the uncompleted legend
THE KEY

第九章 伝説の墓標 1

その城の名は「幻視の城」という。
それを建てた者が命名したわけではない。
それどころか、誰が建てたのかさえも分からない。
しかしその城は紛れもなく世界に存在していた。

──城。

そう呼ぶにはあまりにも巨大で、あまりにも虚ろで。
内包しているものは兵ではない。王でもない。


その城の名は「幻視の城」。
そこは──物語が始まる場所であり、そして物語の墓場であった。



「これが、魔境の正体……」

ハイネスが真剣な眼差しで前を見据えた。

「世界の謎がひとつ解けたな」

シャロンの言葉は茶化されていたが、その口調は笑っていない。
対して、レベッカはやけにあっさりとした感想を漏らす。

「よくもまぁ、こんなデッカイもの造ったわね」


校舎を出た目の前。
いつもなら視界に入ってくるのは鬱蒼とした禁断の森であり、魔の気渦巻く危険地帯。
──魔境である。

しかしこの日はその景色が変わっていた。
月のない漆黒の闇夜に、ぼうっと浮かび上がる巨大な要塞。それは見慣れた森の色ではなく、戦慄を呼ぶ魔の色……奇妙な紫。
シャロン=ストーンの瞳よりも霞みがかかった、惑いの色。

誰も説明してくれる人はいなかったが、それでも3人には容易に分かった。
それは召喚士の笑い話。古書の片隅おとぎ話。
それは世界が創りし「幻視の城」。
それは終焉の棺を隠す「幻視の城」。

魔境は消えた。
そしてそこには、人々を欺き続けていた城が現われた。

「魔境は、この城を呼び出すための“魔方陣”だったわけですね」

淡々とハイネスが言う。

「そして城は召喚された」

「イーサ=レオリオか、……もしくはアガレスにさらわれたウチの生徒たちか……。まぁ召喚したのはどちらかね」

アガレス公の目的は魔王にとって代わること。
魔王の目的──イーサ=レオリオの望みは分からない。
しかし今鍵は彼のもとにあり、そして選択の時はすぐそこにある。

「フェンネルをアガレスのところに送ってあるの。……異次元に行っちゃってなければ、ね」

しらっとした顔でレベッカ。
そして途方もないお城を見つめたまま、とってつけたように付け加える。

「生徒を助けるのは会長の仕事だものね」

「彼ひとりに魔公を任せたんですか!? 王都の軍隊さえも敵わないっていうのに!?」

息をつかず、針で突き刺すようなハイネスの声が彼女を責めた。
そうやってすぐ怒らなければ本当に綺麗な男なのに、勿体無い……。

「……魔公を潰しちゃえなんて言ってないわよ。欺いて生徒を助けろと言ったの」

「──彼の性格を知っているでしょう、レベッカ」


フェンネル=バレリー。

決して妥協を許さない情熱家。
退くことを知らない呪われた剣士。
曲線が嫌いな、“バカ”がつくほどの正統派。

「知ってるわ。だからこそあの人を行かせたのよ」

言って、彼女はスタスタと不気味な要塞へと歩を進めてゆく。
残された男ふたりは顔を見合わせ、そして慌てて後を追う。

「彼を魔公と刺し違えさせでもする気ですか……?」

ハイネスが密かにつぶやいた言葉。
シャロンが胸中で訝った言葉。


彼女は多くを語らない。
けれど、シャロンのように寡黙なわけではない。
単に意地が悪いのだ。答えは最後まで教えない。

「あの人が、魔公と刺し違えることってあるかしらね?」

どうとでも取れる言葉を鼻に笑う。

彼女に未来がすべて見えているわけではない。
その推理の全てが正解ではない。
いくら分かったフリをしていても、遊ばれているのは自分の方だと知っている。

──世界には決して敵わない

何故?
……なんて言ったって、相手には意思がないのだ。
あるのは意思のない流れだけ。
鍵を廻る意識のない恐怖の流れだけ。

それでも彼女は全てを断定する。
間違っていようと、とりあえず決め付ける。

何故?
……そりゃあ決まっている。
そうでもしなきゃ、やってらんないからである。



 
世界(シャントル・テア)は生まれ、そして……同時に鍵を造った

ハイネスがたどたどしくその文字を読み上げる。
近づけば、巨人のためにでも作ったのだろうかと思うほどに大きな城門。壮麗な彫刻のひとつもなく、無骨にそびえる夢幻の砦。
そこに書かれた古代文字のその一文だけが3人を迎えた。

