幻獣保護局 雪丸京介
第18話 夜明けは
後編

「詐称ではありません」
街の中心に門を構えた、重々しい雰囲気の建物。その一室で、雪丸は頑なにそれだけを繰り返していた。白々しい澄まし顔で。
魔導協会の存在と正当性を主張してみたところで埒が明かないと、見切りを付けたのだろう。……遅すぎる気がするけれど。
「じゃあ訊くけどなぁ、この“魔導協会”ってのはどこにあるんですかァ〜?」
トカゲによく似た顔の男が、必要以上に語尾を上げて机をばんばんと叩いた。置かれているのは、例の役に立たない紙切れ。役に立たないどころか面倒を引き起こしている。
「あなた方の知らない場所です」
足を組み、下から見上げていてさえ相手を見下ろすような雪丸のその口調は、いっそ頼もしい。やればできる男だとは思っていた。
「“この人は精神を病んでいます。病院にいれるのが適切でしょう”とかなんとか言われるのを期待してたら大間違いだぞ!」
トカゲと対であるらしい、カメみたいな小男が壁をごんっと殴った。
「役人ってのはなァ、掟の番人なんだよ。それを騙るってのがどれくらい重大なことか分かってんのかテメェ? 世の中の秩序を根本的に揺るがすということなんですけどねェ〜!」
「役人というのは公の僕であって、世界の使用人です」
「言いたくなければいいですよ〜。俺たちにはお前を分析してやる義理はナイんだからな!」
トカゲが雪丸の耳元で嫌味たらしく言えば、
「騙った瞬間の証人はいるんだ。判子押して終わりにするか」
カメがひらひらと薄っぺらい紙を取り出す。
「お好きなように」
雪丸がぶすっとした目をふたりに向けたその時、切羽詰まった音をたてて部屋の扉が開けられた。
そして、
「ちょ、お前ッ、何!」
トカゲとカメ、ふたりが腕を引っ張られて部屋の外に出て行った。
「……どうしたんだろ」
「サァ。何かもっと重大な事件でも起きたんじゃない?」
そう言われるとそれ以上続ける言葉もなくなり、シムルグは仕方なく壁の木目を数え始めた。横では雪丸が眠そうにゆらゆら足を揺らしている。
この男のことだから、とりあえず暖は取れて良かったくらいに思っているかもしれない。
それから待たされることしばし。
再び突然扉が開き、気持ち悪い笑みを浮かべたトカゲとカメが戻ってきた。もみ手をしているのは、新手の嫌がらせなのだろうか。
明らかに雪丸もぎょっとした顔つきでひいている。
しかし、
「嫌ですねぇ〜〜、雪丸先生。どうしてもっと詳しく教えてくださらないんですか! 雪丸先生ほどの御方がこんな辺境にいらしているだなんて我々は思いもしないんですから!」
それがトカゲの第一声だった。
「……はい?」
「この辺の小さな街を管理している王国がアッチの方向にあるんですけどね」
トカゲが指差した方角には、窓からはみ出た月があった。
「我々は公僕であるからして職務怠慢は許されないわけで、本当に失礼なことだったわけですが、アチラに先生のご身分のご照会をさせていただきましたわけであります。しかしそうしたらもう! 先生はあの天下の魔導協会の、その中でも名高い魔術師様だと回答が返ってきたじゃありませんか!」
魔導協会本部に問い合わせたなら、“悪名高い”と返ってきただろう。つながりの薄い場所でよかったよかった。
「本当にこの街は脳ナシばかりでお恥ずかしい。先生のことを詐欺師扱いするなんてねぇ! ホラ! 謝罪!」
「申し訳ありませんでした!」
トカゲに小突かれて、カメがブンッと音が聞こえるほどに頭を下げてくる。
すると雪丸はとまどうでもなく嫌な顔をするでもなく、
