- 「レオリオ閣下……」
「いくら強かろうが、何だろうが、魔公は魔王に敵わない。鍵が僕の手に渡った時すでに、彼の末路は決定していたんだろうね」
鉄の扉はレベッカを主を認め、勝手に開いた。
そしてその奥に──彼がいた。
イーサ=レオリオ。またの名をレジェーラ=フェレスト。
誰もが憧れる美と、彼以外誰も持つことのできない力を手にした男。
レベッカは彼の姿を認め、少しだけ眉を寄せた。
「ご覧よ、この玉座の間。すべての終焉にふさわしい見事な作りだ」
戯曲の舞台に立ったかのように、彼が両手を広げた。
どうやら今の彼は、イーサ=レオリオ。
なんとなく胸を撫で下ろして、レベッカは言われるままにその場所を見渡した。
それは確かに王都の城もかくやと言う壮麗な舞台。
しかし、主もいないこの城。仕える者もいないこの玉座。誰のための部屋なのかと思えば、お笑いだ。
見上げれば、光の入っていてない豪奢なシャンデリア。
目を逸らせば、見事な彫刻の白壁。
磨かれた床は薄く輝き、高い場所にある玉座だけが、その真上のシャンデリアによって煌々と照らされている。
そして彼の足元には──もはや原型すら留めていない何者かの残骸があった。
言わずもがな、アガレス。
「レオリオ閣下。それは?」
「彼は順番を間違えたのさ。彼は城を呼び出す前に、鍵を手にしていなければならなかった。それか、僕の中に魔王がいることに早く気付くべきだった」
どちらにしろ、どうでもよさそうな声ではあった。物憂げな瞳を曇らせたまま、抑揚のない美貌がレベッカへと向けられる。感慨も、悲哀も、何もない顔。
「彼は結果ばかり追いすぎて、過程を疎か(おろそか)にしすぎたのさ。過程がなければ結果はないというのに」
「過程を経ても出ない結果もありますよ」
レベッカは腕を掴んできたシャロンを振り払い、玉座の下までずんずん歩いて行った。
「レオリオ閣下にも、魔王にも、選択はできない。鍵はまだ私を主としています。だから鍵を私に返してください」
「僕の中にはふたりの僕がいる。君に全てを預けてしまえと言う僕と、僕の本心のままに魔王の力で全てを壊してしまえと言う僕と、だ」
「分かっています」
ワイン色のローブを揺らし、彼女は玉座への階段を登る。
終焉を悼む鐘の音のように、終わりへと誘うカウントダウンのように、彼女の靴音が響く。
「……充分、分かっています」
「僕はずっと戦い続けてきた」
「王都と、自分と、に。ですね」
「突然王都に現われたイーサ=レオリオ。過去に抹殺されたはずの召喚士と同じ名前の召喚士。……王都はさぞかし驚いただろうね。けれど僕が王都に姿を現した時あそこには、僕に敵うまでの魔導師も剣士もいなかった」
「鍵にまつわって、力のある者が皆暗殺されていたから……でしょう」
彼女は一歩一歩、ゆっくりと階段を登り続ける。
──こんな死刑囚みたいな気分、テストに落ちまくって先生に呼び出された時くらいだわ
思いながらもその瞳に映るのは、哀しき召喚士の世を捨てたような笑み。生前からそんなであったのかは定かではないが、もはやその笑みは、それだけが彼の表情と成り果てていた。
「そのとおり。上は僕が同姓同名なんかじゃなく、あのイーサ=レオリオ本人だと薄々感ずいていたみたいだね。少しでも余計なことができないように、呪いまでかけて……。しかし行く行くは──」
彼がレベッカから視線を外し、階下の三人に微笑む。
すでに刃を構えているふたりと、すでに呪符を指にはさんでいるひとり。
「君たちに僕を消させようとしていたのかもしれない」
『…………』
「戦いはもう終わりです」
嫌な沈黙が流れようとしていた。
それを断ち切るように彼女は、言う。
「王都に殺されないよう飾る戦いも、世界を憎む自らを押し留める戦いも、もう終わりです」
「君が終わらせる?」
「鍵を渡しなさい」
緩慢な空気を両断する。
──時間がない
「私は怒ってるのよ」
「何に、だい?」
しかしその神経を逆撫でするように、レオリオが柔らかに首を傾げた。
「君は何に怒って言うんだい?」
「バカなことをする世界と、バカな茶番をしていた私たちに、よ」
ヒールを鳴らして最上段に上がった彼女は、銀の錫杖をレオリオに突きつける。
