- 「……なんですか、レベッカ」
コリウス教師はコホンと咳払いをし、言葉を直す。
それを見てレベッカは小さく眉を寄せ、突然生気の戻った視線を上げた。
授業は前座とでも言いたげな変容ぶり。
真っ直ぐ教師に照準を合わせ、言う。
「――魔導師と剣士と魔王は、一体何を求めて戦ったんでしょう?」
単刀直入なその質問に、彼女以外の生徒全員が思わず目を伏せた。
(そりゃ歴史の時間では禁句だろう……)
誰もが思っている。
だがそんなルールを守るような彼女ではない。
コリウス教師が仕方ないわねぇ、という顔をして教科書を指先で叩いた。
「言ったでしょう、レベッカ。それは誰にも分からないのです。戦いを繰り広げた彼らにしか。教科書にも解明されていないって書かれていたでしょう?」
「この世界の──シャントル=テアの覇権なんかでないことは確かですよね?」
「……レベッカ〜」
教師がこめかみを押さえた。
が、構わず彼女は続ける。
「始まりの鍵って御存知ですよね、先生。彼らがそれを求めて、或いはそのために闘ったのだという話も。この鍵はどこにあるのか、何を導くのかさえも明記された文献がないことは私も知っています。けれど魔導師の中では知らない者はいない話のはず。“始まりの鍵”は……」
「――レベッカ。それは単なる噂にすぎません、史実ではありませんよ」
「史実でないという確証もないはずです」
「レベッカ=ジェラルディ。あなた程の人が史実と伝説とを混同してもらっては困りますよ。それにその伝説はあなたの言うとおり、未完でしょうに。何に使うのかさえ分からない鍵を、どうして命を賭してまで争うのです? 彼ら偉大なる力を有した3人はそれほど愚かな者たちだったのでしょうかしらねぇ? “始まりの鍵”……そしてその対となる“終焉の棺”。分かっているのはその言葉それだけです。使い方も、どうなるのかも分からない。それどころか、存在さえも疑わしい。――歴史の授業で扱うべきことではありませんね?」
「……すべての伝説が完結していたら、面白くないですよ」
有無を言わさぬ教師の説教に、レベッカは言い捨て椅子に身を投げる。
そもそも伝説とはなんなのだ?
アレをこうすればこうなる。だからコレを探しに行く。
ソレをどうするにはコレをこうするしかない。だからアレを取り戻す。
そんな昔話を伝説と言うのか?
いや。──確かに、伝説とは伝えられる説。ということは昔話も伝説。
絶対なる、間違いなき伝説。
しかし。では、伝説とは単なる指南書なのか?
その裏に驚愕に値する真実が含まれていたとしても、そこへ至るまでは教えの通りに道を辿ればいいのだ。そうすれば、動かずとも運命と邂逅する。
達成するには力も要ろう。苦難もあろう。
だが、道は敷かれている。
伝えられる説。古の昔話。指南書ともなれぬ……不完全な、物語。
(全てはいつも完全ではないもの。……道を引き損ねた伝説ってのも、ありよね)
レベッカは髪とそろいの茶色な双眸を細めて独りごちる。
その頭上を教師の説教が通り過ぎて行った。
「いいですか、レベッカ。あなたの問いに対して、今現在答えは出ていないのです。“始まりの鍵”の伝説が真実であろうとなかろうと、まだ証明されていないんです。証明されなければ、歴史として認められはしません」
「……分かりました」
絶対に分かっていない彼女の顔を見ても、その返事の色からしても、彼女の機嫌が完全に損なわれたことは教室中が認識していた。そんな荒んだ空気をものともせず、
-
- 「それでは、次の講義までごきげんよう。ちゃんとレポートを書いてきてね」
お決まりの文句と素敵なおばさま笑顔を残し、無責任なコリウス教師は教室を出て行った。
『…………』
そして――教室に不自然な沈黙が訪れる。
一同の目が盗むようにレベッカを向き、彼女の顔色を伺う。
動くべきか、動かざるべきか。全員が息を殺してタイミングを計っていた。
『…………』
レベッカ=ジェラルディ。辞書でその項を見てみれば、1.理不尽 2.時に暴走 3.恐怖
とでも書いてあるだろう。学校推薦の優良辞書ならば。
しかしそんな彼女に権力を与えてしまったのは、他でもない生徒自身・彼らの過ちである。それは王都の一部悪徳官僚に税金を渡すことよりも大きな間違いであったというのに。
『メディシスタ生徒会 風紀委員長』。その肩書きが彼女についているのは、彼女の美徳や実力のせいではない。ひとえに彼らメディシスタ生徒会員の投票力……民主主義の力のせい。
特に風紀委員長というポストはいけなかった。口実がいくらでもある。
何の口実か?