「いいんですよ。あなた方くらい聡明ならば、すぐに分かっていただけると信じていましたから」
満面の笑みを浮かべていた。
「そこでですね、あなた方に極秘で協会に協力していただきたいのですが」
優男が“極秘”にアクセントを付ける。
トカゲとカメが真剣な眼差しで身を乗り出す。
「私とこの助手が仕事をするにあたり、拠点とできるような宿を手配していただきたく」
トカゲとカメの4つの目がシムルグに向けられ、にこやかな雪丸京介に向けられ──、
『ハイ! ただ今!』
ふたりは足音高らかに任務へ出て行った。
「やた! ご飯と寝る場所確保!」
ぱちんと指を鳴らす雪丸。その姿に背を向けて、シムルグはふと遠い目をした。
「それでいいのかお前の人生」
◆ ◇ ◆
「雪丸、起きろよ。見かけは夜だけど、もう昼飯の時間だってよ」
シムルグが大きな音をたてて木製の扉を閉めても、自称保護者の雪丸京介が起きてくる気配はなかった。
「いつまで寝てんだよ」
トカゲが瞬時に手配してくれた宿は、豪勢ではないが貧相でもない。大きめの寝台がふたつに、古風なサイドテーブルがふたつ、やや弾力が薄れたソファ、そして凍てついた空気には欠かせない暖炉。
もともとこの街は行商人の中継地点であって観光地ではないのだから、これだけそろっているなら上々だ。おまけに宿の裏には温泉があり、雪丸やシムルグも例に漏れず昨夜(?)は街の人々や旅人と雪見温泉を楽しんだ。……楽しみすぎた結果がコレだ。
「ユーキーマール。ぐーたらしてるとカトブレパスになるぞ、起きろってば」
起きろと言えば言うほど綿布団の中に埋まっていく黒髪に、こいつは一生結婚できねぇなと確信する。
「じゃあいいよ。ずっと寝てろよ。お前と話がしたいってお客さん待たせてるから、いい加減部屋に来てもらうぞ。お前寝たままでいいから」
そう言って寝台に背を向けると、布団の中から一言二言何か返事らしきものがあり、もぞもぞと布団の動く気配がした。
「だーるーいー」
シムルグが水差しから水を注ぐ背後でそんな単語も聞こえてくるが、無視。
「お客呼んでくるからな」
サイドテーブルの上に水を置いてやり、客人を迎えに行く。そして彼が再び部屋に戻った時──、
「オハヨ」
優男は“どうにか起きました”の体でソファに座っていた。寝癖のままの黒髪、ギリギリ開いている双眸の下にクッキリ広がるクマ。見た目からして調子の悪さ全開で、“よし”と言ったら今にもソファに身体を埋めて泥睡しそうな勢いだ。
「オハヨウと言ったからにはその言葉に誇りを持てよ、雪丸。寝るな」
「わ、分かってるよ……」
何を分かっているんだか、返事とは裏腹に根性ナシの身体は傾き始めている。
……が。
「──アンタがエライお役人か!!」
「っ!?」
突然突きつけられた大声に、雪丸が呆けた顔でのけぞった。
「頼むからさ! ヒラールを追い出さないでくれよ!」
シムルグの横を疾り抜け、雪丸の前で手を合わせて膝をついた青年。その彼が、長い時間待たせていた客人だった。
「なぁ、弱いものいじめはよくないだろ! 頼むよ! あいつ、みんなが言ってるような悪い奴じゃないんだって! みんなあいつのこと何も知らないくせに好き勝手なこと言ってるだけだよ!」
彼は派手な金髪に合わないくたびれた衣服を着て、半分笑い顔、半分泣き顔で勢い良くまくしたててくる。
「誤解なんだよ! あいつは俺みたいに口まわんねぇから、いっつも分かってもらうのを諦めちまうんだよ!」
「……は、はい?」
肩を揺さぶられ、気圧され気味に返す雪丸。丸く見開かれた目からすると睡魔は吹き飛んだらしい。
