幻獣保護局 雪丸京介
第20話 ゴーレム
中

「良かった。重傷だっていうからどのくらい死んでるのかと思ったけど」
「“良かった”ってふざけんなよ。どこ見て言ってるんだ」
雪丸の早退を待ってふたりで見舞いに行った先のベッドの上には、伝説のミイラ男がいた。
さすがに上から下まで全身真っ白というわけではないが、頭、腕、手、脚、あらゆるパーツに包帯が巻かれている。
見た目痛々しそうではあるのだが、身体が動かない分だけ口が動くようなのであまり悲愴感がない。
「それにしてもアンタがココまで怪我するなんて、何に襲われたのさ。ゴジラ? モスラ?」
「なんでそんなもんと俺ひとりが戦わなきゃなんねーんだよ。ちょっと少年、この人黙らせてくれない?」
「無理」
協会が所有する病院の一室。
太陽はまだ地平へ傾いてゆく途中で、かすれた金色が室内に溢れていた。
誰かが持ってきたのだろう、オレンジと黄色の花が生けられたガラスの花瓶がきらきら光っている。
「だってアンタ昔から英雄になりたい願望あったでしょ?」
「誰がだ!」
力一杯叫ぶため、叫んだ後で悲鳴をあげて身体を折るイストーク。
口元を歪ませ半笑いを浮かべる雪丸は、完全に『面白いもの観察者』と化している。
「誰かにやられたんなら優劣もつくだろうがな、自分が相手だと力が互角な分性質が悪い」
言い捨てる冒険家の言葉に、雪丸が笑みを消した。
「自分が相手?」
「昨日お前に話したゴーレムだ。そいつが俺を襲った」
びっくりしたぜ〜とイストークがニヤッと歯を見せる。
「夜中に扉をノックされて開けてみりゃ、俺が立ってたんだからな」 「…………」
「……そりゃ、怖えなぁ」
雪丸が応えないので、シムルグはとりあえず相槌を打ってみた。
「しかも用件を聞く前に殴られたんだぜ」
ほら、と紫色の変色が見て取れる目元を指す。
「だが俺だってただやられたわけじゃあない。奴の目的は分かった」
腕を組んだ雪丸がうなずき、
「目的って?」
促す。
「奴は俺になりたがっていた。俺を消して、正真正銘世界でひとりの俺になるつもりらしい」
白い床に長い影が伸びていた。
「奴は、両親に愛されるイストークとして生きていくんだと言っていた」
「──ゴーレムは壊したんだろうね?」
イストークがここに生き残っているということは、彼が勝ったということじゃないのか?
「ゴーレムが呪文と呪符で動いているのは常識だ。“emeth”──つまり真理って意味だな、この言葉が彼らを縛っている。だからeを取って“meth”、“死”に変えてやればいい。もちろん俺もそう対処した」
その途中でこんなんになったんだ、罰が悪そうに満身創痍の自身を見下ろし男は続ける。
「だが奴は……無論崩れはしたが、甦った。一回ただの土くれになって、そこからまた俺の姿に戻った。そして逃げ出した」
「…………」
そんなことあるのか? シムルグは傍らに訊こうとしたがやめた。
答えのないものを訊いても雪丸の眉間のシワを増やすだけだ。専門家としても戦力としても役に立たないのだから、抗老化の協力くらいしなきゃならない。
「雪丸。奴は確かに俺として生きたいと望んでいた。俺よりも両親を大事に想っていた。……それは本当にそう見えただけなのか? ゴーレムが意思を持つことは絶対にありえないのか?」
おどけた気配が鳴りを潜め、真摯な言葉が部屋に響く。
「ゴーレムは絶対に生きてない。でも意思を持つか否かは絶対とは言えない」
魔術師がいつものように朗々と断じたのではなくやんわり首を振ったのは、それが可能性の問題だからだろう。存在は証明できても、存在しないことを証明するのは難しい。
「だけど気にするべきなのはそこじゃない。重要なのは自分が何を望んでるか、でしょ」
花瓶の傍のゴーグルが橙色に染まって鋭い光を反射している。
まるで雪丸の答えを採点するかのように、鋭い。
「ゴーレムが何を考えていようと何を望んでいようと、それが命令だろうが自発的だろうが関係ない。自分の意思と自分の望みが自分を創ってるんだ。そういう自負を持ってそれを死守すればいい。それだけのことだよ」
その自負が揺らぐのが人の常だからこそ、意思を持つゴーレムの出現は危険なのだ。
昨日イストークが不安視していたのはそこのはずだ。
コイツの方が多くから愛されているなら──そうざわめく声は人の心を喰う。白蟻のように人の心の柱を折る。
