短編
【迷宮ノスタルジア】
前編
90000HIT 十朱李夏様に捧ぐ
「いるな」 「いるよ」 全く同じ声音が交互につぶやかれた。 光が沈んだ後の闇を駆逐するイルミネーションに彩られた雑踏の中、彼らは信号待ちをしていた。 少しばかりくたびれた背広のサラリーマン、時計を気にするOL、MDを聴きながら完全に自分の世界に浸っているどこぞの高校生、両手いっぱいに荷物を持った目の上が青いおばさん。 どこの誰かも知らない人間たちが、奇妙な時間を共有していた。 そしてその集団の後ろでは絶えず、これもまた名もしらぬ人間たちが終わらない流れを作ってそれぞれには意味があるのだろう場所へと足を進めてゆく。 「話によれば──」 「自分を殺った奴を探してるんだったな」 そういうこと。軽くうなづいて、左手の中指に銀のリングをしている方が傍らに控えた大型犬の頭を撫でた。 猟犬のような美しいフォームを持ちつつ毛足は長い、白く大きな犬。 「何人引きずり込んだ?」 「さァ」 「調べて来いよ」 「だってー」 忙しかったからさ〜。と左手リングが口を尖らせる。 レポートの提出期限を破ってこっぴどく教授に叱られていたところまでは言わないらしい。 「兄さんが自分で調べればいいじゃん」 「そういう地味な仕事はしない」 「ずっるー」 弟が言うと、兄がクスクス笑う。 彼らの隣りで、香水のきついお姉さんが肩でため息をつき顔を上げた。 信号の待ち時間を示す表示──あのだんだん数が減って、青になるまでカウントダウンされるシロモノだ──がもう残り少ない。 人々は一歩目を踏み出す用意をする。 ──が。 そのルーティンワークは悲惨な大音響で破られた。 一台の白い車が、どう運転を間違ったか対岸のショーウィンドウに突っ込んだのだ。 綺麗に舗装された歩道にはガラスの破片が散乱し、誰もが一歩足を止めた。 皆が呆然と声を失ったその瞬間、不気味な静寂がよぎった。 しかし皆がどうにかその事態を把握した一瞬後、店の中からは蒼い顔をした店員が飛んでくる。そして時は再び動き始めた。 正義感の強そうな何人かのサラリーマンが前の潰れている車に駆け寄り、大声で運転席に向かって何か叫んでいる。周りの人々も救急車だと警察だと口々に騒ぎ立てた。 幸いその暴走車に跳ねられた者はいないようで、ガラスで怪我をした人がまだ唖然とした顔で突っ立っているだけ。 対岸は流れが止まり、大きな人だかりができた。 携帯電話で友人に報告する者、写真におさめる者、何故事故がおきたのかを論じ始める者。 何事もなかったかのように信号が変わり、こちら側にいた人間は待ちわびて足早に現場へと駆け寄ってゆく。 その輪の中へと加わってゆく。 「あの女、やっぱり探してるな」 「だね」 だが彼らは渡ろうとはせず、淡々と言葉を交わし続けていた。 その場に立ったまま現場の方ではなく、交差点の真ん中、その虚空を見つめている。 全く同じ色をした黒いふたつの双眸が、同じ一点を。 いや──、それだけではない。 彼らは何から何まで同じだった。 黒髪に世 どちらがどちらか故意に分からなくしている。そんな悪意を感じるには充分の、瓜二つ。 唯一彼らが人々に対して善意を見せているのは、銀色リングだ。 兄は右手の中指に。 弟は左手の中指に。 「あの女、たとえ犯人を殺したとてももう止まらないね」 交差点の真ん中には血まみれの女がひとりいる。 そして事故車を睨みつけながらつぶやき続けている。 “コイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違うコイツも違う……” 再び信号が変わり、車と人が流れを変えた。 女はそこに佇んだまま、次々とやってくる車体は彼女の身体を通り抜け、これだけいる人間の群れの中でも彼女を見ているのは彼らだけ。 「怨みに縛られてるな」 「永遠にここで人間を怨み事故死させ続けるんだ。大きくなりすぎた怨念は自らも喰う。止めようと思っても魂の暴走は止まらない」 弟の涼やかな口元に悪戯めいた笑みがのる。 