幻獣保護局 雪丸京介
第19話 ユートピア
覆面作家企画2 出品作品 「曇りのち雨 ところにより神さま」既読をお勧めします。
前編

確実に近付く歩み。
息を切らし笑みをたたえ、あともう少しだと駆け寄れば、ふと消えてなくなる蜃気楼。
望みを叶え、願いを叶え、しかし手に入ったのは望まぬ結末。
どこかで道を間違えたのかと振り向けど、見えるのはただの一本道。
見渡す限り不毛の大地、目指したはずの楽園は、どこにもない。
◆ ◇ ◆
「なんなんだよ、ココは」
分厚いマスクの下で赤毛の少年はぼやいた。
そしてゴーグル越しに横の人間へと目をやる。
「こんなとこに何かいるのか?」
が、
「遅かったかもしれないな」
少年の横に立っている優男はこちらの質問を無視して独りごちている。
くせっ毛気味の黒髪に、吹けば飛ぶような顔かたち、長身痩躯に冬色の薄いコートを羽織り、やはり少年と同じくゴーグル、マスクを装備。
だが彼は花粉症患者でもなければ銀行強盗でもない。
世界を牛耳る魔導協会のお役人だ。
魔導協会 外遊部門 幻獣保護局 雪丸京介。
それがこの男の肩書きのすべてで、世間に公表している名前のすべて。
世界を渡り歩いて幻の生き物を保護したり取り上げたりするのが彼の仕事だ。
「遅かったって?」
語気を強めて訊き返すと、雪丸はようやく視線を下ろしてきた。
いつもの、気の抜けた眼差し。
そして一拍、再び眼前に広がる風景へと目を戻す。
「君には、ここに何か生きているように見える?」
「……あのな」
──それをさっき訊いたんだ。
一言で言ってしまえば、そこは廃都だった。
いや、むしろこの世界そのものが巨大な産業廃棄物だ。
空は雲ではない暗灰色の何かに覆われ、それが空気の中にも充満している。上から下まで大気の流れは淀んで昏く、風は粉塵を運び、崩れかけたコンクリートの群れが無言でそれをかぶっている。
木々は化石のように立ち枯れ、人の気配はおろか、野良犬野良猫、カラス一羽の姿もない。
この協会印のゴーグルやらマスクやらを外したら、生きていられるのかどうかも定かではない。
「これはたぶん残骸だろうね」
雪丸が廃墟に靴音を響かせた。
彼が立っているのは、この都市のど真ん中だと思われる場所だった。
優男の背後には、白い骨を虚空いっぱいに伸ばした大樹の遺骸。そしてそれを囲んで朽ちたベンチがいくつか並び、砂の積もる石畳の広場が広がり、その外縁には沈黙の憩いを見下ろす寡黙な摩天楼。
そしてその間を縫うように世界の八方へ放たれている大通り。
「何の残骸?」
「ユートピア」
「は?」
少年が眉をひそめると、男はへらへらした笑みを向けてきた。
「なんだ、シムルグはユートピア知らないの」
鳥の王、シムルグ。少年もまた、この男に自称保護者をされている幻獣だ。
「知ってるよ」
──ユートピア。
それは完全管理世界の実現によって可能となる、究極の平和。歴史の止まった時間のない世界。
人間の寝る時間、食べるもの、着るもの、子供の数、住処、職業、そして家畜の数、木の数、花の数、川を流れる水の量、すべてが決められ粛々と一日が過ぎて行く、もはや変えるべきところが何ひとつない理想社会。
「でもこの街は俺の知ってるユートピアとは違う」
「だから、残骸って言ってるじゃない。正しくは、ユートピアに取りつかれてユートピアを目指した成れの果て」
雪丸が、枯れ木の下でコートを翻す。
「ユートピアは確かに、昔の人間が描いた理想郷の名前だよ。でも、それを求めて追いかける者に力を貸す生き物の名前でもあるんだ」
林立する廃墟の向こうには、空を貫かんばかりに高い鉄屑のタワーが見える。美しく彩色されていたのだろうそれは、しかしもはやその面影もなく、ただ神の裁きを待つ傲慢の塔に等しい。
「ユートピアを手に入れた人間は、理想郷を創るためなら何でもできる」
路上に止めてある車のタイヤは潰れ、ビルのガラスに書かれた文字は読み取れない。
「例えば、気に入らない人間をすべて消してしまうことも」
「…………」
シムルグが優男を見やると、彼は変わらぬのほほん顔で街に目を向けていた。
それが素なのか意図的なのかは分からない。
突きつけられる現実に幾度となく屈しているこの理想屋が、もしユートピアを手に入れたのなら──どうするだろうか。
