幻獣保護局 雪丸京介
第20話 ゴーレム
後

陽が落ちても、クロフォード=レイヤーは自室を出ようとはしなかった。
魔導協会広域魔導捜査局、そういう大層な名前のついた組織から与えられている仕事部屋。
無愛想だった内装はすべて変え、今は住人に合わせたクラッシックな佇まいだ。樫のデスクに革を張った椅子。マホガニーのキャビネットには野薔薇の細工が施され、中には彼の収集したコーヒーカップが並ぶ。同じくマホガニーの書棚にはそれだけ人を殺せそうな分厚い古書、事件のレポート、押し込まれた手紙や請求書。
壁の隅には引き込まれそうな大きな鏡。
紺青の絨毯や壁紙のせいで、初めて訪れた者は深海に迷いこんだような眩暈さえ覚えるという。
「やはり変化があるとすれば最近か……」
彼はいつものように蒼い衣装に身を包み、頬杖をついて水晶を凝視していた。通信水晶とは別の、過去の映像を記録しておく水晶である。
世界調査局のイストークという局員を襲ったのがゴーレムであり、それが本当にイストークという存在になることを欲しているのなら、必ずまた襲撃してくるだろう。
ということは、イストークに反撃された分をどこかで修理しなければいけないということになる。ゴーレムは自己修復機能を有していないのだから。
ゴーレム本体は警備隊に任せるとして、捜査局はその創造者を探さねばならない。
彼の上司は、この都市の内側はもちろん周辺まで、泥や土を調達できそうな場所はすべて捜査局員に押さえさせた。巡回の強化も、だ。
しかしそこには見落としがある。
協会本部、政務部門、そしてこの捜査局、魔導協会を形成するこの三点の内部は完全に盲点になっているのだ。
こんなところが犯罪の拠点にされるわけがない──その先入観がありうる可能性を無意識に消している。
「じゃあ、今度は本部の一昨日から」
すべての協会施設の出入り口はフェンリルの彫刻が見下ろしている。その両眼の見たものがこの水晶に記録される。
もちろん、魔術ではない。創設者が残した遺産ともいうべき魔導の恩恵だ。
時間を早めて見送る中には、周辺の要人もいれば、都市の要人もいる。清掃員も出入りし、工事作業員も──……。
鋭い目をして一度止めてから、ふと我に返る。
(そういえば本部の地下を工事すると言っていたな。ゴミ処理がなんとかって)
それでも工事関係者となれば土だの泥だのとは近い。
視点を裏口と切り替えながら注視することにしたが、彼らは特に不審な動きもなく機材を運び込んでいた。帰りも変わった様子は無い。
二日目、つまり昨日も大きな変化はなく、夕方からは大きなロッカーを何本も運び出し、三日目である今日は資材らしき袋をいくつも担いで中に入ってゆく。
「…………」
クロフォードは椅子の背にもたれ虚空を睨み、再度始めから彼らの動向を観察する。
「……変だ」
それは微細な違和感だった。
組織というものに身を置いているからこそ感じられる不協和音。感じたことを自覚した瞬間から、それはどんどん増大して鋭利になる。
「この集団には頭とその他大勢しかいないな」
普通、協会が発注するようなレベルの工事関係者はその集団の中で何層もの上下関係が作られている。単純にいえば先輩後輩の関係だが、現場での立場関係もあるだろう。
ともかく、頭ひとりが先頭を切り、その後を仲良しグループの如くわいわいと入り乱れて入場する作業員などいない。
目上は目下の先を行き、目下は目上を先に通す。
それが強固な秩序が必要とされる組織の鉄則だ。
しかし、一昨日の出入りにも、昨日の出入りにも、今日の登場にも、その秩序はない。ひとりひとりの位置を確認しても法則性は見えず、いつも先頭を切る男だけが唯一上に立つ者として認識されているらしかった。
「至急確認してほしいことがある」
通信水晶に呼びかけ総務を捕まえる。
しばらくの後得られた回答は彼が望んだものだった。
本物の業者は、開始時期延期の連絡を受けていて、ここ三日は協会へ作業員を派遣していない。
つまりここに映っている連中は偽物だということが確定したわけだ。
