幻獣保護局 雪丸京介
第17話 バジリスク

前編




 道標のひとつもない、見渡す限りの原野。
 足をひきずり歩く旅人たちは皆、炎を探している。

──死んでもいいと思えるほどの情熱は、一体どこに落ちているのだろう。

 足元でくすぶっている炎には気づかないフリをして、彼らは歩き続ける。



◆  ◇  ◆



「いいかい。人ってのは何だかんだエラソーなことを言ってみたところで、結局過程より結果を求めているものなんだ。例えば、誰も天気予報士がどんなことをして予報してるかなんて気にしちゃいないだろう? 私たちが気にしているのは、雨が降るか降らないか、それだけだ。当たるんだったら、それこそ靴を飛ばした予報だって構わない。そういうもんなんだよ、このいい加減な世の中は。悔いの残らないよう力を出し尽くしましょう。終わりよければすべて良し。その涙が明日への糧になる。勝てば官軍」
 三方を白塗りの壁に囲まれた会議室。協会本部の辺境にある一室。
 フロストの目の前に座った高飛車な男が、べらべらしゃべりながら指先で机を叩いていた。
 年齢不詳のとがった顔つきで、目に痛い鮮やかな蒼装束を身にまとっているそいつは、魔導協会の本体とも言える司法部門広域魔導捜査局に籍を置いている魔術師らしい。胸に去来する色んなものを我慢していえば、エリート中のエリートということになる。
「危機に瀕している人々だったらなおさらそうだ。助けてくれるのが結婚詐欺師だろうが窃盗団だろうが、助けてもらえるんだったら同じことなんだよ」
「どちらかというと結婚詐欺師の方がいいですけどね」
 とんちんかんな感想だとは思ったが、フロストは思ったままを口にした。
 だが、
「そうだとも」
クロフォードは力をこめてうなずき、半身乗り出してくる。
「物事には流れというものがあって、運命の如き人の出会いもその中で決まるんだよ。君が転んだ時、真っ先に立ち止まり手を差し伸べてくれた人こそが無機質な確率を制した偉大な運命なんだ。さも当たり前のように“ありがとうございます”だなんて陳腐な言葉を吐いただけでその運命を手放すとは、愚かにもほどがある。そうは思わないか?」
「……え、えぇ……」
 フロストは曖昧な愛想笑いを浮かべて曖昧に首を斜めに倒した。うなずいているとも、傾げているとも、どうとでも取れるくらいの角度で。
「真っ先に手を伸ばした者こそが、何者であれ、救いを求めた者の運命なんだ。それを無下にしてはいけない」
 この魔術師は、なろうとさえ思えば十以上の宗教を起こし教祖になることができるんじゃないか──彼は無意味な確信をもってそう思った。
 運命だの出会いだの、百戦錬磨で知られるエリート様がそんなことを信じているはずがない。そんな空虚な言葉を、相手に考える暇を与えない勢いで無限に溢れさせることができるのだから、ある意味スゴイ。
 それとも、見かけに反してロマンチストなんだろうか。
 そんなことを思いながら止まらないクロフォードの演説を右から左に流していると、
「運命ゆえにバジリスクを駆除する権限が捜査局にあると言いたいわけですか?」
ふいに、フロストの横に座っていた上司が口を挟んだ。
「それが保護局を無視する理由ですか」
 彼こそこの会議を招集した張本人なのだが……、いつも黒スーツで隙がないうえに私語も少ないものだから、イマイチとっつきにくい上司だ。どんな場所でも“霜夜”としか呼ばれないので、姓なのか名なのか確かめてみたところ、公式な報告書にも名簿にも“霜夜”としか記載されていなかった。
 まぁ、協会には色々な系統の名前の人間が集まっているが……。
「分かっていることをいちいち訊くのは、言葉の無駄遣いだぞ」
 クロフォードがあくびでもしそうな勢いで返してくる。
「ア……」
 フロストは反射的に声を上げた。
「……あ、って?」
 こちらに向けられるクロフォードの視線。
「あ、あ……当たり前のことですよね」
「そうとも」
「…………」
 上司は反駁(はんばく)せず、冷ややかな沈黙を守っている。
 フロストは呑み込んだ言葉を胸の中で反芻した。

──アンタにだけは言われたくない。



 協会の中でも、司法部門と他部門とは仲が良くない。文面上は並列に扱われているものの、フタを開ければ司法部門の我侭がまかり通っているのが実状だ。予算も人事も、規律さえ、司法部門が駄々をこねれば上は判子を押す。
(しかしだからと言って司法部門以外の部門は仲良しなのかというと、そうでもない)
 今回霜夜が会議と称してクロフォードにご足労願ったのも、その我侭が原因だった。

