雪の上の蒼

   後編

 

過去が壊れたそこは、また別の部屋だった。

人を化かした狐みたいな顔をしている蒼の男を見ないフリして見回せば、部屋の奥にはガラス張りの大きな窓があり、その下には天蓋(てんがい)つきの大きなベッドが置かれていた。
暖かな陽光が燦々と降り注ぐそのベッド。(外は雪模様だったはずだが)
目覚ましなどなくても十分起きられるだろう。……実に健康的だ。
そして侵入者ふたりが立っているこの場所、扉の近くには──無数の水晶球が無造作にごろごろと転がっていた。

リィがひとつを拾い上げてみれば、水晶の中には竜と戦うひとりの騎士。別のものを拾えば、豪邸で美女に囲まれているひとりの富豪。オブジェのようだが、その小さな人々は皆動いている。

それはまるでひとつの世界を閉じ込めたようにも見え──

「レディ・リィ! もう少し頭を回転させてから物事を決めろ!」

突き刺さる怒鳴り声が彼女の思考を遮った。
クロフォードが眉を吊り上げてこめかみを押さえ、あげく天を仰いでくる。

「ミイラ取りがミイラになるところだったろう!」

「頭はいつも回転しています」

「その結果がこれか! もう少し身の危険とかそういうこと考えろ! こんなどうでもいいところで賭けをするな! いいか、これ以上面倒をかけさせないでくれよ。分かったな、分かったか? 分かったと言え」

予想外のお叱りだ。リィは首をすくめて両手を上げた。
とりあえず、強権力な役人の逆鱗には触れない方がいい。難癖つけられて、逮捕でもされたらたまらない。三流作家に馬鹿にされるならまだしも、前科者にはなりたくない。

「……分かった」

「よし」

聞くや否や彼はその顔を部屋の奥、天蓋の方へ向けて誰にともなく、

「能天気で世間知らずでどうしようもないバカで救いようのない学者さんは(だま)せても、この私は騙せない。私は魔術師だが魔導のプロだからね」

思いっきりひっかかる物言いで小さく笑った。

「……ではクロフォード、これは?」

とりあえず借りがあるので大人しく流し、リィは手近な水晶球ひとつを持ち上げた。
ちらりとこちらを見、彼は即答。

「それはここに挑んだ兵士のなれの果てだ」

「…………」

天井高く避難した様子のピエロは何も言ってこない。
そしてクロフォード=レイヤーは舞台に立った役者の如く朗々と謳う。

「真実は──無数に存在するものだ。そしてまた、皆がただひとつである真実の連続だと信じている過去もまた、無数に存在する。過去は振り向かれる度に、変わる」

素なのかそれとも演技なのか穏やかに気取ったまま、彼は黒の双眸を細めて奥の天蓋へと歩いて行く。

「レディ・リィ、君は学生時代を楽しかったとそれでくくったが──本当に?」

「は?」

彼が肩越しにこちらを見た。笑っているような、それでいて冷たい相貌。
綺麗だが、気分が悪い。この男はあのやりとりをどこかで見ていたのか……?

「どうしようもない点数を取ったこととか、学校を辞めてしまおうと思ったこととか、学校に行きたくなかったこととか、なかったのか? 官吏の試験、受けてみたかったんだろう? 君の学生時代は本当に"楽しかった"で終わるのかな?」

なんだか嘘をついて叱られている気分だった。
リィは眉を寄せ、小さな反抗を試みる。

「……過去事細かく全部感想を言えと? 楽しかったのだって嘘ではありません」

「まぁ、そうだろうね。楽しかったこともまた、君の真実だ」

否定しておいて今度は簡単に肯定する。
そして彼は、高い宙に浮いたまま微動だにしないピエロを一瞥(いちべつ)し、更に続けた。歩みもまた、ゆっくりと進める。

「人は、過去を作る生き物だからな」

蒼い長衣。その美しい意匠(いしょう)は貴族のそれに劣らない。そして彼の悠々たる気質もまた、典型的な貴族を思わせる。
だがその蒼は螺旋城のそれとは違う色だった。
全てに刃を向けているような、蒼だった。

