幻獣保護局 雪丸京介 第三話      

「ケット・シー」

900HIT記念 志倉 浬さまに捧ぐ 

 

「この街は貧乏っちいなぁ」

雪丸の後ろをくっついて来る赤毛の少年が、きょろきょろ辺りを見回しながら大声を出した。

「こんなとこ、今まで見たことねぇよ」

「……あのさぁ、もうちょっと品のある言葉づかいできないの、君は」

「しょーがねぇじゃん。多数決。こういうしゃべり方してたヤツの方が多かったんだから。それに気取らなくていいって言ったのはアンタだぜ、雪丸」

「……まぁね」

聞き分けのない子供を持った母親のように、ふっと雪丸は遠い目をする。

──シムルグ。

それがこの少年の名前だ。
シムルグは鳥の王。あらゆる苦難を乗越えた、30羽の鳥。
彼は30羽で1羽。(ややこしい)
しかし鳥の王と座していたのもほんの束の間。30羽はプレッシャーに耐え切れず、逃げ出した。
その彼らを全員集めなおし、もういちどシムルグでいるように諭したのが、この雪丸京介なのである。



「どこもかしこもボロいぜ」


「うーん。どうしたんだろうねぇ」

ふたりは今日の宿を探していたのだが……、この街には客人をもてなすだけの余力はなさそうだった。
崩れ落ちそうな壁の家々が立ち並び、どこの通りも閑散としている。
人の姿はあまりなく、開いていると思われる商店には全く品物がない。そう、──廃墟も同然といった様相なのである。


ただひとつ……

「なんだか猫が多いね?」

「猫は苦手なんだよな、オレ。もとはちっちぇ鳥だし……」

「あ、そ」

街のいたるところに猫の姿が見える。
通りを悠々と横切っていくヤツ。真ん中で寝ているヤツ。たむろっているヤツ。
統計を取れば、絶対に人間よりも猫の方が多いに違いない。


「……じゃあなんで付いてきたんだよ、シムルグ。今回の仕事は猫探しだよ?」

「ンなこと聞いてねぇよ!」

「そうか。言ってなかったもんね」

「ぶー」

雪丸は殴りかかってくるシムルグをひょいっと避けて街を見上げた。
空虚な空には、新聞紙の切れ端ひとつ飛んでいかない。
少し枯れた風がひっきりなしに吹いているというにもかかわらず、だ。

視線を下げて通りを見回した、彼のクセっ毛気味の黒髪がゆれる。
雪丸は無意識に首をすくめ、薄い、枯葉色コートの襟をたてた。


「……どうしようか」

「どうしようか、じゃねぇよ。とりあえず別の街に行くしかねぇんじゃねぇの? こんなに猫がいるんじゃ、そう簡単に見つかりっこねぇし。出直したほうがいいぜ?」

「でもこの国は広いんだよ? 隣の街までどれくらいあるんだか」

「げっ……」

イマイチ危機感のなさそうな雪丸。
付いてきたことを早くも後悔しているシムルグ。
ふたりは肩を下ろしたまま、猫の界隈に立ち尽くしていた。





◇  ◆  ◇  ◆  ◇




「ほんっっとーにありがとうございました」

シムルグがぺこりと頭を下げる。

「いや、まったくもって本当に」

雪丸も続けて頭を下げる。

「何もなくてすまないねぇ。何しろこんな街だから」

おじいさんはニコニコ笑いながら、ふたりの湯のみにお湯をいれてくれた。

ぼけーっとし続け一時間。
ふたりに声をかけてくれたのが、このおじいさんだった。


「──ここは、どうしたんです?」

雪丸が言えば、おい、とシムルグがテーブルの下で足を蹴っ飛ばしてくる。
が、構わず彼は小首を傾げた。


「こんなに疲弊しているなんて。この国はどことも争いごとをしていないでしょうに」

その疲弊を物語るかのよう、見事に何もないおじいさんの家。(家と呼べるかどうかも疑わしい)
壊れかけのテーブルと椅子。
薄くすりきれた毛布。
そして少しの食器とクモの巣がはっていそうなかまど。
おそらく食べ物なんてロクにないだろう。