だが言葉とは裏腹に、そこに怒りはなかった。
今胸にあるのは、虚無感と焦燥。
「始まりの鍵を持ち、終焉の棺に辿り付いた者だけが得られる、絶対なる『選択』。あなたはその選択、何だと思う」
「…………」
「シャロン! あなたは何だと思う!?」
それは叫び声に近かったかもしれない。滅多にないヒステリックな、頭に響く叫び声。
レベッカは自身で顔をしかめたが、シャロンはそんな彼女の苛立ちを抑えるかの如く、静かに答えてきた。
「──滅びか、存続か」
しかしレベッカは返事もせずに続けた。
「フェンネル」
「望み、得るものの選択」
「ハイネス先輩」
「フェンネル会長と同じかもしれませんが、地位、名誉、金、いずれか……ってところですか?」
「そうね」
一通りの答えを聞いて、レベッカは満足げに──しかし険しい顔は崩さないままうなづいた。
「誰もがそう思う。滅びか存続か、あるいは望んで得るものか、そして人間の三大欲か。誰もが『伝説』と聞けばそれを思うのよ。王都も、レーテルも、私たちも!」
大きな舞台でひとり声をあげる彼女は、主役かそれとも道化師か。
見つめる先は、レオリオかそれとも背後の歴史か。
レベッカも、自分がいつもより早口だと分かっていた。饒舌だと分かっていた。
大きく息つき、そして続ける。
まるで答案を返される時みたいだ。順番に名前を呼ばれて取りに行く、あの時に似た不安感。恐怖感。
「人々は滅びることを恐れ、人々は誰かが強大なる力を持つことを恐れた」
手品師がタネを明かすが如く、彼女はゆっくりと台詞を選ぶ。
王なき玉座に響く足音。そして紡がれる言葉。
「……レオリオ閣下、鍵を」
いつの間にか彼女はレオリオの真正面に立っていた。
有無を言わさぬ調子で右手を差し出す。
「…………」
彼は柳眉を寄せてじっと彼女を見つめ──
「……降参」
あきらめたように鍵を彼女の手に落とした。
小さな、銀の鍵。世界を戦慄させ続けてきた、鍵。
すべての始まりであり、すべての終わりである、鍵。
「すべて、君に任せよう」
「すべて私に、お任せあれ」
──鍵を持つ者よ 汝に全てを明かす 選択せよ
彼女の手に鍵が辿り付いた瞬間。
玉座の間に無機質な声が響き、それと共に、玉座の正面の壁に青白い古代文字がぼんやりと浮かんでくる。
入ってきた、鉄の扉がそびえる壁に。そこだけ、少しの彫刻もなされていなかった壁に。
だが──もはや誰も驚かなかった。
不可思議に慣れてしまったのだ。
「世界が創りし始まりの鍵。終焉の棺に辿り付きし者に、選択の権利を与える」
次々と浮かび上がってくる文字を、フェンネルが振り返って音読した。
「鍵によってもたらされたであろういくつもの歴史。今ここで終わらせるか。それとも、まだ更なる歴史を重ねるか。汝、選択せよ。…………?」
彼はそこまで読んでレベッカを見上げてきた。
その視線に応え、彼女は無造作に肩をすくめる。
「つまり伝説は、そういうことよ」
沈黙が漂った。
人は本当に虚を見せ付けられた時、何も思うことができない。
怒りも悲しみもない。
ただ、あぁそうなのかと事実を把握するだけで精一杯なのだ。事実を把握できても、どうしたらいいのか分からないのだ。
理解には、時間を要した。そして、そこにいた誰もが交錯する感情を表す言葉を見つけられなかった。或いは、沸き起こってくるはずの感情すら見つからなかったのかもしれない。
世界というもの。歴史というもの。伝説というもの。そして積み重なった人々の想い。
悲哀や決意、憎悪や期待、悔恨や希望。
それに対する答えは、あまりにも簡単すぎた。
「ここには滅びも存続も強大な力もありはしない。王都やレーテル、私たちが思ったような選択は、ないのよ」
王都は、レーテルは、滅びを恐れた。
鍵を求める者、選択を求める者たちは、力を欲した。
そうしてこの世界の歴史は廻ってきたのだ。
鍵が生まれてから、ずっと──ずっと。
数え切れない年月の中、悲劇を量産し、悩ませ、恐怖を生んできた。
だが──
真実、そこには何もなかった。
彼らが恐れ、欲したようなものは、何もなかった。
