- 「覚悟なら捨てるほどあるわよ」
彼女がそう言ったのは決して虚勢ではなかった。
「私が選ぶのはただひとつ、物語の終わり」
平穏にのほほんとしているために魔導師になったわけではない。そしてまた、防御だけを専門に学んだわけでも。
「だが、そうすればお前は世界から消える」
そう言ってくるだろうと分かりきっていたシャロンの言葉。苦々しくもなく、怒っているわけでもなく、ただ湖面のように透明で広い。
「消えるくらいなら、まだ死んだ方がマシだろう。……死ならば世界に記憶は残る」
「そんなことが怖くて魔導師なんかやってらんないわよ。記憶が残らない? そんなことどうだっていいのよ」
彼女はしらっと肩をすくめた。
- 全てはそれで片付いた。そう言わんばかりに。
「──俺たちが魔物になるのを阻止するには、それしかねぇってことか。お前さん独りで俺たちを守ろうって、それがお前の“防御魔導師”としてのプライドってことか」
押し殺しているはずのフェンネルの声は、荘厳な玉座によく響いた。
「だがな。それを黙って見てると思うか? それで俺たちが納得すると思うか?」
「バカ言ってんじゃないわよ。あなたたちのため? 私は私の誇りために伝説を終わらせるのよ。ここまできて尻尾まいて逃げるような今までの輩と一緒になりたくないもの」
レベッカは左手を腰にあてる。
右手に持っているのが槍か剣であったなら、軍神とも思える鋭い顔。
「伝説は終わらせるためにあるのよ。バカげた虚歴をこれ以上続けたって仕方ないでしょ? 悲劇がかさんでいくだけだもの」
「──悲劇なんざ関係ねぇ」
「私は鍵に望みを託されたわけよ。鍵に失望されて魔物になりさがるくらいだったら──」
「魔物になんかさせねぇよ」
「成り下がるくらいだったら、消えてなくなった方がマシ」
言いながら、身体中の血が冷えていくのを感じる。
今までにないくらい、視界が、頭の中が、明瞭になる。
──テストの時もこれくらいだったらいいのに
こんな事態だというのに、浮かんだのはそんな日常に埋没したことだった。
そして、銀刀を抜きながら滑り来るあの男の速さも、彼女にはコマ送りのように見えていた。
動きも、軌道も、呼吸も、まるで自分があの男であるかのように、分かる。
その後ろで妖しげな光を放った紅剣も、見えている。
ただ横にいる道化役者。彼と並び立つほどの美貌の輩が、呪符を投げたのも、見えている。
同時に起こった全ての事柄が、余りなく明確に知覚された。
無論、為すべきことも分かっている。
『──安らかに眠れ』
魔剣士でもあるシャロンは、レベッカが放った衝撃波を打ち消すために立ち止まる。
瞬間、それを囮にしたかのように血塗りの剣が階下から現われるが、──遅い。
渾身の力を込められ振り回された錫杖は、剣の軌道を持ち主ごと崩し……彼女は口の端に笑みさえ浮べて、ためらいなく男を蹴っ飛ばした。
意表のど真ん中をつかれた顔で、フェンネルが落ちてゆき、
『──闇へ還れ』
すでに唱えられていた彼女の呪は、間髪いれずに上へと放たれた。
槍を構えた白き天使。
世の召喚士が召喚できるという最後の砦。
だがしかし、彼女の前にあって“召喚”という分野自体が無意味。
なんの劇的な効果もないままに、天使はかき消えた。
彼女の言葉の終わりと同時、ハイネスの聖天は消滅した。
世界の物理法則を最大限に強化するその術は、召喚というシステムそのものを許さない。
そこにいないものはそこに存在できない。
一歩制御を誤れば、その術さえも存在できない。
実に意味不明で──、そして魔導師・召喚士にとって恐るべき術である。
「無理無理。私には勝てないわよ」
彼女が勝ち誇って笑った背後から、
「だがお前は、オレに勝てない」
黒衣の剣士の声がした。
「──血を見たいか」
いつの間にか、シャロンが玉座に立っていたのだ。
レベッカには……彼の動きが、見えなかった。
「でも、あなたは私に勝てないのよ?」
それでも彼女は普通に声を出す。面白おかしく、肩をすくめてみせる。
「私は誰に勝つために魔導を手に入れたんじゃないわ。誰にも負けないために、手に入れたのよ」
「オレは、何も失わないために強さを求めたんだがな」
- 彼の言葉に、怒っている響きはなかった。
