雪の上の蒼
前編
真実などいくらでも存在する。それは隠されてもいないし、覆われてもいない。 虚偽は真実足り得、また真実も虚偽足り得る。結局は──その人間がどれを真実と選ぶか、何を真実と見つけるか、ただそれだけだ。それだけのものなんだよ、人々が思い描いている真実というのは。 あの男はそう言った。 そしてその彼が信じる真実とは──。 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 「任せておけと言ったわね?」 「言った」 「なら──」 リィ=コールズは、綿毛より軽い調子で返してくるその男を横目で見上げた。 男。 それは間違いなかった。 冷ややかな銀髪に、どこか人を小バカにした色が漂う端麗な顔つき。そして細身に仕立てられた蒼の立て 一見貴族の風来坊かとも思われるが、彼は違う。彼は貴族たちが影で眉をひそめるお役人のひとりである。 「全て貴方に任せます、クロフォード」 リィは棒読みな口調でそう言って、真正面に視線を戻した。 彼女の視界には愛想の欠片もない青灰色の壁がそびえたっている。 それは、とある塔の内部だった。雪に囲まれた地に佇む、蒼色の塔の。 わずかの光だけが届く深い海、そんな青に支配された空間が眼の前に広がっている。 青、青、青。 何もかもを呑み込む沈んだ青。 どこから生まれてくるのかも分からないその色。 閉鎖的であるにもかかわらず、そこには広く重い静謐が漂っていた。 人間のさささくれだった部分を全て包みこんでしまうかの如く、人間の存在など見下ろしてさえもいないかの如く、黙する塔。 それは超然とそびえる“絶対”の優越だった。 この塔を造った者に、この塔に、追いつこうとさえ思わない。 自然の脅威に服するのと全く同じ“敗北”がその静謐の正体だった。 しかし彼女が閉ざされた海に精紳を委ねようとまぶたを閉じれば、 「全部私に任せるだって? レディ・リィ。君も学者なんだから少しは頭を使って考えるべきだよ? いつも君が毒にも薬にもならないような研究をして時間を潰していることについては何も言わない。魔導協会の管轄である魔導遺跡に首を突っ込んでくることにも、まぁ今は何も言わない。しかしな……」 横からの隙ない弁舌に阻まれた。 「これは君の友人たっての頼みなんだろう? 私は君のオマケ。リィ、今日くらい頑張ったってバチは当らないだろう。それにほら、 この男は、世界が自分を中心にまわっていると勘違いしている。と、リィは確信していた。 彼の名はクロフォード=レイヤー。 職業は役人。 正式には、世界を牛耳る魔導協会の司法部門広域魔導捜査局というトコロに籍がある魔術師らしい。 なんでも、違反をした魔術師を取り締まるのが仕事だとか。 乙女も 彼とはとある遺跡調査の時に偶然居合わし、それ以来よく分からない腐れ縁が延々と続いていたのだ。 ……毎回毎回ワケの分からない説教を聞かされる身としては、いい加減切れて欲しい。 「オスティナ国第三領領主スタンリー=ルデ=ジラールが造った不可思議な建造物、『螺旋城』。スタンリー氏本人は奥方が亡くなった後この城に入り──塔と言った方が適確だろうが──およそ五年間姿を見せていない。しびれを切らしたオスティナ国側が領主交代をさせようとこの城に兵士を送るが、誰ひとり戻らず」 いつものように始まった口上を聞き流しながら、リィは塔の中を観察した。 “螺旋城”なんて大仰な名前がついているが、どちらかと言えばそれは城壁の中全てを指して使われる言葉だ。この奇怪な螺旋の塔ひとつがあるために、他塔や城館、馬小屋……ひっくるめて“螺旋城”などと呼ばれている。 と言ってもこの塔、見かけはそれほど異様でないのだ。 塔の内部には味も素っ気もなくただ上へと渦巻く幅広の螺旋階段があり、そして、その途中途中の壁にはいくつもの扉がある。数十年前に建てられたこの塔にたくさんの側部屋が設えてあることが珍しいといえば珍しいが、最近では多い造りだ。 上に鐘もないことだし、やはり見張り塔としてではなく居住空間の一部として使われていたのだろう。 「オスティナ国はその兵士失踪を、スタンリー氏のひとり娘ベネット=ルデ=ジラール嬢による領主交代の妨害だと意味付けた。つまり、ベネット譲が兵士達を拘束している、と。