the uncompleted legend
THE KEY

第九章 伝説の墓標 2

見上げてくる嫌味な黒曜の瞳。
してやったりという笑みが、そのニヤリとした口端にのっている。

「この俺様が死ぬわけねぇだろうがよ」

「…………」

「さっきのお前の言い草はどーも気に入らねぇな。アレじゃまるでオレがシャロンよりも向上心がねぇみたいじゃねぇか」

「…………」

レベッカは掴まれた腕を下ろされてそのまま固まった。
その横でフェンネルがゲラゲラ笑いながら文句を言い続ける。

「確かに俺はそいつと違って無策なままで無謀なことはしねぇがよ。ともすれば俺が恐がりみたいに聞こえるじゃねぇか?」

「……この血は?」

「血なんて放っときゃそのうちまた増える」

あっけらかんと彼は言う。
嫌味な顔。
……そう。彼はそういうヤツなのだ。
大事なところでも遊びたがる。
『深刻』という言葉が一番嫌い。一番似合わない。
しんみり死ぬ、人知れず死ぬ。
この男に限ってそれはない。
こいつは絶対派手に死ぬ。

「…………」

彼はとんがった目を柔らかく細め、ぽんぽんレベッカの頭を叩いた。

「俺は死なねぇよ」

「…………」

レベッカは思いっきり苦々しい顔になってフェンネルの肩に頭をのせる。
一気に気が抜けた。

「……やっぱりアンタ、死刑だわ」




◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「生徒全員、『生きてはいる』ってところですね」

ハイネスが伏しているひとりの脈をとりながら、シャロンに肩をすくめてみせた。

「──フェンネル、何があった?」

「何があった……って、そのまんまだぜ。俺がここに着いた時にゃ儀式ってやつは始まっててな。魔境にこの城が召喚された。んで、デュランタ先生のカッコしたアガレスが用済みのこいつらを始末しようとしたからちょっとだけ斬り結んだんだが……」

「逆にやられたのね」

立ち上がるフェンネルに手を貸しながらも、レベッカが真っ平らな顔で言う。

「アホ。『ヤツが来た』って言って、アガレスが勝手に戦うのを止めたんだ」

「……ヤツ?」

「おそらくはレジェーラ=フェレストのことだろう。魔公が反応しなきゃならんのはそれくらいのものだろうからな」

この暗さなのにサングラスを外そうともせず、シャロンが辺りを見回した。
あわせてハイネスが軽くうなづく。
そして彼は最近ずっと陰らせたままの碧眼を伏せ、その唇をなぞりながら、
 
 