「だ・か・ら。ヒラールを追い出すのはやめてくれっつってんの!」
「……ヒラールって誰?」
「…………」
雪丸の疑問符に青年が固まった。
シムルグは部屋の入り口に立ったまま、肩でため息をついた。どうせこんなことだろうとは思っていたのだ。
「ヒラールってのはな、例の召喚士だよ。フェニックスの召喚を放棄して、この街から朝と春を失わせた召喚士」
「追い出すってのは?」
雪丸の上目遣い。
「昨日お前がこの街の役人と約束したんだよ」
「へぇ〜……え?」
雪丸は、酒が入った温泉接待のことを何一つ覚えていなかった。
杯を呷るたび街の人々からこぼれる、どんなに住民が疲弊しているかの愚痴も、召喚士への恨みつらみも、それだけ恨まれてもなお街の見える森に住み続ける召喚士への憤りも。
そしてその召喚士をいい加減みんなの目の届かない場所へ追い払ってほしいと街人たちに懇願され、あっさり引き受けたことも。
「僕がそんなこと引き受けるなんてねー」
青い雪をかきわけながら、雪丸が間延びした調子で言った。
彼が向かっているのは、森の入り口にあるというヒラール召喚士の家だ。
「俺は止めたからな。お前が覚えてなくても確かに止めたからな。そんなやくざなことやめろって」
「目に浮かぶ」
「なぁ、お役人! 約束してくれよ!」
ぴょんぴょんと器用に雪の中を先回り、ふたりの行く手を遮った青年──自己紹介によると名前はファジュル──が、雪丸の手を握りぶんぶんと振り回した。
この寒いのに外套も羽織らず、しかもよく見れば半袖だ。
「あいつを追い出さねぇって約束してくれよ!」
この底抜けに明るい青年の唯一の友達が、ヒラールという件の召喚士なんだそうだ。
街の住人が口をそろえて召喚士を非難する中真正面から直談判にくるなんて、よっぽどの友達想いか単なるバカか。きわどい。
「──君には悪いけど、約束はできないよ」
ファジュルを避けて、雪丸が前に進む。
「どうして!」
ファジュルが追いすがる。
「言い分も聞かないで悪くない奴追い出して、結局それがお役人かよ!」
「本人の言い分を聞かなきゃ悪いか悪くないかなんて分からないじゃないか」
「……そりゃ、そうか」
素直なのか何なのか、青年は語気を沈めてあっさり引き下がる。
「それから──」
雪丸が、新雪の上に足跡を付けた。旅人や隊商の道筋からは外れ、月夜に深々と広がる針葉樹林の森へ。
「協会と君らの役人を一緒にされちゃ困る。僕らは秩序と最大公約数のために誰かを切り捨てるだけじゃない。誰かひとりのために本気になるし、命も懸ける」
そして彼は、木々の合間に見える小さな小屋を見据えてつぶやいた。
「きっと、僕は彼に呼ばれたんだね」
「お前の仕事は、朝を呼ぶことだ」
ヒラールが父からその杖を譲られた時、彼はまだ幼年だった。
「はい。頑張ります」
しかしその手がいくら小さかろうと、不死侯フェニックスを召喚できる才能に違いはない。神童と称された子供は、その日からオルトロスに朝を運ぶ役目を負った。
誰よりも早起きをしなければならない責務だったが、少年は文句ひとつ言わなかった。
初めて己が手でフェニックスを呼び出したその瞬間から、彼はその霊鳥に魅入られていたのだ。
燃え盛る炎の赤。輝ける暁の黄金。世界を目覚めさせる夜明けの王。
羽ばたきは地平の色を変え、流れる雲の色を変え、街を原野を吹き抜ける風の色を変える。一声は空気に澄み渡り、あらゆるものの鼓動を呼び起こす。
たった一羽の鳥が世界の色を塗り替える、世界を清冽な生へと引きずり込む。
そんな神にも等しい幻獣が、自分の呼び声に応じて現れるのだ!