「あの場所は魔導遺跡が確認されていて、捜査局の管轄になっていました」
「…………」
 事実確認を押し通そうとする霜夜に、クロフォードが何を今更といった顔をする。
「しかし長年、その地域は毒に侵されていて遺跡調査をすることができませんでした」
 フロストは横目でチラリと上司を見やった。
 この人は、どの辺までクロフォードの神経を逆撫でする算段なのだろう。
 上司がコケれば、とばっちりを受けて彼自身も転げ落ちかねないのだが。
「毒はゆっくりとしかし確実に拡大し、川は池はもちろんのこと、近隣の村や都市までを覆うようになりました。知らず、あるいは高をくくって地域に足を踏み入れた行商人や旅人はもちろん、住民の中にも死亡例が重なり──その毒の調査に向かった捜査局は、“バジリスク”の噂を耳にしたようですね」
 フロストは霜夜の読み上げに合わせて手元の薄い紙束をめくり、それらしい格好を(つくろ)った。
 目に飛び込んできたのは“バジリスク”の定義。

【バジリスク】
頭に王冠の模様を戴いた蛇の姿だと言われる幻獣。その閉じない瞳の毒がすべてを殺す。
棲息地はその毒により不毛の砂漠と化す。生き物は死に絶え、草木は黒く枯れ、空気は瘴気に淀み、彼が喉を潤した水流はことごとく毒に染まる。
(いたち)だけはその毒にやられることがないらしいが、定かではない。

「捜査局は一帯の毒被害がバジリスクよるものだと断定し、害獣に指定。駆除を決定」
「捜査局の魔術師が何人か出て焼き払うことにしたんだよ。毒ごとね。それで毒が消えるかどうかは知らないけれど」
「幻獣を害獣に指定できるのも、駆除を決定できるのも、保護局だけです」
 事実確認と変わらぬ淡白な口調で霜夜が顔を上げた。
 クロフォードは肩をすくめて笑っている。
「君も意外と頑固だな」
「保護局員には、規律を捻じ曲げて破って、己の理想を全うしようとする傾向が少なからず見られます。しかし理想が必ずしも正義であるとは限らない。また、正義というものは見方で容易く悪にも変わるものでしょう」
 上司の声にはおよそ感情というものが抜け落ちている。欠損ではない。完全に無いのだ。
 国語の教科書もこんな読み方をしていたのだとしたら、さぞかし朗読は苦手分野だったことだろう。
「そんな彼らの理想や正義を抑え束ねて組織としての秩序を保つためには、揺るぎない番人が必要になります。人々が蛇蝎(だかつ)の如く嫌う規律の檻と鎖とを盾にする者が」
「秩序を乱す者ならそれが例え天下の捜査局でも、番人は鞭を振るうというわけか?」
「幻獣に関する一切は、保護局が調査決定します。早急な越権行為はくれぐれも慎んでいただきたく」
「保護局がもう一度調査をする間、毒は拡がり人は死ぬ。魔導遺跡の調査は更に遅れる。君は、それがどういうことか分かっていない」
 蒼の魔術師が机を叩く指を止めた。
「君は現場に行ったか? 現実がどういうものなのか、その目で見たか? 君は、魔導の何たるかを分かっているか? この一瞬一瞬、毒によって魔導によって世界が危機にさらされているんだと、恐々としたことはあるか?」
 クロフォードが矢継ぎ早に疑問符を並べ立ててくる。しかし彼が答えなど求めていないことは誰の目にも明らかだった。
「捜査局は魔導の残るあの地に部外者が入ることを望んでいない。人々も、これ以上決断が遅れることなど望んでいない」
 それこそ反論など許さないという強い語気だった。
 こちらを見据える鋭い白皙が、針のように皮膚を刺す威圧感を増大させている。
 ところがフロストの上司は、心電図さえ沈黙していそうな平坦さで言った。
「保護局は、我々の仕事の何たるかを理解していない部外者に勝手な振る舞いをされることを望んでいません」
 クロフォードの眉尻が上がる。
「駆除って言葉を選んだのが気に入らないのか? だったら、“天空の雄鹿”事件と何が違う」
「結果が気に入らないわけではありません。それにアレは我々の調査による合理的な決定でした」
「捜査局の調査が信用できないというわけだな?」
「捜査局は幻に命を懸けられますか?」
「我々が命を懸けるのは、現実と対決する時だけだよ」
 刺々しい応酬に、フロストは冷や汗を額に浮かべて息をつめた。
 上司を(いさ)める術もない。かといって加勢するわけにもいかない。
「君の故郷も汚染され始めていると聞いたんだが」
「そう報告は受けています」

──君の、故郷?