「時間と共に過去は変化する。悲しみが時に風化するように、人は過去を振り返っては物語を作る。"今となってはあれも良い思い出だ"って言うね? それと同じことだ。実際はもの凄く辛かった事なのに、いつの間にか良い思い出として作り変えられている」

クロフォードは言いながら、一歩一歩天蓋へと歩いて行く。最後の審判を下す者の如く、ただひとり全てを知る者の如く。

「人は過去を作る。これだけは違いない真実だと思っている過去も、自らが作り出した物語に過ぎないんだ。いつだって」

「それは」

淀みない彼の言葉を背景に、リィは少しだけ顔をしかめた。

「──“過去”と“真実”がこの城の根本だということですか」

「レディ・リィ。もし過去をやり直すことを選択していたら、君もそれと同じ運命を辿ったんだぞ」

暗い水底の光を宿した彼の瞳が、水晶球を映す。

「…………」

「この城は、──入った者の真実を喰らう城だ。パロットは私がやり直しを必要としないと知ると、過去というものに何の感慨もないと知ると、私を城から放り出そうとした。裏を返せば、この城に必要なのは"その者の過去"だということになる」

クロフォードはこちらを向き、すでに天蓋に手をかけていた。大窓から差し込む光で影となってその表情は分からない。が、その声だけは水晶よりも透き通っている。

「私は思い出したんだよ、パロット。『審判』というカタストロフが起こる一因ともなった魔導術のことを。古の魔導師たちは、『真実』というものが持つエネルギーに大きな関心を寄せていた。『真実』は人に、世界に、多大なる影響を及ぼす。その力をなんとか扱えないものか、とね」

道化師が道化師に語っている。……滑稽だ。

「そして彼らは魔導の究極ともいえる理論を編み出した。世界中から真実を集める装置を作り、そのエネルギーを生体に取り込むことによって、不死を得ようとしたんだな。だがそれは──完璧に失敗した」

「なぜ」

「『真実』という概念の枠組みが甘かったんだ。世界の基礎は彼らが考えている以上に、単純化できない複雑なものだったんだよ。……彼らは──『真実』を事実の裏側、そこにある唯一真なるものとした」

「違うのですか」

「違う。私の理論では、唯一真なるものは『事実』と言うのだ、レディ・リィ」

──貴方がそう主張したところで、結局貴方の中の定義にしか過ぎないでしょう──そう言おうとして、リィは言葉を飲み込んだ。
彼の口調がいつに増して頑なだったからだ。意地すら感じる。

「何があっても決して変わらない物。それは起こった出来事だ。卵が割れたこと、蝶が飛んだこと、花が枯れたこと、人が死んだこと。理由はどうあれ、その事象だけは何があっても変わらない。これが『事実』。『唯一真なるもの』が『真実』であるならば本来これが『真実』と呼ばれるべきなんだが──世界はしかし『事実』と呼んでいる。分かるか?」

「真実とは、事実の裏側にあるものだと人々は言う。そういうことですね?」

リィが答えれば、クロフォードがうなづく。

「そういうことだ。人々は事実の裏に隠された唯一なるものを、真実なのだと考える。それは古の魔導師たちも同じだった。だが理論は間違っていて、力は暴走し、世界は瀕死の傷を負った」

そして彼はゆっくりと優しく、薄い天蓋の布をめくり上げてゆく。まるで眠り姫を助けに来た王子のように。
けれどその中にいた姫の名は。

「イレーヌ=ルデ=ジラール……」

呆然とつぶやいたリィの声は、静寂の中大きく反響した。

(──おばさまは……五年前亡くなったでしょう?)

