- 「──契約の内容は?」
少しの沈黙の後、彼は言った。
その頬をかすかな風が抜けてゆく。
<余をその身体に住まわせて欲しい。甦らせることはもちろん、普段は君の意識で構わぬと約束しよう>
「僕は生きたいだなんて思っちゃいないよ」
心なしか闇が遠のく。
黒が薄れる。
<本当に、か?>
「本当に、さ」
<世界なんてどうでもいい。あっさり死んで全てから逃れたい。──か>
その声はただただ滑らかだった。
挑発しているわけではない。軽蔑しているわけでもない。
だが、『逃れたい』。その言葉がレオリオの癪にさわった。その完璧な美貌がむすっと口を結ぶ。
「逃げたいわけじゃないさ。本当にどうでもいいんだ」
<同じことだ>
「違う」
<……彼女は学校に辿りついた。命は助かった。君の召喚した者達によって、ね。だが彼女は魔境の呪いをうけた。……石化の呪いでな、永遠に死ねない魔物と成り果てた>
「だからなんだっていうんだい?僕に彼女を助けろって?」
<同じようなことが昔にもあった。君は『三強の戦い』という馬鹿げた話を知っているか?>
「知ってるよ」
<──名目は鍵の見える余を倒しに、魔導師ブラッド=カリナンと騎士セーリャ=クルーズがこの魔境に入ったことになっている>
辺りがぼんやりと明るくなった。
小さな木々のざわめきも聞こえ始める。
しかし魔王とやらの言葉は、それらすべてを踏み付けた。
<だが真実、そこでは三強の戦いなど行なわれなかったのだよ>
「…………」
<──そこで行なわれたのは単なる暗殺。王都の密命でセーリャはブラッドを殺した。当時『鍵』の持ち主であったブラッドを、だ>
「…………」
<それが『鍵』をめぐる何度目の裏切りだったかは知らぬ。だが──セーリャは帰らなかった。彼はその場で死を選んだ。“騎士としての私は今終った。そして私は私が騎士でなければ生きている意味はない”そう言い残して死んだ>
「彼女は──鍵を葬る方法を探そうとしたんだよ。セーリャ=クルーズとブラッド=カリナン。そして
僕や彼女。鍵の運命に巻き込まれたのはそれだけじゃない。……鍵を持っただけで殺された者、魔王だと言われて処刑された者、あなたを消すために魔境へ送られた軍隊。他にもたくさん、いる」
始まりの鍵。終焉の棺。
それらは世界が創ったのだという。
──世界が?
意思のない世界が?
どうやって。何のために。
<鍵のまわりでは悲劇だけが重なってゆく。……レオリオ。余には鍵の在処が見えるのだ。誰が持ち主かわかるのだ>
「それは──」
それは悲劇を止められる唯一の術。
鍵を持つ者を守り、暗殺を阻むことができる術。
運命の先に立つことができる術。
<余も伝説の結末は知らぬ。伝説にある『選択』が何なのかも知らぬ。だが──余は君の身体を借り、鍵をこの手にしたい。余は自身の実体がないゆえ、今まで魔物に寄生するしかなかったのだよ。君の身体を借りることができれば、今までとは比べ物にならないほど鍵に近づきやすくなる。……イーサ=レオリオ。すべては忌々しい鍵の存在をこの世界から消すため。それができなければ──>
フェレストが言葉を切った。
分かっている。レオリオにも続きは分かっている。
王都が、レーテルが、最も恐れている言葉。そのためだけに悲劇が積まれ続けた、言葉。
「それができなければ、世界を滅ぼすんだね。──鍵に操られた、この虚構の世界を」
彼は、残された言葉を一気に言った。
途端、霧が晴れるように視界が広がる。
そこは元いた魔境の一郭。
契約は成立したのだ。
「フェレスト。早く鍵を見つけよう。早く鍵を手にしよう。この悲劇を──終らせよう」
悲劇を終らせる?
そう、悲劇を終らせる。
彼はそう言い聞かせた。
未だ暗く忍び寄る憎悪の闇。
正義だけではすべてを語れない。善者ぶっても自分は知っている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
この時、世界中誰も気付いていなかった。
皆、大きな間違いをしていたことに。
『始まりの鍵』『終焉の棺』
すべてはそこに答えがあったというのに。
- ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ヴェルト・メーア会長は副会長と共に魔境に挑んだ。副会長は亡くなり、彼女も帰ってきたものの、魔境の呪いを受けていた……」
レベッカの耳に、シャロンが低くうめくのが聞こえた。
「副会長ってのは……イーサ=レオリオだったわけか」
「ヴェルト・メーアもこれまでの月日を魔物として生きて、その副会長まで魔王を飼ってずっと生き続けてたなんて、一体どういうコンビなんだ。えェ?」
「三強の戦いも──後味が悪いですね」
人々が信じている物語。
実際あった狂気の悲劇。
壮麗な伝説の中には一片の真実さえなく、それはまるでさらさらとこぼれ落ちてゆく砂のよう。
鍵の見える魔王を倒しにいったはずのそれは、鍵を持つブラッドを葬るためのものだった。
鍵を王都の敵と憂えた忠臣は、鍵を手にしたがために世を去った。
魔王を召喚できるほど傑出した召喚士は、その能力がために裏切りをうけ、鍵の輪廻を解こうとした魔導師は、その悲劇に囚われた。
「それにしても……」
立ち上がり、白い長衣をぱしぱしと払うハイネスが苦笑を浮べる。
「ここにきてようやく事情が分かりましたよ。誰も教えてくれないんですから、まったく」