「しかしもうひとつ問題が」

上司を見上げた。

「──生徒が、魔物化しています」

「何」

言葉を止めたシャロンに、ハイネスが生徒ひとりの召喚衣裾をまくってみせた。
そこには──

「石化、か……」

ヴェルト・メーアと同じ、魔境の呪い。

「それだけではありません」

もうひとり。
その足は得体の知れぬ緑に変色していた。これからどうなるのかは……分からない。

『…………』

空虚な空間に無言が交錯し、

「分かったぜ」

自信たっぷりにフェンネルが腕を組んだ。
澄ました顔でばっさり言い切る。

「これは、鍵を持つ者以外に“選択”をさせないカラクリだ」



鍵を持つ者以外は魔物に変えてしまう、魔境──幻視の城の呪い。
世界の悪戯。


「なら──」

「おう。俺たち全員、そのうち魔物になっちまうな。レベッカ以外」

「……私、鍵取られちゃったのよ、レオリオに」

「あぁ?」

「レオリオは凄腕の召喚士で……魔王を体内に飼ってるのよ。それで──」

「油断して取られちまったってわけか」

「…………ま、まぁ」

少しだけ顔をこわばらせてうなづけば、やっぱりけろりとフェンネルが嘆息。
シャロンから血塗れた愛剣を受け取り、ぶんぶん振り回す。

「どうしたもんかねェ」


──何を知る


突如彼女の頭に響いた無色の声。

「……決まってるでしょ。彼らを助ける……、私たちも魔物にならないようにする方法を教えなさい」

レベッカはすぐさま答えた。

「魔物になった者を戻す方法。この城の呪いを解く方法を教えなさい」

『…………』

男三人の視線が自分に集まっていることで、声は自らにしか聞こえていないのだとレベッカは悟る。彼女はやや上を向いて続けた。

「望むすべてを教えてくれると言うのなら、魔物にならない方法と──イーサ=レオリオの過去を見せて頂戴」


──救済の道はただひとつ。物語の終わり。


「…………」

レベッカは黙って天を仰いだ。

半端な笑みが顔に浮かぶ。
頭痛が、する。

「……レベッカ?」

訝しげなシャロンの声を背に、彼女は一度頭を振った。

「……分かったわ。分かった」

そしてもう一度問う。

「じゃあ……イーサ=レオリオの過去を見せなさい。あの人の闇を教えなさい」

「レベッカ。魔物の件は──」

「あの人と魔王の契約が何なのか教えなさい」




今、鍵は彼のもとにある。レジェーラ=フェレストを内包した、イーサ=レオリオのもとに。

しかし鍵の文句は彼女に提示され、声も彼女に聞こえている。
答えも与えられている。
それはつまり──

鍵の主は未だレベッカ=ジェラルディであるということ。

鍵を持つ者とは鍵を所有する者ではなく、鍵に主と認められた者。
それでは、──鍵は何を期待して主を選ぶのだろうか……。


「あの人は何故鍵を欲しがるのか──」

──教えなさい。

レベッカがそう言葉を繋ぐ寸前だった。
ハイネスが床に崩れ落ち、シャロンとフェンネルまでもがずるずると座り込む。

「ちょっと何を……」

──したのよ

彼女がそう罵声を上げる寸前。
彼女自身もまた、視界が暗転。


城の見せる夢へと落ちていった。




◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 
 
「何もなかったらどうするつもりだい?」

「そんなことを考えていたら何もできないでしょう?」

魔境を駆ける影ふたつ。
白馬に乗った若き女魔導師と、黒馬に乗ったやる気なさげな召喚士。

「私が“鍵”を持っていて、あなたがとんでもない召喚士だってことが王都に知られた以上、安穏としているヒマはないのですよ」


魔境。
そこは魔物の巣窟。
幾人もの英雄を死へと追いやり、数多の人間を呑み込んだ世界の禁断。


「そりゃあ、そうだけどね」

「レーテルもレーテルの独立を守るためには王都に従わざるを得ない……。レーテルと王都が本気で牙を剥きあったら、世界は本当に終るかもしれません。私たちを守ってくれる人は誰もいない……。ふたりとも、消されてしまうかもしれないのですよ!」

「──構わないと言えば構わないけどなァ」

ざしゅっ

肉が断たれる……というよりは、大きな果実を切った時のような音。
疾駆する馬の前にバラバラになった魔物が散る。

それを何の感慨もなさそうに眺め、男が続けた。
どことなく間延びしたその声。

「ヴェルト・メーア会長。あんたは生き延びるつもりなのかい?」

後方でもまた同じような音がする。

彼が召喚した『聖天』と『堕天』。白と黒。ふたつの戦士。
それらがふたりを襲う魔物をことごとく粉砕し続けていた。
レーテルを抜け出してから三日三晩、ずっと。

「君が求める魔境の中心。そこまでこの早馬を使ったってどれだけかかるか分からない。もし万が一そこに辿り付いたとしても、望むものがあるかどうかは分からないんだよ」

彼の水色の双眸はぼんやりと前を見たまま。
その綺麗な銀色をした長い髪が風になびき、しかし彫像のように端正な顔には感情の欠片もみえていない。

「…………」

「会長。君は僕の味方かい?」

彼がぽつりと言った。
瞬間、問われた女の紅唇がすっと結ばれる。

「──僕はこの森に入ってから君からもらったものしか口にしていない……。今朝も君からもらった水を飲んだよね」

「…………」

「きっとまだ昼前なんだろう。でも僕の目の前は真っ暗だ。おかしいね……目が、見えないんだよ」

内容のわりには乾いた物言い。
彼は──笑っていた。

「……レオリオ」

女が馬を止めた。
気配を察して彼も止める。
そして彼女が何か言う前に口を開く。

「言い訳はいらないよ。理由を聞けば僕は全てを許せなくなるかもしれないからね」

だが彼女は首を左右に振りながら叫んだ。
白い拳を握り締め、ぶんぶんと振る。

「ごめんなさい……! ごめんなさいレオリオ! 王都が、レーテルが……こうすれば私を見逃してくれると言ったのです! 鍵を持っていても殺さないと約束してくれたのです……」

