the uncompleted legend
THE KEY

第一章 暴走魔導師 3

888HIT 小沢美月さまに捧ぐ a beautiful day 改訂版)

(──で……)

レベッカは片眉を上げ、双眸を細めて右手を握った。
怒鳴り声やら笑い声、大きくうねる喧騒の波が否応なしに鼓膜を揺さぶる。
ただ突っ立っているだけで肩を当てられ足を踏まれ、突き飛ばされる。

「なんで私がコーヒー豆やらモンブランやらイチゴタルトを買いに来なきゃなんないわけ?」

絶望にうめいた彼女は今、バザールのど真ん中にいた。



レーテル魔導学校。
このシャントル=テア最大の魔導学校。その生徒数の多さから生徒会がふたつに分かれているのが最大の特徴だ。メディシスタ生徒会と、チェンバース生徒会。
互いに一歩も譲ることのない冷戦の二会……。

魔導都市レーテル。
都市などと冠を付ける程仰々しい都ではなく、特筆すべき点といえば都の外れに位置するレーテル魔導学校だけだろう。ここは大陸南部内陸にあり、交通手段はすべて陸上。運河がない故に商業都市としては成り立たず、住人には魔導師やら魔導学生やらが多いので工業に興味を持つ者もなく。しかしさすが魔導に関する品物や学術品、またその知識は他を圧倒していた。
けれど細かな魔導の品を必要とするのはもちろん魔導師だけであり、一般的な魔導具は王都で事足りる。
いや、都市の性格から言って、世界に散らばる魔の代物はおよそほとんど王都烙印のものであろう。

要するに──魔導師の内輪的都市なのだ、ここは。

とはいえ、どこの都市でも『バザール』というものは異様な活気にあふれるもの。
どこか整然としすぎているこの街にあって、西隅に広がるバザールは……異国とも言える場所だった。アタマが痛くなるほどに。


「……呼び出されてわざわざ生徒会室まで出向けば、単なるおやつの買出し。ねぇ、先輩。私にこんなことさせるなんて、会長もたいしたもんよね」

レベッカは言って振り向く。
瞬間、彼女は両眉を吊り上げた。

(──なんだってみんなで私に迷惑かけんのよ)

胸中で毒づき、思わず人ゴミに押されてきた誰かの足を思いっきり蹴っ飛ばしてしまう。
彼女は、口の中で噛み潰した名前を呪詛のように吐き捨てた。

「…………ハイネス=フロックス!」


一緒におつかいを拝命したはずの連れは、影も形もきれいさっぱり消えていたのだ。



◇◆◇◆◇◆




「うーん……はぐれてしまいましたかね?」

気温湿度共に数度の上昇が感じられる、バザールの海。いや、人の海。
押すな押すなの人が溢れるその場所で、彼はもみくちゃにされるままぼけーっと突っ立っていた。
コーヒーやらケーキやら、……今日のおやつを買いに来たわけだったが……
まぁいい。お金を所持しているのは自分ではない。
彼はそう居直って息をついた。



ハイネス=フロックス。その穏やかな響きが彼の名前だった。
レーテル魔導学校の4年生。ちなみにメディシスタ生徒会の評議委員長。
流れる金髪に、乙女を魅了する涼やかな碧眼。端正な顔立ちと穏やかな物腰。
すらりとした体躯に、闇夜を織った魔導師ローブ。
……歩けば誰もが振り返り、声をかければ断る女性はいない。
時折彼のなすことに文句をつけてくる輩がいたり、非常識だとかなんだとか喚いてくる奴もいるが、どんな世にもそういうことはあるものだ。完璧に愛される者など存在しない。
彼がいなければ生徒会の書類がいっさい動かなくなることは目に見えているし、彼がなければ誰もスケジュールを管理できないことも明白な事柄だ。
つまりは──彼は彼であり、問題はない。



(完全にはぐれましたねー、これは)

もうひとりの連れがいたのだが、どこかに行ってしまった。(どこかに行ったのが自分なのか彼女なのか定かではないけれど。でもおそらく彼女がどこかにいったのだ)

「……どうしましょう」

とりあえず考える努力は惜しまないことにする。

「1.学校に戻る」

「却下」

「2.お姉さんを捕まえてお茶を飲む」

「却下」

「3.あの暴走魔導師を見つける」

「却下」

「…………」

いちいち背後からダメ出しをしてくる声があった。
ハイネスは柳眉を寄せて振り返る。

「何なんですか、貴方は」

そこには到底彼のお知り合いには似つかわしくない人物がひとり立っていた。
砂漠でもないのに全身を白い布で覆い、首のあたりには形容し難い民族的な首飾りが下がっている。そして手には古びた木杖。
一般の人間には怪しげな宗教家に見えるかもしれないし、キ印さんな祈祷師に見えなくもない。だが、魔導師からして見ればそれは実によく見知った格好であった。