「助けてやろうじゃない?」 「人間を? 女を?」 兄が弟を見やった。その顔には弟と全く同じ表情が鏡のように映っている。 「今は。──両方ってことになるよ」 「今はな」 ふたりは小さく笑みを交わし、交差点に背を向けた。 「行くよ、ベルサリウス」 弟が手招くと、白い犬は音もなく身をひるがえす。 そして彼らは、闇を彩る光の洪水の中へと紛れて行った。 遠くから、救急車のサイレンが響いてくる。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 「 呼ばれて、ふたつの手が止まった。 「えぇと……」 呼び主はふたりの手元を見やり、 「 言い直す。 ご指名を受けた方が乱雑に書きなぐられたノートから顔を上げ、来客に微笑んだ。 その若者、名を鳳戒斗という。 「……失礼ですが、お名前は?」 「か、柿本と申します」 彼に声をかけてきたのは、彼と同じ歳くらいに見える女性だった。 特筆すべき特長はこれといってないけれど、そのことが好ましい印象を与えてくる女生徒。 先輩と呼んでくるからには彼より学年が下であるのだろう。彼が大学二年生という事実からして、彼女は一年生でしかあり得ない。 「本当に似ていらっしゃるんですね」 彼女が感慨深げにしみじみ言った。 「えぇ。でも皆さん見分けてくれますよ。右手のリングは兄、左手のリングは僕って」 「そりゃあ、有名ですもん」 ──鳳兄弟。 彼女の言うとおり、この大学では有名な双子だ。 名字の奇異さや見目の良さ、加えて得体の知れない不気味な微笑。 兄の 弟の戒斗はとっつきやすいが、自己完結するところがあって時折話についていけない。 本家は物凄い名家だとか、両親は裏の世界の有名人だとか、ふたりともこの世の人間ではないだとか、高校では番を張っていただとか、ふたりの間だけではテレパシーが使えるだとか、悪口を言うと七代先まで祟られるだとか、好き勝手な噂が山ほどある。 その中でも一番多いのが、この世のものでないモノ関係の噂話だ。 ・鳳兄弟の家は代々有名な陰陽家である。 ・鳳兄弟は妖怪である。 ・鳳兄弟は退魔師である。 ・鳳兄弟は幽霊が見え、かつ悪霊調伏が出来る。 ・鳳兄弟は魔物を飼っている。 などなど。 並べると矛盾しているものがたくさん出てくるのだが──、 「あの、唐突で申し訳ないんですが、悪霊退治出来るって本当ですかっ?」 「本当だよ」 いくつかは当たっていたりするわけだ。 火のない所に煙は立たない。 「それはお仕事、ですか?」 「…………」 気にしているのは金銭なのだろう。 戒斗は隣りの兄を見る。 「学生から金を取るほど困っちゃいないさ」 兄── 「だ、そうです」 戒斗が営業スマイルを向けると、柿本嬢はふうっと安堵のため息をつき、じゃあ……と顔を険しくした。 「お願いがあるんですけど」 柿本嬢の話は、ある種修学旅行での怪談話めいていた。 ──“魔の交差点”って知ってますか? 真面目に問われて戒斗はハァ? と首を傾げた。 兄に至っては三回続けてサボったツケを払うのに必死になっており、話を聞いてもいない。 その交差点では、信号が付いているにもかかわらず何故か事故が多発するのだという。 別段変わった道路でもなく、しかし人通りはむやみに多いから、むしろドライバーは通常よりも注意する。……にもかかわらず事故は後を断たない。 そしてその場所で、先月彼女の友人も事故を起こしたのだ。 幸い命は助かり──複雑骨折で入院するハメにはなったのだが──、大事にはならなかった。 ──けど、その子が言ってたんですよ。私は単独事故じゃなくて追突されたんだ、って。 ──追突? ──赤いスポーツカーが猛スピードで追いかけてきて、ドンッと。 ──でも周りの誰もそんな事実は見ていない。 ──そうなんです。目撃者もたくさんいて、彼女は単独事故だったんです。 しかし事故を起こした直後、耳元で女の声がしたのだそうだ。 “コイツも違う”、と。 ──噂では……昔あの交差点で、赤いスポーツカーが白い車に追突されての事故があったらしいんです。本来なら大したことなさそうな事故なんですが、運悪く対抗車線に出てしまって、そこへ来た大型トラックに……。 赤いスポーツカーに乗っていたのは女性がひとりで即死。けれど原因を起こしたはずの白い車は逃げてしまって捕まらず。 それ以来彼女はあの交差点で白い車を追いまわしては、犯人を探しているのだという。 根拠もなく語られる都市伝説は、人々が無意識に知っている、 ──それで、御友人に頼まれて真相を調べて欲しいということですか? ──えぇ、そうなんです。 ──分かりました。 横から断言したのは兄・速斗だった。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 「ここだね」 彼らは下見に行って女の悪霊の存在を確かめた翌日、夜になってから仕事用のスーツに着替え、再び柿本嬢の依頼に取り掛かっていた。 「ここだな」 速斗が愛車を停めたのは、市の郊外にあるごく普通の家の前だ。 一般家庭に比べれば立派な家だし、土地も広い。とはいえ──裕福ではあるが、眼を剥くほどのオカネモチではない。そんなところだ。 運転もしていないクセに疲れた疲れた言いながら車を降りていく弟を横目、速斗は地図を取り出し、糸をつけた五円玉をその上にかざす。 それは眼前の家を表す場所でクルクルとよくまわった。 「間違いない」 彼は慣れた手つきでサッサと全てをしまうと、その家に明かりが点いていることを確認し、車を降りる。 そして車の外で白い犬とじゃれている弟に声をかけた。 「行くぞ」 「いいかい、ベルサリウス、吠えちゃ駄目だよ。──ま、普通の人間にゃ聞こえないけど」 犬の姿は彼ら以外に見えていない。 幽霊が見える類の人間ならば見えるだろうが、それを妖犬だと認識できる者はどれほどいるのだろうか。 鳳兄弟は魔物を飼っている。 それもあながち嘘ではなかった。 「ごめんください」 チャイムを鳴らしたのは戒斗だ。 愛想笑いの上手い彼は、初対面の相手の警戒心というものをすぐに崩す。 相手が鉄の門扉を閉ざす前にその隙間から入り込み、春が花のつぼみをほころばせるように仲良くなってしまうのだ。 自らは全く明かさずに。 案の定、出てきた奥さんは彼らが偽造名刺を見せ、“大手企業の調査部”の人間でご主人にアンケートを取りたいと言うと、どうぞどうぞと迎えてくれた。 通された部屋は小さな和室で、出されたお茶は中の上。 「あの人、おじいさんかな?」 戒斗の声で速斗が顔を上げると、壁に警察官の制服を着た 「大方そいつが息子の不祥事を握り潰したんだろう」 速斗の感想はそっけない。 と、 廊下を小さな子供が走る音がして、ふすまが予告なく開かれた。 ふたつの好奇の目が彼らを見ている。 幼稚園くらいの、姉と弟。 「お兄さんたち、こんな夜に何かご用?」 「──お父さんにちょっとね」 速斗は黙って茶をすすっているので、必然子守り係は戒斗になる。 「お兄さんたち、双子? そっくり」 「そう双子。誰も見分けられないんだよー」 「仲良い?」 「そりゃあもう!」 戒斗が大袈裟に速斗の背中を叩いてみせた。 「仲良すぎて、生まれてくるのが一緒なら死ぬ時だって一緒だよ! ねぇ兄さん」 「あぁ、そうだろうな」 彼はネクタイを緩めながら、平然とうなづく。 「へぇ〜〜〜、すごぉぉぉい」 ふたりの子どもが目をキラキラさせた。 「ねぇねぇ、じゃあさ……」 少女がさらに言葉を繋ごうとしたが、 「こらこら、お客さんが用事あるのはお父さんだろう。ふたりとも向こうに行っていなさい」 そこへ一家の主たる男が入ってきた。 急激に昇進することもなく、これといって大きな成功をするわけでもなく、与えられた仕事だけはとりあえずつつがなくこなす。 未来の光も過去も影もなさそうな茫洋とした人間。 「えぇと、アンケートだそうですが、私なんかでいいんですか?」 