しかしそれ以上に、それは凍っていた。
「負けたらやりたい放題できないものね。勝つ必要はないのよ、負けなければそれでいい」
「お前は──」
「あなたはもう会長じゃない。でも、私はまだ事務上、風紀委員長サマなのよ。生徒を守る義務があるわ。誘拐されたあの生徒たちを守る、ね」
それは、誰も反論できない正論だった。
「ハイネス先輩、フェンネル会長にも、あのさらわれてきた生徒たちを連れて帰るという義務があるのよ。……どこまでが鍵の歴史として消えるのかは分からないけれど、どう考えたって、このままじゃ彼らは無事で帰れるはずがないでしょ」
訪れたのは、白々しい沈黙。
シャロン=ストーン。フェンネル=バレリー。そしてハイネス=フロックス。
彼らに足りないものは、他の犠牲をも厭わない勇気。
そして、己の正義を捨てる勇気。
けれど。
レベッカは思う。
もし。
今、自らの想いと自らの正義との間で戦っている彼らがもし、他を捨てたなら。
彼らは彼らでなくなり、彼らは彼女の信頼に値しない者となるだろう。
──守る価値もない。
「分かってたんだがな」
キィンという小さな金属音は、銀の刃が鞘に収まった音。
揺れた彼の前髪の奥、サングラスに覆われた紫眼が、笑った気がした。
「分かっていたんだ、始めっから。お前がオレたちの言う事なんか聞きゃあしないことなんてな」
「シャロン、てめぇ」
シャロンの言葉を聞いて、フェンネルが下で顔をしかめる。
だがその台詞とは裏腹に、愛剣は腰へ。
「自分だけカッコつけやがって」
「なんとでも言え。蹴り落とされたくせに」
「ホントはすっげぇ怒ってるくせに」
「それはお前」
「なんだと?」
「けれど──」
不毛な言い合いを遮ったのは、無論、凛としたハイネス。
「いいんですか、レベッカ。あなたの選択は、シャロンの言うとおり、ある意味『死』よりも過酷です」
「私は死なない」
コツコツとヒールを響かせ、レベッカは優雅な足取りで玉座に座った。
金銀宝石散りばめられ、ビロード張りの大きな玉座。
まさに、彼女のための玉座。
「私は何度も言ったわよね。私は、死なない。記憶の中で生き続けるとか、心の中で生き続けるとか、そういった意味じゃなく、──私は死なない」
自信に満ちたその言葉に、確固たる裏付けはない。
だが、説得力はあった。
『レベッカだから。』
すべてはそれで片付くのだ。
フェンネル。──危うい情熱と、したたかな闘志。
ハイネス。──綺麗な変人、生徒会真の管理人。
シャロン。──重い望みと、計れぬ正義を背負う者。
レベッカはそれぞれを見やり、そして最後に真っ直ぐ前を見た。
魔境。レーテル。王都。世界。歴史。色々なものが広がる目の前の虚空。
──何を、選ぶ
そこに、最後の問いが響く。鍵に記されていなかった最後の問いが、かけられる。
「レオリオ閣下。魔王の力なら、なんとかなるでしょ。この3人と、この城にいるウチの生徒、魔境の外へ瞬間移動させて頂戴」
「魔境の外……には彼(魔王)の力は及ばない」
-
- 「じゃあ出来るところまででいいから」
-
- 「いいよ」
柔らかな答えを聞き、レベッカは苦笑交じりに微笑んだ。
この人は、自らの行く末に安堵している。
やっと、終わるのだと。
──何を、選ぶ
「終わりを」
鍵は、いつの頃からか、彼女のそばにあった。
思えば、それがすべてだった。
アガレスが魔王と鍵の恐怖、そして自らの野心に動きだした。
思えば、それが引き金だった。
レオリオに会い、ヴェルト・メーアに会った。
おとぎ話が世界を動かしていたのだと、知った。
いつの間にか、シャロン、フェンネル、ハイネスまでもを巻き込んでいた。
きっと、もうどの時点に戻ろうとも、結果は同じだっただろう。
魔境の真の意味を見、幻視の城を見た。
悲劇の過去を知り、三強の戦いという愚かさを知った。
そして、伝説の全てに辿り付いた。
人々の描いたものはすべて幻だったと、世界は虚像に振り回されていたのだと、笑った。
そして、今。
──本を閉じる時がきた。
「女王陛下」
ふいに手を取られてレベッカは視線を落とす。
そこには、ひざまづいて彼女の手に口付ける黒衣の下僕がいた。
「何か?」
彼女は声を整え、足を組み直す。
「我々に望むことはございますか?」
