the uncompleted legend
THE KEY

第八章 分かたれた道標 2

<この者は、鍵と世界と王都と裏切りによって命を断たれた。ハイネス=フロックスというレーテルの至宝をも上回る、召喚士の才を持っていたにもかかわらず、な>

「…………」


地獄の底からのような低く、穏かな響き。
それは世界そのものを凍らせることさえできそうであり、実際そこにいた全員の動きを封じていた。

<イーサ=レオリオは王都によって殺められた。その才ゆえに>

『殺められた?』

レベッカとシャロン、そしてハイネスの声が重なる。

──だってさっき生きてたし。

釈然としない面々を完全無視したまま彼は祭壇から遠ざかる。
足音ひとつ立てずに地上への階段へと歩いて行く。
淡々と誰にともなく語りながら。

<彼は一度死んだ。だが彼はその才ゆえに余と契約を交わし、再びこの狂ったゲームに舞い戻った。──何故だと思う?>
 
肩越しに投げかけられた切れ長の視線は、ヴェルト・メーアに向けられていた。
温度のないその視線。
が、彼女は口を結んだまま答えない。

<全てに終止符を打つためだ。──自らが憎悪で魔と成り果てる前に、その憎悪を断ち切るためだ>

言って彼は再び前を向き、歩み始める。
一歩、一歩……
そして──
彼の姿は唐突に闇へと霧散した。
ふっと。

誰が止める間もなく。
誰が予想する間もなく。

「鍵」

レベッカのつぶやきが虚しく響いた。




◇  ◇  ◇  ◇  ◇





「レオリオ閣下がすでに一度死んでいるって……どういうことだと思う?」

「言葉どおりでしょうが」

「そうじゃなくて〜。召喚士って生き返れるの?」

「さァ、聞いたことはありませんけどねぇ。魔王を飼えるほどの人なんて今までいなかったわけですし」

「魔王を飼う、ねぇ。煙草も魔王を抑えるためだったのね」

「えぇたぶん」

「魔王はもうどうしようもない。契約ってのが何かわからないと手の打ちようがないしな。それにしても、あの男は何のために生き返ったんだ? “自らが憎悪で魔と成り果てる前に、その憎悪を断ち切るため──”ってのも……分からんな」

シャロンがちらりとヴェルト・メーアへと目を向けた。
しかし案の定彼女は何も言ってこない。

「──それよりも、鍵か」

「油断して取られちゃったわ」

「あの方はどこへ行かれたんだと思います?」

 
ハイネスの問いに、キラリとレベッカの瞳が光った。
不気味な笑みを浮かべ、彼女はとてつもなく嬉しそうに言う。

「鍵を持っていったなら“選択の時”を狙っているはずよ。終焉の棺、をね」

「幻視の城、か」

「幻視の城? あぁ、召喚城ですね」

──ハイネスは頭がいい。努力もする。しかも名立たる召喚士だ。
レベッカよりも古書が読め、フェンネルよりも召喚に詳しいのは当たり前。

「知ってるの?」

「召喚士仲間の笑い話ですけどね」

「──手遅れにならないうちに行きましょ」

何故行かねばならないのか。

魔王と変わったあの人に対抗する術はない。いや、対抗しなければいけない理由もない。
彼らの意志も彼らの交わした契約も、分からない。
しかし彼女に理由はいらない。
 
自分のモノを取られたのだから取り返しに行く。ただそれだけ。
イーサ=レオリオ。彼は何者なのか、確かめに行く。ただそれだけ。
ついでにさらわれた生徒たちを見つけに行く。ただそれだけ。

「仕方ないな」

シャロンが大きく嘆息して彼女の背中を押した。
すると、

「シャロン」

その彼の背中に凛とした声がかかる。

「…………」

彼はそれを待っていたかのようにゆっくりと振り返った。
無表情な顔に無表情なサングラス。

「──レベッカ、私は先に上へ行っていますよ」

小さく小さく耳打ちされたハイネスの言葉さえ反響してしまうほどに、静まりかえった地下。

「シャロン、私は──」

「俺はあんたにすでに一回チャンスを与えた。物事は後になればなるほど難しくなる。だから 俺の命までを賭けてあんたにすべてを話してもらおうとした。だが──あんたはそれを拒んだ」