ハイネスは意図して見下すように顎を上げる。

「召喚士様が、僕に何か御用で?」

「……分かっていると思うが?」

返ってきた声は低かった。
どちらかというと、唸り声に近いかもしれない。威嚇の唸り声。

「僕が今分かっているのは、はぐれた理由を早急にひねりださなけりゃ連れに殺されるってことくらいです」

「…………」

ハイネスは本気とも冗談とも取れる口調で答えた。
だが彼自身、本気だ。彼女の機嫌を捻じ曲げたら最後、本当に殺されかねない。
しかし向こうは冗談だと取ったようだった。
無視して要件だけを告げてくる。

「若宮さまの御命令、従う気はないのですかな?」

「若宮? あぁ……しかし言っておきますけど、僕は召喚士ではありませんからね。魔導の一環として召喚は心得ていますけど、僕はあくまで魔導師です。召喚士ではありません」

「だがそなたの召喚に対しての実力は、他の魔術の比にならないとか……」

「それが何だって言うんです? 誰にだって得手不得手はあるんですよ」

相手の口調は波がなく穏かだったが、白布の合間から見える目の光は尋常でない。
ハイネスはじっとその男を睨みつけた。
そういう動作が似合わないということは知っている。
だが、彼は眉を寄せ、目を怒らせ、口を引き結んでいた。


「僕はね、あんたたちと同類にはなりたくないから魔導師になったんです」

「だが才能は隠せませんな」


召喚士。それは言わずとしれた、魔物を召喚する者たちのことである。
戦争に参加することもあれば、暗殺を担うこともある。ある時は竜神を呼び出し、干ばつの街を救うこともある。だが裏ではそれなりのことをやっている。
教科書にも記されず、歴史書に載ることもない。だが、召喚士という集団はその特殊な能力によって魔導師よりもずっと商業的なのだ。希少、高値、結束。それが召喚士が召喚士を意味付ける言葉。
……ハイネスはそれを良く知っている。知りすぎているほどに知っている。
彼も昔はそこにいたのだから。

そして彼は召喚士になることを嫌い、魔導学校に入った。
召喚士ではなく、魔導師になるために。

召喚士は数が少ない。それだけに組織は強固で、その素顔は一般には知られていない。だが最近頭首が交代したという噂は、魔導師の間にも流れていた。
かつてハイネスと共に同じ召喚士に師事した男がいた。
魔導師の他愛ない噂によれば、彼が現在の頭首らしい。仲間内では尊敬の意を込めて、“若宮”などと呼ばれているようだが。



「僕ひとりに神経を使わなければならないほど、貴方たちは落ちぶれたんですか?」

「…………」

ハイネスはその場を一歩も動かなかった。
廻りを取り囲まれたにもかかわらず。
同じ白尽くめの男たちが音もなくわらわらと現われ、ハイネスの退路を断ったのだ。
これが普通の道だったら誰かが警備兵を呼んできてくれそうなものだが、いかんせん殺気だったバザールの大通りである。
誰も他人へ視線をやる余裕はないし、もし気がついたとしても警備兵を呼びに行くことすら叶わないほどの人、人、人……。


「負けず嫌いは変わらないようですな」

「闘争心は、人間忘れちゃならないもんですよ」

ハイネスの穏やかな春の陽射しのような声音が、どんどん温度を下げてゆく。
零下まで。

「何て言われました? 貴方たちの頭首――あの臆病者に。僕があいつに忠誠を誓って僕の真名を差し出さないなら、殺してこいって言われましたか? 僕が生きていると、あいつは夜も眠れないんじゃないですか? いつか僕に頭首の座を奪われるんじゃないか、召喚士という枠ごとこの世から抹消されるんじゃないかって」

「…………」

白尽くめたちは何も言わない。
おそらく、図星。
彼は霜がおりた双眸で彼らを見据え、更に続けた。

「貴方たちも、そんなに僕が怖いんですか? そりゃそうでしょうね、僕はいつだって貴方たちの組織を潰してやろうと思ってる。けれど僕はそんなに恐れられるべき存在ですか?若宮がいれば組織は大丈夫。……そうは思えないってことですか! ははっ、落ちぶれたもんですね、召喚士一味も。一介の魔導学生如きを恐れるなんて!」

