幻獣保護局 雪丸京介 第四話      

「ドードー」

 

【ドードー】
ハト目 ドードー科
大宇宙銀河系星雲 太陽系第三惑星に生息
飛べないのろまな鳥。現在完全な標本は残されていない。

〔種類〕

モーリシャスドードー
モーリシャス島に分布。西暦1681年絶滅。

シロドードー
レユニオン島に分布。西暦1746年絶滅。

ソリテアー
ロドリゲス島に分布。西暦1791年絶滅。

上記全て乱獲により絶滅。

              魔導協会 会立図書館大辞典〔存在の消滅〕項より参照


そして。時はこの記載がなされるよりも少し前にさかのぼる。




◇  ◇  ◇  ◇  ◇




「なんでだよ! 約束したじゃねぇか、次の出張も連れていってくれるって」

「だからぁ、遠いし危ないし、今回はいつもみたいに悠長な……えっといや、いつもみたいに……あーっと、いつもみたいな仕事じゃないんだって」

魔導協会のお膝元、賑やかに広がる大きく呑気な街。
その一郭にあるお洒落なオープンカフェ。
その店が少年の眼前にいる優男のご贔屓であった。

「どういうことだよ。ちゃんと説明しろよ」

「オトナの事情ってヤツなんだよ、説明不可。理解してよ、シムルグ。君だって聞き分けのない子どもじゃないんだからさァ」

燃えるような赤い髪をした少年は、男の言葉にぶすっとむくれる。
確かに彼は少年の姿だが、内実少年ではない。
彼は「シムルグ」。鳥の王と称される幻獣。故あってこの男にひっつきまわっていた。

「嘘つき」

「僕だってね、嘘つきたかったわけじゃないさ」

男はクセッ毛気味の黒髪をくしゃくしゃとかきまわすと、クリームソーダの浮いているアイスをウェイトレスから受け取った。

彼の名は雪丸京介。
魔導協会の幻獣保護局に勤務する薄給職員である。

「なんて言うのかな……」

彼は独り言のようにつぶやきながら、アイスをストローでつつきまわす。

「仕事、ではないんだよね」

「は?」

「どっちかって言うと協会とは意見が合わなくてね。だから仕事じゃないんだ、個人的な用事」

雪丸の言葉に、少年はチョコパフェを食べる手を止めた。

「意見が合わない? ……ちょっと待て、それって──」

「まぁね」

彼はいとも簡単に肯定してきた。
眩しい陽の光に目を細め、ワイワイと道行く人々を眺めながら。
対照的に少年……シムルグは顔をひきつらせる。

──ちょっと待てよオイ。そりゃ協会の命令に背くってことか?

やるな関わるな放っておけと言われたことを、ワザワザやりに行くって……そーゆーことか?

「だから、今回は大人しく待っていてよ。君まで協会ににらまれたら困るでしょ」

「そりゃそうだけど」

渋るシムルグに、雪丸が軽い笑い声をあげてパタパタ手を振った。

「大丈夫、大事にはしないからさ。それに僕は自分がやることにくらいは責任持てるしね」

そう言われてもなお、シムルグは眉間にシワを寄せ続けた。
信用できないわけじゃないけれど、雪丸にはなんだかフワフワしたところがあるのだ。
風船か雲のように、いつの間にかどこかへ消えてしまうような。

「本当に問題ないって」

心配性だなぁ、と雪丸。

──その軽さが問題なんだ。

シムルグの胸中は、しかし雪丸には伝わらない。
彼はあくまでも軽く、そして悪戯企む子どものような目をして告げてきた。

「ちょっと二羽、のろまな鳥を失敬してくるだけさ」

いつも焦点が定まっていない彼の瞳。
彼を全く知らない人間が見れば、それは命なきガラス玉のように見えるかもしれない。
薄いスプリングコートをひらめかせ、存在そのものが危うい風のような彼は、気まぐれにその歩を進める。

あちらの街、こちらの街。

ふらつくのは自費だから、彼はいつでも薄給を嘆く。
そんな愚痴だけが彼の実体を感じる術。

ふとした瞬間に隣りから消えてしまう。誰の心にも止まることなく、いつの間にか人波に消えていってしまう。そんな魔術師、雪丸京介。
少なくとも、シムルグはそう感じていた。
彼の存在自体が誰かの魔法ではないのか。
いつか魔法が解けた時、彼は音もなく消えてしまうのではないか……?