「そうね……」
見下ろせば、フェンネルとハイネスまでもが口端をつりあげて胸に手をあてていた。
どこまでも役者な奴らである。
レベッカは呆れて嘆息。
茶色の瞳を手元に戻し、我がままよろしくニヤっと笑った。
「私は死なない。だからあなたたち、私を探しなさい。世界の隅から隅まで、私を探しなさい」
それがどこまで有効な約束なのかは分からない。
この固い言葉も、歴史とともに消え去ってしまうのかもしれない。
だが、それが用意された台詞だった。
「探しなさい。そして、見つけなさい」
「──かしこまりました」
静かな声と共に、彼の手が彼女の手から離れた。
男はすっくと立ち上がり、玉座に背を向ける。
そしてその黒衣がひるがえり……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それが君の道かい?」
「えぇそうよ」
城が小刻みに揺れている。
伝説の城が、消え始めているのだろう。
「守りたいものを守る?」
「私がなりたかったのは、私が思う最強の防御魔導師。それはね、自分を守れても意味がないのよ」
バカみたいに造りこまれたその玉座の間には、美貌の調停官と、つまらなそうな顔をした彼女しかいなかった。
薄暗く、がらんどうとしたホール。
本来なら何百人という下僕を前にしていなくてはならないのに、これでは丸っきり道化の女王。
- 自分で決めておいて何だが、腹が立つったらありゃしない。
「まず、死んでも守りたいものがなきゃダメよね。私は世界を守ろうだなんて高尚な精神持っていないから、いくら技術を持っていたって知らん顔する時は知らん顔するもの」
「まぁ、君らしいね」
彼女の声も一本調子だが、返す男の声にも覇気がない。
かといって落ち込んでいるわけでもなく。
「死んでも守りたいものを、死んでも守る。それが私の目指した魔導師」
これではシャロンの望んだことといくらも違わないように思う。
守りたいものをすべて守る。
彼と彼女では、その規模がちょっと違っただけなのだ。
生徒すべて、学校すべて、延いては世界すべてを守ろうとした彼と、
一握りの生徒、自らの認めた者だけ、そして自らの誇りを守ろうとした彼女と。
「彼らはきっと、実像の世界に必要になる」
「…………」
横に控える銀髪の男からは、何の返事もなかった。
見上げればただ、口を結んで遠くを見ている。
彼も消える、ヴェルト・メーアも消える、おそらく、魔王も消える。
この城も、魔境も、伝説も、──セーリャ=クルーズとブラッド=カリナンの歴史も。
「始まりの鍵は、世界が創ったんだったね?」
「そーよ」
「その世界ってのは、誰なんだろう?」
世界。
それはいくつもの意味があり、最後には結局意味をなさないもの。
世界を世界と認める者がいなければ、世界は世界でなく。
しかし認める者がいなくともそこに存在でき。
それは人々であり、それは大地であり、それは歴史であり、それは思念であり。
世界は決してひとつのものには集約できず、しかし「世界」という言葉で括られる。
世界は無限に広がり、果てしなく。
しかし世界には壁があり、線があり。
「……石頭ねぇ。全部分かっちゃったらつまらないじゃない。それでこそ伝説でしょ」
世界は存在に意味を与え、疑問を与え続ける。
世界はいつでもそこにある。
謎は尽きず、矛盾に満ち、そこにある。
「そういうものかな」
涼しい目で再び遠くを見やる美人を横目。
レベッカはベルベットの深くへと身をうずめた。
「それにしても、終焉の棺だなんて洒落た名前つけてくれるわよねぇ。ここに入ったとき、棺なんてどこにもないじゃないって思ったんだけど……」
彼女は意味もなく天を仰ぐ。
「終焉の棺って、このお城のことよね」
そして、さらさらと虚空に消えてゆく自分の指先をかざし──
「滅びの英雄、勇敢なる選択者にせめてものはなむけを! 喜べ! 大いなる玉座の城をそっくりそのままくれてやる! 貴様の棺とするがいい!」
魔導師レベッカ=ジェラルディは、高らかに笑った。
Back Menu Epilogue
Home
Copyright(C)2002-2003
Fuji-Kaori all rights reserved.
|