「受付に命令を出しておいて欲しい。──あぁ、私名義で構わないよ。工事関係者を通してはいけない。職員でない人間も通すな。丁重に待機してもらうんだ。以上、よろしく」
回線を切って息をつくと、すぐさま今度は受信の合図が入る。
『クロフォード捜査官、どこにいらっしゃるんですか!?』
出るといきなり怒鳴られる。
「……自分の部屋だけど」
『どうして指示されたとおりの場所に行かないんですか! イストークさんがまた襲撃されましたよ!』
「そっちは放っておいていい」
『はぁ?』
「協会本部の近くにいる捜査官、警備官は至急本部エントランスへ集まれと指示を出せ。お前のチームは裏口」
『ちょ! えぇ!?』
「魔導師は協会の地下にいる」
クロフォードは一方的に言い切って通信を断った。
まだ映像を流し続けている水晶を一瞥し、部屋の灯を消す。
最後目に入ったのは、作業員がひとり受付を経て外に出て行くひとコマ。
「一昨日材料を運び込み、昨日“イストーク”を完成させてロッカーに入れて外に放つ。今日、壊れた“イストーク”を袋に詰めて運び込む。直した“イストーク”に作業員の扮装をさせて外に出す」
一拍置いて鋭角気味のあごを撫でる。
「ウチの受付はナメられてるのか? さて、作業員の数が合わない部分はどう誤魔化すつもりかな」
彼は窓際へと椅子を滑らせてブラインドを上げた。
眼下は安穏とした光が氾濫し、清冽な月夜を辱めていた。身体の底で黒々と渦巻く、全部まとめて破壊し尽くしてやりたい衝動を喉の奥に押し留め、襟元を正す。
そして摩天楼の深海を後にした。
息の根を止めるのは、魔導師が先だ。
◆ ◇ ◆
扉が閉じられても倉庫が漆黒に塗り潰されることはなかった。
闇の帳が降ろされるその前に、頭上にぽっぽっと灯った燈火がこじんまりとしたシャンデリアを作った。
九条・レガンス・ハールという魔導師の頭上に。
「ルーファスはどうしたの」
「あいつは留守番。汚れるのは嫌だってさ。だから人手が足りなかったんだよ」
ああイヤダイヤダと大袈裟なジェスチャーを見せてくる自称魔導師。
「アイツと一緒に作ってるんだろう? ゴーレム」
「共同開発と言ってくれたまえよ、京介君。始めは死人の代わりだったんだが……、ホラ、あるだろう、死んじゃった人や愛玩動物を生き返らせてくださいって無茶なお願いが。生き返らせることはまだできませんが、似たようなのはできますよってことでやってたわけだ」
シルクハットのつばを弄りながらいきなりベラベラしゃべりまくる九条。
「これが繁盛してね〜!」
輝く明眸、飛び出すあけすけな感嘆符。
しかしそこでふいに沈黙が挟まれた。
舞台に立つ役者にでもなったつもりか、たっぷりと間を取って、
「でも試したくなったんだ」
囁くように低く言い置く。
「試す?」
「ゴーレムは人間になりたがるのか。なれるのか。我々は人間を作り出せるのか」
我々。わざわざ重点の置かれたその響きは、無理矢理その意をこちらに分からせようとしていた。一般人とも魔術師とも違う、魔導師。
「結果は?」
「まだ分からない」
九条の返答はあっさりしていた。
真正面から対している雪丸も淡白な無表情を崩さない。
「ゴーレムは生きてないよ。人間にはなれない」
「だが生きる意思は芽生えた」
「命令されたからでしょ」
「あぁ、そうだ。彼らは命令に忠実だ。だが人間にだっているだろう? 心に主を住まわせその言葉を支えに生きていく者が。運命だ、天命だ、神の思し召しだ、そう言って生きていく。それが生きる糧となる。それとどう違う?」
背景ではブラウニーたちがせっせと片付けを続行している。
シャベルがコンクリートにぶつかり、泥が袋に詰められる、その音が妙に温かく感じた。
頭上で交わされている言葉より、ずっと。
「ゴーレムたちにとっては創造主の声が運命だ。愛される者になれ、望まれる者になれ、それが彼らの生きる支えであり、道なんだ。だがそれが外からではなく内から湧いてきた時、“意思”が生まれる」
「アンタは自分のゴーレムにそういう命令を与えてたわけ」