◇  ◇  ◇  ◇  ◇





「ゲッ痛ッ、なんだァ?このトゲトゲな小っさい木は〜、ったく足が蜂の巣だな、こりゃ」

ガサガサと草をわける音と荒い息。

「……雪丸はこんなトコで何しようってんだ?」

シムルグは頬に突き刺さる小枝をばきっとへし折りながらボソっとつぶやく。

彼は名前さえよく分からない無人島に来ていた。
さっきから見かけるのはでっかいトカゲや派手な鳥。
ずんぐりしたネズミや妙に態度のデカイ野山羊(?)の群れ。
四方は断崖絶壁、寄せ打つ白飛沫の荒波。
空を舞うのは目つきの悪いカモメ。

まさにここは、『地上の楽園』であり、『秘境』である。

「あいつがこんなサバイバルな場所にくるなんてなァ……」

言いながらも、流れる汗を片手で拭う。
太陽は容赦なく照りつけ、その地面反射がさらにシムルグを焼いていた。

「このままじゃ焼き鳥になっちまうぜ」

笑えないジョーク。

「…………」

彼もさすがに沈黙。

「っつーか、歩くの早ぇな、雪丸」

歩く少年の数十メートル先、背の低い木々の向こうには雪丸の新芽色コートがちらついている。
無論シムルグは無断で彼に付いて来たのだ。

──どうやったか?

それはもちろん、鳥の王であるシムルグをもってすれば、魔術師のひとりやふたり、買収するのは簡単。
とはいえ、そこは思慮もある彼であるから、いざこざにならない非協会員術師を選んだことは言うまでもあるまい。

「オレって天才」

切り傷擦り傷だらけになりながら、少年はほくそ笑む。

と、

パァァ──ッン

「────!」

穏やかな離島に鋭い銃声が響き渡った。

少年の視界にある優男のこめかみから一筋の血が流れる。
紅い、絹糸のような血が静かに彼の頬を伝った。

「警告、ですか?」

だが、それは弾丸が軽く掠った程度。
到底死ぬには至らない。

──ゆ、雪丸が撃たれたのかよ?

 
 
今回の仕事は危険だと話していた彼を思い出しながら、シムルグは少しずつ茂みの中を進んで行った。
 
よく見れば、雪丸の足元には二羽の白くてでぶっちい鳥がいる。
当然飛べそうもないし、むしろそいつは飛ぶ必要性さえも感じていない顔。
“二羽ののろまな鳥”というのがコイツラのことだろうか。
 
 
「お前がやろうとしていることは管轄を逸脱している」
 
「でしょうね」
 
雪丸の言葉はあくまでも軽い。
散歩にでもきて、世間話をしているといった調子。
 
「お前がやるべきことは保護地区から逃げ出した、あるいは世界で危機にある幻獣を保護することだろう。現実の動物は放っておくんだ、雪丸」
 
細い体躯の雪丸の前には、怪しげでがっしりした男がふたり、彼の行く手をはばむように立っている。
重々しいローブ、その胸元に刺繍された蔦の紋章。
 
──協会執行部……
 
シムルグは思わず首をすくめた。
噂には聞いたことがある。
あの強固で広大な魔導協会を一手に束ねるキレ者集団。
その実力は……計り知れない。
 
 
「あんたちはそうやっていつでも世界から大事なものを消しているんだ」
 
雪丸には緊迫という概念が欠落しているらしく、彼はやれやれと首を振りながらそう言った。
 
「幻を増やすのがそんなに楽しいのかい? あんたたちはいつか世界をすべて幻に変えてしまおうとでも企んでいるのかい? それに──これは僕の趣味だよ。個人的な、ね。急にドードー鳥が飼いたくなったんだ」
 