少年にとってフェニックスは、もはや仕事の歯車ではなく生きる意味そのものだった。
彼は時間の許す限り、フェニックスにねだられるまま笛を奏で、香草を食べさせ、一緒にいた。
その美しい鳥が神であると同時に悪魔でもあり、心を完全に奪われたが最後、召喚士の方が餌食になってしまうことはよく知っていた。こちらが主なのだと一線を画さなければ、一瞬の隙をついて命を喰われてしまう。彼らが使役されているのはそれを狙っているからだ──そのこともよく知っていた。
だが彼は止めなかった。
その愚行を父親に見つかりこっぴどく叱られた後も、彼は大人たちの目を盗んでは霊鳥と共にい続けた。使用人の息子ファジュルが見張り役となり、街の外に広がる森で。
「すみませぇぇーーーん」
雪丸が力なく小屋の扉を叩く。
「あまりの雪で遭難しちゃったんですーーー。泊めてくださいませんかーーー」
「わざとらし」
シムルグがぼそっと言うと、雪丸もぼそっとニヤついてくる。
「どんなに演技くさくても、ホントにイイヒトなら断れないの」
「うわー」
「すみませーーーん。誰かいらっしゃいませんかぁ?」
雪丸が全く悲壮感漂わない無遠慮なノックを続ける。
それから時を置かず、つまり居留守を使っていた様子もなく、
「……はい」
扉は開いた。
「すみません。この雪で遭難しかかってしまったので一晩泊めていただけると嬉しいんですが」
「遭難?」
顔をのぞかせた小屋の住人は、雪原に点々と続く足跡を指差して言う。
「え、でも、あなたがた街から来たんじゃ──」
「えぇっ!? 街!?」
雪丸が鋭い声音で大袈裟に振り返る。そしてへろへろと雪の中に座り込んだ。
「本当だ。ようやく街が……! でももう力尽きて一歩も動けません。……ねぇ、シムルグ」
「え? あ、あぁ! あの、泊めてくれなんてずうずうしいですから、なんか温かいもの一杯だけでもお願いできませんか?」
「…………」
真っ直ぐな灰青色の瞳に見下ろされ、しかしシムルグも目をうるうるさせてみたりなんかして、対抗。
「……大変でしたね。どうぞ、今、お茶をいれますね」
うなずいた召喚士が扉を大きく開け、回れ右をした。 瞬間、
「やたっ!」
シムルグの横で、雪丸が小さく指を鳴らす。
(──ホントにこれでいいのかこいつの人生)
しかし少年は、小屋に一歩入るなりそんなツッコミも忘れ絶句した。
(なんだよ、フェニックスいるじゃねぇかよ!)
寝台も台所もテーブルも、すべてが詰め込まれた大きな部屋。その隅にひっそり置かれた止まり木の上に、一羽の赤い鳥が休んでいる。
月を背に戸口で影を伸ばす雪丸の方をじっと見て、紅の目は瞬きすらしない。
「お邪魔します」
見えていないわけがないだろうに、魔術師は何食わぬ顔で扉を閉めた。
ちなみに、ファジュルはファジュルの希望で外にいる。
「外套はこちらへどうぞ。そこにお座りください」
「どうも」
椅子を勧められた雪丸が、視線を止まり木へとやった。
「それにしても、雪が多いところですね。こんな街から離れたところで何をされているんですか? 不便でしょうに」
「…………」
白い──まるで召喚士というより騎士に近い──かっちりとした白い衣装で身を包んだ青年が、言葉を探して動きを止めた。ポットに注がれていたお湯が溢れ、慌てて動きを取り戻す。
「あ、そうそう」
雪丸がコツンとテーブルを叩いた。
「僕は魔導協会って組織の下っ端をしている雪丸京介です。こっちの小さいのは助手のシムルグ。わがままを聞いてもらってありがとうございました」
ふたりで同時に頭を下げる。
そして顔を上げると雪丸がひとりでべらべらしゃべりだした。
