幻獣保護局 雪丸京介
第20話 ゴーレム



「ただいま」
 ソファに鞄を置き外套を脱ぐと、
「おかえり」
 テーブルの上に新聞を広げていた父親が虫眼鏡を置いた。
 最近すっかり目を悪くしたらしい。眼鏡を買ってあげると言っても要らないの一点張りで、老いては子に従えという格言は聞こえないフリをする。
「今日は遅かったじゃないか」
「商店街のロソ会長が来ててね、一番賢い助成金申請の方法を検討してたんだよ」
「あいつは抜け目ないからな」
 そんなに大きくない街だから、役所に相談に来るのは顔見知りばかりだ。
「そういえば、あなた、ルーシュさんの娘さんの誕生パーティに招待されてるんですって?」
「どこでそんなこと聞いたの」
 父親の向かいに座ると、台所から出てきた母親がココアを置いてくれた。
 太り気味なのを気にしているが、それはそれで貫禄があっていいんじゃないかと思う。けれど怒られるから口にはしない。
「ルーシュさんからよ。仕事の都合つくか分からないなんて答えたんですってね。お母様からもお願いしてくださいって言われちゃったわよ」
「行けますって言ってから、やっぱり行けませんって言う方がヒドイと思ったんだよ」
「女の子からの誘いは仕事を放り出してでも行きなさい」
 すぐ夕飯にするから待っててね、と言い残し、上機嫌でまた台所に消えてゆく。
「仕事、放り出すのはよくないんじゃない?」
 憮然と言うと、
「もちろんだ。だが女にはその言い訳がまるっきり通用せん。あいつらは自分が一番でないと気が済まない生き物なんだよ」
 たぶん大声で言いたいのだろうけど、低い声でもごもごと父。
「──そうそうそう」
 母が機敏な動きで引き返してくると、再び虫眼鏡を新聞に当てる。
「この街の人たちはみんな貴方を認めてくれているから、今日、中央にいるイストークにあなたのこと話したの。あとは登録情報をどうにかすればいいわね」
「それ、難しいのかな?」
「九条さんに聞いてみなきゃね。でもお役所の紙切れがどうなっていようと、貴方は私たちの息子よ、“イストーク”」
 母が、任せなさいと力こぶを作る。
 父が、何を今更と笑う。
 ロウソクの灯が楽しげに揺れた。


 藍色の夜空でつながる同時刻。

 整然とした活気でにぎわう都市。
 その片隅の穴倉で、部屋の大部分を占めるビリヤード台の上に男は寝転がっていた。
 イストーク。
 どこだかの言葉で「源流」を意味する、その名前の存在意義を考えながら。