おじいさんは白いあごひげをなでつけながら言った。

「猫じゃよ」

「猫?」

「この街にたくさんの猫がいたのは見たかね?」

「えぇ、見ました」

「オレ、苦手なんだ。猫」

人間の姿をしていれば襲われることなんてなかろうに、少年はまだぶつくさ言っている。

「あれはこの国中から集められた捨て猫じゃ」

「……捨て猫?」

「この街には生粋の猫好きだけが住んでおる。数十年前、あるひとりの男が捨て猫を救うために創った街なんじゃ」

「そんなに多かったんですか?」

「多かったなんてもんじゃない。この国はすべての移り変わりがとても激しい。あの頃も、今も、流行で動物を飼ったりするような国なんじゃよ。あの動物を持っていなくては流行遅れだ、あの動物を持っていては時代遅れだ、……そう。“飼う”ではないんじゃな、“持つ”じゃ」

雪丸は温かい湯のみを両手で軽く握り、染みのついたテーブルに視線を落とした。

「その男はそんな国のありように憤慨して、自らの財産を投げ打ち、この街を創った。この国では猫が一番流行り廃りがある動物じゃったからな。……彼は国中の捨て猫をここに集めた。その後、彼に同調した者たちがここに住み、猫たちと共に住んでいるのさ」

「……それと疲弊との関係は?」

「これだけの猫をどうやって養っていけるんじゃ? 王はこの街が気に入らない。だから補助金なんてだそうともしない。事あるごとにここを消し去ろうとするほどじゃ……。あの王は……ここが心優しき者が作った場所だと、認められぬのであろうなぁ。狭量なことよ」

「それを認めたら、自分よりその男が立派だってことを認めたも同然だって思ってんだろうな」

シムルグはさすが鳥の王というだけあって、人の上に立つ者については厳しい。
見かけはただの少年だが、中身は違う。
おじいさんは笑った。


「そうかもしれんな、坊主。だがワシらはどれほど困窮に喘ごうとも猫とともに生きるぞ。
どれだけ貧乏になろうとも、あいつらを見捨てたりはせん」

おじいさんが今夜は泊めてくれることになり、ふたりは本来の仕事・猫探しに出かけた。

「黒い猫なんていっぱいいるぞ」

「真っ黒じゃないんだってば。黒猫だけど胸に白い丸点があるの。目は緑色」

「それで人の言葉をしゃべるのか?」

「そりゃ普段はしゃべらないけどね」



ケット・シー。

彼らが探しているのは、そう呼ばれる猫の妖精。
しかしこれだけ猫がいる街にあって、それを探し出すのは難しい。
緊急事態になれば二本足で立ち、人語さえ操るというのだが……。


