- 終わりを知っていながら、その終焉へと歩み続ける者のなんと愚かなことか。
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- 本当は嫌なんだと言いながら、それでも時の流れに縛られている者の、なんと
- 哀しきことか。
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- 手を止め、空を見よ。
- 罵声を消して、歌を聴け。
- 神の声ではなく、正義の声でもなく、足元に踏まれた花の声をきけ。
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- 知っているならば、躊躇うな。
- 分かっているのだから、背けるな。
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- 未来が壊れる前に。
- 涙で大地が沈む前に。
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- ──すべてがその手から離れる前に。
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- ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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- 「…………」
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- 「…………」
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- シムルグはちらっと横上を見やり、小さく嘆息する。
- 昨日からずっとこうなのだ。
- 横を歩く優男と、赤毛の少年シムルグの間にはまともな会話がない。
- 別にケンカしているわけじゃないし、何かこの男を怒らせるようなことをしたわけ
- でもない。……のだが。
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- 「ねぇ、雪丸」
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- 「何?」
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- 「…………やっぱいい」
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- 「なんだよ、途中でやめるなんて後味悪いな」
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- さっきから話かけているのはシムルグだけだったし、返してくる優男の声はどこか
- 上の空。
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- 「まったく、変な子だねぇ」
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- ふわふわした猫みたいな黒髪に、これまた陽だまりの猫みたいな目。
- 世界の幸せだけを集めたみたいな微笑を浮べて、そんな空気だけを従えて。
- 長身の華奢な体躯に薄い枯葉色コートをまとい。
- 声も、顔も、すべての動作が──優しい。
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- 広い広い地平線の彼方まで続いているたんぽぽ畑。
- 天高い蒼空と流れる白雲、そして花の黄色に輝く陽光。
- それが彼の両手に抱えられた彼の世界。
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- 名は、雪丸京介。世界を統べる魔導協会の中の、幻獣保護局に勤める
- 薄給役人だ。
- だが、ただ今その優しさ故に協会とケンカ中。
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- シムルグにも彼の本心など分からない。
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- いつも浮べている柔らかい笑みは本物なのか。
- いつもの優しい彼と、時折のぞく深く凍れる深淵の彼と。
- 世界の全てをいとおしむ顔をする彼と、世界の全てに失望した顔をする彼と。
- どちらかが本物だと決めること自体、間違っているのか……。
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- 「──着いた」
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- それが昨日から初めて雪丸側から発せられた言葉。
- しかしそれもまた、実に事務的な内容だった。
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- 「……ほんとだ」
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- 彼の視線を追ってシムルグが見れば、草原の向こうに城壁が見えた。
- 緑の中の、石積。
- それはいつもと全く同じような光景。
- ここら辺では、城壁が街を覆っていることが一般的なのだ。
- あの城壁が国、街を様々に守る。
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- 「…………」
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- 「どうしたのさ、雪丸」
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- 「…………痛いな」
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- 街へと続くその道に立ち尽くして、彼は言った。
- 細められた黒の双眸は、しかしじっと見入るように城壁へ。