……どこまで馬鹿なんだろうな。どうやって娘ひとりであんな大軍拘束するんだ」 しかしそんなありきたりを装うこの塔には、ある仕掛けがあるのだと言われていた。扉の中身──つまり部屋──が常に動いているというのだ。仮に、開いて大広間であった扉があるとしよう。とりあえず出てもう一度開くと、そこはもう大広間ではないのだ。調理場かもしれないし、寝所かもしれない。今さっき入った入り口とて……。 「螺旋城とベネット嬢の屋敷はオスティナ執政軍によって包囲され、困ったベネット嬢は友人でもあり、かの由緒正しきベルナール遺跡研究所の研究員でもある君、リィ=コールズに事の打開を頼んだ」 リィは自らのすぐ後ろにあった扉を開け──無言で閉める。 「そして君は私に助言を頼んだ」 「頼んでいません」 入ってきたはずの扉の向こうは、酒蔵に変わっていた。もう簡単には外に出してもらえないだろう。 塔の先端までにあるいくつもの扉。その中から、運良く出口を引き当てない限りは。 あるいは、この“螺旋城”の神秘を剥ぎ取らない限りは。 リィは苛立たしげに金髪をかきあげる。上から羽織っただけの 「貴方が勝手に来たのでしょう? この城を包囲していた軍と散々やりあって」 「一国の軍といえども魔導協会を超える権限はないことを教えてやったまでだ。この雪の中わざわざ出張してきてやったのに」 クロフォードが全く悪びれたところなく言い捨てる。 「知らない方が馬鹿げてるのさ」 「国にはメンツがあるから、役人の介入は好まないのでしょう」 この男は権力を鼻にかけているわけではない。自身そのものが権力なのだと信じている。そうに違いない。 「それにしても──聞くところこれは“魔導師”の作品だな? “魔術師”の所業じゃない」 クロフォードが微妙な笑みで口端を吊り上げた。 魔導師と魔術師。真ん中の一文字しか違わないが、存在の違いは大きい。 果てしなく、違う。 「……確かにね。魔術師だってできないわけではないでしょうけど」 遠足前夜の如く楽しげな彼を白い視線で睨みつけながら、リィも渋々同意する。 『螺旋城』を『螺旋城』たらしめているこのカラクリは、確かに“魔導師”による仕掛けという見方が自然だろう。 何故かと言えば──、誰でも分かる魔術と魔導の違いとして、 “魔導”は限時的にも恒久的にも可能である。一瞬にして何もない空間に爆発を起こすことができる。加えて炎を現し続けることもできる。導師本人が死すとも、それこそ世界が終わるまで。 しかし“魔術”には必ず消滅がつきまとうのだ。炎を現し続けるには、消える寸前再び術をかけなければならない。 そして魔術はよっぽどの術師でない限り、その視界範囲内において行なわれる。 非公式なベネットの証言では、彼女が物心ついた時にはもうこの部屋移動カラクリは作動していたらしい。ということは、二十年前にはすでに、だ。 もし魔術師の仕業ならば、その人物は二十年以上塔を ……恐い。 「けれど魔導師は──」 「今日は二名様ご訪問!」 リィが青い双眸を険しくした刹那、湿気った虚空に底抜けな声が響き渡った。 彼女の目が大きく開かれる。 「…………なにこれ」 「ピエロだ」 断言してくるクロフォードだが、それくらいは彼女にだって分かっている。磁器製と思われる、小さな玩具のピエロ。それが有無を言わさず目の前に浮かんでいた。色彩感覚を丸きり無視したド派手な衣装がふよふよと揺れている。 「ワタクシの授かりました名はパロット。頂いた命はお客様のご案内」 芝居がかった声は、確かにその人形から聞こえてくる。 「そうですか」 リィは特に驚かなかった。だが、軽い頭痛がしていた。それと疲労。 そんな彼女を知ってか知らずか、すぐさまクロフォードが会話を継ぐ。 「そうするとじゃあ、君は私たちを案内してくれるわけか? 例えば、この城から出たいと言ったら出口へと」 「いいえ、出口だけはご自分で探していただかないと。それ以外でしたらどこへでも」 不気味に笑った顔で焼かれたたピエロの顔。クロフォードが真偽を確かめるようにそれをまじまじと見つめ、そして視線を上に外した。そのまま言う。 「では──こういうのはどうだ? ここに以前オスティナ国の兵士がやってきたはずなんだが、この城から出たという報告がない故におそらく未だこの中にいると思われる。