◆  ◇  ◆


「要するに、です。……って、聞いていますか? 雪丸君」
「はいはいはい聞いていまーす」
 霜夜の仕事モードな口調を右から左へ流し、雪丸は元気良く返事をした。
 久々の本部、久々の会議、久々の薄いコーヒー。
「要するに、ブラウニーが消えてゴミの処理が出来なくなったからどうにかして連れ帰りなさい、そういうことです」
 嫌味な嘆息と共に、明瞭簡潔なまとめが提示された。
 お偉方面々は満足げにうなずいているが、この結論に来るまでにどれだけ寄り道をしたことか。
 霜夜から事の起結を聞けば済むだけの話なのに、会議室のテーブルを囲む彼らは、これまでに何を話し合い、自分はどう考え、しかしどういう理由で否定され、どう妥協し、最終的に誰の案が採用されたのか、それぞれにしゃべりたがった。
 それをわきまえている優秀な霜夜はその機会を与えた。
 ただ聞かされるだけの雪丸が眠くなるのも無理はないだろう。
 とりあえず会議に参加する姿勢を見せるため、片手を挙げて尋ねる。
「どうにかしてって、なんでその部分がものすごく曖昧なんですか」
「君は一から十まで指示されなきゃ動けない新人でもないでしょう」
 果たしてそういう問題なのだろうか。
「もちろん一朝一夕にブラウニーが見つかるとは思っていません。先にも述べましたが、協会は協会内にゴミを収容するための施設を整備します。地下の第一倉庫を改修して」
 霜夜の説明の切れ目を狙って別の男が身を乗り出す。
「協会が率先してゴミ処理場のパンクを防がなければ、民も付いては来ないからな。我々は可能な限り処理場の寿命を延ばす。君にはその間にブラウニーを探し出してほしい」
「僕に与えられた猶予は?」
「一ヶ月」
 最大の譲歩です、霜夜は余白のない目で断言してきた。
「あ、そう」
 協会本部のある都市──名前は知らない──皆が単に“中央都市”と呼ぶその郊外には、都市活動によって生まれたゴミを集める処理場がある。
 そこで働いているのが先ほどから名前の出ている“ブラウニー”という妖精だ。
 彼らは処理場に毎日運ばれてくる都市中のゴミの分別をし、燃やしたり解体したり再生に回したりして、都市の循環の一翼を担っている。
 本来は家に居つき、家人が知らない間に仕事を手伝ってくれる妖精で、人間よりも小さく、ボロボロの身なりをしていることが多い。
 ブラウニーたちが、靴屋の夫婦が寝ている間に靴を仕立てていた話なんかは有名だろう。
 彼らとの付き合い方は簡単で、お礼は働きに見合ったものをさりげなく。そして束縛を感じさせないこと。仕事は、あくまでも彼らの自由意思に任せなければならない。
 それだけを守ればいい。そしてたまにある彼らの些細なイタズラを許容すればいい。
 それだけで、都市の一機能は正常に動いているはずだった。
 しかし、ある日突然その機能は停止した。
 次々集められてくるゴミは片付けられることなくただ漫然と積み上げられ、やがて山となり、異臭を放ち、熱を持ち、このままでは溢れ出すだろうと思われる頃になってようやく、収集業者から協会に報告が入った。
 そしてブラウニーの失踪が明らかになり、雪丸京介が呼び戻されたというわけだ。
「都市のゴミ対策そのものは政務部門の環境局が担当します。我々幻獣保護局はブラウニー捜索に全力を尽くします。それでいいですね?」
 霜夜の最後の確認は他の局への縄張りの念押しだ。「入ってくるな」ではなく、「ここまでしかやりません」という。
「都市への施策については、明日環境局の部内で会議を持ち方向を決定する予定です。結論がまとまり次第皆様に(はか)らせていただきます」
 真昼の透明な光がまぶしい窓。それを背にして座っていたスーツの男が朗々と言った。それは霜夜の確認を肯定したに等しい。
「では、次回は保護局の報告か環境局の施策報告ということで。お疲れ様でした」
 霜夜が音声記録の水晶から魔術を解き、会議を閉めた途端に空気がだらりと緩む。
 席を立ちながらざわめき、抑えた笑い声が起こる。
 政務部門と外遊部門は離れた建物にあるため、なかなか会う機会が無い。とはいえお互い嫌っているわけではないので、こうして部長級が集まると話に花が咲くのだ。(ちなみに、司法部門とはどちらも仲が悪い)
 ラウンジに行ってコーヒーでもどうですか、などという会話を遠くに聞きながら雪丸が椅子の上で伸びをしていると、
「本当はこんな仕事お前じゃなくたって良かったんだ」
 頭上から声量を絞った霜夜の声が降ってきた。
「だったらいちいち呼び戻さないでほしいんだけど」
 雪丸が半眼で見上げるとまともに霜夜の視線とぶつかり、慌てて逸らす。
 涼しい言うより寒々しい視線は、精神衛生上あまりよろしくない。
「部長命令だから仕方ないだろう」
「あぁそうですか部長補佐様」
「司法部門がお前を引き抜きたがってる話は前にしたな?」
「冗談でしょ」
「どうやら本気らしい。もう奴等にはクロフォード=レイヤーを抑えられないんだと。毒を持って毒を制すにも限界があるらしい。その絡みで本部に戻されたんだよ、お前は」
「冗談でしょ」
 憮然と繰り返すと、
「部長にそう言ってやれよ」
 鼻で笑ってダークグレーのスーツが出口へと離れて行く。
「一応お前の意向も聞かなきゃならないって言ってたからな」
「……ありがたいことで」
 すっかり紙束のなくなったテーブルに片肘をつき、雪丸は手にあごを乗せた。
「いつまでもアンタの下で保護してもらう気はないけどね、今アイツとやりあうべきだとも思ってないんだよな」
「物事は自分の思い通りにいくとは限らないんだよ、お子様」
「……そんなことは分かってるさ」
 口を曲げて睨みつけると、水晶を抱えたエリートは肩をすくめて出て行った。
 結局、会議室には雪丸ひとりが残される。
「…………」
 そのままの姿勢で壁にかけられた時計を見やれば、昼食まであと少し。
 灰色がかった薄い水色の壁紙は、差し込む快晴にいつもより明るい。
 窓の外に見えるのは、道を隔てた向かいにあるビルのガラス窓。
「そりゃ、スタートの合図は自分で鳴らすもんじゃないけどね」
 銃声は集団の都合で鳴らされる。例え、スタートラインに並んだ全員の心の整理が出来ていないとしても。
「そっちはゴールじゃない気がするんだよね」
 聞いてくれる人間なんていないと分かっていつつ、底が見えるくらい残り少なくなったコーヒーにつぶやいた。
 