「魔導協会ってのは人使いが荒くてですね、地図もくれずに“ココへ行け”なんですから、無責任もいいところですよ。僕の兄弟子のひとりも協会にいるんですけどね、そいつが“ヒマなうえに儲かる”って言うから必死で勉強して入ったのに、きっと部署が違うんですよねぇ、僕は協会のデッカイ建物内に座っていたためしがない」
自分から飛び出しているクセによく言う。
「役人って嫌な商売ですよ。建前のために人を見殺しにするし、正義を掲げて人の心を斬ったり、どうにかして白と黒に分けようとしたり。何も失わないように頑張ればいいんでしょうけど、どうもそういう性分じゃないようで、ダメですね」
「性分、ですか」
青年が静かにカップを配る。白い湯気をたてるそれからは、すっきりとした香草の香りがしていた。ハーブティーかもしれない。
「何かを護ろうとしたら何かを失わなければならないって、割り切ってしまう性分です。世界はこういうものなんだと、時々あきらめそうになるんですよ」
雪丸が笑った。
「仕事を思い返せば、そうやってあきらめてしまったものがたくさんあります。ひとつの町すべての住民から命を奪ったり、神様や村人から故郷を取り上げたり、護り続ける幽鬼を地獄に引き渡したり。それ以外に方法はなかったのかと反芻し続ける記憶ばかり積もってく」
それは、彼が人のための魔術師ではないからだ。
彼は幻を救うためにいる。
「随分、色々なお仕事をしていらっしゃるんですね」
「世界の雑用係ですから。それで、貴方は何をしていらっしゃる?」
自分を軽く笑い飛ばした後、雪丸が問いかけを戻した。
「私は──」
石のような無表情を温かく香るハーブティーに映し、青年はようやく答えた。
「私は、召喚のできない召喚士です」
幼年期などとうに過ぎ、青年と呼ばれる日もそう遠くはない頃。
神童と謳われた召喚士の少年は、声を嗄らして森の中を走っていた。
彼のわがままに唯一付き合う、使用人の息子も一緒になって走っていた。
異国の舞踏団の公演を楽しむ間森に放しておいたフェニックスが、忽然と消えてしまったのだ。あんなに目立つ姿なのに、探せど探せどどこにもいない。どれだけ呼んでも返事はない。
勝手に魔界へ帰ってしまったのかと帰路についたふたりだったが、翌日、ヒラールはフェニックスを召喚することができなかった。それだけではない、世界中から朝が消えていた。
世界に点在する夜明けの召喚士誰ひとり、不死侯を呼ぶことができなかったのだ。
それはつまり。
──“不死鳥が死んだ”
街を、平原を、砂漠を、港を、一報が走り抜けた。
少年に、その言葉は奇異に聞こえた。不死鳥が死ぬはずはない。
父も言った。
“三日もすれば戻ってくる”、と。
自らを自らの炎で焼き尽くし、そしてその灰の中から蘇る。死からの復活、再生こそが不死侯が悪魔の不死侯である所以ではないか。
三日後、彼はファジュルを伴って森へ出かけた。
ふたりで一日中土だらけになって、ようやく見つけた。
真っ直ぐに伸びた松の根元、こんもりとした灰の上にすっくと立ち、こちらを見つめている赤い霊鳥の姿を。
「前よりちっちゃくなったなぁー!」
目を細めて走り寄るファジュルの後ろで、ヒラールは眉を寄せじっとその鳥を睨みつけていた。
召喚士の鉄則を護らず不死侯に接しすぎた彼は、見た瞬間悟っていた。
──これは、あのフェニックスじゃない。
「ご覧になったでしょう。この街には夜と冬しかないんです」
低く抑揚のない青年の声は、この街そのものだ。寒さにかじかみ、凍えきっている。
「私が不死侯を召喚できないから、こうなってしまったんです」
あきらめきっている。
「なぁ、じゃあさ、あいつは何?」
シムルグはティーカップ片手に止まり木を指差した。
「え?」
「あそこにいらっしゃいますよ、不死侯は」
