短編
【迷宮ノスタルジア】
後編
「……来た」 サイドミラーを見て速斗がつぶやいた。 流石に人通りもほとんどなくなった、真夜中の大通り。 三台の車が珍妙な列を為して走っていた。 一番前を行くのはあのマイホームパパが運転する白いワゴン。 その後ろは、それを追い立てるようにしている速斗の愛車オパールグリーンのアコード。 そして様子見か、少し車間を空けてついてくるのは古凰の黒いアルファ166。 その全てのミラーには、きっと速斗が見ているものと同じものが映っているはずだった。 ──豪速で迫ってくる真っ赤なスポーツカー。 「そりゃあの白いワゴンに“私があなたを殺しました”ってお札つけといたからね」 当たり前だよ、そう言って戒斗は古凰の顔を見てやろうとルームミラーを あの男はどんな悪霊とも話し合って浄化解決する主義。 ふたりにして見れば、また他の退魔師からも甘い甘いと言われているようだが、本当に駄目な奴だったら名前が通るはずもないわけで、それなりに成果はあげているのだろう。 呪詛を作り出すのは人の業。 悪霊も元を辿れば同じ人。 だからこそ一刀両断してはならないのだと、何度説教をくらったか。 人の怨恨と絶えず接しているあの身で、まだヒューマニストを貫ける精神構造は見上げたものではある。もしかしたら、それが年の功というやつなのかもしれない。 だが鳳兄弟には、悪霊との話し合いなどする気は毛頭なかった。 ……彼らにそんな余地など残されていないのだ。 それにこんな急場では、古凰とて本気で話し合いに持ち込む気はないだろう。邪魔をするとは言っているが、力のある者たちは何だかんだで縄張りを侵さない。 あの怨念の塊に本来の標的を差し出してやった今、空腹で狂いかけている獅子の前に兎を放したようなものなのだから。 「スピード上げたな……」 ワゴンは完全に違反スピードで少しづつ速斗アコードとの距離をあけていっている。 どうやら彼はあの赤いスポーツカーが、自分が当て逃げした女性のものであると、今まさに彼女に復讐されようとしているのだと気が付いたのだろう。 逃げ始めた。 「警察はいないだろうな」 「兄さん警察が恐いの?」 「これ以上違反切符切られたどうする。お前の運転で登校するのか? だったらサボって単位落とす方がマシだな。それに愛車をスクラップにはしたくない」 「ひどい言い方」 同じ顔の人間が真顔でこんなやりとりをしているのだから、場合が場合ならコントだ。 しかしスポーツカーは後ろから迫っている。 ワゴンは必死で逃げている。 速斗はアクセルを踏み込んだ。 「用意しとけよ」 「了解。ベルサリウス、おいで、もうじきご飯の時間だよ」 戒斗はシートベルトを外し、後部座席で大人しく横になっていた白い妖犬を呼ぶ。 そして助手席ドアのロックも外した。 スーツの内ポケットからは呪符を何枚か取り出し、ぶつぶつつぶやいてはその文字をなぞる。 あの交差点が見えてきた。 スポーツカーはすでに横。 その運転席では昨日見た血まみれの女が、鬼の形相で口を裂いて笑っていた。 「あの白い車、お前を殺して逃げた男が乗っているぞ! 殺るなら今だ!」 速斗が窓を全開にして怒鳴り 振り向いた女の顔は般若。 車線も構わず追い抜かれる。 「追跡」 戒斗が開けたドアから呪符を飛ばす。 それは鳥形の式鬼となり音もなくスポーツカーを追尾する。 「行け、ベルサリウス」 命令に従い、妖犬も車から飛び出しアスファルトを蹴った。 式鬼を追いかけるようにして白い矢となる。 交差点は間近、ワゴンとスポーツカーの差もわずか。 <やっと見つけたぁぁぁぁぁ────> 身の毛もよだつような歓喜溢れる呪怨の声。 「縛!」 重なったのは凛とした戒斗の声。 そして速斗の横を後ろから高速で通りすぎる、一陣の鋭い式鬼の風。 「古凰!?」 だが振り返る暇はなかった。 とうとうワゴンに接触したスポーツカーが、瞬間巨大な翼を広げた戒斗の式鬼に包まれたのだ。 マジックショーのようにそれは闇の虚空でぎゅっと縮む。 「よし!」 戒斗の許しの声と共に妖犬ベルサリウスが跳び上がり、フリスビーキャッチの要領でスポーツカーが凝縮されたのであろう呪符テニスボールを咥える。 そして──着地と同時にごくんと飲み込んだ。 悪霊は、消えた。 そしてこれが、古凰の嫌う鳳兄弟の退魔法だった。 「グッドボーイ!」 速斗が車を止めると、戒斗は飛び出しベルサリウスを撫で回す。 「おいしかった? 怨みは最大になった時が一番美味いんだろ? 僕は食べたことないけど」 犬の方もまんざらではなかった様子で、優美な尻尾をぱたぱた揺らしながら大人しく撫でられている。 「こんな強い怨念食べたら、お前また強くなるな。困るよ全く」 呑気な戒斗に嘆息し速斗が車を降りると、すでに古凰が近付いて来ていた。 