幻獣保護局 雪丸京介

第九話 「蜃気楼」

今回もまたまた2ページであります……(汗)

 

言葉というものは、史上最大の発明であると評されることがある。
言葉というものは、史上最悪の発明であると誰かがつぶやくことがある。
 
どんな微かな言葉でさえ、──それは時に世界を変え、人の進むべき道を変える。
魔術のひとつよりも輝く光を、剣の一振りよりも大きな傷を、与える。
 
浅慮にかざすなかれ。
深慮を重ねよ。
 
それは魔術より剣よりも強く、だがそれらよりも簡単に振りまわせるものなのだから。
 
 
 
 
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
 
 
 
男は、サングラス越しに空を見上げた。太陽の光がほとんど失せた空。濃紺の、闇忍び寄る空。乱立する高層ビルの合間から見えるそこには、地上の明るさゆえに星はあまり見えない。
輝くネオン、煌々と照らされたショウウィンドウ。
人々は何処へ向うのか、男のことなど気にとめもせずに流れ行く。
途切れることのない車のテールランプがおかしな郷愁を抱かせる。
埃っぽく冷えた空気に、彼を取り巻く話し声、四方から混ざり合う音楽、ひっきりなしのクラクション──不定形の喧騒。
 
「…………」
 
彼は、サングラスの奥に潜めた双眸をすっと細めた。
そして口にしていた煙草を無造作に降ろし──、ため息と共に紫煙を吐く。
 
「──げほッ」
 
同時にのどを押さえて咳き込んだ。
 
 
 
 
よそよそしく装った街。
すべてを内包している一方、全てを排除する。誘惑的で、冷たい。誰もを受け入れ、しかしどこまでも無関心。希薄の中の留まる場所。それを求めて人は集まる。
 
ここは、そんな矛盾に満ちた街。
そしてその雑踏の片隅で、アウトロー気取りの影ふたつ。
カップルが引き寄せられるように入っていく可愛らしいドーナツ屋の前に、彼らは突っ立っていた。揃いの黒コートを夜の街に照らしながら。
 
 
「あのさぁ、やりたくなる気持ちはすごく分かるんだけど」
 
シムルグ──男と同じくサングラスをかけた赤毛の少年は、同情を惜しみなく込めた声音で、苦しげに咳き込む彼を見上げた。
 
「煙草、苦手ならやめとけば?」
 
「一度やってみたかったんだよねぇ……」
 
サングラスを外さぬまま、男は涙をぬぐう。
煙草はすでに横に備え付けられた灰皿の中。儚い炎だった。
 
「せっかくこういうトコロ来たんだし、せっかくこういう格好だし」
 
あっけらかんと笑ったその男の名は、雪丸京介。世界を統べる魔導協会、その一部である外遊部門、幻獣保護局に勤務する薄給役人だ。
各地で消滅しそうな幻獣、不審な動きをする幻獣。それらを保護し、調査するのが彼の仕事である。
 
くせっけ気味の黒髪に、ひょろりとした縦長の体躯とひざ丈の黒コート。猫目な双眸はサングラスで隠されているが、楽しげな笑みがのっかった口元はいつもの如く。
風の吹くままにしなる柳な彼は、典型的──優男。
 
「雪丸。あんたのそういう安易な考えが大人気ないと思うわけ」
 
シムルグはぐったりと肩を落した。
が、当の雪丸はこともなげに、
 
「そんなことばっかり言ってるとシムルグ、お前さん、ロクな大人にならないよ」
 
軽々笑い飛ばしてくる。
 
 
きらきらと光瞬き、めまぐるしく音が駆け回り、浮き足立ってはしゃぐビルの谷間。
雪丸はその影でじっと、存在を隠すように立っていた。ただ静かに、……雇われた、監視者のように。
 
「人生の八割方は苦難だって昔の偉いヒトが言ってるんだから。少しでも苦労を軽減する努力はしても怒られはしないでしょ。でもね、シムルグ──」
 
言いながら、彼は地上の明るさとは分断された頭上の闇空を見上げる。
寒々しくこちらを見下ろしてくる夜。
 
「騙されちゃいけないよ」
 
「……はぁ?」
 
「君は大丈夫だと思うけど、この街は──どこよりも危険な街だからね。信用ならない」
 
そういうことを深刻さの欠片もなく言ってくる彼の方が、よっぽど信用ならない。
少年は胸中でそう嘆息しつつ、とりあえず訊いた。
 
「じゃあ、どうしてそういう危ない街へ来たわけ?」
 
「仕事だからさ」
 
ワザとなのか、男の答えは脊椎反射。
睨んでみても、サングラスのせいで表情は分からない。
 
「そうじゃなくてー」
 
「蜃(シン)
 