「平和主義者だからね」
旋律を歌う抑揚で何の迷いもない言葉を紡ぐその男は、彼の方こそゴーレムなのではないかと錯覚するほど人間の匂いに乏しかった。
瞳の奥の色から唇の角度、指の先の空気の動きまで制御し尽くされた彼の表層からは、いわゆる反射の要素が全く排除されている。
にもかかわらずその男は誰よりも滑らかに存在していた。
「彼らは創造主に対してとても謙虚なんだ。生きる意思を損なわない。そして隣人のために生きることを忘れない」
静かに締めくくり、「そうだ」と九条がくいっとシルクハットのつばを持ち上げる。
「京介、意思の無い肉体は生きているのかいないのか、どっちだと思う?」
問いかけられた雪丸は、さっと顔の前を払う。
不毛な議論をするつもりはない、それが彼の答えらしかった。
「ゴーレムを人間にしたいなら、自力で再生できない身体をどうにかしなきゃね」
強引に方向を変える魔術師は、九条を論破する気がないように見えた。
己の理想郷を盾に突き進むいつもの姿はそこにはない。
「そう、そこが問題だ。オマエがそれを“生きている”定義にしたいのなら」
弟の言い分を聞いてやる寛大な兄を気取り、腕を組んでうんうんと首を縦に振る九条。そして唐突にその両眼がこちらに下ろされた。
「生命の本質とは、破壊と再生だよ。分かるかい? 鳥の王」
「…………」
少年は返事をしなかった。
何かを言ったとしても、魔導師の耳に入ったかどうか。
彼の目は確かにこちらを見ていたが、彼の頭が見ているものはもっと遠いところだ。
どこにも存在することのない、汪洋と広がる蒼い水平。
「世界には大きな流れがある。死を目指す流れだ。世界の死とは何か? 最も平穏な状態だ。意味を成していたものはバラバラになり混沌へと還り、以後何の変化も何の動きも起きない状態。永遠の安寧。もしかしたら時間さえ止まるのかもしれない」
細波立つこともなく、波紋のひとつもなく、ただ鏡のような水面が果てしなく広がる。
「だが世界にはもうひとつの流れがある。生を目指す流れだ。それは死へ向かう大きな流れに抗いながら我々の中を流れている」
自分の手を握ったり広げたりしながら魔導師は言葉を繋げた。
「我々の身体を作っている様々な要素も、放っておけばそのうち混沌へ還る運命にある。組織は瓦解し、機能は乱れ、あるものは溶解し、あるものは変性する。そしてやがてそれぞれの要素はバラバラになり何の反応も示さなくなり活動を停止し静謐な平穏が訪れる。それが死だ」
魔導師が伸ばした指先は、指先のままそこにある。さらさらと流砂のように崩れることもなく、ぽろぽろ落ちることもなく。
つまり、瓦解も溶解もない。
「だが。反逆の流れはそれを阻止する。どうやって? 壊れる前に壊し、再生させればいいんだよ。一粒の要素はやがて混沌へ還ろうとする。ならばその前に自ら壊し、新たな一粒を補えばいい」
雪丸が口を開く気配はなかった。
魔導師の淀みない演説は滔々と続く。
「古きを壊して捨てる。新しきを取り込み再生する。絶え間ない破壊と再生の繰り返し、その流れによって君は立っている。壊して排出して取り込んで補う。実に奇跡的なシステムだろう? この美しいシステムが君を生命たらしめている。死へ向かう世界の法則に抗って」
蒼の水平に赤毛の少年がぽつねんと置かれる。
「君は、流れの一瞬一瞬としてそこに存在しているんだよ」
それはやがて風化して塵となり、影すらなくなった。
「世界も同じだ。最も大きな流れは完全なる混沌の平穏を目指して流れているが、世界のそこかしこはそれに抗い生命であろうとしている。生命の流れを創り出している。害悪と化す部分を破壊し、再生し、混沌を願う部分を破壊し、再生する。世界は死を免れるため常に変化しているんだよ。……それは、バルトアンデルスやレスレッティがよく知ってることだろう。ユートピアは最もよくそれを現す。世界が生きるために破壊を望めば、あの幻獣が現れ更地に戻す。そして後には再生の道が残る」
この男は雪丸京介の足跡を監視しているのか?