 魔導協会の最底辺に薄暗く流れている使命は、かつて一度世界を滅びに追いやった“魔導師”という存在を根絶することだ。
 しかし、魔導師たちが扱った過去の術を模倣することしかできない魔術師が──しかも範囲限定、時間限定のおまけつき──どうやって魔導師を狩るというのか。
 クロフォード=レイヤーが魔導師だと噂されながらも協会に在籍しているのは、その力が必要だからに他ならない。どれだけ傍若無人に振舞おうとも、どれだけ魔導師の尻尾を見せようとも、彼が魔導師として狩られることはない。彼は狩る側であって狩られる側ではないのだ。
 雪丸京介という希代の魔術師でさえクロフォード=レイヤーに歯が立たなかったという事実は、『魔導師を絶滅させるという使命を果たすことができるのは魔導師である』という矛盾を協会に突きつけた。
 魔術師には、魔導師に“幻”のラベルを貼り檻に入れることなどできないのだ。
 しかしそもそも何故魔導師を狩らなければならないのか?
 協会員の大半は、かつて魔導師が世界を滅ぼしそうになった、その歴史に答えを求めて疑わない。罪に対する罰。再発の阻止。
 けれどそれは単なる建前に過ぎないように思えた。
 それだけの目的を達するためにこんなにも巨大な組織が必要だろうか? 世界の行政、司法の梶を切り、レスレッティを始めとする神々までもを取り込み、役人として世界を常駐監視し、書類を積み上げ会議を重ねる必要がどこにあるのか?