「この状態が成功なのか失敗なのか判断できないけど、まだ理想郷作りが現在進行中だと困るからね。ユートピアを抱えている人間を探し出さなきゃ」
「もうここまで来たら誰も困んねぇと思う」
「協会が困るんだよ。苦情言われた時に“放置しました”って回答しかできないようじゃね。“対応した”って事実が重要なんだ」
「だったらこうなる前に対応しろよ」
全世界の声を代弁していると言っても間違いではないはずだ。
しかしお役人様はそんな抗議にもどこ吹く風。
ゴーグルの奥から飄々とした笑みをのぞかせ、
「ここには神さまがいるからね。僕らも安易には踏み込めないのさ」
腰に両手を当てる。
「──神さま?」
殺伐とした景色に不釣合いなメルヘンチックな単語。
「そう、神さま」
「…………」
大樹の根元に埋もれている骸骨が、カタカタと笑った気がした。
◆ ◇ ◆
部屋で咲かせたビオラを植えに行くのは、習慣になっていた。
何故その花なのかと聞かれることもあるけれど、教えない。
今日も彼は黄色の花が咲く植木鉢を片手に、ジョウロとスコップをビニール袋に入れ、階段を下りる。
「レスレッティ」
アパートを数歩出たところで名前を呼ばれて振り向くと、上の階に住んでいるおじいさんが手を挙げていた。
煙草でも買いに行っていたのだろう、サンダル履きで財布も持っていない。
「こんにちは」
「また植えに行くのか?」
植木鉢の花をのぞきこみ、訊かれる。
見た目は厳格な頑固ジジィだけど、本当は孫に甘々なシャイじいさんだ。
「えぇ。まだまだ植えなきゃいけない場所はたくさんあるから」
「根はつくかね?」
「──あまり」
レスレッティが首を振ると、
「そうだろうな」
おじいさんも声のトーンを落として、渋くうなる。
そして空を仰いだ。
「難しいな」
「えぇ。難しいです」
レスレッティも空を見上げた。
一週間分の曇りを凝縮したような重苦しい空。
あの上には白い雲があるはずだ。青い空も。けれどそれを見ることは叶わない。
「どれくらいダメになる?」
「九割は」
「……そうか。土も死なせてしまったからね」
彼が植えたビオラの大半は、一週間もすると枯れてしまう。空気の毒と土の毒と水の毒にやられてしまうのだ。浄化作用よりも生命へのダメージの方が大きい。
しかし彼は頭上に積もる諦めを振り払うように声を高くした。
「でも一割は一週間以上を花を咲かせてくれるってことでしょう? 続けていれば二割になるよ、きっと。何度も繰り返していればそのうち全部根付くようになるから」
「そうなるといいな」
「いいなじゃダメ。そうなるんだ。僕がそうする」
「分かった分かった。楽しみにしているよ」
彼はいたって真剣なのに、おじいさんはいつも意気込む子供をあやすような口ぶりになる。
それがイマイチ気に入らなかった。
「引き止めて悪かったね」
「いいえー。階段、気をつけてね」
アパートに入って行くおじいさんを見送ると、必然、近くに迫る巨大な鉄塔が目に入る。
かつて観光名所だった、華やかな文明の証明。
今はもう、廃棄処分することすらできない文明の墓。
彼は、すっと背を向けて歩く。
少し行くと、
『レスレッティ!』
どこからか現れた子どもの集団に囲まれた。この辺でよく見かける顔だ。
「あっちに植えた紫の花がしおれちゃってた」
「白いのはまだ大丈夫よ」
「今日のは何色?」
彼らは小さな植木屋だ。こうやって日々見回りをしてビオラの生育状況を報告してくれる。
「じゃーん。今日のは黄色。紫の隣に植えようか。もしかしたら紫も元気になるかもしれない」
「ひとりじゃ寂しいもんね」
少女が彼の袋の中からスコップを取り出した。
「そう。ひとりじゃ寂しい。ふたりなら少し心強い」
彼は言いながら、ひとりに植木鉢を渡し、もうひとりにジョウロを渡す。
水は全面錆びたドラム缶にたまった雨水で、それこそ空気や土よりも毒気は強そうなのだが、きれいな水なんてものの存在が望めない以上、仕方がない。
「レスレッティのおうちには他に何色があるの?」
子供たちは色に敏感だ。
それは、この世界があまりにも単色過ぎるからに他ならない。
「深〜い赤でしょ、オレンジでしょ、紫色の中に黄色が混じってるやつもあるし、白と青が混ざってるやつもある」
少女たちが着ている可愛らしい洋服も、少年たちが着ているシャツも、よく見ればすでに退色して都市を覆う灰色と同化しつつある。
「全部咲き続けたらきれいだねぇ」