彼らの元へと案内して欲しい。……これは可能か?」 「もちろん」 「ほう……」 即答してきたパロットに、しかし黒眼の男はぶつぶつと考え事を口にする。 「それにしても……とはいえ……、だがこの場合……ということは…………」 そして最後、妙にきっぱりと告げた。 「それでは、私たちをスタンリー氏のところへ案内してもらおうか」 「領主様のもとへですか?」 「なぜ?」 「……レディ・リィ。君はバカか?」 こっそり上げた彼女の疑問符だったが、漏らさず聞き拾ったクロフォードが盛大なため息をついて首を横に振ってくる。こういう輩に限って地獄耳なのだ。 「そんなことしてると、いつかクビになるぞ」 「貴方が考えていることを私が考えたって、エネルギーの無駄でしょう。私の考えていないことを貴方が考える。貴方が考えていない事を私が考える。これぞ合理主義ではありませんか」 「……今回だけだぞ。そのうち脳みそがなくなっても知らんからな」 「次回はありません」 「おーおー、たいした自信だな」 「会いませんから」 「…………」 しばし凍った沈黙が流れる。 だが役人の立ち直りは早かった。 白い手袋をはめた彼の指が、形よいあごにあてられる。 「今君がやらねばならんのは兵士を見つけることではないんだよ。オスティナ国を黙らせるためには、兵士を連れて帰らねばならないのはもちろんだが、それ以上にスタンリー氏が今どういう境遇にあるのかも知らなければならない、おまけに──この『螺旋城』が何のための魔導装置なのかを知らなくてはならない。それをまとめて知るには領主ご自身に聞くのが早かろう?」 ──螺旋城。 それは魔導師によって魔導の仕掛けがなされたと思われる城。だがオスティナ国ではそれを認めていない。魔導協会も認めていない。 世界は魔導師の存在、及び螺旋城における魔導の存在を認めてはいないのだ。 世界に魔導師は存在しない。魔導も存在しない。 いるのは、魔術師だけだ。あるのは魔術だけだ。 ──『審判』。 かつて世界にはそう呼ばれる大きなカタストロフがあった。 それは遥か昔、“魔導”が覇を握っていた頃のこと。 魔導師たちが生と死さえもを凌駕する魔導を追及していった華やかな時代。 だがその深追いの結果、世界を形作る根源法則に甚大な亀裂が生じることとなり── 主要な都市は乱れる破壊の力によってほぼ壊滅し、魔導をもって制しようとした魔導師たちは皆、自らの放った力に呑まれ身を滅ぼした。 記録によれば、時間の逆行現象まで起こったとされている。 鳥は卵に、花は種に、そして人は……帰るべき場所をなくし、時の狭間に落ちていったというのだ。 その暴走は、約2年間続いたという。世界そのものが崩壊しなかったのは、もはや不幸中の幸いとしか言いようがない。 そしてそれ以来、世界から魔導は消えた。魔導は古の遺跡にだけ残ることが許され、しかし一般にはほぼ禁句と化したのだ。そしてまた魔導師も消えた。 後を継ぐように現れたのは魔術師で、だが彼らは魔導師の力に対して足元にも及ばぬ僅かな力しか扱わなかった。カタストロフはそれほどに大きな傷跡を人々の中に残したのだ。 再び、魔導で権力を手にしようなどという野心家さえ現れないほどに。 魔導と魔術。限時か恒久か、視覚か否か、そんなことにどれだけの差異があるのか、魔導師でも魔術師でもないリィには分かりかねるのだが。 「魔導は禁忌である。“魔導協会”の名もそれを戒めるためだって話だ。中身は魔術師役人だけなんだけどな。それなのに魔導がここにある理由をスタンリーに聞かなくてはならんだろ?」 魔導は禁忌である。 それなのに螺旋城は存在している。 それはつまり── 「魔導師」 リィは低くつぶやいた。 クロフォードが感情の薄い視線を僅かに下ろしてくる。 冷たい、ともいえる視線。 だがリィの口調は熱を帯びた。 「『審判』が起こったのは──大昔。でもこの城が建てられた時期は多くとも50年前まで 確信はあった。 どれだけ否定してみようと今も魔導師はいるんだ、という確信は。 魔導師かどうかは、鍛錬を積み魔導術を扱えたか否かではない。先天性の才能なのだ。 魔導師は魔導師になるのではない。魔導師なのだ。 それゆえに魔導の根絶が叫ばれた『審判』以後も、魔導師が生まれているはずだった。 