自負なんかいくらあったって食べられない。過酷な環境は気力を奪い、失意と絶望を蔓延させる。
自負が大きすぎればその虚像に容易く潰される。虚像を信じれば信じるほど現実との乖離に焦りは積もり、挫折を受け入れた瞬間動けなくなる。
「僕は、ゴーレムに取って替わられてもいいなんて思ってる奴のことなんて知らない」
言い放った魔術師は組んだ腕を指で叩きながら、
「知ってるでしょ。僕は幻獣には優しいけど人間には優しくないの」
「あぁ、そうでした」
イストークの発したその嘆息は諦めに似ていた。
「お前の言うことは昔から厳しい」
「でも正しいとは限らないけどね」
「自分は正しいと思い込んでるよりは幾分マシだ」
「へぇ。久々に褒められた。やだねぇ、歳を取るってのは。感情先行になって」
「どう受け取ったら今のが褒められたことになるんだ!」
叫んでまた痛みに転がるイストーク。
……好きなだけやればいい。
シムルグが買ってもらったメロンソーダに口をつけ窓から外を見ていると、
「ひとつだけ」
落ち着いたらしい冒険家が落ち着いた声で付け加えてきた。
「あのゴーレムは呪符一枚で動いていたわけじゃなさそうだ」
「?」
「一度崩れた土の中にもう一枚呪符が混ざってた気がする。レトロな太陽の絵札だった。太陽に顔が描いてあるやつ。その絵だけ目に焼きついてるんだ」
「……太陽」
雪丸が口の中で反芻して遠い目をした。
ビルの群れが太陽の残光に染まっているガラスの向こうの景色。
「今回の件はただのゴーレムが襲撃してきたんじゃないかもしれないってんで、捜査局のクロフォードが呼び出されたらしい。ゴーレムの作成者がまだヤル気なら、破壊されてるゴーレムを修復するだろう。ならば土だの泥だのが必要だろうってんで、捜査局がそれらしい場所を全部押さえてるそうだ」
「工事現場とか?」
少年は紙コップを傾けながら話を継ぐ。
「そうだな。工事現場、水辺、公園、空き地……。街の出入りも全部監視が入ってるらしい。クロフォードが本気なんだとしたら、魔導絡みの匂いがするのかもな」
「クロフォードって誰だっけ?」
「なんだ、少年は知らないのか? 広域魔導捜査局のキレる変人捜査官のことさ。魔導師を取り締まる役人だが、自分こそ魔導師なんじゃないかって噂されるくらい強い。そのうえ目的のためなら手段は選ばないって輩だから始末が悪い」
「要するに問題児か」
「コイツと同じだ」
腹を抱えて笑いながら雪丸を叩こうとしてまた悲鳴を上げるイストーク。
「…………」
もう、一生やってればいい。
病院を出たのは、すでに太陽が落ちた後だった。
それでも地平近くには禍々しい緋色が残っていたが、路地を照らす街灯には魔術の火が灯っている。
昼間よりは冷たくなった風が建物と建物の間を駆け抜け、フタの外れたポリバケツから逃げ出した紙屑が音を立てて走り回り、家を目指して歩く人間が増える。
「たいしたことなくて良かったな」
「これで死んでたら寝覚めが悪いよね」
答えてくる雪丸は、しかし別のことを考えている顔だった。
「思い当たるんだろ、“太陽”」
「!」
前を向いたまま、優男の目が大きくなる。
「お前ってさー、やっぱふたつのことを同時には出来ないんじゃねぇの? あの話が出てからあんまりしゃべんなかったろう。しゃべっても上の空だったし」
「……不覚」
コートのポケットに両手を突っ込んで、雪丸が立ち止まった。
ちょうど、家と協会との岐路だ。
「やだねぇ、それだけで何考えてるか見透かされるなんて。まるでお母さんだよ」
「お前が分かりやすいだけ」
「霜夜には何考えてるか分からないって言われるのに」
「そりゃコミュニケーション不足だろ」
「……ごもっとも」
月が出ていた。藍色の空を照らす大きな月。人工的な光の遥か上、雲の影を創る遠い明かり。
「太陽は数字の“九”で表されることがあるって知ってた?」
それがどうかしたのか。
「僕の兄弟子のひとりに九条って男がいてね。名前の九をひっかけて、太陽を自分のトレードマークにしてたんだ」
雪丸からまともに身内の話を聞くのは初めてだった。
訊かなくても支障はなかったし、あえて立ち入らないようにしていたのもある。
「あの人もいわゆる問題児の部類なんだよな。クロフォード寄りの」
クロフォード寄り、その言葉の意味は分からなかったが、聞き返すのもためらわれてシムルグはただうなずいた。
「純粋な悪意を持った研究者だ」
「──悪意」