「いいんですいいんです」 本来そういうものには事前の連絡やら何やら正規の手続きが必要なものであるが──そんなことは多くの人間が知らない。 「お役に立てないかもしれませんよ」 「あなたではなくては駄目なんですって」 戒斗が漏らした冷ややかな微笑は、ふすまを閉めていた男には見えなかったようだ。 彼はそそくさと鳳兄弟の向かいに座る。 「──で……」 「正直にお答えください」 有無を言わさぬ調子で口を開いたのは兄・速斗。 だが男の前に並んだふたつの顔は全く同じ笑みを浮かべていた。 磨き込まれた鏡でさえ、こうも同一に映しはできないだろうという程に。 そして次に空気を震わせた言葉は、ふたり重なりながらユニゾンで。 『貴方は女性をひとり殺していますね?』 「お父さん何処行くの?」 「……会社に忘れ物をしてね」 『奥さん、どうもありがとうございました』 ふたりが声をそろえて頭を下げると、彼女はいいえ〜と笑いながら夫を見やった。 「こんな遅くに戻らなくても……。暗いから気をつけてね」 「あぁ」 「お父さんいってらっしゃい」 「いってきます」 「それでは」 戒斗は扉を閉めると愛想笑いを消した。 黙ったまま男の背中を押す。早く行け、と。 「……本当に、誰にも言わないだろうな」 「言わないよ。アンタが当て逃げしたこともそれをアンタの親父さんがもみ消したことも、アンタが罪を償えば、言わないさ。アンタが彼女に詫びなきゃこれからもっとたくさんの人間があそこで事故に遭うんだ」 「……分かった」 苦渋に満ちた諦めが、庭草の月影に落ちる。 ちょっとだけ見上げれば、半月。 「僕たちはアンタの車の後ろを行く。……逃げようとか巻こうとか追うなよ? 僕の運転は誰も乗れないくらい下手だけど、兄さんは凄いから」 軽く笑った彼だったが──門のところでふいに立ち止まった兄の背に、その視線の先を問う。 そしてあからさまに顔をしかめた。 「あいつまた……」 申し訳程度の街灯、そして月明かりに照らされた反対側の車線には、一台の黒い車が停まっていた。 こんなところではあまりお目にかからないだろう、アルファロメオのアルファ166。 運転手は降りていて、車越しに手を挙げて軽薄に笑ってくる。 「あのオッサンまた邪魔しようって──」 「こんなところへ何しに来たんだ?」 あからさまに威嚇しようとする戒斗を 「なぁ、 「そっちこそ、その人をどうしようっていうのかねぇ?」 売れない探偵みたいな黒スーツ。くしゃくしゃした黒髪。夜なのにサングラス。 背は高めで、年の頃は30過ぎ。 喰えない笑みでアウトローを気取りつつ、底冷えのする凄みが奥にある。 そんな男がひっそりと兄弟の行く手に立ちはだかっている。──いや、正確には彼は何もしていないのだけれど、その薄っぺらい男にはそういう奇妙な威風があった。 「アンタには関係ない」 「関係なくはないねぇ。私はこんなんでも一応この都市に巣食う退魔師のひとりだしね。君らのやり方は気に入らないんだよ、前から言ってるけど」 「だったら勝手にしてろ。こっちも勝手にやる」 「そうさせてもらうよ。私の仕事は悪霊を浄化することでね。君らみたいに喰らったり問答無用に消去したりすることじゃないんだ」 『…………』 双子は動かぬ瞳で男を見つめ、同じタイミングでフンと鼻を鳴らす。 ── そのスジの人間なら名を知らぬ者はない、ポッと出の退魔師。 家系でも家名でもなく、ただ、その実力だけでのし上がって来た男。 そして悪霊にさえ情をかけ、消去ではなく浄化にこだわる偏屈屋。 鳳兄弟の問答無用に悪霊を消し去る退魔方法を目にしてからというもの、彼らにつきまとい邪魔ばかり仕掛けてくる。 出来ることならば、ストーカー容疑で逮捕してほしいくらいだ。 「くだらない正義」 戒斗が吐き捨てると、彼はサングラスを少しばかり下にずらして人悪く笑ってきた。 「人には優しく。悪霊にも優しく。高校教師をナメるなよ」 Novels Home Next Copyright(C)2003 Fuji-Kaori all rights reserved. |