幻獣保護局 雪丸京介
第19話 ユートピア
後編

「なんか気が滅入る場所」
だだっぴろい道に足跡を付けながら、シムルグはとぼとぼと歩いていた。
生きている人間がいたらそいつがユートピアの共犯に違いない──そんな安直な仮説を立て、シムルグと雪丸は二手に分かれたのだ。
雪丸はあんなんだけどそれなりの魔術師だし、シムルグ自身は何かあったら鳥になって飛んで逃げればいい。
しかし──、その何かが起こりそうな雰囲気すらなかった。
この街には、食べ終わったポテチの袋のような空しい喪失感だけが漂っている。
「雪丸どっかでサボッてんじゃねぇだろうなぁ」
少年は時々後ろを振り返りながら、前方に見える鉄塔に向かっていた。
特に意味はない。何事にも目標はあった方がいい。それだけだ。
「……?」
振り返っても大樹の枝先が見えなくなった頃、彼は足を止めた。
ふと目に入った街路樹の根元の黄色。
枯死した白い幹を彩るように、花が咲いていた。
いくつかはもうしおれて地に伏していたが、まだいくつかはわずかな光を求めて花弁を開き、頑張っている。
暗雲を切り裂き差し込む陽光が世界を照らす、その一瞬をひたすら待っている。
「誰かが植えたのか?」
近付いて土を触ると、掘り返されてそう時間は経っていない感があった。
「──いるな」
放っておけば塵で白くなってしまう赤い髪を払い、彼は辺りを見回した。
すぐ横にはシャッターのしまった自転車屋。
そうと分かるのは、店の脇に部品が置いてあるから。そして空気入れが立て掛けてあるから。
対岸には、背の低いビル。
シムルグの身長では二階がどうなっているのかは見えないけれど、一階は店と事務所を兼ねていたらしい。汚れで曇った全面ガラスの奥に、何列かの棚と紙が散らばったままの机が見える。今まさに整理しようと、ファイルも開かれている。
目を閉じれば音が聞こえてくるようだった。
しゃべり声、ブレーキの音、足音、紙をめくる音、電卓を叩く音、ドアの開く音、ファンの音──雑多な生活音が頭の中にどっと流れ込んでくる。
しかし目を開ければ、死の廃都。
視界は褪せ、臭いは存在すらなく、音は荒んでいる。
黒い風にあおられ、思い出したように不協和音を奏でる鉄看板。
死人の歯軋りのようなそれは、しかし何度も聞いているうちに鎮魂の歌とも聞こえるようになる。この世界に遺された歌と呼べるような旋律は、もう、これしかない。
「あーーーーっ!」
大通りをそのままタワー方向へと歩み、少年は見つけた。
左手に植木鉢、右手に白いビニール袋を提げた男を。
この空気の中、生身で立っている不審な男を。
「見つけたーっ!」
若気のいたりで思わず指差してしまう。
「雪丸! 見つけた! 早く来い!」
男がまわれ右をするのが見えた。
「ひとりだけ生きてる奴がいる!」
シムルグも走って追いかけるが、いかんせん遠くから叫び過ぎた。おまけに相手は大人、自分は子供。能力が違いすぎる。
相手はどこか横道に入ったのだろう、すぐに見えなくなってしまった。
「ち、雪丸のノロマ」
彼は悪態をつき、とりあえず男のいた場所まで行ってみることにする。
辿りついてみると、そこにはオレンジ色の小さな花の植えられた植木鉢と、スコップ&ジョウロのガーデニングセットが置き去りにされていた。
目の前には、いかにもお化けの出そうなボロアパート。灰色に凄味がかかって、冷えた青色になっている。
「シームールーグー」
どこをどう通って来たのだろう、何故か少し先の路地から雪丸が現れた。
マスクの下で盛大に息を切らしている。
「遅い。どっか行っちゃったじゃねぇか!」
「僕は、矢のような速さで、飛んできたでしょ!」
「矢だろうが光だろうが遅きゃ意味ないじゃん!」
「努力が、大事なんだよ」
「大事なのは結果だ」
歳には勝てないんだからしょうがない、とかなんとか哀しい台詞まで吐き出す雪丸。
しかし彼は息が落ち着くと自慢げな笑みを浮かべてきた。
「僕は到着は遅かったかもしれないけど、仕事はちゃんとしています」
「へぇ」
形ばかりの感嘆を返すと、
「魔術師だからね」
言われる。
そういえば。
そして待つことしばし──。