世界の中枢である華やかな都市の街角には似つかわしくない単語。
口に出した3つの音が澄んだ夜の空気を濁らせる。
「あの人ならゴーレムをゴーレムでないものに変えられるかもしれないし、喜んでそれを世界のど真ん中で試すと思うんだよね」
突っ立っているふたりを邪魔そうに見ながら通行人が行き交う。
「あの人は他人を思いっきりバカにしたがるから、常識的な場所を探したって無駄だ。探す方の人間が種明かしをされて一番腹の立つ場所をアジトにしてるに決まってる」
そんな所はひとつしかない。
「協会本部」
それは世界の中心。
「正解」
雪丸が笑った。硬い目で。
◆ ◇ ◆
白衣の天使が空になった皿を下げて出て行った。
ヒマなこっちとしては少しでも多くお姉ちゃんと話がしたいのに、多忙を極める向こうは寒い愛想笑いしか返してくれない。
イストークは盛大なため息をついて外を見た。
だが生憎、黒い背景に映っているのは綺麗な夜景ではなく包帯だらけの自分だ。
かろうじて包帯を巻いていない面積の方が大きいが、単なる言い訳にしかならない。動きづらいわ動けば痛いわ、昨日までの自分が懐かしくて泣けてくる。
「俺ってけっこう強かったのなー」
つまらなさ余ってくだらない感想を声に出してみたその時、ガラスに自分以外の人間が映っていることに気が付いた。
「オイオイオイオイ、昨日の今日か?」
「ヤワなお前と違って治りが早いもんでね」
振り返れば、見慣れた金髪男が扉の内側に立っている。
鏡で、よく見慣れた。
だが顔は見慣れていても、格好は見慣れていなかった。
自分と同じ顔をしたその男は、葬式にでも行くつもりなのか霜夜然とした素敵黒スーツを身にまとっている。私は常識人なんです、そう主張するかのように。
「そういうのは治りとは言わねぇんじゃねぇの? 俺は自力で治してんのに、お前ズルしたろ。他人の力を借りたろ」
「お前だって他人の力を借りてるよな?」
“イストーク”が床を指差した。つまり病院ということだろう。
「医者に治してもらうことと魔導師に治してもらうことの何が違う」
やはり魔導師。クロフォードの出馬は正解だったわけだ。
「結局は己の優位性を並べたいだけじゃないのか? お前よりココが優れている、お前よりココが素晴らしい、お前にはこんなことはできないだろうってな」
毎日鏡で見ている顔で、しかも自分そっくりの口調で言われると無性に腕がうずく。
殴りたい。
しかしそれより大きな感情があった。
──怖い。
ゴーグルのない双眸なのに何を考えているか読めない。
自分の顔なのに、何を言い出すか分からない。
いや、それが本当の理由じゃない。
自分の言葉より重い深い言葉を吐かれるのが怖い──。
「他人より勝っていれば存在価値が上がる。最も分かりやすく存在意義を見出すことができる。意思を持ったゴーレムと人間との違いはなんだ? それは、お前がお前でなければいけない絶対的な理由になるのか?」
「俺とお前は違う“イストーク”だ」
「そんなのは、お前が生き残るための口実にすぎないさ」
魂を裁くのだという神はこうやって人間を弾劾するのだろう。
「お前は役所に登録されてる正式なイストーク、俺は登録されていないイストーク。そんなんじゃ、俺は結局どこまでいっても世間には認められないイストークじゃないか」
ひたとこちらを見据えてくる眼の奥には、強い光がある。執念か、決意か、切望か。鏡の世界でもこちらの世界でも久しく出会っていない力に気圧される。
世界を暴いてみたいと高揚する好奇心よりも、世界を暴かねばならないと焦る使命感の方が遥かに強い。
つまりは腹の括り度合いが物を言うのだ。
己の在り様に腹を括る、この世に生を受けた瞬間に大泣きしながら覚悟を決めたはずなのに、人間はとかく忘れやすい生き物らしい。
「イストークは二人いてはいけない。精神論じゃなく、現実として色々不都合だ」
「だったら?」
「簡単さ。──より多くの人間に望まれる方が残ればいい!」
“イストーク”が軸足に重心をずらし片脚を宙に浮かせた。
次瞬、耳元でガラスの割れる音がする。
「暴力はんたーーーーーい!」
叫びながら視界に入ったのは、蹴りを放ったのだろう格好の“イストーク”。
遠くなる白い病室。
ひんやりとした黒の夜気と、身体のまわりでキラキラ輝く窓ガラスの破片。
そして、どこをどう蹴り飛ばされたのかもよく分からないくらい激痛の走った全身。
──落ちる!