「黒竜の紋」をその身に刻んだ魔導師が。 それは神が刻んだ智者の印として、『審判』以前には尊ばれ祝福された。 だが今となっては黒竜は忌むべき印。生まれた子供はどこへとも知れず葬られ、魔導師絶滅は表面的に保たれていた。 親の情というものをないものとした場合、のみ。 「黒い竜を持った者は存在する」 「…………」 彼は、返事をしてこなかった。 「ね。だから貴方が来たんでしょう?」 何も言わずに逃げようとする男に口を割らすべく、リィは語尾を上げた。 「この螺旋城を造った魔導師を狩るのが、貴方の仕事なんでしょう」 「どうかな」 明らかに造られた笑みをのせ、クロフォードがはぐらかす。 「魔術師 「そのための魔導協会ではないの。違反した魔術師を取り締まるなんて単なる建前。本当は未だ残る魔導師を根絶するための“魔導”協会。違いますか?」 「…………」 邪推が過ぎたのか図星だったのか、男からの返事はなかった。 「…………」 「あのォー」 横合いから挟まれたのはピエロの声。 「何ですか」 「よろしければ、領主様のところへご案内しますが?」 ふたりの間に流れた不穏な空気を軽く両断し、ピエロは螺旋の階段を上へと漂って行った。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 「これは……?」 「扉だな」 見れば分かることを、クロフォードは律儀に返してくる。 その涼しい両眼には驚きも恐れもない。 「ちなみに木製だ」 「私が聞きたいのは、この扉がいつどのようにしてここに現れたのか、です」 リィは握った拳をクロフォードの下あごに突きつけ、言った。 螺旋階段を塞ぐように問答無用で一枚の扉がそびえていた。いつ現われたのかも分からない。見上げれば上にも螺旋が続いている。ということはこの扉の向こうも普通に階段が続いているはずなのだが……。 「スタンリー様のところへいらしていただくには、この部屋を通っていただかねばなりません」 ピエロが慇懃無礼に胸に手をあて、扉を開ける。 どうやら、物理法則は無視しろということらしかった。 前方に広がるは落ち着いたワイン色の応接室。 大窓からは白い陽光が溢れ(外はどんより雪模様だったはずなのだが)、流れているのは穏かな午後の時間。 それは殺伐とした蒼い塔からは完全に切り離された、白昼夢のような風景だった。 「どうします?」 「……分かりました」 もう、進むしか道はないのだ。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 「クロフォード。クロフォード=レイヤー! ……カッコつけ気取り屋! 魔導協会司法部門広域魔導捜査局、クロフォード=レイヤー!」 背後の扉が閉まった音で振り返れば、彼の姿が消えていた。 リィは数回怒鳴ると、 声は座っていた。 「あの説教男をどこへやりましたか。言わないとその不愉快な顔を踏み潰します」 彼女は断じて彼を心配しているわけではない。あれがいないとこの城から出られないような気がしたのだ。いつだって運は彼に味方する。 「ちゃんとおいでになってますよ! 次元が違うだけなのです!」 顔はあの不気味な笑みのまま、口調だけ焦燥溢れてピエロが喚く。 「この部屋はお客様の過去を確認する部屋です。領主様はここでお客様の人となりを確認なさってからお会いになるのですよ!!」 「悪趣味」 おそらくこの女には何をどう説明しても無駄だと思ったのだろう、彼女が言い放つと同時、部屋の様相が変わった。 「まぁ学校」 彼女の目の前には、かつて通っていた学校の教室が現われた。白い粉が残ったままの黒板、ぎこちなく並んだ机、 「本物みたいね」 彼女は手を伸ばして机に触り、言った。 木の質感、セピアの空気、……映像ではなく実体の過去。机と机の間を歩けば、ブーツのヒールがかつかつと小気味よい音を立ててくる。 <あなたは学校の成績も良かったようじゃないですか。さすがその若さでベルナール研究所に入っているだけのことはある> 「飛び抜けてよかったわけではありません」 <ご学友にも恵まれていらっしゃった> 「それは私個人の資質ではありません」 悪くはなかった。偽りでなくそう思う。──悪くはなかった。気に入らないこともあったし、馬が合わない人間もいた。