乾いたハイネスの笑い声は人波にさらわれる。
だが、目の前の男たちには確実に届いているはずだった。

「無駄ですよ。僕を操るために僕の真実の名を奪ったとしても──貴方たちみたいな人に僕を操れるわけがない」

そして一拍置いて低く告げる。

「帰ってあの男――若宮とやらにに伝えてくださいよ。もし僕にどうしても真名を差し出して欲しいなら、あの人を返してくれってね。あんたが殺した僕の師匠を返してくださいって」

白皙秀麗なハイネスの表情は、凍てついた笑みのまま変わらない。
視線が真っ向からぶつかったまま、押し殺した時間が過ぎる。
人声ざわめきたつ通りの中にあって、そこだけが異次元であるかのように無音だった。


「……あんたたちが僕を殺そうとするなら」

「するなら?」

「僕は今すぐあんたたちを全滅させてやってもいいんですよ? 組織ごと」

「貴方にはまだそれほどの力はない」

(と、思いますか?)

口の端で笑おうとした刹那──

『契約よ! 来たれ!』

空を裂く声が上がり、白装束が人ゴミに離散した。

逃げたのではない。

(──しゃべり過ぎた!)

一人を囮りにして、残りは全員召喚の呪を唱えていたのだ。
思わず舌打ちしたハイネスの足元が光り、薄気味悪い紋章が現われる。

「あんたたちは僕一人のためにこの街を滅ぼす気ですか!?」

叫べど通じるはずもない。聞こえていても止めるような相手ではない。

(常識を知れ常識を!!)

普段決して焦りを顔には出さないハイネスでさえ、その驚愕を隠せなかった。
彼らが呼んだもの……それは──


カタストローフェ。


災厄の名を持つ、闇の凶天使。



それの具現には、空さえも狂う。
どこからともなく暗雲が湧き、紋章からは黒の羽を持つ一匹の戦士が徐々に姿を見せてくる。
翼、槍、背、腕、そして仮面で隠された顔──。
街が陰り、強風が巻き上がる。

「みなさん、遠くへ逃げなさい!」

あまりにも曖昧で、あまりにもテキトーな指示であることはハイネスだって分かっていた。
だが、ヒステリーを起こした群衆には何を言っても無駄。
口々に何か喚きたてながらなだれ散ってゆく人々を横目に、ハイネスは対抗すべく呪を唱えた。

けれど──

(間に合わない)

凶天が紅蓮の刀を空にかざし、一線。


(――壊れる!)

ハイネスはそれでも唱える呪を止めぬまま、目を見開いた。
あらゆるものを薙ぎ倒す堕天の衝撃波。
それは、超音速で伝わる急激な圧力変化。
漆黒の翼から生み出される、何者も抗えぬ物理的破壊。

すべては一瞬で終わる……


刹那、

『破壊は我が手に!』

「──!?」

突如として響いた氷片の声に、空間が歪んだ。
暗澹たる空が歪み、荒涼たる風が奇妙に歪む。
見慣れた風景が音もなく軋み、ねじくれてゆく。

そして衝撃波は──呑み込まれた。

強引かつ有無を言わせぬ力が、破壊を圧した。
凶天を中心に拡大しようとした壊滅の波動は、空間侵食によって欠片もなく消滅させられた。
建造物の窓ひとつ震わせることなく、破壊の物理法則は不自然な力に為す術もなく。


白い男たちの目が見開かれ、ハイネスも唖然と瞬間を凝視。

『…………』

破壊は消えた。そよ風ひとつ残っていない。
息を詰めた一瞬の、攻防だった。
いや、攻防ではなかったのだ。
圧倒的な防御だった。
それこそ、完璧な。

「……一体何が」

表情を見せない堕天の向こうで、召喚士たちが呆然とこちらを見ていた。
いや、正確にはハイネスを見ているのではない。その後ろ。

「──先輩、何でこんなところで遊んでるんです?」

背後から聞こえてきた声は、全く事態を把握していなさそうな呑気な声。
だが少々の怒気が混じっている。

「買い物リスト持ってるの、先輩なんですからね」

ハイネスが恐る恐る肩越しに振り返ると、豊かなダークブラウンの髪をなびかせ、学校指定のワイン色ローブをまとった女がスタスタと彼に歩み寄ってきていた。

「ったく、何で騒ぎおこしてるんです? 今日は買い物に来たんですよ?」

(まぁいつも騒ぎ起こしているのは君の方ですもんね)