雪丸も、今度は見ないふりをせずさらりと告げる。
「…………!?」 しかしワケが分からないといった召喚士の顔つき。どうやら彼には本当に不死侯の姿が見えていないらしい。
「僕は召喚士ではないので詳しいことは分かりませんが、」
優男が青年へと黒曜の目を向けた。
「呼べないのではなく、貴方が呼ぶことを拒否しているんじゃありませんか?」
「……何を……」
立ち上がりかけた召喚士に、雪丸がお茶をすすって呑気に言う。
「構えることじゃありません。誰にでも、触れたくないものはあります。例え触れる義務があったとしても、どれだけ非難されても、白眼視されても、背を向けたいものがね」
何か言いかけた召喚士が、ぐっと口を結んだ。
「僕にも、逃げ続けている人がひとりだけいますから。きっと、いつか、否が応でも顔を合わせる時が来るんでしょうけど」
シムルグは魔術師を見上げた。
寝坊のせいでいつもより黒髪がはねている。夜更けの宴会のせいで顔から生気が抜けている。椅子から蹴落としたら、これ幸いにと床の上で寝始めるだろう。
「貴方は、何から逃げているんですか?」
強い、決して回避を許さない語気。
──これは、あのフェニックスじゃない。
「……不死鳥は、自らを焼いた灰の中から蘇る。そう言いますよね」
白の召喚士が大きく息を吐いた。
「そう聞いています」
「蘇るなんて、ウソです。確かに灰の中から命は生まれる。けれど、それは同じ命が返ってくるわけじゃないんです。転生した、新たな不死鳥が生まれるだけなんですよ」
少年から脱し切れていない青年の声は硝子のように硬い。
「命はつながっているけれど、死んだものは死んだもの、二度とは返ってこないんです」
彼が口を閉ざすと、ぱちぱちと暖炉で薪の燃える音だけが響く。
まるで、過去を吐き出すたび崩れてゆく彼の肩を撫でるように。
「私は……年を経るごとに、フェニックスにひきずられている自分を感じるようになりました。遊んでいても、ふと意識をのっとられる感覚があったんです。当然、そんなはずはないと自分に言い聞かせました。フェニックスがそんなことをするわけがないし、私はそんなことを許すほど落ちぶれた召喚士ではない、と。それでもやはり怖かった。だから、理由をつけては彼から遠ざかろうとしたんです。あの日もそうでした」
彼が顔を上げた。
「本当は舞踏団なんてどうでもよかったんです。観たいわけじゃなかったし、観ろと言われたわけでもなかった。でもフェニックスから遠ざかるためのいい口実だった」
「誰への口実ですか」
「……私の友人です。彼は私と同じくらい不死鳥が好きでしたから、森で遊ぶときはいつも一緒でした。森だけじゃない、私にとっては何をするにも彼が一緒にいるのが当たり前だったんです。だからこそ口実が必要だった」
「そうして貴方がその口実のために舞踏団の公演を観ている間に、不死侯は自らを焼いて死んだ」
「…………」
沈黙は肯定。
やがて召喚士は顔を歪めて唇を噛む。
「……始めは離れるのも惜しくて泣いていたのに、月日が経てば自分の力不足のせいで腰を引いて嘘をついて距離を置いて。いつか前みたいに、いつか前みたいになんて思っているうちに、あいつは死んじゃったんですよ」
「貴方が悪いわけじゃない」
「あなたはそれで納得しますか」
「いいえ」
雪丸が、自分で言った正論を簡単に否定するのはよくあることだ。
そんな役人の返答に、召喚士がさらに言葉を重ねた。
「思うでしょう? あぁしてやれば良かった、こうしてやれば良かった。あいつは私の嘘なんか見抜いていたんじゃないか、子供の時みたいにもっと人の傍で楽しくやりたかったんじゃないか、森の中をひとりで歩いている時何を思っていたんだろう──」