◆ ◇ ◆
「絶対ここだ」
雪丸が立ち止まったのは、魔導協会本部の地下にある鉄の扉の前だった。
灰色の壁に埋め込まれた汚れたピンクの鉄板には無論デザイン性など微塵もなく、上階の白く高飛車な造りとはかけ離れている。
地下ゆえに通路には窓もなく、等間隔に浮いている魔術の灯も心なしか薄暗い。
今、地上には抗えぬ闇が満ちている。それが上下左右すべての壁の隅から滲みこの穴倉をも侵そうとしていた。
「あの人の性格からすれば、絶対ここなんだ」
優男が睨む扉には、「第二倉庫」のプレートの下に『棚取り替え中。立ち入り禁止。中身は第三倉庫へお引越し』と書き殴られた紙が貼ってある。
「……もう少ししゃきっとした文句はなかったのかよ」
「うちの総務はボキャブラリー少ないの」
すぐ失くしてしまいそうなくらい小さい鍵が、シムルグの目の前で鍵穴に差し込まれる。
しかし──。
「空っぽだぞ?」
開けた視界の先はがらんどうだった。
中身は本当に第三倉庫とやらへお引越ししたらしく、とにかく何もない。
四方を囲む濃灰の壁と生気のない空気がのっぺりしているだけだ。
空虚。
事実は辞書よりも真実を語る。
「いや……いるのは分かってる」
それでも雪丸はつぶやいてきた。
「どこをどう見りゃいるんだよ」
天井にでも張り付いているのか?
暗がりに踏み込みフンッと鼻を鳴らしてシムルグが見上げると、雪丸の勝ち誇った顔がそれを遮った。
「見えているものがすべてだと思ったら大間違いだよ」
笑みと同時に背中を押される。
「っとっとっと……と?」
加えられた力のまま前に数歩つんのめったシムルグは、しかし転ぶ前に手を付いた。
何に?