「クロフォード個人をどうにかすればいい問題じゃない」
 昼休みを告げる鐘が鳴り、雪丸は冷めたコーヒーを一気に飲み干して席を立った。
「重要なのはたぶんそこじゃない」
 陽光と影が静かなコントラストを描く空間に背を向ける。
 彼は、クロフォード=レイヤー以外にもうひとり魔導師を知っていた。端的に表せば、人間に対する純粋な悪意を己の思うまま振り回す自由人。
 その男の突き抜けた笑みを思い出しながら扉を開ければ、廊下は一時仕事から解放された仲間たちで賑わっていた。
 その合間をすり抜けながら、足早にエントランスホールへ向かう。
 久々に本部に留まっているせいもあって、今日は同僚から昼食に誘われているのだ。しかもシムルグをぜひ見せて欲しいという。
 少年を本部前で拾ってから同僚宅を訪ねる計画になっているから、早く救出に行かないとこの人波、あの小さな身体では遠くに押し流されてしまうだろう。可哀相に思ってパーカーのフードを掴めば、彼は首が締まると言って怒るのだ。
 くだらない想像をしてこみ上げてきた笑いを噛み殺し歩いていると、ふと背後からの視線を感じた。
 振り返れば、エントランスホールの受付上に飾られている大きな世界時計、それを足蹴にしている巨狼の彫刻と目が合った。
 神々に怖れられた伝説の怪物、フェンリル。
 石にも関わらず背筋に迫る他を圧する覇気、獰猛な闘志。
 それは、この協会を創設した魔導師──正確には魔剣士──の紋章だった。



◆  ◇  ◆


「役人ってこんなところに住んでるのかよ」
 雪丸が叩いた赤い木製の扉は、安っぽい飲み屋が看板を並べる裏歓楽街の地下にあった。昼間の強い光にみすぼらしい正体を暴かれた看板と看板との間。まるで設計ミスで出来てしまったような狭い隙間を降りていった先だ。
「彼は特殊なんだよ。だって、僕の家は普通でしょ」
「ま、ね」
 シムルグは赤毛の後ろで手を組んで不満げに答えた。
 そうなのだ。雪丸の家は当人の偏屈さに合わず普通なのである。
 玄関先は大家がマメだとかでいつも掃除されているし、家の中も適度に物が散らかり、適度に片付いている。潔癖でもなければ無秩序でもない。長い留守で埃が積もり空気は灰色がかっていたけれど、テーブルに置かれた小さなサボテンの緑がまだそこが人の住処であることを主張していた。
 それに比べてこの場末の穴倉は──。
「いないのかな」
 雪丸がもう一度扉を叩こうとした時、
「おー、崩れエリート、よく来た。久しぶりだな。何年ぶりだ? 3年か? 5年か?」
 その手は空振り、豪快に開かれた空間の向こうから変人が現れた。
「そんなに経ってないよ」
「そうだったか?」
 出てきたのは、雪丸よりも背の高い男だった。()せた金髪、室内にいたのだろうに黄昏グラデーションのゴーグル、ハイネックで袖なしのミリタリージャケット、両手にはフィンガーレスグローブ、金銀に光るリング、そして足元は留め具だらけのロングブーツ。
 カッコつけようのない居酒屋の谷でこの出で立ち、思いっきり“我が荒野の道なき道を行く”タイプだ。
 腰に剣か銃を装備させたら命知らずなトレジャーハンターがひとり出来上がる。
「まぁいいや。……おぉ? なるほど、この小さいのがお前の保護者か」
 男の鋭角な二重がこちらに降りてきて、ニヤッと片頬が上がった。
「なるほどってナニさ」
「霜夜から色々聞いてる」
「どうせロクでもないことだよね」
「それはとんでもない誤解だ、友よ! 俺もアイツも褒めてるんだぜ、お前がまだ協会に残ってるなんて奇跡だって」
「そりゃどうも」
 雪丸の台詞は大根役者以下の棒読みだ。
「魔導協会 外遊部門 世界調査局 イストーク。雪丸とは同期だが俺の方が少しばかり人生経験は長い。以後お見知りおきを、鳥の王シムルグ」
 雪丸のご機嫌が斜めになり全く紹介を始めようとしないものだから、男──イストークが率先して長い腕を差し出してきた。
 どうやら、“雪丸の保護者”はその名前まで筒抜けらしい。
「入れよ。友情より私情を優先したようで悪いが、お前に相談があるんだ」
 こちらの手をぶんぶん振り回したまま、うらぶれ冒険家は顔を上げ口を真横に結んだ。