という言葉は理性で飲み込む。
ハイネスはやや唖然としたまま肩をすくめた。

「殺されそうになったんですよ」

「そう」

彼女はさして驚きもしなかった。信じていないわけでもないだろうが。

レベッカ=ジェラルディ。それが彼女の名。
他には『理不尽の代名詞』だとか『魔王の再来』だとか『世界の過ち』だとか、まぁ色々に好き勝手言われている。彼女に聞こえないところで。
そう、そういうことは本人には知られないところで言うものだ。でないと地獄を見る。

「そこのおじさんたちとそこの悪魔君が先輩を殺そうとして、街を吹っ飛ばすなんて真似をしようとしたのね?」

──間違ってはいない。

「まったく。どーして人ひとりくらい穏便に事が運べないわけ? バカじゃないの」

心底あきれているその口調。
ハイネスは後輩の肩をぽんぽんと叩いた。

「バカはね、死んでも治らないんです」

「そんなことを聞いたことがあったかも」

彼女は性格に合わず、防御系の術を専門にしている。そしてその能力が並外れているだろうこともハイネスだって重々承知している。
だが、凶天の衝撃波を何の禍根なく消し去るとは……尋常ではない、どころではない。

そんなハイネスの思いを余所に、何やら虫の居所が悪そうな声でレベッカが召喚士たちに指をびしっと突きつけていた。

「で、そこのおじさん、まだヤル気あるわけ? やるんならやるでいいわよ? かかってきなさい。あんたたちの攻撃は一切私が消し飛ばすわよ。で、あんたたちはハイネス先輩の呼び出す天使君にやられてお終い。最後まで筋書きが丸分かりでつまらない争いだとは思うんだけど、そっちがケンカ売るなら──格安で買うわよ」

彼女は不敵に笑った。
背筋が凍る笑いである。
彼女は負けるケンカなど買わない。勝てるケンカしか買わない。

「やめといた方がいいですよ?」

ハイネスはいつもの穏やかな微笑みに戻って、召喚士たちに告げた。

「切り札と自分たちの命が惜しかったら、早々に戻りなさい。多少の失敗くらい看過されるでしょうよ。僕が怖くて自ら出てこられないようなヤツが頭首をやってる集団なんですからね」

途端、紋章から堕天の姿が消えた。
だがハイネスの言葉は続く。

「覚えておきなさい。僕の力ではまだ貴方たちをすべて消し去ることはできないでしょうが、僕には凶悪な友人が多いんですよ」

ハイネスはにっこり笑う。
すでに街に姿を隠した、白尽くめの召喚士たちに向かって。
天使のような笑顔。
世界で一番華やかで、世界で一番邪悪な。



◆◇◆◇◆



「先輩。ホントにもう、街で揉め事起こすのはやめてくださいよ」

レベッカは、金髪碧眼の美しい男を見上げて盛大に嘆息した。

「え?……あぁ、分かりましたよ」

ハイネス=フロックス。
レーテルの隠す秘蔵の召喚士。本人は召喚業が嫌いらしいが──。
しかし所詮才能は才能。
望んで手に入るものでもなし、望まずともその存在を否定できるはずもなし。
つまるところ、他人がどうこうするものではない。

「天下の公道で殺されかけたこと、会長には内緒にしておきますね?」

事情は聞かず、レベッカはローブを払いながら気楽に言った。

「ここら辺みんな逃げちゃったから、遠くに行かないと買えないかもしれませんね、おやつ」

おやつひとつに何でそんなに頑張らねばならないのかも疑問のひとつだったが、優雅な午後を過ごすためには労力を惜しんではいけないのかもしれない。
それとも、ただ単に誰も会長に逆らえないからかもしれない。

(とにかく──さっさと終わらせたいわ……)

無意識に顔をあげれば、蒼空が見えた。
見回せば、ぽつぽつと人がかえって来つつある。

「……レベッカ」

「はい?」

呼ばれて見やると、なにやら真剣な眼差しでハイネスがこちらをひたと見据えていた。
イマイチ何を考えているのか分からない飄々とした端正な顔。ガラス玉のような碧眼。
百人中百人の女に、白馬の王子様だと勘違いさせることができるこの男。

「栗の乗っていないモンブラン。やっぱり会長は怒ると思います?」

レベッカは問答無用にはたき倒した。






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