前方にあった壁に、だ。
「?」
腕を組んで大きく首を傾げる。
ナイナイナイナイ。
部屋は立方体だ。
数歩踏み出しただけで向こう正面にぶつかるわけがない。そんなに狭い部屋ではなかった。
が。
「……なーる」
視点を変えればすぐ分かった。
「ただの絵だよ」
背後から雪丸の声がした。
「目の錯覚を利用して、奥まで空間が広がってるように見せかけたトリックアートだ」
振り向こうとしたらすぐ横にやってくる。
「僕らの目は線と影ですぐ騙される。ここはたださえ暗いしね。ぱっと見ただけじゃそこに広がっている空間が実は絵だなんて判断できない」
黒い手袋をはめた雪丸の右手がコンコンと芸術を叩く。
案外しっかりした音が返ってきたから、ぞんざいな板切れなんかではなく真面目なキャンバスに描かれているのだろう。
「貼り紙を無視して扉を開けた人間が、“あぁ、やっぱり何も無い”そう判断する間だけ騙せればいいんだ。ここには何も無い。誰もいない。僕らの頭はそう解釈して扉を閉める」
「何もないのに入ろうとする人間はあんまりいないだろうしな」
秘密を剥がれた芸術は途端に色を失い、必要不可欠な存在からお荷物な存在へと一変していた。
欺くためには必要。言い逃れるためには厄介。
「まぁ、万が一入ってくる人間がいたとしても、どうってことなかったんだと思うけど」
「──けど、騒ぎは起こさないに越したことはない」
雪丸の独り言に、キャンバスの裏から返事があった。
若い男の声。例えるなら色は金。
「幸いなことに、扉を開けた奴はいても、入って来た奴はいなかったよ。オマエたちを除いてはね」
暗闇の金庫の中で人を誘う、禁断の林檎の色だ。
その明度は雪丸よりも高く、しかし彩度は劣る。
「ここの人間は皆素直なんだな、きっと。自分の目が世界のありのままを見ていると信じ込んでいる」
そして毒は霜夜を凌ぐ。
「オマエが今見ているのはオマエの頭が作り出した世界なんですよ、なんて教えてやってもバカみたいにぽかんと口を開けるんだ。自分の仕組みなんかまるで分かっちゃいない──」
「イストークのゴーレムを彼の両親に売ったろう」
雪丸が男の口上を遮った。
「イストークが言ってた。ゴーレムの呪符に太陽の印があったって」
「あのゴーレム、なかなか見事なもんだと思わないか?」
男の疑問符と同時にキャンバスがさらさらと灰の如く崩れ去り、
「!?」
シムルグは両手で鼻と口を押さえて後ろに跳び退った。
しかし何故か粉塵は舞わない。
色彩を失った絵はゆっくりと音もなく氷解してゆき、隠されていた裏側が姿を現す。
騙し絵ソックリの無機質な灰色の空間が広がる。
しかし、廊下にある光源のせいか、それとも存在する三人の呼吸のせいか、絵の中に閉じ込められていた虚ろな空気は、わずかに動いているように見えた。
「本物を使って解説してやれないのが残念だな。彼はさっき出て行ったところだ」
種明かしされた動的世界では、ヘルメットに作業着姿の男がこちらに背中を向けてあぐらをかいていた。その男は周りに散らった瓶をせっせと大きな鞄に詰めている。
後ろで一本の三つ編みにされた長い金髪が右に傾き左に傾き、踊る。
「……九条」
「今度こそ彼は自分を手に入れるかな?」
その人物が雪丸の探している人間であることは明白だった。
苛立った魔術師の双眸は真っ直ぐその背中を射抜いている。
「九条」
「オマエたちはアレを探しに来たんじゃないのかい?」
軍手をした男の手が、背中越しに倉庫の虚空を差した。
「!」
繰り返される望まない驚愕は、まるで見たくもない手品のショーに放り出されたようだった。
男が示したと同時、空っぽだった穴倉に数人の作業員が現れたのだ。
全員黄色いヘルメットに作業着。ヘルメットの『安全第一』というシールがバカバカしい。
積まれた泥を袋に戻す者、袋を台車に乗せる者、屑を箒で掃く者、設計図らしい羊皮紙を巻いている者、せっせと与えられた仕事をこなしている。
「網膜は二次元だ。なのに見えている世界は三次元だ。我々の頭は実に巧妙にその溝を補完している。だが、その時点ですでに人間は見えているものを見てはいない。我々は、我々の頭が作った映像を見せられているんだ。もし君たちが蜜蜂だったのなら、君たちの世界に“赤”という色は存在しなかっただろう。彼らは赤が認識できないらしいよ」
さっきまで雪丸がニヤついて講釈たれていた内容を男がなぞる。
「彼らはずっとそこにいたよ。オマエたちが見なかっただけでね」