 クロフォードの“君”はもちろん上司に向けられている。
 まさか。
 故郷だなんて、この人には一番似合わない言葉だ。
 この人の故郷が、バジリスクの毒に沈みかけている?
 やはり、信じられない。
 後でトイレに行って声に出してみたって、きっと同じだ。意味のない音がぱらぱらタイルに落ちるだけに違いない。
 この人に故郷があることも、そこが死にそうだってことも、まったく現実感がない。
 だって本当にそうだったら、何でこんなクレームを付けているんだ? さっさと捜査局にキレイサッパリ片付けてもらった方がいいに決まっている。筋とか規律だとか秩序だとか言っている場合ではない。
「君は彼らの命を背負っているんじゃないか?」
 しゃべり魔術師の言うとおりだ。
 だが上司は真顔で言った。
「ご存知ありませんでしたか? 人類皆兄弟ですよ」
「…………」
 本気なのか冗談なのか、フロストは背中にまで冷たい汗を感じ始めた。


◆  ◇  ◆


 男は、青白い炎をまとった馬に乗っていた。
 北の大地の地下宮殿に住む火の王から借り受けてきた幻獣だ。この炎で少しでも空気に淀む毒を緩和できればいいと思ったのだが──現実はそう甘くなかったようだ。
“バジリスク”を求めて砂漠に入って数日、肺は息をするたび痛みだし、手は痺れ、目の奥の頭痛が離れない。
 彼は顔をしかめながら、後にしてきた街を思い出した。
 協会の捜査局から勧告を受け、泣く泣く村を捨ててきた者たちが身を寄せる街。
 酒場で老人から話を聞いた。
 バジリスクと毒の砂漠の話だ。

──禁域は昔からあった。その話は父から子へと自然に受け継がれる伝承のようなもので、“あそこには行ってはいけない。命を落とす。”……そんな程度のものだったがね。
──実際に足を踏み入れて命を落とした者は?
──いたよ。村の者というより、話を信じない旅人や商人が毒に侵されて半死半生で戻ってくることが多かった。だから村人は皆、古い警告をずっと信じていた。
 そこまで言うと老人は息を切り、
──今まではそれで何も起こらなかった。禁域は小さくならず、だが大きくもならなかったんだよ。
上目遣いにこちらを睨んで非難がましい大きなため息をついてきた。
 協会が何かやらかしたんだろう。禁域に()んでいたバジリスクとやらを刺激したんだろう。
 言外に詰問されていた。
 だが男は気づかないフリをした。
 煤けた客たちのぼそぼそとした話し声に紛らせて、さらに訊く。
──バジリスクを見たというのは誰なんだ?
──うちの村の者は見ていない。川の上流にある村の奴らが商いをしに来た時にそんな話をちらちらしていたのだよ。
 老人は乾いた唇を酒で濡らし、グラスを置く。
──毒に侵されて戻ってきた旅人も、死ぬ前にうわ言でその化け物のことばかり繰り返していたそうだ。……化け物を退治しようと鏡を持って入っていった者もいたようだが、化け物を見つけるより先に地を覆った毒で身体が朽ちる方が早かったんだろう、成功したという話は聞いていない。
──貴方たちの昔話に毒の化け物のことは出てくるのか? 例えば、禁域には化け物が棲んでいる……とか。
──いいや。
 言葉少なに老人の禿頭(とくとう)が振られた。
 それっきり、彼も自分もつなぎの言葉が見つからない。
 酒場は陰鬱な空気を内包したまま、どれだけ夜が深まろうと杯の重なる響きひとつなかった。

 その翌朝男は街を出て、捜査局の設けた立ち入り禁止線を越えた。
 今はそのまま川沿いを、禁域のあったという上流へと向かっている。
 バジリスクも生き物なら、水が必要だろう。
 うまくいけば(視線の毒で即死だというのだから、本来不運ならばというのか……)、バジリスクに会えるかもしれない。

 しかし腑に落ちない。
 何故禁域は急激に拡大した?
 何百年、何十年と昔話で語られるだけだった存在が、何故今頃牙を剥いて来るんだ?
 まさか本当に、捜査局が何かやらかしたのか?
「…………」
 思いつく限りの仮説を立てようとした男だったが、しかし思考の大半を頭痛が占めだして、やめた。
 何も考えずに、目だけを前に固定する。
 紫色の瘴気に黒い軌跡をつくりながら、青白い馬は進む。
 死んだ砂に埋もれた、人か動物かも分からぬ骨を振り返ることなく。
 刻まれた(ひづめ)の跡は、絶えず吹き付ける生ぬるい風に消されていった。