「そんな言い訳が上に通用すると思っているのか?」
 
「通用しようがしなかろうが、関係ないさ。プライバシーの侵害だよ」
 
「反逆者には死を。雪丸、お前みたいな不良局員だって、協会の方針くらいは知っているな?」
 
ふたりの男が同時に銃口を彼へと向けた。
 
 
 
空はセンスなくペンキを塗りたくったような青。
耳をつんざく鳥の奇声。
さわさわと小木を揺らして過ぎてゆく風。
 
シムルグは何を思えばよいのかも分からず、じっとその場を見つめ続けていた。
声を出したくても、ノドが動かない。
飛び出して行きたくても、身体が石になったように動かない。
 
彼らの黒いローブと、雪丸の優しげなコート。
風に散る側は歴然としていた。
 
それでも雪丸は何が楽しいのか、ニコニコしたままである。
長いまつ毛を伏せ気味に、口元には絵画のような微笑。
 
 
 
「……存在の消滅ってのは、どんなものだろうね」
 
 
──そんなこと言ってる場合じゃねぇだろう!
 
 
シムルグの心境など知るわけもなく、雪丸が二羽のドードーを見下ろした。
 
「僕は……彼らが人為的に消滅することを、運命だって割り切れないのさ。誰だってそうじゃないのかい? 事故、病気、一瞬のミス。どんな人為的であれ、はいそうですかって、そんな簡単に受け入れられるものじゃないと思うんだけど」
 
「そうだとしても、我々は歴史には関与しないのが掟だ」
 
執行部の言葉に、軽くうなずいてみせた雪丸。
だが、一瞬、万年春陽気な彼の瞳が牙を剥く。
そして雪丸は反逆に最も近い言葉を言い放った。
 
「僕の自論では──このコたちを助けることに理由も掟もいらないのさ」
 
掟はいらない。
それは根底から協会を否定するに等しい。
 
 
──雪丸!
 
 
刹那、
 
パンッ
 
 
またもや鋭い銃声がシムルグの身体を震わせた。
同時、雪丸の身体がびくんっと反り返る。
 
 
「雪丸ッ!」
 
彼は後先考えずに飛び出した。
だが誰も彼の方など見ていない。
コートの胸を鮮血で染めた雪丸は後ろを、銃口を構えたままの魔術師たちは雪丸を通り越した向こうを、目を丸くして凝視している。
離れた低木林の中にちらつく数人の影。
 
 
「……密猟者、か。そのドードー鳥が目的らしいな」
 
「人を殺してまで宝が欲しいか」
 
黒ローブが交互につぶやき、その声を掻き消すようにさらなる銃弾が降り注いだ。
 
「愚かな!」
 
「シムルグ! 伏せて!」
 
かすれた雪丸の声。
 
 
──伏せてる場合じゃない
 
 
胸を押さえた雪丸の長い指が、見る間に血塗られていく。
コートの腕が、滴り落ちた地面が……
──伏せてる場合じゃない
 
少年は彼の偉大なる翼を広げた。
 
 
『シムルグ』たる証。鳥の王たる証。
紅く、陽光さえも凌ぐあでやかな翼。
……炎の翼。
 
 
少年は躊躇わなかった。
それがあの「密猟者」とかいう人間を殺すことになってもかまわない。
この島を丸ごと灰にしてしまったってかまわない。
彼はその躊躇なく大きな翼を羽ばたかせる。
ひと振り、ふた振り、草原は燃え盛る炎に包まれた。
 