「ま、テキトーにどこにでも座ってくれ」
 焼き鳥とアルコールの匂いが抜けきらない路地は厚い扉によって閉め出され、代わりにシムルグの眼前に飛び込んできたのは大きなビリヤード台だった。
 しかし玉もキューも見当たらない。
 それを囲む錆びた赤色の壁には世界各地のものと思われる読めないポスターがべたべた貼りまくられ、少しでも平らな場所にはお土産品以外の何物でもない(いびつ)な木彫りの人形だの、ラベルの剥がれかけた空き瓶だの、派手なお面だの、汚れた遺跡の模型だの、石をつなげた首飾りだのが置かれている。
 部屋の中で音を立てている時計は4つで、指しているのはすべて違う時間。
 床にも物は積まれているが、膨らんだ旅行鞄に木で造られた舟、背表紙の文字が消えかけた本、端の破れた譜面に弦の切れた弓、麻の縄、艶やかなマリンバ、どれもこれも生活感のないものばかりだ。
「……どこに座れって言った?」
 平坦どころか穴を掘りそうな雪丸の声音に、
「あの辺とか」
 イストークが軽く指差してきたのはカラフルな雑誌で埋もれたソファだった。
『…………』
 雪丸とシムルグ、ふたりで黙って片付け座れる分だけの場所を確保していると、冒険家が奥からチキンライスに半熟目玉焼きが乗った皿を持って再登場した。
「どうぞどうぞ食べなさいよ」
 勧められていると言うより、上から見下ろされ脅迫されているカンジ。
「じゃ、遠慮なく」
 受け取りこちらに一皿回してくる雪丸にボソリとつぶやく。
「お前の友達ってまともなのがいないな」
「まぁね」
 ソファに身体を埋めスプーンの先を天井に向ける雪丸。
「世界調査局なんて幻獣保護局より糸の切れた凧みたいな部署だし」
「世界に埋もれた不思議を理論的に解明するのが仕事だ。例えば、君たちの行った“欠けない月”を隠す樹海」
 ビリヤード台に腰掛けた男が壁の一角を指差した。点線が幾重にも書き込まれた白い地図。おそらく、あの樹海の拡大を観測したものなのだろう。
 しかし雪丸は地図には目もくれなかった。
「役人というより税金で冒険してるだけだし」
「世界は広い。協会が把握していない場所はまだまだある」
「あ、でも、どんなに劣悪な環境でも生き延びるし、歴史についてはかなり使えるよね。あの有名なベルナール研究所にも出向していたことがあったようななかったような」
「あぁ行ったさ。行って、レディ・リィにさんざんこき使われた」
「博士元気?」
「研究は進むが論文が進まないのは治らないらしいな」
「で、僕に何の用?」
「いきなり話の角を曲がるんじゃない!」
 わざわざ皿を置き台を叩いて叫ぶイストークに、雪丸はいつものへらへらした笑いを浮かべて「まぁまぁまぁ」なんてなだめている。
 なんとなく、このふたりの関係が掴めた。
「僕の昼休みは有限なんだから、手っ取り早く済ましてもらわないと昼寝の時間が確保できないでしょ」
「友の相談よりも昼寝か」
「友の相談よりも午後の仕事さ。昼寝しないとヤル気が出ない」
「お前がヤル気を出して机に向かってるところなんか見たことないけどな!」
「ヤル気だして友達の力になろうって言ってるのにねぇ」
 いきなり振られたが、とりあえずシムルグはひとつうなずいた。
 二対一の形勢に、イストークが明後日の方向へケッと吐き捨てる。
 しかしそこは彼の方が大人だという証拠なのか、一呼吸置いて話を戻してきた。
「お前が真面目に幻獣保護局に籍を置いているなら、“ゴーレム”は知ってるよな?」
「古の秘術で主の命令を忠実に遂行する泥人形」
 教科書を読むように答えてから、雪丸が寸の間口の前でスプーンを止め付け足す。
「知ってるけど、あれは僕らの管轄じゃないよ。生きてないからね」