いい加減シムルグが険悪な声を上げると、雪丸が丸秘事項を口にする不良社員の如く、吐息と共につぶやいた。
 
「って知ってる?」
 
サングラスをずらし、少年の方へ身体を傾けてくる。
 
「いーや」
 
シムルグ。少年の姿をしている彼だが、実は幻獣。このほにゃらら男に保護された、鳥の王である。故に少年らしからぬ知識を持ち、賢を持つ。
 
「大きな貝なんだけど」
 
「貝?」
 
「そう。貝。こいつが息を吐くと、幻の都が現われるんだ」
 
「幻の都──、蜃気楼か。蜃気楼の“蜃”」
 
「そゆこと」
 
雪丸がサングラスを取り、穏かな瞳を外気に曝した。
髪と同じく黒の……否応なしに他人を引き込む漆黒眼。
 
「蜃の吐く気で創られた楼閣。それが“蜃気楼”」
 
囁かれるその言葉は楽しげなリズムにかき消され、少年以外誰にも聞こえない。
審判者のように佇む黒の男を気に留める者は、誰もいない。
 
「普通、それは短時間で消える。蜃が息を吐いている間だけでね。でも、何故か長い間存在し続ける蜃気楼が観測されていた。同じ所に、同じものが、ずっと。その期間は──許容範囲を超えたんだ。協会は人的な何かが加わっていると判断した」
 
彼は一度言葉を切り、息をつく。
そしてやはり軽い調子で付け加えた。
 
「僕も、そう思う」
 
意味深な笑みがこちらを向いた。
まだハードボイルドを気取り続けている優男。
どこまでが本気なのか分からない、──その笑顔。
 
「つまり」
 
少年は雪丸を横目で見上げて肩をすくめた。
 
「この街が、その観測された地点。問題の“蜃気楼”なわけだな?」
 
「当たり」
 
サングラスをかけ直した雪丸が、光を見据えて口の端を上げてくる。
 
「ここは、まやかしの都」
 
それは──久しぶりに見る、軽快な笑顔だった。
 
 
 
 
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
 
 
 
 
「雪丸。ここが『蜃気楼』、幻の街だとして、それがなんで危険なんだ?」
 
「人を喰うからだよ」
 
「でぇ!?」
 
先を歩く雪丸の背中を追っていたシムルグは思わず足を止めた。
が、止めた後で(そういえば俺は鳥だったっけ……)などと思い直す。
 
しがらみも煩わしいこともない幻ほど、人の心を掴んで離さないものでしょ」
 
前を向いたまま雪丸が解説をつけてきた。
 
「現実に傷つき失望した者は、無意識にこういう場所に来るもんなんだよ。そして幻に埋没していくんだ。心を痛めることもなく、波風も起こらない、悩みもせず、ため息もつかなくていい」
 
「…………」
 
シムルグは耳をそばだてた。
その口調の中に、憧れの切片が混ざっていないか確認するために。
しかし──
 
「人を喰うっていうのはつまり、麻薬と同じ。抜け出せなくなるってことだよ。いや、こういう街は麻薬よりもタチが悪いかもしれない。抜け出そうという意志さえ失うからね。……ただ僕としては……彼らを強制的に現実へ連れ戻す必要があるのか、疑問だけど」
 
彼の声には、あと一歩のところで手が届かなかった。まるで薄いガラスで遮られているかのように届かない。
感情がこもっていないわけではないのだ。
全く事務的なわけでもない。
だが、真意だけが欠けている。隠されている。
 
「彼らは、自分を守るためにここに逃げ込むんだ。自分が、壊れてしまわないように」
 
雪丸はどこを目指しているのか、その足取りはしっかりしていて迷いがない。
ただ歩いているわけではなさそうだった。
 
「幻術師ってのは知ってるよね?」
 
「……うん」
 
口々に笑いあうグループ。幸せそうに会話を交わすカップル。どれが幻でどれが迷い込んだ人なのか、シムルグは通り過ぎる人々を注視したままうなづいた。
 
 
幻術師。
彼らは、戦いの場において様々な奇襲策のために呼ばれる特殊な魔術師達である。
直接的な攻撃ではなく、「威圧」「脅し」「戦力の偽り」を担当する。戦いの行方を左右するのが雪丸のような実践的魔術師であるならば、戦いの規模を左右するのが彼らだと言ってもいい。
 