「おい、そこの人間」

雪丸は呼ばれて面倒臭そうに振り返る。
どこにだっているのだ、えらそうな口調で彼を尋問する役人は。


「はい?」

彼にしては珍しく、ぎすぎすした声だった…けれど…。けれど。

「…………」

振り向いた先には誰もいない。
彼は視線をどんどん下降させていった。


どんどん……どんどん……。

「君、ケット・シー?」

降ろしまくった視線の先。
黒くて、胸元に白い点があり、しっとりした緑色の目をした猫。


「頼み事がある」

雪丸とシムルグが顔を見合わせる中、その猫はそう言った。




◆  ◇  ◆  ◇  ◆




「あぁ寒い」

夜。
雪丸は手にしたランタンを下に置き、両手をさすった。

「すまない」

黒猫はすまなそうじゃなく、ぶっきらぼうにそう言う。

「本当に王がこの街を消そうとしてるのかい?」

「あいつはこの街が嫌いだ。自分の汚点だと思ってる。それにこの街はもう疲弊が限界だ。この間も代表が補助金をくれと請願しに言った。それがお気に召さなかったんだろう」

テキパキと説明してくるのが猫なものだから、雪丸はどことなく拍子抜けしたまま。
しかし、


「そう言うことじゃなくてさ、雪丸が言いたいのは、今夜、王の使者がこの街を爆破しに来るっていう情報が確かなものなのかってことだぜ」

同類の波長があるのか、シムルグはこの黒猫と馬が合うようであった。

「あぁ。そのことなら、確かだ」

黒猫は根拠なくそう言い放った。
そして耳をぴくぴくっと動かす。

「来た」





「王もこんな街放っておきゃいいのになぁ。そのうち廃墟んなるっつーのに」

「ほんとだよ。こんな貧乏街一個吹っ飛ばすのに、30騎もいらねぇよなぁ」

闇に紛れて彼らは“猫の街”へ向かっていた。
王の特命で、だ。


「ま、王様のご機嫌損ねてあんな街創ったあげく、貧乏で死にそうだから金くださいって、
お笑いだよな!」


「アホっちゅーか、なぁ。まぁあそこにいるのは大量の安猫と、頭の悪ぃ住民だけだろ」

「あー、早く終わらして家帰りてぇなぁ。昨日ウチ、珍しい猫買ったんだぜ?」

「おぉっ。おまえの家っていつでも最先端のヤツがいるよな、羨ましいぜ。ウチはそんなに金ねぇからなぁ」

森を抜け、平原の街道に入る。
街の門がすぐ向こうに見えていた。

 
と、
 
「おぃ兄ちゃん。邪魔だぜ、王の騎馬隊のお通りだ、どきな」
 
街道を塞ぐようにして、ひとりの若者がランタンを持って立っている。
下からのぼんやりした光に照らされて、彼は不気味な笑みを浮かべていた。
 
「死にたくなかったらどくんだよ!」
 
白っぽいコートを寒風にひるがえしながら、その優男は柔らかいような、そして確実に彼らの神経を
切断するような、視線を向けてくる。
 
「どこへ行かれるんです?」
 
声は透明。
 
「死にてぇのか、あぁ?」
 
隊長が怒鳴り、槍を振りかざした。
刹那……
 
『────!?』
 
 
声にならない悲鳴が騎馬隊をかけめぐった。
 
槍は、優男がかざした手のひら数センチ手前でぴたりと止まっているのだ。
隊長は渾身の力をこめて突こうとしているようだが、汗だけが無意味に流れ、槍はそこから
一歩も進まない。
 
「無駄ですよ」
 
目の前の優男の声に、隊員たちの背筋が凍った。……背筋だけじゃない、体をめぐる血液までも、
凍りつかせることができそうなその声。
何人かが馬を後退させる。
 
「あなたたちに僕を傷つけることはできません」
 
そう言って彼は、ランタンを持った方の手を掲げる。
途端、それに呼応するように闇の中から猫の威嚇声が波のうねりのように聞こえてきた。
 
「街も、ね」
 
草原にはいくつもの輝く目がちらつき、唸り声はやまない。
優男が一歩前に出た。
騎馬隊は一歩下がる。
 
「このまま引きかえさなければ・・・この原っぱが貴方たちのお墓になりますが、
異論はございますか?」
 
その男は世間話でもしているように軽く微笑んでいて……
 
しかし隊長の槍は未だ宙で止まったまま。
 
すると、躊躇っている彼らの頭上で大きな羽音がした。
見上げれば──
 
 
『ぃっ……ぎゃあぁぁあぁぁっ!』
 
 
上から降ってくるでっかい鳥の紅い羽。そしてそれは空中で炎に変わってゆく。
慌てふためく彼らの足元は火の海に変わり果て、漆黒の闇夜に紅いゆらめきがメラメラと
踊る。
 