 ゴーレム。
 それは、泥や土、そして金属などに仮初(かりそめ)の命を吹き込み生まれる操り人形の総称だ。与えられた命令が唯一の本能であり、意思であり、しかしそれゆえに達成へ向けて突き進む力は、脆弱な人間の比ではない。
 そのため、気の遠くなるような単純作業の要員として、あるいはただ敵を粉砕し前進あるのみの兵士として、使われることが多い。

「あれは道具だよ。呪術で造られた道具」
「俺が聞きたいのは“生きてる”ゴーレムだ」
「──生きてる?」
 雪丸がスプーンを皿に戻して怪訝そうな顔をした。
「ゴーレムは生きてない」
 分かってる、イストークがそう手で制して続ける。
「最近、俺の田舎で俺を目撃したってダチが多かったんだ。帰ってきてるなら連絡くらい寄越せってな。もちろん俺はあんなトコに帰ってなんかいない。他人の空似だろうと放っておいたんだが、この間ウチの親から連絡があった。“お前の代わりのゴーレムを造ってもらったから、もう帰ってこなくていい”だとさ」
 冒険家の言葉には、熱い姿に似つかわしくない冷めた響きがあった。
「へぇ」
 雪丸の言葉はただの相槌だ。
「俺は、ゴーレムってやつは単なる木偶(でく)の坊かと思ってた。だがダチの話を聞きゃあ、田舎にいる俺は奴等と遊びまわったり、街の役所で働いたり、親を湯治に連れて行ったり、まっとうにやってるらしい」
 意図的に作られた沈黙の後、冒険家が語尾を上げる。
「それはアリか?」
「アリさ」
 雪丸はにべもなかった。
「アンタの親が本当に“ゴーレム”を造ってもらったのなら、それが“生きている”はずがないし、“自我を持っている”はずもない。創造主からそう見える命令を与えられているだけだよ」
「……そうか」
 納得したのではなくそうとしか応えられなかったのだろう、イストークが雪丸から目を離して壁の時計を見やる。
 その姿を眺めながら、
「しっかし、なんでアンタが二人もいるような事態になってるのさ。仲悪いとはずっと聞いてたから今更驚かないけど」
 雪丸がスプーンの上下運動を再開させて話の進路を変えた。
 イストークは視線を動かさないまま答えてくる。
「あいつらは俺の生き方そのものが気に入らないんだ」
「魔導協会に勤めるくらい優秀なのに? 怪しさ大爆発な部署なのはともかく」
「雪丸君。価値観ってのは千差万別なのだよ。君の物差しは君しか持っていない」
 イストークが芝居がかった調子で天に嘆いてみせ、こちらに向かって歩いてきた。
「あいつらが欲しがってるのは、近くに住んでいつまでも面倒をみてくれて、世界の裏役所なんて得体の知れないトコじゃなく誰もが知っている町役場に大手を振って勤めていて、それなりの家柄のお嬢さんと結婚してくれる孝行息子なのさ」
「全部現状と反対ってある意味すごいね」
 さらっと笑っている雪丸だが、シムルグからみればこの男だってイストークと同類だ。
 ささやかな幸せに包まれた人生のプロトタイプがイストークの両親の望むそれならば、雪丸だってすべて該当しない。
 そんな人生を望む“家族”という繋がりがこの魔術師にあるのかどうかはともかく。
「ご両親の気持ちも分かるけどね。でもだからって望みどおりの息子をゴーレムで手に入れるって、スゴイ発想だよねぇ」
「俺が一番ダメージを受けそうな手段を選んだんだろ」
 イストークがこちらを見、大きく息をついて指を折る。
「俺なんてゴーレムで代用できるくらいの重さしかないのかと凹ませる」
「俺の存在がゴーレムにのっとられるかもしれないと焦らせる」
「自分たちの言うことを聞いているゴーレムがいかに皆に好かれ幸せな日々を送っているかを見せ付ける」
 冒険家は盗掘された墓を前にしたように、肩をすくめ手の平を天に向けあきらめのポーズを取った。