訝しく思いながらも、シムルグは別のことを訊く。
「俺たちは食べたり飲んだりして再生するための要素を取り込むんだろ? じゃあ生きることを願う世界の意思はどっから新しい材料を持ってくるんだ? 世界が再生する原動力は何だ?」
「さぁ、知らない」
なんて無責任。
「私たちは、私たちと世界を生かす再生の祈りの源をまだ知らない。だが、滅びと再生の流れがせめぎあって流れを作っているのは確かだ」
「ゴーレムはその流れの中にいない」
雪丸が素っ気なく口を開いた。
「確かにね。彼らは生まれた時すでに完成していて、後はただ劣化していくだけだ。壊れても自己修復はできない。設計図を失くせばもう二度と元通りにはならない。彼らは世界と繋がっていない」
魔導師の目はこの狭い灰色の空間へ、現実へと帰ってきていた。
最終的な敗北を認めながらも、語気は柔らかくしなやかだ。
「でもいつか、いつかその圧倒的な不利をも克服できる気がしてるんだよ。意思の欠片は芽生えた。あとは流れにのるだけだ」
「魔導師なら出来るって思ってるわけ?」
「オマエたちの組織が出来る前、魔導師は世界を変えた。世界の理を変えた」
「…………」
雪丸が押し黙る。
具体的に何をどう変えたんだ、それは今問うべき事なのか迷っているうちに、九条はもう別の道へと入っていた。
「私はね、ゴーレムが人間になれるか試したかったと言ったけれど、あれはちょっと語弊がある。人間に替わるものを作りたい、そう言った方が正しい」
「……へぇ?」
「世界の生きる意思は破壊と再生を繰り返す。人間も世界の一部なんだから、当然破壊の対象になりうるわけだ。人間が世界に滅ぼされた後、再生するのがまた同じ人間だったら幻滅だろ? よりマシな精神を持った生命を用意してやろうと思って。そう、進化だよ、精神の進化」
うまい言葉を見つけたという自画自賛の表情までが道化っぽい。
「私は人間の敵だけど世界の味方さ。世界が生き延びる方に手を貸してやるんだ。クロフォードとは逆なんだよ。アイツは魔導師を根絶やしにしてもう二度と世界に強烈な変革が起こらないことを望んでいる。できるだけ早く、世界を完全なる平穏へ導こうとしている」
「あ、そう」
炭酸の抜けた炭酸水のような声を出して、雪丸がぱたぱたと足を鳴らす。
「──でさ。結局アンタは何がしたいわけ」
「何ってオマエ、今までの話聞いてなかったのか? すごいイイコト言い続けていたはずなんですが」
魔導師が両手を挙げて“びっくり仰天”の姿勢で静止する。
それを白けた目で睨む雪丸。
「嘘。僕が今まで何度アンタの詭弁に騙されたと思ってんの。アンタがこういう高尚なことを並べ始めたらそれは嘘だって、もう知ってる」
「…………」
シムルグは不満顔全開の九条を他所に、胸中でぽんと手を打った。
それで優男は真面目に取り合っていなかったのだ。
この魔導師の口からどんな理屈が出てきても、それが正論であろうが邪論であろうが、本心ではないと踏んでいたから。
「…………」
しばらくムッとした顔で口を尖らせていた魔導師だったが、ふいに何かを諦めて肩をすくめてきた。
「想像してご覧。オマエと同じ変化と流れを獲得したお前そっくりのゴーレムが──まぁもうゴーレムとは呼べないかもしれないが──、己の支持者を引き連れてオマエの前に現れるんだ。貴方よりも僕の方が“雪丸京介”にふさわしいと皆が言っています。ってね」
それはさっきまでの吟唱とはかけ離れた攻撃的な口ぶりだった。
「存在意義がなければ生きていけないと喚くくらい脆弱な輩に、自分よりも優れた自分を与えてやったらどんな顔をすると思う? 自分という居場所さえ失った自分を一体何者だとみなすと思う?」