天蓋の中で安らかに眠る人物。それは彼女がよく見知った人物だったのだ。イレーヌ=ルデ=ジラール。つまり、スタンリー領主の奥方であり、ベネットの母。五年前に病に倒れた故人。しかし、目の前に眠るその人は生者の如く──。

「真実はいくらでも存在する。それは隠されてもいないし、覆われてもいない。虚偽は真実足り得、真実もまた虚偽足り得る。結局は──その人間がどれを真実と選ぶか、何を真実と見つけるか、ただそれだけだ。それだけのものなんだよ、人々が思い描いている真実というのは。事実の裏の真実など、ひとつではない」

「だからそれがこれとどういう……」

リィが眉間にしわを寄せて口をはさめば、彼がしてやったりという顔を上げてきた。飄々とした中の、嫌味。

「やっぱり君は脳の修行が足りない、レディ・リィ」

「黙りなさい」

慣れたもので彼女もすぐさま一蹴。蒼の魔術師はあからさまな嘆息混じりで恨みがましい声を上げる。

「分かったのは私なんだけどね? 何故こんなにも無下(むげ)に扱われるのか」

「分かりました。解決してくださったお礼はあとでちゃんとします」

「何を?」

「三食おごってあげます」

「よろしい」

彼は、たまに扱いやすい。

だが、彼女がベネットから依頼を受けていたのと同様、クロフォードも協会からの命令でここに来ていたのではなかったのか。
何も彼女が報酬を払ってやらなくとも、協会から給料がでるだろう。

そう思い直した時にはもう、クロフォードは自慢げに話を再開していた。

「──この『螺旋城』を作ったのはそのことに気がついた聡明な魔導師なんだろう。真実とは事実の裏にあるものじゃない、そう知った魔導師は、私の理論とも違うもうひとつの定義を見出したのさ。真実とは、人々が真実だと信じている事、そのものだとね。そしてその顕著な例が、『過去』だった」

「……人々が真実だと信じている、自らの創り上げた物語『過去』……」

「それがどんな物語になっていようが、過去はその本人にとって『真実』だ。……もちろん『嘘』は別物だがね。──真実の物語、過去。魔導師はそれを利用して過去の禁術を再度試みた。『真実』からエネルギーを得るという術をね。そうして出来たのがこの城なんだよ」

リィは彼の言葉を反芻(はんすう)し、そして天蓋の中で眠るイレーヌに目を移す。

「つまりこの城はイレーヌおばさまを永遠に生かしておくための装置ってこと? ここに入った人間たちの過去──いえ、『真実』を糧として」

「70点」

クロフォードの採点は顔に似合わずいつでも辛い。彼は眠れる美女の首筋に手をやり──

「イレーヌ夫人はすでに亡くなっている。だからこの城は彼女の遺体を永遠に美しいまま保管しておく安置所だな」

すらすら述べてくる。相変らず、デリカシーがない。

「それにここを作った魔導師は君よりもう少し頭が良いみたいだぞ。ひとりの人間からひとつの過去を取り出しただけでは効率が悪い。『過去のやり直し』なんて大掛かりな魔導術まで使って、『真実』の大量生産に成功したんだからな。やり直せばやり直すだけ過去は生まれ、真実は生まれる。エネルギーは豊富になる」

そして彼はまだ天井に浮いているピエロを見やり、にこりと笑った。

「そうだろう、パロット。いや──“魔導師”、スタンリー=ルデ=ジラール」

「…………」

ピエロはただの人形に戻ったが如く、応えない。三日月形に笑った目が、虚ろに宙を見ているだけだ。
しかしクロフォードは気にしなかった模様。彼は、すっかり自分の世界に入っていた。

「いやはや、実に素晴らしい。カモを水晶球に閉じ込め、過去を永遠にやり直させていれば、次々と新しい過去が──真実が生まれる。恐ろしい噂が立ってここを訪れる者がいなくなったとしても、これなら奥方は半永久的に守られる。素晴らしい慧眼(けいがん)だ、敬服する。……しかし」

突然、彼の声色が変わった。
ピエロを──ピエロと化した魔導師スタンリーをじっと見据え、零下の声音で告げる。

「やり過ぎたな」

クロフォードが虚空に印を切った刹那、物言わぬピエロはばらばらと崩れ落ち……、ただのガラクタとなった。裂けた布と積もった破片。そして空虚な、沈黙。

「……クロフォード!」

それは魔導師スタンリーのあまりに簡単な最期だった。こんなにも大掛かりな術を施し『螺旋城』を世に知らしめた魔導師の、最期。
カタストロフの代名詞は、ひとつの抵抗もなく消え去った。

