってわけ」










「……雪丸、アンタ本当にみたらし団子買う時にここ通ったのかよ」

赤毛の少年が白い眼差しで問いただすと、優男は頭をかきながら、

「ごめん、本当は都中を歩いて道草喰ってた」

ちっともごめんと思っていない調子で笑った。

その屋敷は、団子屋などどこにもない都の外れにあったのだ。
質素ではあるが、きちんとしたたたずまい。そして中からは先ほどの豪邸と同じ花の芳香がやってくる。

「お邪魔しまーす」

入った庭には、夜だというのに野花が咲き乱れていた。
それもただ伸び放題放置してあるというわけではない。白や黄色、紫色の野花は見栄えよく刈り入れられ、それこそ雪丸が風流だと手を叩いて喜びそうな情緒がある。
おまけに蛍が淡い光を放って飛んでいるのだから、文句のつけようがない。

風流心のある貴族が俗世に飽いて時の過ぎるままに一日を暮らす。

そんな場所だった。

「……香りの正体はこれか」

雪丸が低くつぶやいた。
男が見上げている先を辿れば、そこには一本の金木犀(キンモクセイ)
緑の葉に細かい赤金色の花をたくさんつけた、秋の花。

「もう満開だなんて、……早いな」

開いた扇子が口元にあてられ、雪丸の柳眉がひそめられる。
と、瞬時に黒曜の双眸が険しくなった。

『…………』

雪丸が、そしてシムルグも、背後を振り返る。
そこには一人の男が立っていた。
草を踏む足音ひとつせず、こんなに近付かれるまでふたりとも全く気がつかなかった。

「こんな夜にどうしました」

白銀の長い髪。朱色の(ひとえ)に黒の狩衣。
貴族を思わせるその男は鋭い眼光をこちらに向け、長身をもって立ちはだかる。
それでも雪丸は慣れた調子で友好的に挨拶をした。

「貴方にご用があって参りました。……魔導協会というのはご存知で?」

「えぇ、もちろん」

「僕はそこの幻獣保護局に勤めている役人で、雪丸京介と申します」

「……雪丸」

名を聞くや男の片眉が上がり、唇の端もつり上がる。
含むところがあるような、邪気と華のある笑顔。

「私の名は葛城(かずらぎ)。この都で退魔師をしている者です」

混じる慇懃さを隠そうともせずに、男も名乗る。


──この男、人間じゃない。幽鬼だ……。


シムルグの背筋に寒気が走る。
この男はすでに死んでいる。しかし幽霊でもないのだ。鬼だ。……この男の目の中には修羅が住んでいる。鬼がいる。

狂気が、見えた。

確かめるように傍らの優男を横目で見れば、彼もちらりとこちらを一度見てゆっくり目を閉じる。
そして再び目を開けると、挑戦的な笑みを浮かべている退魔師に向き直った。

威嚇(いかく)の目でもない。
怒りの目でもない。
しかしそれは、本気の目だった。

「貴方にお話があります」








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