どうやらこれが九条・レガンス・ハールという人間の素であるらしかった。一点の曇りもない人形の仮面は割れ落ち、そこには悪意に躍動する表情がある。
「やっぱり。そういうイヤガラセしたかっただけなんだ」
「オマエとは違うやり方で人間を測ってるだけさ」
「測る前から結果を出してるくせに」
雪丸が黒髪をかき上げて悪態をつく。
そのため息に九条のため息が重なる。
「オマエもさっさと見切りをつけたらどうかと思うんだけどね。どれだけ旅鴉をやっていたって何も変わらないよ。兄の私が世間の敵だからと言って、オマエが世間の味方にまわる義理なんかないんだ」
「兄さんに見えてる世界と僕に見えてる世界が同じだと思ったら大間違いだよ」
「あーいえばこーいう」
「イストークのとこにやったゴーレム、止めてよ」
「バカ言うな。依頼人を無視できるか」
「じゃあアンタをクロフォードに引き渡す」
「オマエにそれが出来るか?」
「…………」
雪丸があからさまに不機嫌な顔になり、片脚を後ろに引いた。
だが次瞬、
「──!」
声を失う衝撃を受けて壁に激突し崩れ落ちたのはその魔術師本人だった。
「魔導にばかり頼るのはよくないからね」
雪丸が動くよりも早く、九条が黒い衣装を翻して蹴りを入れたのだ。
構えもなく、気合もなく。
大人ひとりをふっ飛ばした。
「……おい、雪丸……」
唖然と目口を開く少年の前を通り過ぎ、シルクハットの魔導師が地に伏し呻く雪丸の横に立つ。優男の黒髪を踏むか踏まないかのところに置かれる靴先。
「オマエねぇ、お兄様に楯突くんじゃないよ」
◆ ◇ ◆
「……どういうことだ」
捜査局員が集まるより先に、クロフォードは地下へ来ていた。
個性のない迷路のような廊下を最奥へ、だが扉を開き明かりを灯した第一倉庫には誰もいない。
応急のゴミ処理対策として改修されるはずのそこは、冷えた空気で満ちている。直近に人の温度が混じった痕跡のない、過去の空気。
協会で最も広いこの場所には、各部署の必要なんだか不必要なんだか微妙なものや、捨てるに捨てられないもの、誰の持ち物か不明なものが整理整頓もされず混沌としていたはずだった。
確かにそれらは片付けられている。
今、クロフォード=レイヤーの前に広がっているのは、何ひとつ置かれていない素通しの棚が整然と並んでいる光景だ。
しかし彼が求めていたのはキレイになった倉庫ではなく、魔導師が潜伏している倉庫である。
「だが事実としてここでは何も行われてないな」
他に工事予定のある倉庫はないし、ゴーレムを作れるようなスペースを余した倉庫もない。
しかし倉庫の端から端まで歩き何の痕跡もないことを確認すると、彼は矛先を変えた。
蒼い外套から通信水晶を取り出し、総務を呼ぶ。
「至急確認してほしいことがあるんだけど、いいかい? ひとつ、第一倉庫の他に使用停止になっている倉庫や会議室はあるか。ひとつ、会議室、地下倉庫の鍵はすべてそろっているか。ひとつ、そろっていないのなら、誰に貸し出しているか──」
刹那、建物そのものが揺れる轟音が身体に響いた。
それを爆発だと認識すると同時に、強行突破されたのだと脳が告げる。 相手は、受付で人数を誤魔化す手間さえ惜しんで力に訴えてきた。
「…………」
舌打ちしたいのを抑え、
「やられたな。そっちは問題ないか?」
平静を装う。
“は、はい。ここは無事です。一体何でしょうね……。あ、すぐにどこで何が起こったのか調査します!”
相手が浮ついているだろう時に指示を出す方までが浮ついてはいけない。
上司が冷静でいれば自然、下も落ち着く。
「それが分かったら私と警備へ連絡。それから先に指示した件を調べるように」
“了解しました!”