どうしても好きになれない教科もあった。恋人とうまく行かない時もあった。友人とこじれたこともあった。だが、 「けれどそうね、学生時代もそれなりに楽しかった」 <悔いることはない?> 「ありませんよ」 <満足ですか?> 「えぇ」 矢継ぎ早にされる質問。 <あの時、官吏試験を受けていれば──と思ったことは?> 「……ないとは言いません」 リィはトーンを少しだけ下げた。 それは極力見ないようにしてきた過去の曇りだったのだ。 誰にでもひとつやふたつはあるだろう。ああすればどうなっていただろう、もっと違う今だったのではないか、そう思ってしまう過去の瞬間が。 <あなたは受かったでしょうか?> 「勉強すれば受かったかもしれません。しかし愚問です。歴史に“もし”はありません」 リィは目を伏せて断言する。 だが、パロットは聞く耳持たずとんでもないことを言い出した。 <受けてみます?> 「……はい?」 <ですから、官吏試験受けてみますか? ここは学生時代でしょう。あなたはここからやり直すことができるんです。それがこの城にかけられた本当の魔導術なんですから> 彼女は理解できずに黙り込む。 <部屋が入れ替わる。そんなものはカモフラージュに過ぎません。この城にかけられた本当の魔導。それは、過去をやり直すというものです。ここで過去をやり直す。すると不思議、城の外もやり直されたとおり修正されます> ありえない。……だから魔導なのか。 <たとえばあなたがここで官吏試験に合格すれば、この城から出た時には研究員ではなくオスティナ行政官吏になっているのですよ。あなた方が探している兵士の皆さんもそうしてやり直しているんです、今現在。本当になりたかった未来を目指して> ここに入った兵士全員に同じような説明をしたのだろうか、パロットは実に <どうです? やってみます?> なんだか悪徳商法みたいだと思いつつ、 「私が本当になりたかったのは“官吏”だ、と?」 悟ってみせる。 けれどピエロは突き放してきた。 <さぁ。知りません。ですがそれが貴方の過去の中にある分岐点なら、やってみる価値はあると思いますけどね。時間が止まらないことが欠点なんですけども> 「…………」 研究員もそれなりに楽しい。キャリアも築いている。まぁ確かに給料は官吏に比べて低いが──歴史の、魔導師の、カタストロフの真偽を確かめるにはいい場所だ。だが、官吏になればこの上ない親孝行になるだろう。……困った。 <もし官吏になり、それが嫌だったらもう一度ここに来ればいいんですよ。もう一度やり直して研究員に戻ればいい> 「そういうもんですか」 簡単だ。実に簡単だ。 それに、もしこの選択が愚かなものであったとしても責任を取るのは自分だ。悔やむのも自分。もう子どもではないのだし、人生、ちょっとくらい無謀なことに足を突っ込んで見ることも必要だろう。 例え後世、三流小説の中で愚かな歴史学者は……なんてブラックユーモアな教訓を書かれたとしても、構わない。 人間は愚かなものだ。 右に行くか左に行くかで悩み、決めて歩んだ後でも、ふと分岐へ戻りたくなる。もうひとつの道をのぞいてみたくなる。時の分かれ道はどちらか一方にしか進めないというのにもかかわらず、だ。 本当に愚かだ。 そして彼女もその一員だ。 彼女は──“無表情でいきなり大胆なことをするから恐い”、そう仲間内で言われていた。 「じゃあ……」 リィが顔を上げ指を立てる。 ピエロがつつつっと降りてくる。 罵声が飛ぶ。 ……罵声? 「正真正銘のバカだな、君は! 考えなしなことするんじゃないよ!」 瞬間それが呪文であったかの如く、蹴りを叩き込まれたガラスそのものに過去の世界が砕け散った。 大音響が鼓膜をびりびりと震わせ、聞こえぬ声でピエロが何事か叫び散らす。 無残に術が崩壊してゆく。 (まずいわ、借りができた……) リィは柳眉をひそめ唇の端を噛んだ。 「レディ・リィ、それは賭け金が大きすぎる遊びだぞ!」 キラキラと光を反射しながら床に落ちていく破片の向こう、蒼の男──クロフォード=レイヤーがなぜか勝ち誇った顔で立っていた。 Novels Next Home Copyright(C)2002-2004 Fuji-Kaori all rights reserved. |