「聞きたくないと言っているだろう?」

「私はまだこの鍵の謎を解き明かしたいのです。 まだ死ぬわけにはいかないのです!」

「もういいから」


それは見る人が見れば、美男美女の悲しき別れのようにみえただろう。
二流恋愛小説の、お決まりの場面。

凛々しい女が顔を覆い、声を震わせる。
謝罪の雨アラレを受ける優男が、もういいんだよとどこまでも優しいままで退く。
その優しさが致命傷なのだとも知らず。
その潔さが都合よく使われているのだとも知らず。

「早く戻りなさいよ、会長。聖天と堕天がいれば戻るくらい出来るでしょ」

「ごめんなさい……ごめんなさい、レオリオ……」

「…………」

彼に彼女の涙は見えない。
彼に彼女の真偽を正す術はない。
しかし──そんなことはどうでもいい。
柔和な笑みを浮べたまま、彼は馬の腹を蹴った。

「僕は逃げ続けるのも、萎縮し続けるのもごめんだったから、これでいいんだよ」



召喚の供なしに魔境を走ることのバカさ加減は知っている。
それでも彼はひとりで森を駆け抜けた。
奥へ奥へと疾駆した。

死ぬことなんか恐くはない。
これからずっと王都に、レーテルに怯えて生きていくくらいなら、潔く散った方がマシ。
そんなものに神経をすり減らして疲れるのはゴメンだ──

彼は手綱を握り締め、強くそう自らに言い聞かせる。繰り返し、繰り返し……。

……そうしなければ別の想いが彼を侵食してしまいそうだった。
想うつもりなどないのに、徐々に忍び寄ってくる影。


──憎悪


王都への、レーテルへの、ヴェルト・メーアへの、……世界への憎悪。

「僕は始めから何にも期待していないよ」

つぶやいた言葉は自分へ。
盛られた毒が回っているのだろう、飛びそうになる意識を必死で繋ぎとめる。

「裏切りも不条理もすべて僕には無意味なこと」

必死でつなぎとめ、言い聞かせる。

「僕だけは裏切られない。世界はいつだって正義の味方。そんなこと思っていたわけじゃあるまいに」

背中が一瞬痛んだのは、馬から落ちたせいかもしれない。
だが──彼にはもうそれを思うだけの余裕はなかった。
かき集めた記憶の断片。意識の断片。
それぞれが急速に失われていくのを感じながら、それでも彼はただ抗い続けた。
音もなく広がる黒い闇に。言葉ではどうにもならない蝕みに。

「どこかに救いがある。……そんなこと都合のいいことを願っていたわけじゃあるまいに。こんな世界なんてどうでもいい。正すことも直すこともすべて無駄」


──お前はそう生きてきただろう? イーサ=レオリオ……



そこは何もない、黒だった。
ただ塗りたくった闇。
前も後ろも、上も下も──ない。

「…………」

彼、イーサ=レオリオは無心で目を開いた。
手を広げ、握り、そして広げる。
この闇にあってその手は恐ろしいほどに白い。
彼は表情を変えずにぺたぺたと、痛むはずの身体を……あるいは無残に引き裂かれていたのかもしれない身体をさわった。

しかしその身体に損傷はなく、砕け、消滅したはずの意識は今、再び彼のもとにあった。

「──これは……」

<ここは生と死の狭間>

彼の漏らしたつぶやきにかぶって突然響いたのは、闇夜を流れる水の声。
彼は訝しげに柳眉をひそめ、声が聞こえた方向を凝視した。
そこは遠近間隔さえ麻痺する全くの黒。
その一点を、それこそ穴があくのではないかというほどに見つめる。

<今君を失うのは、惜しい>

「もしかして、僕はまだ死んでいない?」

<正確には、一度死んだ。しかし余がここへ戻した>

「死んだ僕を狭間に戻した? ……あなたは一体、誰なんだい?」

<余は──レジェーラ=フェレスト。世界に魔王と呼ばれる者>

声はさらりと言ってのけた。
そしてレオリオが考える間もなく続けてくる。

<イーサ=レオリオ。余と契約を結ぶ気はないか?>





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