クツクツと聞こえてくる笑い声、あわせて震えている肩。
「この人たちが何だって──」
「察しが悪いな。役人なんかになるから勘が鈍ったんじゃないのか?」
雪丸が荒げた言葉に尖った不満が重なる。
「困ってるんだろ? ゴミ処理場からブラウニーがいなくなって」
男が瓶をしまい終え、ヘルメットを脱いだ。そして立ち上がりようやくこちらに向き直る。
「人手が足りなかったんでウチにスカウトしたんだ。小人のままじゃ面倒からちょっと大きくなってもらった。ここのガラクタを全部第三倉庫に押し込めるのはそりゃもう大変大変」
「そっちもアンタの仕業なわけ!?」
男はなんとなく雪丸に似ていた。
髪は金髪で三つ編みだし、目は暗緑で切れ長だし、背は男の方が高いし、なんだか作業着が馴染んでるし、微笑でなくて不敵な笑みがのっかってるし、笑っているのに全く隙がないし、違うところだらけなのだけど、それでも似ている。
説教臭いしゃべり方、柔らかい物腰、他人に警戒感を与えない顔、子どもっぽい余裕、底辺に広がる氷原。
「これはこれは鳥の王」
だが、雪丸の詰問を無視した男の笑みがシムルグに向いた瞬間、少年は顔を背けた。
そして第一印象を捨てた。
違う。この男は根底から違う。
雪丸が冬に咲く蒲公英だとしたら、この男は鉱石だ。持ち主を振り回しいくつもの悲劇を生み出すことに喜びを覚える、冷たい輝きの鉱石。
「ワタクシはそのヒステリーの兄弟子で九条・レガンス・ハールと申します」
──もう驚かない。
顔を戻した時には、作業員の格好をした男はいなかった。
艶を消した黒いコートに白いブラウス白いスカーフ白い手袋、そして頭には黒いシルクハット。
「職業は魔導師」
朗らかな自己紹介に続いて、背後で扉が閉まった。
重い響きを残して。
◆ ◇ ◆
「くそっ俺め。強えぇな」
さすがに地面まで落下して衆人の目の前でドンパチやるわけにもいかず、イストークはどうにか夜の空に転がった。
魔術師だったからいいものの、これが一般人だったら明らかに転落死だ。
「しっかし、俺にこれだけの根性があるってことはアイツにも同じだけあるってことだよな。あぁ、面倒臭せぇ」
立ち上がろうと無理矢理動かした手足は、ズキズキと鼓動と連動した痛みを送ってくる。
だが悠長に寝っ転がっている場合ではなかった。“イストーク”は割れた窓をスッと開け、窓枠に足をかけている。
包帯魔術師は病院の前庭に植えられた巨大な常緑樹まで飛び退いた。
これでアイツはかなり出てこなければ自分と対峙できない。騒ぎの起きた部屋がすぐに特定されたとしても、これだけ距離があれば、甲夜の闇も手伝って病院関係者にアイツの顔が割れることはないだろう。
生き別れた双子の弟と殺し合いしてました、なんて言い訳を突き通せるほどズ太い神経は持ち合わせていない……気がする。
「お前の態度は、望まれてる方というより強い方が生き残るって態度じゃないのか?」
声を張り上げれば痛みも増すが、そんなものいちいち気にしていたら生きていけない。
「どっちが望まれてるかなんて分かりきってるんだから、あとはお前を消すだけだろ。なんかお前大人しく消えてくれそうにないし」
中空を歩いてきた“イストーク”があっけらかんと言い放ってくるのがまた腹立たしい。
お月様、アイツの頭に流れ星を直撃させてやってください。
「だいたい、どっちが望まれてるなんてどうやって測ったんだよ」
「測ってないさ。測り方だって知るか。でもお前は薄々気付いているはずだ」
そりゃ分かっている。
両親からは勘当されたも同然だ。別に自分ひとりいなくなって崩壊する協会組織でもない。酒場のおネェちゃんたちは少しは残念がるかもしれないが、新たなパトロンはいくらでもいるに違いない。故郷の友人たちだって、良心に因る小さな喪失を感じた後、すぐ自分の生活に戻るだろう。
その程度のことは分かっているが、だからといって自分を渡してやろうとは思わない。仮にその方が世のため人のためだとしても、そんな慈善事業をしてやる義理はないのだ。
「……お前に与えられている命令が分かった」
イストークは顔周りの邪魔な包帯を取り払った。
「愛される者になれ、望まれる者になれ」
白い残像を追うと、地上の人々が視界に入った。
始めは何事かと見上げていたのだろうが、魔術師どうしのケンカと知れば興味も失せる。野次馬もなく、こちらを指差しているような輩もいない。