「シャロン!」
 
「あんたが真実を話すことで受ける傷は計りしれなかった。でも俺が払える最大の代償は俺の命しかなかった。あんたの負う“永遠”を共に背負うくらいのことしかできなかった。俺はあんたも、学校も、俺の持てるすべてを守ろうとした。だがあんたは俺を信用しなかった」
 
レベッカの傍らにいるその男は誰だったろう。
シャロン=ストーン。メディシスタ会長。それとも、単なる漆黒の剣士か。
 
「もう遅い、ヴェルト・メーア。あの時止められたはずの歯車は、もうすでに止められない。あんたが何をそんなに隠したいのかは知らないが、事はもう……」

「──だって私は分かってしまったのですよ!」
 
耳をつんざくように悲痛な叫びが、シャロンの続けようとした言葉を切り裂いた。
袋小路に追い詰められたようなヴェルト・メーアの叫び。
 
「私を馬鹿にしないで頂戴、シャロン! あなたが命を賭けたのは私じゃない! あなたはその命を賭けて学校と……鍵を持つ魔導師、そのレベッカ=ジェラルディを守ろうとしたのでしょう!? 私がそんなことさえ分からないとでも思ったのですか!?」

「…………」

男の顔色は全く変わらない。

 
「心ここにない命なんか賭けてもらったって傷が深くなるだけなのですよ!? あなたは私に命を捧げながら、私ではないところを見ていたのでしょう!?」
 
彼女は決して弱い人ではない。
けれど、レベッカのようにすべてを鋼鉄にくるんで隠すほど、ひねくれてもいない。
永遠の魔物である彼女は、しかしレベッカ=ジェラルディよりもよっぽど人間らしかった。

「偽りの命などを差し出されて、真実を話す女なんかいないのですよ、シャロン」

 
彼女の瞳が真っ直ぐ男を見つめていた。
惑っていた、怯えていた彼女の顔ではない。それは古の、ヴェルト・メーア会長の顔であった。
ふっきれた。そんな顔だった。
そして──

「悪かった」

 
見返す男は弁明のひとつもしなかった。
空気を震わせた彼のその一言。
砂の城が波にさらわれていくように、何かが音もなく消えていった。

「それでも」

そして彼は彼女に背を向けた。

「結局誰かを傷つけてしまうとしても。俺はすべてを守りたい。あんたも、含めて、だ」



◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「お前、魔王は鍵が欲しいんじゃないって言ったろう」

レベッカの後ろから階段を登りながらシャロンが笑った。

「だってそう思ったんだもの」

あの時。第一応接室でイーサ=レオリオと面会した時。彼は言ったのだ。

──君はすべてを完結させられるかい?、と。

「まぁお前さんの推理が全部当たるようだったら、もうちょっと良い成績を取ってるはずだもんな」

「うるさいわね。蹴り落とすわよ」
 
前を向いたまま毒づく。
と、

「レベッカ」
 
急にシャロンのトーンが変わった。
彼女は訝しげに振り返る。

「何?」

見下ろした上司の顔はやはりサングラスで紫眼は見えず、けれど彼の怜悧な空気には闇が 混じっていた。

イーサ=レオリオのものと同質な闇。
漆黒の剣士が憂える未来。怯える、道の彼方。

「不信任なんて知ったことじゃない。俺はお前の上司で、お前は俺の部下だ」

彼をも支配する恐怖。知らずにかかる“鍵”の魔術。

「お前は俺を守れ。俺はお前を守る」

あらゆる強さを求め、手にしてきたこの男をも捕らえる恐怖。
先の見えない恐怖。しかし──。

「いいか、レベッカ。俺のそばを離れるなよ」

その恐怖こそが人を強くする。彼を強くする。

「…………」


軽薄な笑みを消し、真顔で彼を見下ろしていたレベッカは……
しかし、何の言葉も返さなかった。





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