「術をかけた本人が死んでも兵士は水晶玉から出てこない、か。恒久的、非視覚的、つまり魔導であることが立証されたわけだ」

淡々とつまらなさそうにつぶやくクロフォード=レイヤー。
普段無意味に口ばかり達者な男が一瞬だけみせた“魔術師”の顔に、リィは一歩退いた。
禁忌の技をなす魔導師よりも、その恐るべき魔導師を問答無用で死刑に処したこの男の方が、ずっと危険なのではないのか。

今までの口上は一方的な彼の推論に過ぎない。それが正しいという証拠はどこにある。魔導かどうかだって、抹消することによって今確かめた。
どこが『捜査官』なのだ!

「クロフォード」

リィはため息と共に彼を見上げた。

「後は外の軍を黙らせば解決だな」

彼は正義面こそしていなかったが、別段良心を痛めた様子も無い。
残業は嫌だから手順を少しすっ飛ばした、そんな晴々とした顔だった。

「……魔術師でも、魔導師に勝てるではありませんか」

「そりゃ私は、甘すぎて左遷されたどこぞの魔術師とは違うからね」

蒼い魔術師は誰か個人を名指ししているようだった。
生憎(あいにく)リィは協会の人間でないため、全く分からなかったが。

「協会の知り合いにそういうのがいてね。魔導を見ても看過(かんか)して、魔導師を見つけても何も言わないで、事がもう後戻り出来ないところまでいかないと力を奮わない輩がね」

「それは魔導師に生きる猶予を与えているのではないですか。あるいは見極めているのでしょう、その魔導が害か否か」

「あいつは分かってないだけさ」

リィがその知り合いとかいう魔術師に味方したからだろうか、クロフォードの顔色がやや不機嫌に染まる。

「魔術師は魔導師に勝てないことを、魔術は魔導に追いつけないことを、まだ分かっていないんだ」

「でも現に貴方は」

「スタンリーには抵抗する意志そのものがなかった」

「…………」

口をつぐんだリィに、クロフォードが背を向ける。

「魔術は──どこかにあったその現象を、あるいは物を、動かすだけだ。火を現すならば、この世界のどこかにあった火を、雷ならば例えば過去の落雷を。空間、時間、それを超えてこの世界のどこか、歴史のどこかから目的の現象を引っ張ってくるのが魔術だな」

だが──と、彼はこちらを向く。
薄気味悪い笑みを浮かべて。

「魔導は違う。魔導は生み出すのさ。何もないところに法則を()じ曲げて、な。己の智と力をもって新しい力を創造する。真実から多大なエネルギーを得るようにさ。本当に神がこの世界を生み出したのだとしたら──魔導師は同じ事ができるのだと言えるだろう」

「魔術師は人間で、魔導師は神だと?」

「古の人々は、その認識の重大性に気付かず愚かな破滅へ足を踏み入れた。彼らには過ぎた力だったんだ」

嘆き(とが)める言い方ではなかった。
むしろ飄々と馬鹿にしている。
そんなことも分からないから、カタストロフなんか引き起こしたのだ、と。
自分ならばそんなヘマはしない──言外にそう聞こえるのはリィの考えすぎだろうか。

「その彼は、人は神を超えることができるのだと信じているのではないですか」

リィが金髪をかきあげ見据えると、

「そうかもな。だが彼は、人の前に立ちはだかる神の壁に返り討ちにあって逃げたんだ」

クロフォードは白皙に微笑を刻んだまま言った。
まるで壁の上に立っている者の如く。

「今の魔術師は、古の魔導師たちが生み出した現象を過去から呼び出しているだけに過ぎない。つまりは盗みか拝借だ。魔術師は魔導師の術を借りることしかできない。どれだけのレヴェルの魔導を呼び出せるかが魔術師のランクで、結局、魔術師はどこまでいっても魔導師を超えることは不可能なんだよ」