「……今回は邪魔しなかったんだな」 皮肉をこめて声をかければ、彼はサングラスを外さないまま憮然とした様子で、 「いや──」 街路樹衝突すれすれで止まっている白いワゴン車へ視線をくれる。 おそらく運転手は恐怖で気でも失っているんだろう、出てこない。 そして古凰がふたりに顔を戻した。 「君ら、あの運転手が死んでも構わないと思ってたろう」 白いワゴン車のフロント部分には、少女と女の中間、そんなくらいの女の子が座っていた。 肩より少し伸ばした黒髪、高価そうな総絞りの着物。 古凰の式鬼だ。 彼女が止めたからこそ、ワゴンは無事だった。 そうでなかったら── 「あの男が死ぬことを予定に入れていたな? 謝らせるつもりなら速斗の車に乗せれば良かった。それなのにそうしようとしなかった。君らは初めから彼女をベルサリウスに喰わせるつもりで、そしてあの男は彼女を呼び出すための餌だった。違うか?」 穏かな物言いだが、鋭刃は隠されていない。 速斗と戒斗は顔を見合わせ──全く同じ角度で肩をすくめた。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 『…………』 この兄弟が妙なところで頑固なのは古凰も知っている。 沈黙は肯定の裏返しに近いことも知っている。 どうせこれ以上追及したって何も言わないだろうと諦めて、彼は質問を変えた。 「何故悪霊を救おうとしない」 イルミネーションも消えた通り。 点滅する信号の光だけが三つの人影を作りだす。 『救う?』 速斗と戒斗は異口同音にせせら笑ってきた。 継いだのは速斗。 「世の中アンタみたいにお優しい退魔師ばかりじゃないってことだ、古凰サン」 「何故だ、答えろ」 『…………』 重ねて訊けば、戒斗がそっぽを向きひざをついてベルサリウスをなで始めた。 古凰はため息をついて速斗の車に背をあずける。 双子・兄の眉がぴくりと上がるが気にしない。 「自分のやり方を他人に押し付けるのはよくない。だからもう何も言わんさ。だが理由くらい教えてくれてもいいだろうが」 「理由なんてない。ただ楽しいからだ。……って言ったらどうする?」 こちらを向かないまま戒斗。 「どうもせんさ」 言い捨てると、戒斗がしょうがないなぁ、と大仰に息をついた。 「どうしてアンタは僕らにつきまとうのかずっと考えてたんだけど、そういえばアンタは家系のある人じゃないから知らないんだね」 冷え切った黒い双眸が下から彼を見上げてくる。 「全ての呪術家から呪われた鳳家」 「呪われた?」 「アンタは僕らを退魔師だと思ってるみたいだけど、僕らの家はもともと呪術家でね。人を呪ったり、呪われた人を助けたり、祟りを解いたり、呪怨を浄化したり、そういう家柄だったんだよ。だけど……」 「──鳳家は栄え過ぎたんだ。それで妬まれ怨まれて、明治中期にその頃残っていた全ての呪術家から呪われた」 速斗がやれやれと自分も愛車によりかかる。 「待て。鳳家なんていうのは……」 「聞いたことがない? そりゃそうだよ。なかったことになってるんだから。みんなで仕組んで一番繁盛していた家を呪いましたなんて公にできないだろう? だから元々鳳家なんてのは呪術の世界にはなかったことになってる」 戒斗の口調はどこか投げやりで、醒めていた。 「呪いの内容は単純明快。継承権のある者は早死する」 速斗の声も他人事。 『しかもその死のカウントダウンは目に見える』 ふたりがニヤリと笑って美しい白犬を見た。 「ベルサリウスは人の魂を食べる犬でね。僕らにかけられた呪いそのものだ」 戒斗が目を細くして首筋を撫でてやると、犬も目を細める。 「ベルサリウスは僕らの命と霊力を少しづつ食べているんだ。おなかがすくと無意識にね。そしてその度食べた分だけ力を増していく。つまり、この子が強くなった分だけ僕らは死んでるってわけさ」 「…………」 「だから少しでもこいつの空腹を抑えるために、悪霊は浄化させず食べさせている。──“悪霊”に限定してるだけ良心が残ってると思うが」 速斗が口元を緩め、 「焼け石に水だってのは分かってるから言うなよ。まぁ……少しだけ長生きしたいだけさ。やられっぱなしじゃ 口端を上げる。 古凰は表情なく訊き返した。 「呪いを解く方法は」 「ベルサリウスを殺すか──、かけられた呪いを返すしかないんじゃない?」 戒斗が無邪気に答えてくる。 「でも両親だって僕らに憑いたベルサリウスを殺そうとしたけど敵わなかったってさ。それに今じゃもう家族同然だから殺すなんてできないし。他の誰かが殺そうとしたら僕らはベルサリウスを護るだろうね」 最後のは古凰に対して釘を刺したのだろう。 あえてそこには触れず、彼はもう一度疑問符を掲げた。 「両親?」 「父さんはやっぱり呪いで死んだよ」 「…………」 古凰は星のない空を仰いだ。 