- そして再びつぶやく。
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- 「やっぱり痛い」
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- 太陽が雲に隠れるが如く、彼の顔から微笑がひいた。
- 柳眉がひそめられ、口が結ばれた。
- 彼は、街を見つめて微動だにしない。
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- 「何が痛いのさ」
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- シムルグが首を傾げると、雪丸は意外にも即答してくる。
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- 「──僕が、さ」
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- 「具合悪いのか? 怪我したところか? それとも別か?」
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- 「身体の奥が微塵切りされてるみたいだよ。銃弾でやられた時より数倍痛い」
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- 滑らかにそう言って、また歩き出す雪丸。
- その歩き始めと同時、草原を風が吹き抜けた。
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- 「こりゃ荒治療になるかもねぇ」
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- 「…………」
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- シムルグは──少年の姿をした鳥の王は、黙ってその数歩後を行く。
- 雪丸の楽しげな口調に、笑っていなかった目。
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- 「疲れそうで嫌だなぁ、まったく」
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- 風に乗るその言葉にはすでに疲労の色。
- 少年には何がなんだか分からなかったが、雪丸にはこれから起こるすべてが
- 見えている様だった。
- この男をまた憂鬱にさせることが、あの街にあるのだ。きっと。
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-
- ──永遠に歩くことになったとしても、ずっとあの街に着かなければいい
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- だんだん大きくなってくる城壁を前に、シムルグは胸中で呪った。
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- ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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- その街は、閑散としていた。
- 門を守る衛兵もなく、道をにぎわう人々もなく、走り回る子どももなく。
- 生なる者の気配がないわけではないのだが、妙にスカスカした街中。
- 綺麗なレンガ造りの家々が寒々しく、ぱたぱたと風にあおられている看板が
- 虚しい。
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- さっきから小一時間。門を入った大通りの先端でじっと立ったままのふたりが
- 見たのは、道を横切ったおばあさんひとり。手前の家から奥の家へと歩いて
- 行ったおばさんがひとり。計ふたり。
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- 聞こえる音といえば、時折思い出したみたいに通ってゆく風の音。どこから
- ともなく微かに聞こえてくる歌声。
- ただそれだけ。
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- 「なぁ、雪丸」
-
- 「ん?」
-
- 「疲れた」
-
- 「……そだね」
-
- 返ってきたのはいつものように軽い相槌。
- けれど見上げた先、優男の眉間には小さなしわ。
-
- 「泊まれるトコ、あるかな」
-
- 「それは大丈夫。協会が手配してくれてあるから」
-
- 「飛び出してきたのに面倒見てくれるんだ?」
-
- 「飛び出したって仕事してやってるんだから当たり前でしょ」
-
- ようやく彼がこちらを向いて笑った。
- 意地悪く口の端がつりあがる。
-
- 「僕だって分かってるんだよ、そう簡単にアイツラが僕を切り捨てられないこと
- くらいね。彼らはまだ僕の力を手放すのが惜しいとみえるじゃないか?」
-
- ──そう、彼は協会が切り捨てられないほどの魔術師。一国すべての人々の
- 命を奪うことも、気に入らない協会幹部を全員呪えることも、できるほどの。
-
- 「僕はお前さんが思ってるほど“いいひと”じゃないんだよ〜。ちゃんと色々
- 考えてるのさ」
-
- 「ふ〜ん」
-
- いつもの調子が戻って来た雪丸を見て、自然とニヤける。
-
- 「いいひとだと思ったことはねぇけどな」
-
- 「そう?」
-
- 軽薄に肩をすくめた雪丸の視線が、シムルグを素通りして後ろへいった。
-
- 「ねぇ、シムルグ。あのおばさんさっきからずっと僕らを見てるんだけど。何か
- したかな」
-
- 「何かしたかなって……突っ立ってただけだぞ」
-
- 見れば、すぐ脇の家の窓から、ひとりのおばさんがじっとこちらを凝視している。
- 出窓いっぱいに飾られた花。その間から見える彼女の顔。
- 沈んだような、すがるような顔。
- それは──きっと人が神様や天使に何かを必死に願う顔。
-
- 「話、聞いてみよか」
-
- 雪丸がコートの内ポケットから免罪符の名刺を取り出した。