白骨化した街路樹のまわりに小さな穴を掘りながら、少女がつぶやく。
それに声を重ねて、
「レスレッティ!」
目の前を自転車のおばちゃんが横切っていった。
「あそこのスーパー、トマト安かったよ! あんたの分も買っといたから! 後で持ってくね!」
「ありがとうー」
彼女にはもう見えないだろうけど、とりあえず手を振っておく。
それよりスピード違反で捕まらないかが心配だ。
通りの向こうでは中学生らしき制服の女の子たちが携帯電話をのぞきこみながら声をあげて笑い、真正面のビルの中では太ったおじさんがヒマそうに伝票を整理している。
街の中心、大樹の影へと続くこの道。
犬を連れた人が米粒大からだんだん大きくなってくる。郵便屋さんが横断して細い路地へ消えて行く。乳母車を押したお母さんたちが夕飯のメニューの相談をしている。
レスレッティたちが作業をしているすぐ横では、自転車屋のじいさんが部品を並べて磨いている。
「はい、できたっ!」
泥だらけの手を気にしてヒジで鼻の下をこすりながら、子供たちが立ち上がる。
「今日もひとつ星は元気になった!」
独り言のはずだった言葉を真似されると恥ずかしい。
「明日もやる?」
期待に胸ふくらませている少年少女を裏切るわけにはいかない。
「明日も明後日もその次も、やるよ。僕の良いところは諦めないところなんだ」
「かっこいい」
羨望の眼差しを受けながら、彼はさよならの合図をする。
子供たちはちゃんと心得ていて、元気よく手を振りながらいつもと同じ方向へ消えて行く。
「詩歌いの歌が聞こえる限り、世界は何度でも生き返るんだ」
彼は空になった植木鉢を拾い上げ、スコップとジョウロを回収して帰路につく。
ぱらぱらと細かい粒が顔にあたって見上げると、能面顔でぬっと立つ大きなビルの壊れた角が、強めの風に白く煙っていた。
次の日。
作り過ぎたトマトチャウダーを上のおじいさんの部屋へ持っていくと、部屋には鍵がかかっておらず、中には誰もいなかった。
床には埃がたまり、キッチンの流しには水滴ひとつない。電気の断たれた冷蔵庫は黙りこくり、開け放たれた窓から侵入した砂が、敷かれたままの布団の上で寝ている。
「…………」
仕方なく、オレンジ色の花でも植えるかと外へ出ると、やはりきゃいきゃいと子どもたちが寄ってきた。
けれどその中に昨日花を託した少女の姿はない。
「昨日の子、どうしたの?」
みんなに訊いてみれば、ひとりの少年が手を挙げる。
「もういいって」
「もういい?」
「楽しかったし、キレイだったからもういいんだって」
彼女に言われたことをそのまま口に出している、そんな口調。
「それから、伝言、伝言」
「?」
「ありがとう、頑張ってねって」
言葉は軽い。“おはよう、今日も元気?”、その続き。
「──そう。それは良かった」
みんな、彼の前から消えていく。
それが使命ではある。
滅びた世界に留まり続け日常を紡ぎ続ける人々に、未来を見せる。
時は止まっていないのだと、道は終わっていないのだと、伝える。
いつか、空は晴れる。
「今日はどのへんに植える?」
「ここもいいかも。だって、レスレッティのおうちの前、花がないもの」
けれど、彼にはもうひとつやらなければいけないことがあった。
生きている人を見つけなければいけないのだ。
早く、早く。
すべてが途切れてしまう前に。
「でもオレンジ色は黄色の隣がいいな」
「その方がキレイだろ。ねぇ、レスレッティ、どう思う?」
しかし彼にはどうしようもない欠陥があった。
彼は彼であるがゆえに──生者と死者の区別がつかなかった。
と。
「あーーーーっ!」
突如、虚ろに賑やかな街中に大声が響き渡った。
わいわい相談していた子どもたちはぴたりとおしゃべりを止める。
「見つけたーっ!」
大通りのずっと先でこちらを指差し叫んでいるのは、赤毛の少年。
ゴーグルとマスクをつけているので、小さな宇宙人にも見えなくない。
「雪丸! 見つけた! 早く来い!」
最後まで聞かずに、レスレッティは脊椎反射で走り出した。
もちろん反対方向に、である。
「レスレッティ!?」
慌てたような子供たちの声が背後に流れ、
「ひとりだけ生きてる奴がいる!」
少年の事実を告げる声が廃都にこだました。
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