「それに呪いを返すって言ったって、呪術家全部が束になった呪いだろ? どーやって返すんだそんなもん」 (そりゃそうだ) 最初に呪われた当主だって、甘んじて受けたわけではないだろう。 呪い返しを試みたことは明らかだ。 けれどひとりで対抗できるものではなかったという結果なのだ、今この兄弟にその禍が降りかかっているということは。 もし年月を経て呪いが風化しているとしても、同時鳳の血も薄まっているのだ。 結局、どちらを向いても出口はない。 「アンタの信義には反するかもしれないが、もうしばらくの辛抱さ。ベルサリウスが鳳を喰い尽くすまでのな。だからすまないがそれまで見逃しておいてくれ、古凰サン」 速斗と戒斗、全く同じ薄霜が降りた双眸でこちらを見、笑う。 そしてふたり同時に身を翻す。 「行くよ、ベルサリウス」 呪詛を作り出すのは人の業。 光に隠れて付きまとう人の念は、時を越え場を越えどこまでも影の如くわだかまる。 ひとつ浄化させた隣りでまたひとつの呪が生まれ、飽きることなく昇華と発生とは繰り返されるのだ。 「お人好し」 古凰が双子の車を見送ると、横から声がした。 「あん?」 「どうやってあの双子を呪いの輪廻からつまみ出してやろうか考えてるでしょ」 彼の式鬼だ。 「アンタじゃ無理よ」 なかなかミもフタもない。 彼女はふわふわした気配で、宙に漂っていた。 「アンタも、あの双子も、太古から重ね積まれ繰りかえされてきた呪いの迷宮からは抜け出せないのよ。……呪いを視る力を定められた者には、人々の影を見なければいけない運命が課せられる。そして闇と渡らなければならないその身を恨みながら、彼らは幻想を抱くの。いつかこの呪詛の迷宮から抜け出せる、あるいは──この世界のどこかには、行き着くべき呪詛のない故郷があるのだ、ってね」 少女の口調は芝居がかっていて、実際舞台女優にでもなったつもりか手の振り付きだ。 「呪術師も退魔師も、そのために人々が作りだした闇と戦い諭すのよ。いつか自分たちが安息と共に帰る故郷を探して、呪いの出口を探して」 「ほー」 全く身のない古凰の相槌。 だが少女は構わず続けた。 「人は──決して手の届かないものをどこかで夢見続けるのよ。どこかにゴールがあって、そこに行けば誰かが抱きとめてくれて全てが終わると思っている。けれどその幻想は必ず裏切られる。そして人はそれを知っている」 ぞっとするような小さなつぶやきが、深夜の通りに響いて消える。 「それでも夢見続けるのよ。愚かね」 古凰はぱちぱちぱちと気のない拍手を送った。 「──何言ってるのかよく分からんが、つまりせいぜい頑張れ呪術師退魔師諸君ってことだろう?」 「……大幅に違うけど」 「あの双子はそんな郷愁に浸って呪いに屈するようなタマじゃねぇな。案外笑いながら迷宮を抜け出すかもしれない」 「それが幻想だって言ってるのに」 少女のため息を、しかし古凰は聞いていない。 「でもふたりとも極度の冷たい激情型だもんなァ。時々見境なくなるからお兄さん心配で心配でついつい口出ししたくなっちまう。今日だって間接的に人殺しそうだったもんなー、危ない危ない。あいつらの人間嫌いも困ったもんだ」 彼はサングラスの奥でハハッと笑い、さっさと愛車に乗り込む。 「問題児ってのは教師のカンですぐ分かるんだよなー。しかもこの優し過ぎる性格のせいで放っておけないとくるしな。まいったまいった。……って、早く乗れよ、おいてくぞ 「……教師なら人の話ちゃんと聞け」 少女の険悪な抗議は、エンジン音にかき消されてまたも男には届かなかった。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ こうして声低く囁かれる都市伝説はひとつ減った。 だがひとつ消えればひとつ湧く。 一歩歩けば影が笑い、言葉と想いが錯綜し、呪いと願いが背中を合わせる。 それが人の世、呪いの迷宮。 「あの〜、鳳君?」 今日もまた、ふたつの手が同時に止まる。 THE END Back Novels Home あとがき これは9万ヒットを踏んでくださった李夏様に捧げたいと思います。 お題は双子青年。これがどうやら不二ツボをついてしまったらしく、物凄い勢いでネタが浮かんでしまい、手がつけられなくなりました。(笑) 妖犬ベルサリウスのモデルは、ボルゾイという非常に美しい大型犬です。その昔ベルサリウスというボルゾイが来日しまして、あれから日本でのボルゾイ人気が上がったようです。本当に美しいんですよー。 しかし例によってまとまりに欠ける話ですが……お納めいただければ幸いです。 ちなみにこの話の元ネタ怪談は、国道138号線の白いセダン の噂です。 フフフフフ…… 不二 執筆時BGM by Nana-Kitade[消せない罪] Namie-Amuro[Come] Copyright(C)2003 Fuji-Kaori all rights reserved. |