「甘く見られたモンだ」
「けど、アンタは現に僕を呼んでる」
 少なからず気にしているじゃないか、雪丸は確信犯な笑みをイストークに向けていた。
 言われた当の冒険家は反論するでもなく怒るでもなく、顔の半分に影を落としている。
 物が溢れすぎて騒がしかった部屋に訪れた一時の静寂。
 背の低い食器棚に並んだ木彫りの人形たちが、口を閉ざして聞き耳を立てている。
「けど、ゴーレムは決して生きていない」
 それを知っているかのように、雪丸がトーンを上げて断言した。
 柔らかさの欠片もなく、わずかの隙間さえなく。
「生きてるイストークはアンタだけだ」
 きっと、この男に“生きている”ことの定義を訊いたなら、明瞭な答えが返ってくるのだろう。
「もし仮に本当にそれが“生きてる”んだったら、そいつは単なる同姓同名のイストークだよ。アンタじゃあない」
 朗々と言い放つ雪丸に、イストークが笑みを返した。
 可笑(おか)しいわけじゃない、嘲っているわけでもない、それはどこかに向けられた皮肉に見えた。
「俺でさえお前を呼んで俺が俺しかいないことを確認した」
 世界を暴く開拓者の矜持(きょうじ)
「一般人ならどうだ?」
「…………」
 自分勝手な黒髪の下で雪丸の目が細くなった。
「お前の替わりはいくらでもある、そう言われても揺らがない人間がどれだけいると思う」
 空からこの都市を見下ろした景色が浮かんだ。
 林立する長方体の建物と、十字で仕切られた区画、升目を埋める緑の木々、点々と忙しなく動き回る人間──。
「俺はゴーレムなんてのは前時代の遺物だと思ってた。原始的な呪術でもうとっくに廃れたもんだってな。だが世界は広い。どこかでその技術が受け継がれ鍛えられていた可能性は確かにある」
 至る所に張られている協会の網。
 だが危険だとみなされなければ網は無言だ。そうやって網は常に何かを逃してきた。
「俺の親でさえ俺のゴーレムを買えたんだ。大抵の人間は望めば手に入れられるだろう」
「前時代から新時代へと変貌を遂げていた呪術は、すでに僕らの目の前に迫ってる……」
 それは密林から未知の細菌が掘り起こされた時の脅威に似ていた。
 それも、飛散し尽くしたことが判明した時の。
「俺が思うに、魔導の存在が消されたのはその技術と力に人間の精神が追いついていなかったからだ」
 うん? と雪丸の目がイストークの顔を見返す。
「人間は必ず魔導を手に余す、それを見据えて敢えてその巨大な利を葬るために協会が創られた。その決断ができるくらいには賢かったんだ、昔の人間は」
創設者(フェンリル)の理念なんて今はもう誰にも分からない」
「だがひとつの利を潰したところで、俺たちは他の利を欲しがり続ける。技術と力と利益は簡単に精神の強度を凌駕する。なんてったって、技術は積み重ねられるがそれを扱う人間は全員がゼロからの出発だからな」
 大仰な台詞とは裏腹に、ゴーグルの中から見える冒険家の眼差しは明るい。
 陽落ちる黄昏ではなく、陽翔ける暁の色だ。
「俺の故郷にいる俺が本当にゴーレムなのかどうかも断定できない状態で協会に報告はできない。調査はしているけどな。あくまでも個人的な懸念から動いてるだけだ。杞憂に越したことはないんだが」
「……なーるほど。そういうこと」
「お偉い方々に報告が届くより先にお前の耳に入れておいた方が賢明だろうと思ってね」
 剣呑な空気が去ったのを察したのだろう、赤い部屋に小間物たちの喧騒が戻ってくる。
 会話に加われないでいるシムルグを見下ろして笑っている木彫り人形、雪丸について噂話を始める大小様々な藤籠。
「だが、相談ってのは嘘じゃないさ」
 イストークがビリヤード台の上であぐらをかいた。
 そして飄々と笑う。
「俺も揺らぐ方の人間なんだ、一応」