- 警備兵の制服や、裁判官の紋章と同じような効果を発揮するこの名刺。
- ちなみに、詐称は重罪である。
-
- 「すいませぇ〜ん」
-
- すたすたと足取り軽く家に入ってゆく雪丸を見ながら、シムルグはひとつ嘆息。
- 何も聞かずに、この街に巣くう幻獣だけカゴに入れてしまえば楽なものを。
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- 静かな静かなレンガの街。
- 風の音よりも小さく流れる歌声。
- 身体に吸い込まれてゆく旋律。
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- 「ひとりでさっさと行くなよ」
-
- まとわりつく感慨を振り払って、少年も後に続いた。
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-
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- ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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-
-
-
-
- 「まぁ、そうですか……協会の方」
-
- 「えぇ」
-
- どうでもいいことにいちいちうなずいて、雪丸が出された紅茶に口をつけた。
-
- 「各地の幻獣を保護したり、調査したり、環境を整備するのが仕事です」
-
- いつもヘラヘラしてるくせに、大人相手だと彼はきっちりちゃっかり役人面。
-
- 自分の前に出されたココアを両手で大事に包みながら、シムルグは探るように
- 室内を見回した。
- しかし、そこはごく普通のレンガ家。
- 疲弊している様子もないし、調度品も小綺麗で品がいい。
- おばさんが身に付けているエプロンドレスにも継はぎはおろか、目立つよごれ
- ひとつない。
-
- 「こちらにはお仕事で?」
-
- 「まぁそういうことですね。幻獣を一匹補導しろ、と。何かお心あたりは
- ございますか?」
-
- 「心あたりなんてものじゃありません。私たちはずっと貴方のような人が来るのを
- 待っていたんです。ずっと、ずっと」
-
- 彼女の声は静かだったけれど、どこか擦り切れていた。
- 待ち続けていた者が今その目の前にいるというのに、その顔には喜びも安堵も
- 見えない。
- そこには年月に刻まれた疲労の色だけが浮いていて、もはや感情を動かす
- 気力さえ失われているようだった。
-
- 「この街の有様はご覧になったでしょう?」
-
- 「えぇ」
-
- 彼女の一語一句が重く、ゆっくりと流れてゆく。
- 柔らかい笑みを浮べて紅茶をすする雪丸は、役人というよりも牧師のように。
-
- 「街と呼ぶには、いささか寂しいですね」
-
- 「──理由が、お分かりですか?」
-
- 「人が……いない?」
-
- 「確かに、人はいません。男は皆、隣国との戦争に出ています。ここは昔から
- 境界を巡って争いが絶えませんから。……リルメ湖の湖底には、両者の
- 創国主が眠っているんです。ですからどちらも譲れない。偉大なる国主のお墓が
- 相手の領土に囚われるなんて、どうしようもない屈辱でしょう?」
-
- 真摯な視線をテーブルに落として、彼女は淡々と言う。
- 真摯な声で雪丸が微笑んだ。
-
- 「慕われているのですね、一代目の国王は」
-
- 「私たちの父とも言える御方ですから。慕われる……なんて弱いかもしれません。
- 私たちは、崇拝していると言っても過言じゃないんです。余所の人には分からない
- かもしれないのですけど」
-
- 「すべて世界は本人のものです」
-
- 雪丸のその言葉に、彼女が笑った。
-
- 「協会には関係ない、ということですか?」
-
- そして今度は彼女のその言葉に、雪丸が慌てて首を振る。
-
- 「いいえ、それは誤解ですよ! 当事者にしか分からないことがあるということです。
- 世界で起こるあらゆる事象について、全部自分が理解できる、善悪を判断できると
- 思ったら大間違いだと、そういうことですよ〜」
-
- 「変わった方なんですね」
-
-
- ──変わった方だから子守りしてるこっちが異常に疲れんだよ、ったく。
-
-
- 足をぶんぶん振り回しながら、シムルグは毒づいた。
- ホントは自分が彼に保護されている身分なのだが、どうもそういう気がしない。
- 何かにつけて、自分が世話を焼いているような錯覚。……錯覚?
-
- 「でも、人がいないのはそれだけじゃないんです。……子どもの姿、見ました?」
-
- 「そういえば、見てませんね」
-
- 「では、歌は?」
-
- 「……歌?」
-
- 歌。
- 風と共に聞こえていた微かな歌。
- 子守唄のような、暖かくて懐かしい、歌。
-
- 「歌なら、聴いたぜ」
-
- 疑問符を浮べている雪丸に代わって、少年は答えた。
-
- 「街に入ってからずっと聴こえてた」
-
- 「……そう。やっぱり」
-
- 彼女の視線がこちらを向く。
- 哀しいような、でも溢れるまでの母親の眼差し。
-
- 「やっぱりまだ歌っているのね。君にも聴こえたのね……。私の息子も言っていたわ。
- 綺麗な歌が聴こえるって。子どもたちはみんな言っていたの、今まで聴いたことも
- ない素敵な歌が聴こえてくるんだって……」
-
- 「──言っていた、ですか」
-
- 使われた過去形に、雪丸が眉を寄せた。
- 手にされていたカップが静かに皿へと降ろされる。
-
- 「えぇ……。そう言っていたの」
-
- 何を想うのか、しばし彼女の目が虚空を彷徨った。そして奥へと続く小さな扉の前で
- 止まる。
-
- 「歌が聴こえたこの街の子どもたちはみんな、……眠ってしまったの。五年前から
- ずっと眠ったままなの。生まれてくる子どもたちも皆眠ってしまうの。この世界を
- 嫌がるみたいに、その歌に連れ去られるみたいに、みんな眠りの国へ行って
- しまうの」
-
- 一気に言った彼女の頬を、やつれたその頬を、一粒の涙がつたった。
-
-
- 「私の息子も、ずっと眠ったままなのよ」
-
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