さすがに強固に造られた地下ともなれば振動が伝わってくるだけで、壁がはがれたり亀裂が入ったりということはないようだった。
クロフォードは大きく息を吐き、手袋をしたままの手で顔を撫でる。
彼が、工事作業員を装った集団が、裏口を爆破して逃走したことを知るのはその少し後。
第二倉庫の鍵を借りていったのが雪丸京介だと知るのはそのもう少し後。
爆破の直前、金髪三つ編みの作業員が見下ろす狼を振り返り歯を見せて嗤う、その記録映像を見るのはもっと後……。
◆ ◇ ◆
「それじゃあ、私はこれで失礼するから」
意識がはっきりしないらしく答えのない雪丸をしばらく見下ろしていた魔導師は、くるりとこちらに向き直った。
「はいみんな、撤収」
九条が手を鳴らすと、作業員の格好をしたブラウニーたちはすでに片付けを完了していたらしく、ぴしっと敬礼を決めてくる。
「早くその石頭を別の部屋に押し込んだ方がいいよ。血相変えた蒼い魔導師がここへ乗り込んで来る前に。大方、改修が広報されてる第一倉庫へ真っ先に駆け込んでるだろうけど、自分の判断に執着して何もないところを探し続けるほどバカじゃないだろうし」
でも、外の貼り紙は私が勝手に貼っただけだから、総務に問い合わせたってそう簡単には分からないよ。九条がそう言って胸を張っている間に、ブラウニーたちはぞろぞろと扉を開けて出て行く。
その隙間から一条の光が差し込んで、始めて頭上の燈火が消えたことに気付く。
「私ももうコソコソする必要はないし派手に出て行くつもりだから、少しは時間稼いであげられるかな?」
九条が最後尾から出て行こうとして、足を止めた。
金の三つ編みがいちいち揺れてうっとおしい。
「言っておくけどね、京介は気難しいから苦労するよ」
「……分かってる」
シムルグは伸びている雪丸に歩み寄ったが、魔導師の方は見なかった。
「そう」
ほんの少し毛羽立った声を残し、扉は閉められた。
黒い闇の詰まった四角い箱。
なんだか無性に悔しくなってきて、シムルグは唇を噛んだ。
世界なんかどうでもいい。
この魔術師が気にかけているのは、そんな大層なものじゃない。
彼が憂えているのはそんな途方も無いものじゃない。
彼の横にいる幻に、彼の横にいる人間に、彼は心を砕いているのだ。
箱庭を見下ろす神には、箱庭に住む数多の者たちの声は聞こえない。
遥か遠く水平を見つめる者は、足下の波に気付かない。
緩く脈打つ雪丸の手を取り、出口へとずりずり引っ張る。
暗闇で良かった。
誰にも顔が見られない。
それから時を置き、誰もいなくなった第二倉庫に爆音が届く──。
◆ ◇ ◆
「お前、ぶっ飛んだ報告したんだってなー!」
「あ、もう知ってるの」
イストークが寄ってきたウェイトレスにコーヒーを頼んで席に着く。
重傷ながら自分のゴーレムを自分の手で退けた御仁は、しかし数日入院しただけであの酒臭い巣穴へ帰ってきていた。
今もところどころ包帯は見えているが、ゴーグルと愛銃を携え探究心を煽る何かがあればすぐに飛び出して行きそうな勢いだ。
「“ブラウニーからの卒業”だろ? 報告書の表題」
「ブラウニーは、心優しく勤勉な働き者のところに現れるべき妖精なんだ。あの人は何であんなに一生懸命働くんだろう? あの人はどうして寛大な商売をするんだろう? 彼らはそういう周囲の心が生み出すんだよ。妖精が助けているから実際に働いてるのは半分くらいなんじゃないか? 妖精が手伝ってるから少しくらい太っ腹な商売をしても痛くないに違いない。そういうやっかみがね、彼らを生むんだ」
雪丸がどぎつい緑色の液体をかきまわして言った。
彼らがいるのはカフェ『ピヨリ』。
協会の近くにあるこのオープンカフェは、雪丸のお気に入りだ。いつでも決まってクリームソーダを頼む。
「やりたくないことから目を逸らしていたら誰かが代わりにやってくれました、そんな風に考えている僕らに、彼らに仕事を頼む資格なんてないよ」
相変わらず人間には手厳しい、そう笑ってイストークが足を組む。
「霜夜、なんだって?」
「正気かって言われた」
「何て答えた?」
「正気だって言った」
「で?」
「そうかって」
「それだけかよ」
「それだけだよ。そもそもアイツは幻だとかってふわふわしたものは嫌いだし、こんな仕事を敢えて僕に回してきたんだ、きっと始めからこういう報告が欲しかったんだと思うね」
「なーる」
雪丸は、九条とブラウニーについては何も報告しなかったらしい。