「あぁ?」
「生徒が失踪して、王都の使者がきて、魔境の反乱があったかと思えばあなたが解任されたって
伝え聞いて、それでも警備していたら襲われて、シャロン、あなたに会ったと思ったらコリウス教師に地下へ無理矢理連れて行かれて。ヴェルト・メーア会長に会ってびっくりする間もなく魔王召喚だなんて分不相応なこと気合でやらされて、そしたらあなたとレベッカがやってきて、あげくあのレオリオ閣下までやってきて。おまけにあの方は魔王になっちゃうし。それにレベッカ! あなたはあの『始まりの鍵』の所有者! なのにそれに驚くヒマも与えられずに外へ出れば魔境が『幻視の城』だなんてバカげたものになっていて、その中ではあなた。フェンネル会長が死んでいるじゃありませんか!」
「死んでねぇッ」
歌手も蒼白なほどに滑らかな息継ぎで言い切り、ハイネスがこめかみを押さえた。
「……始まりの鍵とは、一体何なのです?」
「世界が創った鍵。幻視の城に眠る終焉の棺をその鍵で開けることにより、鍵の持ち主は世界から『選択権』を得る」
誰もが単なるおとぎ話だと思っていた。
- 鍵を手にした者、悲劇に見舞われた者、王都、レーテル……それ以外の者は皆、単なる伝説だと思っていた。古書の何気ない一節だと。
- ──シャロンもそう思っていた。
「その選択権とは?」
「分からないわ」
分からない。そしてそれ故に生まれる恐怖。
「まだ、はっきりとは分からないのよ。だからこそ始まりの鍵は『未完の伝説』って呼ばれたんでしょ?」
レベッカが笑う。
分からない。そう言いながら、分かっている笑み。
暴走魔導師。絵に描いたように天邪鬼な笑み。
その瞳に映るのは?
「ねぇ、フェンネル。あなたは私がシャロンの足を引っ張ってるって言ったわよね?」
「おう」
「私はいつだって強力な部下でありたいと思っているのよ?」
「──充分だ」
固いけれど、嘆息混じりだけれど、それはいつもの上司の声。
「えぇ、貴女がいればウチ(メディシスタ)はどこまでも安泰でしょうよ」
誰もを虜にする、美貌の先輩。
「勝手にしやがれ。困るのも疲れるのも俺じゃねぇしな」
口が悪くて性格も悪くて、正義バカ。
──何を紡ぐ
放っておけば鍵の持ち主でない彼らは魔物と化してしまうだろう。
さらわれてきた生徒たちも然り。
鍵の持ち主であったヴェルト・メーアが呪いを受けたのも、おそらく、レオリオを殺めたことで鍵が彼女から離れたため。
鍵が彼女に失望したため。それほどに魔境は容赦ない。伝説は容赦ない。
そしてこのまま引き返したとして、世界はずっと同じ悲劇を繰り返し続けることだろう。
恐怖による、裏切りと静かなる戦いの悲劇を。
レベッカはあーだこーだと言い合う三人に背を向けて、爪を噛んだ。
魔王はきっと──話せば分かる。
そんな奴のような気がした。
- そしてまたレオリオも理解するはずだ。彼の中に潜む闇がどの程度かは分からないにしても。
アガレスは問題外。魔王にたてついて無事でいられる魔公はいない。
そう、問題はこの三人なのだ。
この後ろにいる三人が、彼女の最大の敵なのだ。
おそらく。
──何を紡ぐ
悲劇の輪を断ち切るには。伝説を完結させるためには。
彼らを魔境の呪いから生還させるには。
……シャロン=ストーンの部下として、彼の望みを叶えるには。
レベッカ=ジェラルディ。その防御魔導師たる信念を貫くには。
この、レーテル三強を相手にする覚悟がいる。
「…………」
彼女は銀の錫杖をぐっと握り締めた。
じっと、何もない眼前を見据える。
──何を紡ぐ
「──歴史を」
三度目の問いにレベッカが答えた瞬間だった。
<鍵が選びし持ち主よ 棺のもとへ 来たれ>
空虚なホールに無機質な声が響き渡った。
『…………』
皆が無言で張り詰めれば、フェンネルが張り付いていた壁に新たな通路が現われる。
音もなく、その壁を造っていた石が消えたのだ。
「暗いですね。この通路、他と違って自ら発光はしないようです」
いち早く歩み寄り、中を覗き込んだハイネスが眉をひそめる。
「でも奥に扉っぽいものが見えますよ。大きな、鉄の扉が」
「この妙な要塞があくまでも『城』だっつーなら、この先は……」
「玉座の間というところだろうな。ようやくお姫様を認識出来たとみえる」
フェンネルがニヤリと笑い、シャロンが腰の刀に手をかけた。
そんな彼らを横目に、レベッカはひとり歯噛みする。
──これ全員相手にするくらいなら、まだ魔王とやりあった方がマシじゃない?
彼女はすでに分かっていた。
“救済の道はただひとつ。物語の終わり。”
そう言われた時からすでに。
『選択』とは何なのか。
この伝説は何なのか。
しかしまだ分からないこともある。
この伝説がなぜ、今まで未完のままだったのか。
鍵は数多の人々を渡り歩き、なぜ誰ひとりとしてこの悲劇を止められなかったのか。
分からない。
けれど、予想はついていた。そして今回は当たる気がする。
だからこそ、彼らを相手にしなければならないのだ。
聞き分けの無い、三強を。
「…………私は死なないからね」
つぶやいて、彼女はローブを翻した。
玉座へと続く、扉に向かって。
鍵は手にある。選択もそこにある。すべての終わりは、見えている。
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