「引っかかってたんだよな。お前は望まれることにこだわり過ぎるんだよ。そんなものは生きることに価値を見出したい奴がすがってる指標のひとつでしかないんだ。誰にも望まれなくたって心臓は止まりゃしないし、息も止まらない」
声帯を通して音にすると、それは強い確信へと変わった。
「お前が望まれることに固執するのは、そういう生き方しか知らないからだ。愛されろ、望まれろ、……お前たちにとっては創造主の命令がすべてなんだろ?」
ゴーレムというのは、自分に課された使命など知らずに動いているのかもしれなかった。
命令というよりは、暗示か。
泥の中に埋め込まれた、決して逃れることのできない暗示だ。
現に、こちらを見返してくる“イストーク”は眉根を寄せて怪訝な顔をしていた。
「さっきお前は、俺とお前との違いを聞いたよな?」
「……それが?」
寒暖差の緩い都市とはいえ、スウェットの上下だけでは夜の空は寒い。
月光を帯びた風は、遮られるものもなく自由に吹き抜けてゆく。
「俺は俺の中に時間を飼っている」
一面の夜に無言で立つビルの谷底は、煌々と明るい。だがその明るさを踏みつけて見上げる空には小さな瞬きが溢れている。繊細な悠久の輝き。
ほんの少し場所を変えただけで、こんなにも違う世界を見ることができる。
「俺が飼っているのは不可逆な時間だ。お前とこうやって話している間にも、俺は変化し続けている。分かるか? お前がさっき窓の外に蹴り出した男はもういないんだ」
分かったような分からないような表情でこちらを見つめてくる男は、自分よりも随分年下に見えた。
「“代謝”って言葉を知ってるか」
「生物の中で起こる物質の入れ替わり」
釈然としない様子で答えてくる男は、自身の学生時代を思い出させた。
教師たちは教科書に答えが載っていることばかり質問してきた。何故いちいち訊いてくるのか意味が分からなかった。
「そう、代謝。それだよ」
面白くなさそうな“イストーク”に、空々しい拍手を送る。
「俺の中には時と共に流れる変化がある。それは素晴らしく機能的で、力強く淀みない流れだ。古いものを壊して捨て、新しいものを取り込み、欠陥を修復しながら再生し、俺は常に変化している。俺であり続けながら」
人は常に流れている。生命は常に流れている。
「この流れの終わりが、俺の死ぬ時だ」
イストークは両手を広げ、笑った。
「お前は持ってないだろう?」
「自慢?」
ただでさえ不良な目をきつくする“イストーク”。
冒険家は足下を見下ろした。
「世界も同じものを持っている。微細なミスも重大なミスも、その圧倒的な大きさの中に飲み込みんで、世界は流れ続ける。俺たちの身体を横切っている」
米粒みたいな人間が、各々目指す場所へと動いている。
緑や青の光に照らし出された噴水の水は、流水階段を滑り落ちてゆく。
頬を撫でる夜風はどこかで生まれてどこかで消える。
「──お前は生きているのか?」
顔を上げて訊く。
「生きたいんだって、何度も言ってるだろう」
向き合っている自分が必死な顔をしていた。
激情が露わな目、強い声。
それでも彼は叫ばなかった。
さすが俺だ、無意識に思う。
「俺はお前になる。お前になって生きて父さんや母さんを喜ばせるんだよ」
「父さん」「母さん」、彼らをそう呼んだのがいつだったのか、もう思い出せない。
「お前にあの人たちの望みを奪う権利はない。俺の望みを奪う権利も」
だが防衛する権利はある。
「お前は流れの中にはいない」
イストークはスウェットの内側に付けていた左右のホルダーから小銃を抜いた。
躊躇うことなく“イストーク”に銃口を向け、引き金を引く。
鉄の筒の先で男が宙を蹴るのが見えたが、それより早く虹色の閃光が闇を裂く。
爆音と共に泥人形の頭と胴体が砕け、流星群のように破片が飛び散った。
衣服の焼け焦げた匂いがさっと過ぎ、砂粒が放物線を描いて光る。
「…………」
じっと目を凝らした先に目当てはあった。
一際高く放り出され、自重に引かれて落ちてくる塊がふたつ。
『emeth』『太陽』、それぞれの呪符が埋まった泥土。
雪丸京介が顔色を変えていたから、『太陽』が本体のはずだった。
狙いを定めて打ち抜く。
もう一度夜空に輝く虹色の花。
花火と勘違いでもしたのだろうか、地上からかすかに歓声と拍手が聞こえた。
何故か、涙が出た。 “イストーク”は確かに、イストークよりも生きることに執着していたのだ。 確かに。
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