混乱を避けるためなのか、それとも渦中が“兄”だからか。
「霜夜は今、ゴミ処理場を人間が運用するプロジェクトを着々と進めてるよ。政務部門の人間でもないのにさ。アイツ、仕事中毒だよね」
隣のテーブルは空いていて、その向こうには小さい犬を連れた女性がふたり、同じところをぐるぐる回る会話を続けている。
「そういえば、クロフォードから事情聴取受けたんだって?」
「事情聴取なんて大したもんじゃない。ちょっとロビーで話しただけだよ。魔導師がゴーレム作成に使ってたらしい第二倉庫の鍵を借りてたからね。でも第二倉庫に着く前に頭殴られて伸びてましたって言ったら解放された」
昼前のせいなのかパラソル席に客はおらず、ばさばさと透明な風が横切る音が騒々しい。
「僕の手なんか借りるつもりはないんだよ。犯人、フェンリルの記憶にばっちり映ってたらしいし」
「アイツ、イラついてなかったか? 噂じゃ、爆破現場には複製された第二倉庫の鍵がわんさか落ちてたらしいぜ。どう考えたって、魔導師様に対してはあんな鍵じゃ鍵の意味はないって誇示だよな。クロフォードも性格悪いが、相手も相当だ」
「むしろギラついてたよ。ハンターみたいに」
ヒマそうなウェイターとウェイトレスは風に吹かれるまま離れたところに突っ立っている。
「そういえば、ゴーレムの話はただのゴーレムとして片付けるって別の捜査員が俺のところにきた。あの魔導師は、意思あるゴーレムを作っていた魔導師ではなくて、協会に侵入していた魔導師として追いかけるんだとさ」 「意思、ね」
市民の憩いにと広がる丘陵の芝生は今日も青々として、高い蒼穹と張り合っている。
カフェの前を過ぎその丘の裾野へと伸びる並木道は、通り抜ける風に葉を揺らし潮騒のような輪唱を響かせている。
「俺たちの自己喪失の危機は去ったのか?」
「少なくとも、彼らの世界にはまだその危機は存在しない」
雪丸の目には、ようやく席を立つ──それでもまだしゃべりながら──女性客が映っている。
その向こう側には、緑の稜線を超えてそびえ立つビルの群れ。光を受けて白く輝く。
「世界はお前のためにはない。だが世界はお前の中にある」
雪丸がストローを口につけたままつぶやいて、目を細めた。
「?」
イストークが片眉を上げて意味を問う。
「師匠の言葉さ。ついさっき思い出した」
「師匠……詩人だったか?」
「詩人じゃないよ。詩歌い」
律儀に訂正するあたり、その音には重要な違いがあるのだろう。
「世界は今も僕らを通り抜けて流れている」
イストークが、運ばれてきたコーヒーを受け取った。
「でも僕らは決して世界の本当の姿を見ることはできない」
白い湯気が景色に混ざって消える。 イストークもまた、深くは質さない。 魔術師が自ら語るまで待つのだ。ただじっと。いつまでも。
「僕らが見てるのは僕らの中にある世界だ」
目に映ったものを頭が解釈している限り、世界は必ずどこかで歪む。
しかしそれは逆に──。
「シムルグ」
雪丸が椅子の背に身体をあずけ、上を指差してきた。
「空は青いかい?」
少年は額にひさしを作り、問われるまま上を仰いだ。
「あぁ。キレイな青だ」
「そりゃあ、良かった」
魔術師はこちらを見て頬を緩めてきた。春に咲く黄色い花の、いつもの笑い方。
“取って替わられてももいいなんて思ってる奴のことなんて知らない”
彼はそんな風に言っていたが、本当にそうならとっくに九条かクロフォードと同じ側に立っているだろう。
憎むに憎みきれないらしい兄とわざわざ反目しあう必要なんてない。
「良かった。元に戻った」
向かいの席のイストークがニヤつく。
「……何が?」
眉を寄せる魔術師に、冒険家はコーヒーを一口飲んで真面目に答えていた。
「笑ってる雪丸京介は怖いが、笑わない雪丸京介はもっと怖い」
◆ ◇ ◆
究極に美しく機能的で、力強く淀みない流れがある。
微細なミスも重大なミスも、その圧倒的な大きさの中に飲み込み、流れ続ける。
古きは壊され、欠陥は修復され、新生と再生を繰り返し、僕らも世界も静かに変貌し続ける。
だが、流れが止まれば死に至る。
僕らは流れを導く船頭なのか。
流れを塞き止める水門なのか。
それともただ翻弄されるまま朽ちゆく木の葉なのか。
問う言葉さえも、一滴の水となり彼方へ流れていく。
かつて僕の精神の一片を担っていた一滴として。
THE END
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