「どれだけ何をしても、後悔は後から後から湧いてくる」
「私は、あいつを置いて自分だけ幸せになることがどうしても許せないんです」
「…………」
雪丸は、眉ひとつ動かさなかった。
「死んだ不死鳥はそんなこと何とも思っていない。私ひとりのことなんて、覚えていないにも等しい。それは全部あなたの精神の問題だ、なんてことはわかってますよ。さんざん言われましたから」
「不死侯が何を思っていたかなんて、僕には分かりませんよ。ただ、何も思っていないというのは間違いです。悪魔にも、幻獣にも、意志や情はある。貴方を恨んでいたかもしれないし、感謝していたかもしれない」
「だったら尚更」
「この夜と雪は貴方自身への罰のつもりですか? 街の人々を巻き込んで? いつまでやっていれば、貴方はここから一歩踏み出す気になるんですか?」
「…………」
答えのない召喚士を一瞥し、雪丸が椅子を引いて立ち上がった。
柔らかな造作の顔には、冷ややかな魔導協会の色がのっている。
「どこへ──」
腰を浮かせた召喚士を遮って、
「そんなに哀しみと自責に浸っていたいなら、徹底的にやればいいんです」
魔術師は氷の夜へと出て行く。
「…………」
「あいつ、変人だから。良いことだろうが悪いことだろうが、やるとなったらやるぜ」
シムルグはハーブティーを飲み干し、カップをテーブルに戻した。
「……何を」
「あいつは何でもできる」
それは確かだ。あの男はやろうと思えば何でもできる。いつも“何もできない”と嘆いているのは、本人が思っているほど割り切れていないからだ。何も失いたくない理想を、捨てていないからだ。
「ファジュル!」
気が付けば、戸口で召喚士が声を引き絞り叫んでいた。
「あなたは何を!」
シムルグはヒラールを追って外へ出た。
小屋を出た雪の上、そこには氷像があった。寒々しい格好のファジュルが、驚いた表情のまま、氷像になっていた。
そして少年が頭上を仰げば、夜空に広がるいっぱいの綿毛。
「シムルグ、小屋に入ってなさいよ。その綿毛に触ったら冷凍保存食になっちゃうから」
声は優しい。でも空洞。
「何をしてるんですか! 何をやっているかわかっているんですか!」
「僕はファジュルのように気長じゃないんだよ」
掴みかかろうとする召喚士を振りほどき、雪丸がさらに数歩雪原へ踏み込んだ。
その向こうで綿毛が、風にのって街へと降り注ぐ。広大な針葉樹林を凍らせた魔術が、家々を氷に封じ、驚き駆け出してきた住人たちまでもを氷らせようとしていた。
綿毛が着地した地点から、水分は手と手を取り動きを止め氷結してゆく。
幾体もの氷像が通りに散乱し、街から音が消えてゆく。
死の綿毛が、夜の街に深々と降り積もる。
「ほらな! あいつは何だってやるんだよ。街の人間全員凍死させることだって、やるとなったらやるんだ」
シムルグはその場に仁王立ちしたまま、教えてやった。
「何で……今更何でこんな……」
壊れたように綿毛を撒き散らす魔術師からずりずりと後退しながら、召喚士が繰り返す。
「こんなことに……ファジュル……」
「何でかって? お前はそんなことも分からないのかよ」
シムルグは、友の悲劇にただひたすら狼狽する召喚士の胸倉を引っ掴んだ。そして部屋の奥の止まり木を指差し、
「二代目にだって愛される権利はある。お前には二代目を幸せにしてやる義務があるんだよ」
声を張り上げる。
「アンタはそれでも召喚士か!」
「朝を待つ街がないのなら、夜明けの召喚士もいらないね」
少年とは対照的な零下の温度で、雪丸がくるりとこちらを振り返ってきた。
「シムルグ、どいてて。僕は制御がうまい方じゃない」
彼はどかなかった。
次瞬、
『溶けない卵の殻を割れ』
雪丸の指先が氷漬けのファジュルに向く。