彼が黒い目を閉じた。

「それにあいつにはもう、己の心身を引き裂いてまで人の側に立つ理由はない。戻ってこないさ」

「……それはどういう……」

「それよりも、この城は壊すべきだと思わないか? レディ・リィ」

「…………」

魔術師は、有無を言わさない口調で提案してきた。

「……壊すって、どうやって」

(いぶか)りと苛立ちを両方詰め込んで、リィは逆らわず話題についていった。
あからさまに避けるように方向転換されたのは(しゃく)にさわったが、彼が自ら話す以外、立ち入らない方がいいのだろう。
そんなプライヴェートなことを話してもらっても困るわけだし……。

「そりゃこのままどっかーんと、壊すんだ。軍が騒ぎ立てないうちにな、証拠隠滅。この城が本当に魔導の物だと認めざるを得なくなったら、ベネット嬢に色々面倒なことが起こるだろう? 心配するな、私に任せろ」

「兵士はどうするんですか。イレーヌおばさまは? 第一内部にいる私はどうなります?」

「だから、心配するなって。全部うまくやる」

クロフォードはたいしたことではないとでも言いたげに両手を広げ、カツカツとこちらへ歩いてくる。

「もし万が一失敗したとしても全部協会のせいにしとけばいい」

彼はこういう男である。繊細さとか説明義務とかそういったものが大きく欠けているのだ。きっと一生結婚できないに違いない。

「……分かりました。ベネットには私から話しておきます」

リィはため息つきつつ承諾した。
独立独歩唯我独尊、この男には何を言ったって無駄だ。
彼女は何もかも諦めた。クロフォードという男といると、必ず何か諦めなくてはいけない。これは運命なのだ。
この際神も人もどうでもいい。どうせこの状態をどうにもできないのだから。

「じゃあいくぞ」

言うが早いか、すぐそばまで帰ってきていた彼はひょいとリィを抱き上げる。
思わず赤面。

「何するんですかっ!」

「照れるな、照れるな。危ないから持っててやる」

「危ないってどーゆー!」

彼は地獄耳だが、しかしやはり人の話を聞く耳は持っていなかった。
悪戯っぽく微笑んだまま面白がって、さらにぎゅっと力を込めてくる。

「──クロフォード=レイヤー」

低くドスをきかせれば、彼の顔が明後日の方を向く。そして、

「トスエ・タクヤ・アレーア」

誤魔化しがてらの滑らかな詠唱。
同時、世界の全てが白み──……消えた。





◆  ◇  ◆  ◇  ◆




「あぁ……」

リィは惨状を目の当たりにして我知らずうめいた。
クロフォードの腕の中姫君よろしく彼女が見回せば、冷たい雪原の野には水晶玉の中から生還した兵士が伏し、少し先には死者たるイレーヌ=ルデ=ジラールが横たわっていて……それでも一応皆、無傷らしい。
確かに彼に任せて間違いはなかったようである。けれど。

「ベネットになんて説明しようかしら」

当の城は内側から木っ端微塵に砕け、粉々の石が円を描いて散乱し雪に埋もれている。戦いに敗れた城とてこうも完膚なきまでに破壊されることはあるまい。『螺旋城』、そう畏怖された城もまた、皮肉にも主と同じくあっけない最期を辿ることとなったわけだ。

「それにしても、ロマンのある城だったな」

頭上で感慨深げな声がする。

「ロマン?」

見上げれば、白磁の仮面が笑っていた。

「ちょっと考えたのさ、この城がこんな奇妙な造りだったわけを」

相変らず無駄な労力を惜しまない人間だ。

「それで?」

「この螺旋城が造られたのはスタンリーとイレーヌが結婚する前だろう? 厳しい両親の厳しい許しを得て訪ねてくるイレーヌ嬢と、少しでも長く一緒にいたいと思ったんじゃないかな、彼は。だからこそ行くにも帰るにも時間のかかる、螺旋の階段を造った。部屋が勝手に入れ替わって出口がなかなか見つからない、ね。──死した奥方のためにこんなことまでする程の彼なら、きっとそうだ」