◆  ◇  ◆


「人類皆兄弟ね。君が言うと素晴らしく新鮮に聞こえる」
「そうですか」
 クロフォードでなくたってそう思うだろう。
 霜夜というこの人が、自分自身を含めて“人類”という言葉を使うことも、暖かい意味で“兄弟”という言葉を使うことも、あまつさえそのコンビネーションを繰り出してくるなんて、考えられない。
「退避勧告は捜査局が出したのですから、死人が出ることはないでしょう。こちらの警告を無視する者以外はね」
 合理的だ。
 この人はいつだってそうだ。
 回された仕事は何の苦もなく片付けてしまうし、愚痴ったり困ったりしていることもない。こっちが必死でやっていることを顔色ひとつ変えないでサラリとやってしまう。最初はこの上司と自分を比較して落ち込んでいたものだけど、近頃では比較すること自体が間違っているんだと思うようになった。
 というか、この人に上司も部下も必要ないんじゃなかろうか。
 物腰静かな声と長身痩躯の研がれた容姿で、地位もいい。なのに女性が寄り付かないのは、ひとえにこの有能過ぎる冷めた合理性のせいだろう。
「誰かが規律と秩序を護らなければ、世界は原初の混沌に戻ってしまいます」
「今死にかかっている土地には、世界の混沌なんてどうでもいいと思うけどね。秩序のための規律なんか、後から貼り付けておけばいい」
 対して、このクロフォード=レイヤーは極端な現実主義者だ。
 世界は1の現実と9の幻想で出来ていると断じていて、その1にすべてを投じている。
 フロストは会議に()いて窓の外へ目をやるフリをして、エリート魔術師を盗み見た。
 憎らしいくらい、余裕のある目だ。保護局の誇る剃刀男さえ、歯牙にもかけていない。
「バジリスクの処理ひとつ捜査局に譲らない、そこには何の得もない。関わる全員に、だ」
 フロストには、この男の言うことが正しいように思えた。
 上司が何故これほど仕事の縄張りに固執するのか、分からなかった。

──どっちがやったっていいじゃんか、ねぇ。

「そもそも君のような考え方が組織というものを組織然としたものにしているんだよ。組織とは仕組みに過ぎないんだ。君たちが描いている個々の歯車が連動して一を成す機械時計のようなものは組織じゃない。誰がどこにいて何をする──」
 クロフォードが半眼になって長い長い序文を講義し始めた時、フロストの背後にある扉が控えめに叩かれた。
「続けてください」
 平然と霜夜が促す。
 これは下っ端の自分の仕事なのだろうとフロストが立ち上がると、横から腕を抑えられる。
 驚いて上司を見たが、彼はクロフォードの方を向いたままだった。
 フロストは中途半端な体勢のままどうしたものか身を硬くした。
「続けてください」
 部屋に響く上司の穏やかな催促。
「…………」
 クロフォードが一瞬躊躇(ためら)った後、
「誰がどこにいて何をするかという箇条書きの決め事が組織を作るだけであって──」
続けた途端、またも扉が叩かれた。
<クロフォード師! 緊急連絡です!>
 おまけに声付きだ。
「……どうやら私にらしいね。失礼」
 魔術師が椅子を引いて立ち上がる。
 フロストは彼のため扉を開けるべくさっと身を翻した。上司は制してこない。
 そこでふと思った。この部屋にだって通信水晶はある。なのにどうして連絡事項を伝えにわざわざ人が寄越されるんだ? こんな協会の端にある会議室まで……。
「──何だって!?」
 廊下の人間と二言三言交わしたクロフォードが険しい大声を出した。
 そして勢いよくこちらを振り向いてくる。
「どういうことだ、霜夜!」
「……何がどうしたんですか?」
 肩越しに応じる上司を見下ろして、蒼の魔術師が大きく息を吸い、一気に言った。
「雪丸京介があの地区に入って行ったそうだ。近隣の村人たちが証言している」
「……あぁ」
 霜夜が小さく苦笑いしてクロフォードに向けた顔を元に戻す。
「…………」
 フロストには分かった。上司は確信犯だと。彼の上司は通信水晶を使いものにならなくした、おまけにわざわざこの中枢から離れた会議室を使った。
「彼は、私の護る秩序と規律を破るのが趣味なんですよ」
 何かのために。



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