魔術師の目は本気だった。シムルグと彼が出会ったプリーメの国で、この男が住人すべてを永遠に眠らせた、命を奪った、その時と同じ目だ。
『──壊!』
「!」
ヒラールが声にならない悲鳴をあげ、鳥の王はあらん限りの力で叫ぶ。
「夜明けを呼べーーーッ!」
◆ ◇ ◆
図書館の一室から、男の姿は消えていた。
再び部屋は沈黙を守り始め、大窓から差し込む光にちらちらと埃が輝く。
流れのない部屋の中でその埃がやがて辿り着く先は、長椅子に置かれた分厚い一冊の本。
吸い込まれるような黒の装丁に金色の文字で名前のみが刻まれた、過去。
【ヒラール=アルバ】
それは夜明けの召喚士の名だったか。
それとも、悪魔をもって悪魔に弓を引いた、白い騎士の名だったか──。
◆ ◇ ◆
「僕らが世界を動かしているわけじゃない。世界が僕らを動かしているんだ」
街を望む丘の上で、ところどころ焦げた雪丸が言った。
「正確には、再生しようとする方の世界が」
「だから夜明けが来るんだな」
「そうだよ。だから夜明けが来るんだ」
この魔術師は、本当にファジュル目掛けて魔術を発動させた。
追い詰められたヒラールは無我夢中でフェニックスを呼んだ。
ヒラールの願いに応じ現れた不死侯は、転生の業火をまとい雪丸に迫った。シムルグは己の翼でそれを阻もうと体当たりを仕掛け、しかしそのシムルグを雪丸が氷壁で護った。
──つまり始めから、優男が発動させようとしていたのは氷壁魔術だったのだ。氷のファジュルを砕く破壊の魔術ではなく。
そしてその後は想像のつくとおり。主の敵を排除しようとする不死侯から、ふたりそろって命からがら逃げてきた。
「明日僕らが空を見上げて指差すために、渡り鳥は今日、北へ向かって飛び立たなきゃならない。明日渡り鳥が故郷へ旅立つために、冷たい土の中で目覚めたたんぽぽの種は今日、硬い硬い殻を破って芽を出さなきゃならない。明日道端のたんぽぽの芽を出させるために、僕らは今日の痛みを越えなきゃならない」
世界が目覚めろと言ったなら、両手でまぶたを押し広げてでも目を開いて進まなければならない。
「夜明けがめぐってくる度に、世界は再生し続ける。過去から現在へ、現在から未来へ、僕から君へ、君から樹々へ、樹々から空へ、空から死へ、死から生へ。つながっているすべての者が一歩前に踏み出して、世界は昨日の痛みから再生する」
雪丸の声を聞きながら、シムルグは一段と冷え込む空気に身を震わせた。
「世界がひとつでつながっているならさぁ」
「何?」
「王立図書館はどっちの方角にあるんだろうな」
「…………」
「どこからどうやって図書館に戻る?」
「…………」
雪丸が言葉を詰まらせ見つめる地平、夜と大地の境界が明るく白んでいた。
夜空の藍が刻々と退き、巨大な月が下から薄れてゆく。
──夜明けが、きた。
ゆっくりと、氷がとける。
THE END
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あとがきという名のいつもの謝罪。
今話は、340000HITを踏んでくださった樹華さまに捧げたいと思います。リクエストは不死侯フェニックス。色々いじくりまわしていたら、保護できなかったです、すみませんすみませんすみません(汗)
リクエストをいただいてからずいぶんと日が経ってしまいましたが、これくらいで許してやってください!(逃走)
2月5日 不二 香
アルバ→alba(西)【夜明け】 ヒラール→(亜)【新月】 ファジュル→(亜)【夜明け】
オルトロス→Orthros(希)【夜明け】
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