そして地鳴りひとつなく、風のひとつも起こらずに、門が開く。来る者ならば、誰を問わずして招き入れるのだろうか。

──しかしこういうものは大概、行きは良くても出られる者だけは限られていたりするのだ

そしてそれを分かっていても、入らなければならない時がある。
3人のうち、誰一人として足を止めた者はいなかった。

ここまで来てしまったのならば、とことんやらねばなるまい。




◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 
「あの広大な魔境がすべてこの城になったんですから……もしフェンネル会長がここにいるとしても、探しだすのは容易じゃありませんね」

つるりんとしたホールを見回してハイネスが嘆息。

城の中は、唖然とするほど何もなかった。
外見が要塞ならば、中身は単なる洞穴。
しかし、これならばまだ自然の洞窟の方が愛嬌があるってものだ。生き物の気配のひとつもなく、聞こえてくるかすかな音さえもない。主も、いそうにない。

どんなレポートを書くよりも、この城の存在理由を書く方が難しい。
なんといったってここは、城としてあるべき機能を全て放棄しているのだから……。

そして無意味に、不思議に、ぼうっと輝く壁はただ奥へと続いている。
つまりは──進むべき道はひとつしかないということ。
それはある意味探索を非常に楽にするが、この城の大きさにあっては無意味に等しい。


何を望む


ふいにシャロンが天を指差し言った。

「鍵の文句のひとつだったよな?」

「そうよ」

ただ滑らかな半球形の天上に刻まれた文字はそれ一文。
けれどそれは、やはり彼らが伝説中にあることを示していた。

「今望むことはひとつだけ。フェンネル=バレリーに会わせなさい」

レベッカは考えることすらせずに言った。

「おい!?」

「私の望みは今フェンネルを探し出すこと」

アガレスを葬るでもない。鍵を取り戻すでもない。

──そんなことは後でいい。

「レベッカ……」

「早く!今すぐに!」

彼女が目を吊り上げ、錫杖の尻尾を床に叩きつけて怒鳴る。
彼を信じてはいる。
しかし、信じることと心配することとは別物なのである。

「すぐに会わせないと死刑よッ!」

再度彼女が怒号を響かせた瞬間──
空気が軋み、すべては白い閃光に包まれた。






“静めようとすれば静めようとするほど。憎しみを憎めば憎むほど、この身は分かたれてゆく”

<全てをあきらめようとするお前も、全てを許せぬお前も、どちらもまたお前自身>

“僕は──何故葬られた?”

<その力のため。世界の均衡を守るため。王都を、レーテルを守るため>

“それは何から守るためだろうね?”

<鍵。……鍵のもたらすあらゆる未来。あらゆる危機。失うということへの恐怖>

“けれど鍵が本当に世界に危機をもたらすのかは、誰も知らない”

<知らないということは、分からないということは。時に混沌とした恐怖を巻き起こす。誰にも止められない、誰にも抑制できない恐怖を>

“何故世界は鍵を作ったのだろう?”

<…………>

“この世界は──。鍵によって創られた虚構。すべての憎悪、すべての悲しみ、すべての戦い、すべての想い。あらゆる歴史は虚ろなる物語”


イーサ=レオリオ。
 
すべてをあきらめきった虚無の召喚士。
しかし消そうとすれども消えない……むしろ彼を追い詰めるようにして増大してゆく闇。
どうにもできない侵食。
彼の憎悪の源は、王都だけではない。世界だけではない。自らの死を追加してもまだ 足りない。

彼を呪縛しているもの。
それは──……

 
 
 
 
◇  ◇  ◇  ◇  ◇
 
 
 
 
「あー。びっくりした」

「びっくりしている場合じゃないな」

心底驚いて胸を押さえているレベッカに、シャロンが声を強張らせた。

レベッカの罵声の何に反応したのか、彼ら3人はまとめて城のどこかに転送された。
とはいっても、そこはさっきとあまり姿の変わらないのっぺりホール。
ただ奥へと続いてゆく通路。