「巨大たんぽぽ!! 巨大たんぽぽ!!」
ワケの分からない言葉を連呼しながら、アパートの横の細い道からさっきの男が飛び出してきた。
……巨大たんぽぽ。
横の優男をちらりと見ると、彼は嬉々として指を一本立ててくる。
「君が叫んだあたりの道を片っ端から封鎖してみました」
「たんぽぽで?」
「大きなたんぽぽで」
そして転げ出てきた男を見やる。
「虫の入った区画を探さなきゃならないかと思ったけど、ちょうどよく行き止まりになったみたいだね」
よっぽど驚いたのだろう。雪丸によく似た風貌の優男は、目を丸くしたまま大きく深呼吸をしている。
そんなことしている間に逃げればいいのに。
「はい、そこのアナター」
雪丸がつかつかと男に歩み寄り、
「ユートピアの濫用で逮捕します」
腕を取った。
しかし、
「え?」
「え?」
雪丸の言葉に疑問符を浮かべた男と、その男と目があった雪丸が声を重ねる。
一時の空白。
「──星のレスレッティ」
驚愕を含んで続けたのは、雪丸の方だった。
魔導協会には、他部門不可侵の局がある。
あの広域魔導捜査局でさえ許可がなければ干渉できない一室だ。
それは、魔術師で構成されている魔導協会の苦肉の策だった。
各所に存在する“神”の統べる地までを支配下に置くためには、やはり彼らに特別席を用意する他なかったのだ。
──魔導協会 監察局。
どの部門にも所属しない、中央直下、神おわす聖域。
仕事は自分の領地を治めること。協会の役人が行き過ぎた干渉をしないか見張ること。
「ここは貴方の星でしたか」
雪丸が男の腕を放した。
「そう、これが僕の星」
男がにっこり笑った。
魔導協会 監察局 監察御史 レスレッティ。
それが、雪丸よりも大量のお花が頭に咲いているこの男の肩書きなのだそうだ。
通称、星のレスレッティ。
「では、ここがこうなった理由をご存知ですか? ユートピアの行方も」
淡雪のような白い塵が舞う道に、普段より硬質な雪丸の声。
「あなたは保護局?」
「すみません。申し遅れました、保護局の雪丸京介です」
「あぁ、あなたが」
神さまにまでこの魔術師の逸脱は聞こえているらしい。
困ったものだ。
「ユートピアの行方を捜しています。ここまで放置しておいて今更ですが──」
「ユートピアはもういないよ。消えてしまったもの」
第二の優男は、無邪気さえ感じる調子で雪丸を遮ってきた。
「消えた?」
「何故この星に光が差さないか分かる?」
役人の詰問めいたを反問を無視して、レスレッティが曇天を指差した。
つられてシムルグも上を仰ぐ。
「あの雲が邪魔だ」
「そう。命を殺せるあの雲が、光を隠している」
彼の物腰も声もまるで歌のようで、それも息継ぎのない歌だった。
「あの雲のせいで気候は急激に変わり、数え切れない程の生き物が死に絶えた。病気の分布も変わって、治療は追いつかなくなった」
太古の川に行く手を阻む堰がなかったように、歌はたゆたう。
「治療ができなければどうすると思う?」
「ほっとく」
「そんなことしたらみんな死んじゃうよ」
神さまが声をたてて笑った。
そしてまた、静かな微笑に戻る。
「殲滅させるしかないんだ。保菌していると分かったら、焼いてしまうんだよ」
「人が、人を?」
「それをしないだけの愛は持っていた。彼らは。でもその方法で、また、多くの種が滅びてしまった」
彼は、話しながら歩き始めた。
自分が歩けば相手も付いて来ると思っているあたりが神さまなのだろうが、シムルグは彼の横につき、雪丸は表情のない顔で後ろからやってくる。
「水だって、何重にもろ過しなければ飲めなかった。森を拓いていけばいくほどそこは砂漠に変わり、雨が降れば降るだけ土は削られ流れ、石漠が増えた」
この空を見れば、その様子は容易に想像がつく。
「空気に混じった毒は生き物の肺を蝕んで、植物の呼吸を止めた。凍土が溶けて山は崩れ、氷河を失って川は干上がり……そして、それでもわずかに残された緑の地を求めて、人々は争いを始めた」
彼の足は、広場へ向かっていた。
文明が自然を駆逐したのだという十字架にも見える、都市のシンボル、白骨の大樹がそびえ立つ広場へ。
「僕は、人が最後の愛を捨てたんだって落ち込んだ」