しかし彼らの本業はもっと創意的なことだ。
吟遊詩人の歌う英雄譚を幻と再現してみせたり、記憶としてしか存在し得ない世界を夢と現してみたり。そうして人々を楽しませ、癒す。それが、幻術師。
それが、幻術師にしかできない仕事である。
 
「幻術師っていうのは、結局のところ『蜃』を一般人以上に巧みに、思うままに操れる人間のことを言うんだ。でも『蜃』の息にはやっぱり限界があるから、長く幻を伸ばそうと思ったら、多くの『蜃』に同じ幻を吐かせる腕が必要になる」
 
「難しいのか?」
 
「お前さんがいっぱいいたとしたら、僕はどうなると思う?」
 
「あんた、一瞬で生き埋めにされるな」
 
「…………」
 
雪丸の声がしばし途切れる。
が、
 
「たくさんの『蜃』に同じ幻を時間差で吐かせることは難しい。それ以上に、その時間差のつなぎ目を隠すことが難しい」
 
どうやら整理がついたらしい。かなり強引に全てを抹殺し、彼は続けてきた。
見上げれば、男のサングラスにネオンが光る。ざわつく街が映りこむ。
 
「だから、協会に目をつけられる程長い間、同じ蜃気楼を具現させておける幻術師はそう多くない。──いや、多くないじゃないな。少ないんだ。ほとんどいない」
 
そこまで言って、雪丸が立ち止まった。
見えない視線で脇のビルを指してくる。
 
「…………」
 
ひとつだけ、明かりのないビルだった。
廃屋……とでもいうのだろうか。ぽっかり空いた入り口から向こうには、それこそ人を喰うような闇が大口を開けている。
メインストリートにあるというのに、そこだけまるで別の空間。
現実と、幻の境であるかのような不気味な静寂。
 
「幻術師は魔術師と違って危険性が少ないものだから、僕らみたいに色々うるさく縛られたりしないんだ。だから、誰がいなくなったとか、誰が死んじゃったとか、あまり信じられる記録はなくてね。協会はこの街を創ったのが幻術師だろうという推測は立てたものの、それが誰によってかは判断できなかった」
 
協会「は」。
シムルグは少しだけ胸の奥が苛立つのを感じた。
 
(何故雪丸はどこまでも先を見通す?)
 
どうしてこの男は、正確すぎるほどに世界を知っている?
 
「心当たり、あるのか?」
 
「……なかったら偉そうに講釈したり呑気に探偵ゴッコやってたりしないよ」
 
どうやらサングラスと黒コートはアウトローではなく、探偵のつもりだったらしい。
──思いっきり逆の役柄ではあるが、この際そんなことはどうでもいい。だろう。たぶん。
 
「あぁ、そうだそうだ」
 
どうやらこの荒んだビルに入る様子の雪丸が、一歩足を出した状態でくるりとこちらを向いた。
 
「たぶん君は大丈夫だと思うんだけど、これ、お守りね。危なくなったら唱えて。……でも、危なくない時に使っちゃダメだからね」
 
ずいっと差し出されたのは彼の名刺だった。
裏返せば、似つかわしくない流麗な文字でなにやら書いてある。どう見ても何かの呪文だ。
 
(メモじゃないんだから……)
 
ややげんなりしつつポケットにしまうと、雪丸がこちらを見下ろしたまま念を押してくる。
 
「いい? 危なくない時は使っちゃダメだよ。ただでさえ僕用の術で効力が大きいんだから。僕はいつも呪文、唱えたりしないでしょ。言葉に出したらとんでもない力になるからね、やったら責任取れないかもしれないし。言葉ってのは、人間が思ってるよりずっと恐ろしい魔力を持ってるんだよ。だから、いい? 分かった?」
 
「あーあーあー、分かりました。分かりました。死んでも使いません」
 
投げやりに少年が約束すると、
 
「──うん、その方がいいかもね」
 
大真面目な声音で雪丸がうなづく。
シムルグは眉根を寄せて訊き直した。
 
「その方がいい?」
 
「使ったせいで死んじゃったら洒落にならないよね」
 
「雪丸、あんたなぁ……」
 
どこまで本気なのか分からないその男は、まぁいいじゃない、とぱたぱた手を振って、逃れるように闇へと溶けて行く。
 
(あぁぁぁ、なんだかなー)
 
どことなく哀しい気分で、シムルグも光はしゃぐ街を後にした。

 

 

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