こんなこと。自らが魔導師であるとバレかねない……カラクリ。

「螺旋階段をゆっくりと下りながら、時を惜しむように会話を交わし続けるふたり。……実にロマンがあるじゃないか。愛してたんだな、スタンリーは」

無色透明でしかなかったクロフォードの声に、どこか疲れた色がついた。
“愛”
そんな言葉を彼の口から聞くとは思ってもいなかったが、それ以上に彼の声のかすれた影が気になった。

「まぁ──人の心の中に真実を見ようとするのは愚かだけどな」

クロフォードが喉の奥で小さく笑って、リィを雪におろす。

「そこにあって決して変わらない事実だけが、私の信じる真実だ」

過去と同じく、心もまた変化しないことはないのだ。

だがリィは思う。
もしかしたら、その変化する中にあってしかし決して変わらなかったもの。真にそれを『真実』と呼ぶのかもしれない。そしてその『真実』こそ、人々が探し求める『真実』なのかもしれない。それは友情か、愛か、自らの信念か。分からないが……クロフォードの言う『真実』はあまりに救いがなかった。

「レディ・リィ、面倒くさい事後処理はこちらでやっておく。約束のおごりは今度また会ったとき、な。一応片がついたとベネット譲に早く伝えてやれ」

一方的にそうとだけ言い残し、彼はさっさと蒼の長衣をひるがえした。降り積もった雪の中、遠巻きにざわめくオスティナ執政軍方向へと足早に向かって行く。
ここまでは魔術師としてのクロフォード=レイヤー、ここから先は協会捜査官としてのクロフォード=レイヤーの本領発揮となるのだろう。

振り向きもしない愛想なしは、風の如く遠ざかる。
表情の乏しい美貌の奇人。忌むべき蒼の魔……


──そうだ。彼は魔術師ではない。


「貴方も魔導師、ですか」

見送りながら、リィは吐息とつぶやいた。潮が引くように笑みが消える。
射るように男の背中を見据える。

彼の腕の中、破壊の衝撃で外れた立て襟の留め具。
そしてその奥、蒼で隠されていた彼の喉元。否が応でも彼女の目に入ったのは──運命の紋章、古の魔導師の烙印、黒き竜、だった。

魔導師として生まれた数少ない者が持つ、消せない紋章。
人として一歩踏み出したその瞬間、神の素質を背負わされた烙印。

凍りつき彼を見上げたが、結局何も言えなかった。

「貴方が、神ですか」

リィ=コールズはゆっくりと、肩に羽織っただけの外套、その端を握り締める。
魔導師スタンリーを一介の魔術師が消せたのも、彼が無抵抗だったからではない。クロフォード=レイヤーが彼を遥かに上回る魔導師だったからだ。



“彼は、人の前に立ちふさがる神の壁に返り討ちにあって逃げたのさ”

おそらくクロフォードが“あいつ”と呼ぶ魔術師は、何事かあってクロフォードと対立し、そして敗れたのだろう。
やはり魔術師は魔導師に敗れたのだ。
未来は過去に敗れたのだ。

螺旋城からリィが受けた“敗北”もまた、魔導への敗北だったのだろう。


それが、この世界の持つ最大の事実なのだ。
クロフォード=レイヤーの信じる真実なのだ。


古の魔導師たちの如く、彼は彼の力によってのみ滅ぼされるのだ、と。
何者よりも、滅びに近い場所に立っているのだ、と。

「貴方はどうして同族をあんなにも簡単に消したのです」

雪の上を渡り吹き荒ぶ風が、どんよりとした灰色の空を白く染めてゆく。
遠くに小さくくすんだ蒼も、白い粉に消えてゆく。……寒い。

「……聞くだけ無駄ですね」

リィは笑って髪についた雪を払った。
答えは分かっている。

“残業は嫌だからね”

彼はそういう人なのだ。それがリィの信じる真実だ。







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