時が止まった街の中を、静寂積もる遺跡の中を、歩く。
「でも──、まだ未来に理想郷を描く者たちがいたんだよ」
「複数形なのか?」
きっと雪丸も同じことを訊きたかったはずだ。
「ユートピアはたったひとりが願ったくらいじゃ現れない。あるひとつの理想へ向かう小さな意志の大きな集合体、それがユートピアだよ」
「みんなが同じ理想を願わないと、ユートピアは生まれない?」
「そういうこと」
一滴の雪解けは細い流れとなり、苔を育むせせらぎは岩を削る滝となり、渦巻く急流はやがて対岸霞む大河となる。数多の命を抱く壮大なゆりかごはしかし、一度荒れればあらゆるものを押し流し、濁流と共に大地を無に返す。
一滴が命を生み、一滴が無を生む。
「同じ理想って?」
「人間のいない星にすること」
それが共通の願いだったのか。
それが。
「彼らの強い意志によって生まれたユートピアは、確実に、そして迅速に、実行した。彼らは目に付く人間の削除を望み、ユートピアは彼らが削除を望んだ人間を次々消していったんだ」
「……彼らというのは?」
背後から、ひと呼吸躊躇って雪丸の問い。
神さまは穏やかな笑みのまま真っ直ぐ前を指し示した。
彼の指の先には、広場があった。
そして、白い大樹があった。
「──樹?」
「樹。もしかしたら植物すべてかもしれない。人間以外の動物すべても、かもしれない」
シムルグは、樹だけを見つめていた。神さまの顔は見られなかった。
「彼らが人間の排除を望んだのですね?」
雪丸が徹底的に事務的な理由が分からない。
「全員ではなかったんだよ。許された人もいた。ほら、そこに骨が残ってるでしょ」
大樹の影、半ば土に埋もれるようにして転がっている白骨。
「彼はこの樹を毎日世話してたおじさんなんだ。この都市の中でただひとり、存在し続けることを許された人でもある。他の人は消されちゃったから骨も残らない」
「ただひとり……」
「人はひとりじゃ生きていけないのにね。彼らはそれを知らなかったんだ」
木々たちは、自分たちと自分たちの許したわずかの人でこの滅びかけた星を再建しようとした。
それが彼らの望んだ未来だった。
しかし人は死に、自らも環境に耐えられなかった。この星には、それだけの猶予さえ残されていなかったのだ。
彼らが夢見た楽園は、空虚な残骸だけを置いてどこかに消えてしまった。
「貴方はずっとそれを見ていた?」
「それ以外に僕がすべきことはあった?」
レスレッティが見つめている大樹は、灰色の世界の中にあってなお毅然と無数の枝を広げている。
だが、そこに止まってさえずる鳥はいない。
「僕は僕の理想を追うためにここにいるんじゃない。僕はこの星の願う未来を守るためにいるんだよ」
故に、星のレスレッティ。
神というものは深く優しく、そして非情だ。
「この星の人間の大半はユートピアに消されてしまった。肉体はね。でも、置いてけぼりにされてしまった意識がまだたくさん住んでいるんだ。君たちにはただの廃墟に見えるかもしれないけど」
神さまが指を鳴らした。
世界が変わった。
「人がいる……」
大樹の下のベンチにはおばあさんが座っていて、何やら飼い犬に話しかけていた。
その横では颯爽とした女性が足を組み新聞を広げている。
路肩に停められた車の中では背広のお兄さんが紙っぺらを睨んでいて、その横を郵便屋さんが通り過ぎて行く。
ビルの中ではたくさんの人が忙しなく動き、ガラスのドアはひっきりなしに開閉を繰り返す。
おしゃべりに興じている学生と、時計を見ながらジョギングしている若者。
荷物を届けに来たと告げる大声が右耳に届けば、客を迎え入れる愛想の良い挨拶が左耳に届く。
「自分が死んだと分かっている人もいる。死んだと知らない人もいる。だから僕は彼らに道を示さなきゃならない。そして、まだこの星に明日はあるってことを見せなきゃならない」
「全員に?」
思わず訊くと、
「全員にだよ」
レスレッティの黒い目がこちらに向いた。
「僕が死なせた命だから」
そして街に戻る。
「彼らの望みが絶えたらこの星は終わるんだ。僕も」
「──だったら、もっと優先すべきことがあるでしょう」