「選択とはただそれだけ。伝説を続けるか、終わらせるか。鍵の歴史を閉じるか続けるか、ただそれだけのものだったのよ」
世界によって本は開かれた。
人間に与えられた選択とは、ただその本を閉じるか否か、──それだけだったのだ。
それだけだったというのに……
「馬鹿馬鹿しい!」
言い捨て、シャロンが刀で空を斬る。
「そうね。バカバカしいわね」
過去、どれだけの賢者と呼ばれる者がいただろう。学者と呼ばれる者がいただろう。
どれだけの優秀なる魔導師がいて、剣士がいて、召喚士がいて……。
けれど結局誰もこの茶番に気がつく者はいなかったのだ。
どれだけ涙を流しても、どれだけ憎しみを募らせても、この単純な盲点に気が付く者は
いなかった。
選択の内容は分からない。そう言いつつ、選択の内容を決めてかかっていたことに、結局誰も気がつかなかったのだ。
自分たちが恐れていたものは自分たちが生み出した虚像にすぎなかったのだと、誰も気がつかなかったのだ。
それは世界が創った最大の皮肉。
そして人々は、世界の手のひらのうえで、虚構の中で、幾度も歴史を繰り返した。
人々は、勝手に本を厚くしていったのだ。確執、苦悩、戦い、裏切り、そして死。
「全ては意味のないものだった。──だね」
沈黙の間に、流れる如く空気を震わしたのは、その人にしか口に出来ない言葉。
悲劇の当事者である、彼にしか。その表情を変えないままに、レオリオはつぶやき、そして目を伏せる。
「ずっと恐いと思ってたお化けが、風に揺れる木の葉だった時の気分だよ。僕らは実態のないものに怯え、恐れ、そして戦っていたなんてね」
彼の顔は変わらない。
あらゆる神経を麻痺させたかのように、女神のような微笑のまま、変わらない。
それが逆に──恐ろしかった。その笑みが何よりも恐かった。その笑みは、彼が彼でいる最後の砦のように思えた。
「閣下……」
次瞬、彼の冷めた目がスライドし、見つめていたレベッカを捕らえる。
「だが、ここに辿り付いたのが君だけってことはないだろう?」
「──とは?」
「どうして誰も伝説を終わらすことができなかったんだい? 終わらせないにしても、どうして誰もこの虚構の真実を人々に伝えなかったんだい?」
それはもっともな問いだった。しかし同時、愚問でもあった。
レベッカは鍵を宙に投げて遊びながら、
「ひとつの仕掛けは魔境の呪い。この城に入った者、この城を呼ぶ魔方陣である魔境に入った者、すべてはそのまま生きては出られない。侵入者は鍵を持つ者以外許されない。……鍵を持つ者以外、皆呪われ、意志なき魔物に成り果てる」
教科書を読むようにすらすらと言う。
それを分析するように付け加えたのはハイネス。
「この玉座の間まで来た者は……まず正常では帰れないでしょうね。しかも鍵は容易く持ち主に失望するようですし。かのヴェルト・メーアのように」
「おそらく、ここに来て伝説の真実を知った者の中で、世に言葉を持ち帰ることができた者はいないわ。……そして第二の仕掛け」
彼女は正面を向き、びしっと壁を指差した。
「フェンネル、続きがあるでしょ。読んでちょうだい」
「──レベッカ」
「いいから読みなさい」
躊躇うフェンネルを睨みつけ、レベッカが足を踏み鳴らした。
彼女とてここから先に何があるかは知らないのだ。しかしそれが何であろうと──覚悟だけはできていた。何が出てこようと、彼女の用意してある答えはひとつだった。
彼女は鍵の主であり、そしてレーテルの誇るただひとりの防御魔導師なのだから。
短い間の後、堅いフェンネルの声が皆に届けられる。
「──ただし。伝説の終焉は、歴史の消滅を意味する。伝説に直接触れた歴史の消滅を意味する。伝説によって生まれた歴史は世界から消え、汝もまた歴史から去ることとなろう」
再び、寒気のする沈黙が玉座を漂った。
不気味な静寂の氷る、見事な舞台。
「鍵に認められし者よ。その覚悟がある者のみ、──終わりを選択せよ」
歴史は消える。
悲劇は消える。
そして──選択者も消える。彼女も消える。
「覚悟くらい捨てるほどあるわよ」
レベッカは、朗々と言った。
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