言うまでも無い。八つ当たりの、だ。
(恨むなら自分を恨みなさい)
戦々恐々としている面々を視界の片隅に、胸中でニヤリと笑ってレベッカは席を立った。
がたっと椅子を引く音に、びくっと教室中の身が縮む。
――フン
が、
「委員長〜」
そんな草木も凍る空気の中で、平然と彼女に声をかけた不届き者がいた。
「…………」
無言のままレベッカが顔を向けると、ネーベル=ケルトリア――先ほどコリウス教師に当てられた小柄な少女――が真ん丸な黒い瞳で彼女を見上げていた。
「何」
「この後は?」
「空きよ」
「会長が呼んでいました〜。すぐに生徒会室へ行ってくださいぃ」
「……シャロンが?」
「えぇ」
「ふ〜ん」
ヤル気ゼロな返事を残し、レベッカはクルリと彼女に背を向けた。
刹那、途端背後からだんっとヒステリックに床を踏み鳴らす音が響き渡る。
追うように続く甲高い怒声。
「またサボる気ッ!?」
「…………」
「ちゃんと行ってくださいよ!! じゃないと怒られるの私なんですからね!? この間なんかシャロン会長にため息つかれちゃったんですからッ!! って、聞いてるの!? レベッカ!?」
恐怖のレベッカ=ジェラルディを呼び捨てできる人間はそう多くない。
「返事しなさい! レベッカ! 暴走魔導師! 歩く爆弾!」
(あぁぁぁぁ、うるさいうるさい)
レベッカは散弾銃で打たれるが如く降り注ぐ言葉に、こめかみを押さえた。
「いい? ちゃんと行きなさいよね? ……最終手段としては、あんたのこの間の魔導構造理論の点数言いふらすわよッ!」
ネーベル。
普段は語尾を間延びさせる傾向があるが、一端キレると止まらない。口調までもが変わる。
今じゃ定番となったレベッカの愛称(←学内全体、愛称だと主張している)、『暴走魔導師』も、彼女の無意識から生まれた流行語。
(これ以上おかしな名前をつけられたら、私の名誉問題よね)
レベッカは思いっきり小さくため息をついた。
何しろ、彼女は同級生であれ一応レベッカの上司である。
『メディシスタ生徒会 副会長』
それが3年生・ネーベル=ケルトリア。
あの奇人変人な生徒会の中で唯一の常識人だと言われているが、……どうだろうか。
他と比べてただほんの少しマシなだけかもしれない。
「はいはい分かりました、ネーベル副会長。ワタクシは今すぐシャロン会長のもとに出頭いたします」
レベッカはフッと息をはき、大仰な仕草で敬礼してみせた。
そしてローブをひるがえす。
(ま、いいか。生徒会室の飲み物はタダだし。今日はミルクティでも飲ませてもらおうかしらね)
未だ氷とけない教室を背に、彼女はニンマリと笑った。
生徒会室。
一般生徒はよほどのことがない限り、その周囲には近づかない。
そこは、人外魔境。未知にして不毛。
語り継がれるミステリーゾーン。
トラブルの泉。
常識のブラックホール。
……そして、戦場。
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