雪丸が彼の横に立った。
「生きてる人を探せって言いたい?」
神が非情であるならば、死人の面倒を見るのは後回しにしなければならない。
生きている者を、木々に許されまだ生き延びているかもしれない者を、探さなければならない。
「そうしてるつもりなんだけどね、いまいち区別がつかなくて」
「は?」
「神さまにとっては死者も生者も自分の星の子供に変わりない。だから、相手が死人だって姿は見えるししゃべれるし触れるし、生きてる人と見分けがつかないんだ。それに、一度関わった相手を無下にはできないでしょ」
「…………」
雪丸の顔に“コイツ大丈夫かよ”と書いてある。
その気持ちはよく分かる。
シムルグも雪丸に対してよくそう思うからだ。
「あなたは死んでますか、って訊いて、そうですよって言われたら、あぁそうですかさようなら、なんて人間としてどうかと思わないかい?」
あんたは神さまだろうとツッコミたい衝動に駆られる。
だがそれより先に雪丸の声が降った。
「貴方が──、貴方がそうやって全部背負って再生させるだけの価値はありますか?」
「価値の問題じゃないさ。僕はこの星が好きなんだ」
レスレッティの答えは単純明快だった。
「安心してよ。あなたが世界を諦めても、僕は決してこの星を諦めないから」
神さまが無遠慮に魔術師の背中を叩く。
対する雪丸は神経質に眉を上げた。
「僕が、諦める? そういう風に見えます?」
「彼に訊いてみたら」
いきなり振られても困る。
シムルグはとりあえず、今後の円滑な人間関係のために首を横に振った。
雪丸が勝ち誇った笑みで神さまを流し見る。
「あなたはひとりでこの星を生き返らせる。でも僕には彼がいる。ふたりなら、協会の抱えている世界すべてだって一から耕せる気がしますよ」
「僕がひとり? とんでもない」
神さまが、神さまらしい朗笑で両手を広げた。
「僕にはこの星のみんながいるんだよ」
◆ ◇ ◆
どこにでもこっそりとある、協会支部。
とはいってもここは監察局の聖域内。
あるのは通信水晶がひとつと、どこかへ通じている扉がひとつ。
雪丸はつかつか水晶に近付くと、慣れた手つきで本部へつないだ。
シムルグはその足元に座る。
内容がよく聞こえるからだ。
「もしもーし、雪丸ですけどー、霜夜いる?」
<……何か用か>
「人に仕事させておいて“何か用か”はないんじゃないの。だいたい、用もないのに僕が君につなぐと思う?」
器用に無愛想な霜夜の声を真似る魔術師。
だが相手は感慨のカケラも寄越さず必要なことだけを投げてくる。
<ユートピアは>
「消滅済み」
<レスレッティ御史は>
「何? 電波が悪くてよく聞こえないな」
魔術で動かしている水晶に電波も何もあったもんじゃない。
しかし雪丸京介のそんな性格を知り抜いているのだろう同期の上司は、ツッコミもせずに淡々と続けてくる。
<その星はもうダメだと言ったはずだ。御史の存在を支えられるだけの想念はない>
──そうか……。
シムルグはその言葉で始めて気が付いた。
ユートピア探しはオマケだったのだ、と。
よく考えてみれば、あの魔導協会が、たかが人間一束消えたからといって、下っ端保護局に聖域への扉を開くわけがない。
神もまた、人が敬い、寄り添い、畏れた、想念の存在。
想う者がいなくなれば、露と消える。
覚えている者さえなく、そこにいたという証もなく。
つまり。
雪丸京介がここに送られた真の目的は、神さまレスレッティの確保だったのだ──。
<消える前に連れて来い。幻を生かすのがお前の仕事だろう>
「君にだって信じたいことのひとつやふたつあるでしょ」
<例えば、お前が指示したとおりの仕事をするかどうか、か?>
「あ、ごめーん、電池切れそう。また後でつなぎ直す」
短く告げると、一方的に通信を切った雪丸。
「…………」
つつーっと彼の黒い双眸がこちらに下ろされる。
これで良かったのか、ほんの少しだけ迷っている顔。
「つなぎ直す?」
シムルグがニヤリと笑うと、
「絶対イヤ」
彼も共犯者の顔で笑った。
THE END
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