 
『化け物〜〜〜〜!!』
 
 
今度こそ彼らは無様な叫び声を残し、遁走。
火の海の中を泣き喚きながら森へと逃げ込んだ。
 
 
 
 
 
「な、何なんだよ、今のは!? 化け猫と化け鳥と化けモン!!」
「殺されるぞ!こりゃ夢か!?」
「知らねぇよ!俺は何も知らねぇ!もう帰って寝るぞ!」
「でも王は……」
「王より命だ!」
 
 
彼らは二度と後ろを振り向かなかった。
 
 
 
 
 
 
 
「これでいい?」
 
「ありがとうございました」
 
夜闇の中で、黒猫が深々と頭を下げた。
どこまでも他人行儀で、しかし礼儀正しい猫である。
 
「この街の方には、わたしたち、本当に尽くしていただいていました。これくらいの
ご恩返しはしなければ」
 
黒猫の後ろには、ずらーっと何百という猫たちが控えていた。
どうやらこいつはこの街のボスであるらしい。
 
「お礼はいかほどで」
 
「うーん……痛ッ!」
 
「お礼なんか取るんじゃねぇよ!」
 
シムルグが憤慨した顔で雪丸の足を踏んづけた。
 
「シムルグ!君、この靴いくらしたと思ってるんだい!?」
 
「知るかよ!? いいだろ! アンタはがっぽがっぽ稼いでるんだから!」
 
「何言ってるんだよ!? 僕は薄給なんだよ!おまけに出張ばっかりだし」
 
「おまえが今ここで礼をもらうのは犯罪だ!」
 
少年はそう言ってのけると、黒猫に向かってふんぞりかえった。
 
「礼はいらぬ。これからもおじいさんたちを大切にするように」
 
「はい」
 
黒猫、ケット・シーはまたもや神妙な顔つきでうなずいた。
 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 
「でもどうしてケット・シーはあんな情報を持っていたんだろう?」
 
「騎馬兵が街を消しにくるって?」
 
「そう」
 
ふたりは翌日、おじいさんにお礼を言い、街を出た。
長い街道をぶらぶら歩いている。
 
「ふふん」
 
ニヤニヤしながらシムルグが雪丸を見上げてきた。
 
「……何」
 
「次の出張の時も連れて行ってくれるか?」
 
策士のような顔つきをしているシムルグを横目に、雪丸はシミュレーション。
 
 
“えー?また子どものお守り?”
“ふん。じゃあ教えねぇ”
“……まったくもう。分かりましたよ、連れて行けばいいんでしょう?”
 
 
シナリオ通りというのもシャクにさわる。
 
「分かったよ」
 
「え``」
 
「だから連れて行くってば」
 
「…………」
 
やはり、シムルグはアテが外れた顔をしている。
雪丸はくすくす笑いながら促した。
 
「連れて行くから、ケット・シーは何て言ってたんだい?」
 
「む。……まぁいいか。あのな、唯一流行に流されない猫が一匹だけいるんだって。王宮に
いる王の猫がそれらしいんだけど……」
 
「それで?」
 
「その猫、ケット・シーの父ちゃんなんだってさ」
 
「あぁ」
 
あの黒猫は言わば王子様だったわけだ……。
 
──なるほど。
 
 
 
雪丸は得心がいって、ようやく仕事から解放された気分になった。
 
晴天の空に向かって大きくのびをする。
と、背後からシムルグの無邪気な声がした。
 
「そういえばさぁ、雪丸」
 
「何?」
 
「ケット・シーを保護しに来たんじゃなかったの?」
 
一拍。
 
「…………あ」
 
 
 
 
 
 
後、ランタンを持った化け物が王宮に出現し、“猫の街”に多額の補助金が出るように
なったという事件は……世界のほんの断片。
 
 
 
 
 
 
THE END
 
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