 
神聖なる炎に囲まれて、銃弾は止み、執行部の姿もない。
倒れこんだまま動かない雪丸と、事態を全く感知していない鈍い鳥が二羽。
 
「雪丸、死んでないよな?」
 
シムルグは彼の身体を抱き起こした。
少年の姿のせいもあるだろう、細い細いと思っていた雪丸の身体は意外に重かった。
 
「……死んじゃいないよ」
 
そう笑う彼の顔には血の気がない。
おまけに胸の紅い染みはどんどん広がるばかり。
 
「雪丸、痛い!? どうすればいい!? オレだけじゃ戻れねぇよ!! 早くしないとお前死ぬぞ!!」
 
わめきたてたシムルグに、青ざめた顔の雪丸はにっこり笑いかけてきた。
 
「邪魔者扱いして悪かったねぇ、シムルグ。大丈夫。死にはしないさ。……けど、そうか、帰らなくちゃならないのか、……じゃあ魔方陣を描いてくれるかい?」
 
 
──良かった、案外大丈夫なんだな
 
 
「これ描けばいいんだな? 分かった、待ってろ。死ぬんじゃねぇぞ」
 
 
例えその存在が魔法であっても、儚きものであっても、その消滅は世界の歩みに一陣の風を吹かす。
歯車を直すか、狂わせるか。
そのどちらかとして、やがてその風は嵐となる。
いつか、必ず。
 
 
 
「雪丸。描けたぞ、次はどうすんだ?」
 
数メートル先に魔方陣を描き終え、シムルグはぱたぱたと足音軽く雪丸に近寄った。
だが、軽い口調の返事はない。
ぴくりともその身体は動かず、眠っているようにも見えるが──
 
「雪丸? ……雪丸!」
 
静かに目が閉じられた、その端正な白い顔は彫刻のようで……
 
「雪丸!?」
 
 
 
 
◇  ◇  ◇  ◇  ◇
 
 
 
 
 
 
少年は薄暗い廊下をひとりで歩いていた。
協会の、牢獄とも言える病室へ向かって。
 
あの島からは、戻って来た執行部によって助けられた。
雪丸も、シムルグ自身も、驚くべきことにドードー鳥も。
炎も沈下。あの人間たちの行方はわからないが、ともかく無事だった。
 
 
 
 
しかしあの男は、未だ深い眠りから覚めぬまま。
大きな窓から入る外の光が彼を照らしても、彼は眠り続けている。
朝を忘れたように。
 
掛けられた布団の小さな上下だけが、彼が生きている証拠。
彼を診た医師は命には別状はないと言っていた。
だが、未だ彼が眠り続けている理由は分からないとも言っていた。
 
 
雪丸の病室には、シムルグ以外誰も来ない。
今回のことは、多少大きな事件になったのだけれど。
少年は枕元の小さな椅子に座ってため息をつく。
 
 
協会は咎めナシとの結論を出した。
ドードー鳥の保護も認めた。
巷の噂では、雪丸ほどの人材をこんな小さなスキャンダルで失うわけにはいかなかったかららしい。あのテキトー魔術師がそんなにも高い評価を受けていることにはびっくりしたが、彼を失うことは協会にとってかなりの損失になるのだという。
 
それに、もしドードー鳥の保護を認めなかったら、あの男は何処までもしつこくこの事件を繰り返すだろうということも協会の見解。
無論、ついていっただけのシムルグにもお咎めはなかった。……それどころか雪丸を救ったとして誉められたくらい。
 
 
 
 
安らかな笑みを浮かべてひたすら惰眠を貪っている雪丸の顔を見ていると、シムルグはいつでもふと思ってしまう。
 
 
 
──ホントは雪丸、世界が嫌いなんじゃないか?
 
 
 
世界はいつでも彼に失望を与えている。
彼はいつでも笑顔の中でチラっと眉をひそめる。
彼には、醒めない夢の中の方が似合っている。
 
 
「でも……、早く帰ってこいよ」
 
 
 
 
 
シムルグの足音が遠ざかり、機械仕掛けの人形のように雪丸の目がぱちっと開いた。
相変わらず貧血の蒼白顔をしてはいるが、人を喰ったような笑みは生者そのもの。
彼は数秒そのまま静止していたが、ふと思い出したように息をつく。
 
 
 
「心配してくれる人がいるって、いいもんだね」
 
 
 
 
 
 
THE END
 

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