 お役所の昼休みは短いとかなんとかで、協会に戻る雪丸は早足だった。
「だいたい、あんな曖昧な話を聞くためになんで僕が貴重な時間を割いて出向かなきゃならないわけ?」
「相手が年長者だからじゃねぇの?」
「あぁそうか。お年寄りは大事にしろってね」
 大袈裟な気温の上下がなく夏と冬が抜け落ちているのだというこの都市は、吹き抜ける風も爽やかで優しい。だが反対に公園の並木道から見える青空は、仕事に勤しむ人間たちを哀れむように遠い。
 雀の群れが大喧嘩をしている(こずえ)も遥か遠い。
 立ち止まり頭上を仰ぐ人間なんてめったにいない。
「僕がふたつのことを同時進行できるほど器用に見える?」
「お前ならできるよ」
「根拠ないでしょ」
「とゆーか……ふたつのことって?」
 睨みつけてくる視線を無視して訊くと、
「あぁそうか」
 雪丸はありきたりな仕草でぽんと手を打ち、説明するのも面倒臭いと言いながら“ブラウニー”について愚痴り始めた。
 そしてひとしきり事の次第を説明するや、盛大にため息をつく。
「だいたいブラウニーを呼び戻せって言ったってさー。彼らが出て行ったってことは、誰かから新しい服をもらったってことなんだよ」
「あいつら、服をもらうことが労働の最終目的だもんな」
「そう。彼らに服をあげるってのは“今までお疲れ様でした。明日からは自由ですよ”ってことだもの。退職金みたいなもんかな」
「ふーん」
「自由になったあと彼らがどうしてるかなんて知らないし」
 木漏れ日で顔をまだらにしながら、しゃあしゃあとのたまう。
「それでも幻獣保護局かよ……」
「出て行っちゃったのを一匹一匹探して頭下げて“アレはなかったことにしてください”とか言わなきゃいけないのかね。僕が! ひとりで!」
「じゃ、求人募集すればいいじゃねぇか」
「……妖精がゴロゴロいるわけないでしょ」
「やってみなきゃ分かんねぇじゃん」
「そうかなぁ」
 そんなノリでいいのか、仕事ってのは。
「…………」
 ふと、眠たげな優男の視線が横にズレた。
 シムルグもそれを追う。
「あぁ、処理場が動かねぇから収集もできねーのか」
 彼の視線の先にあったのは、溢れたゴミに埋もれたゴミ回収箱だった。
 箱の中身はきちんと分別されているのだろうが、入りきらない分に境界線なんかない。新聞、紙クズ、菓子袋、弁当の残り、デザートカップ、何故か割れた皿だの鍋のフタだのまでが混沌と山になっている。
 頂上には五羽のカラス。
 スーツ姿の男が時計を気にして走りながら昼食の残骸であろうビニール袋を山の中腹へ放り投げ、カラスが一瞬羽を広げる。
「…………」
 表情を動かさない魔術師が何を考えたのかは分からなかった。

 だが、彼が何を考えたにせよ、考えなかったにせよ、世界は関係なく流れてゆく。
 良い事も悪い事も。



 雪丸の平凡な自宅にある通信水晶が明滅したのは翌朝早くのこと。
「嘘でしょ? いや……嘘をつく意味がないか」
 シムルグが顔を洗って戻ってくると、リビングには水晶と向き合う雪丸の背中があった。
 静かに事実を告げる声はあの霜夜という男のものだ。

──イストークが何者かに襲われて重傷を負った。

 雪丸が静かに内容を復唱していた。



Back   Next

Home



BGM by eRa [Voxifera]
Copyright(C)2008 Fuji-Kaori all rights reserved.