違うところといえば……その通路がホールを貫いて両方へ向かっていること。
その床には、ばたばたとレーテルの生徒が伏していること。

そして……──その男がいたこと。

「フェンネル」



視線の先には、探していた剣士の姿。
紅く染まった壁に背をあずけ、首を垂れたまま動かない黒ローブの男。

血溜まりに浸っている彼の魔剣は、いつにも増して不気味な紅い光をぎらつかせている。
主を殺す魔剣、コンキスタドール。

漂う錆びた鉄の匂い……


時が、止まった。


「──フェンネル」

再び時間を動かしたのはレベッカ。
その名前を苛立たしげに呼び、つかつかと壁へとブーツのヒールを鳴らす。

「まだ終ってないのよ! ひとりだけ先に寝てるんじゃないわよ!」

そして彼女は男の投げ出された足を蹴っ飛ばした。
動きのない淀んだ空気に紅い飛沫が散る。

「レベッカ!」

ハイネスが背後から非難の声を上げてくるが、彼女は動かぬフェンネルを見下ろしたまま、

「先輩はそこの生徒たちをみてください」

押し殺した声で言った。
そして続ける。

「私があなたをアガレスへと転送したのは、あなたが背負う物の分をわきまえているからよ。どこかの誰かさんと違って、あなたは全てを守ろうだなんて欲張りじゃない。生徒を守ろうとはしても、アガレスを葬ろうだなんてことまでは欲張らない。そう思ったから」

…………。

返事はない。
そして斜め後方からはシャロンの寒い視線がレベッカを刺す。
だが彼女は顔色ひとつ変えずに、むしろますますギスギスした声で動かぬ男に告げた。

「しなくてもいい戦いはしなくて、流さなくていい血は流さなくて、自分が追い詰められるまでの最善は求めなくて、とりあえず次善で我慢する。あなたがそーゆー人間だと思っていたから。私はそう思ったからあなたをここへ送ったのよ」


…………。

「あなた私の期待を裏切る気!?」

随分な言い草だが、彼女には関係ない。

「私の期待を裏切った人間は死刑よ」

目を三角形にして断言するレベッカ。


…………。


それでも彼からの返事はない。

「…………」

彼女は少しだけ眉をひそめた。

「……ねぇ。ほんとに死んじゃったわけじゃないわよね?」

舞台役者のような台詞で傍らにひざまづく。
ローブが血に濡れた。

「フェンネル、返事をしなさいよ。死刑は延期するから、ねぇ」

いつもより蒼白な肌に、閉じられたままの目。
いつも獲物を探している猛禽類のような瞳が、見えない。

「ねぇ……フェンネル、死んでないわよね?」


…………。


「返事をしなさい、フェンネル……」

言いながら、ハイネスの言葉が脳裏に甦る。


──彼を魔公と刺し違えさせる気ですか?


彼女は反響するその言葉を胸に、じっと男を睨みつけた。
彼自身には斬られた跡はなさそうで、しかし何度も叩きつけられたような壁に残る紅い痕跡。
そしてその口元から喉へと、多すぎる血の流れ。

「……死んでいいって言った覚えはないわよ? 私」


魔導師となる道を選んだ時から。
剣士となる道を選んだ時から。
あらゆる未来を覚悟していた。
あらゆる未来を覚悟していたはずだった。

あらゆることに対し、すべては起き得ることと悟っていた。
それがどんなに驚愕の出来事であっても、それは起こるべくして起きたのだと割り切っていた。
動揺というものはすべて身の内に押さえ込み、淡々と道を進んできた。
情というものが諸刃の剣であることを知っていた。

だから──

レベッカは氷のように全てに冷たく、
そしてシャロンは自らの望むものすべてに、
フェンネルは目につくものすべてに、情熱を傾けた。

3人で剣を分け合っていた。

今回も──うまく剣を使った気でいた。

「フェンネル……」

未来は分からない。
誰にも先は読めない。

皆が悟ったように繰り返す言葉。
だが、今。そんな言葉が何になる?

「フェンネル、死んだなら死んだって言いなさいよ?」

レベッカは聞こえぬほどの声で言い、右手を静かに彼の額に置く。

「──ねぇ、ホントに死んじゃったわけ?」


…………。


「返事をしなさいよ!」


と。その手首が下からぐっと掴まれた。

そしてホールに響き渡る高笑い。


「相変らずバカだなァ、お前は。デコは熱を計る時だろーがよ! 死んだかどーかは手首で脈を取るんじゃねぇのか、えェ?」





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