the uncompleted legend
THE KEY

第二章 双璧 2

時を追い日を追い、不信任の話は学校中に拡散し、徐々に熱を上げていった。
廊下はいつでもその話で花が咲いている。
もちろんそれは水面下のさざ波の如く、静かで隠された拡大であったのだが。

レベッカは不敵な笑みで顔を固めたまま、威嚇することもなくそんな花の前を通り過ぎる。
ワイン色のローブ。真っ白なスカーフ。それを留めてある大きな紋章入りブローチ。
据えた眼差しにメトロノームのような靴音。
戦場のアマゾネスの如く、彼女は颯爽としていた。

彼女が教室に入れば誰もが黙る。
この間「不信任」の「ふし…」まで言った生徒がひとり、問答無用で氷付けになった。
「ふしぎ…」とか「ふしあわせ…」とか言いたかったのかもしれないが、彼女には関係ないこと。
たまたま彼がその単語を言おうとしていた、そこにレベッカが現われた。運命と思うより他はない。
 
 
そんなことからも分かるように、彼女は微笑みながらも、最悪に機嫌が悪かった。
だから、ノックもなしにメディシスタ生徒会の扉を開けた、フェンネル=バレリー・チェンバース会長を反射的に燃やしてしまったからといって、誰がレベッカを責められようか。




◇◆◇◆◇




「常識ってものがないんですの?」

高い声で抗議してきたのはチェンバースの評議委員長、マグダレーナ=ミリオン。彼女は自慢の輝く金髪をいらだたしげにかきあげ、レベッカに険悪な視線を送ってくる。
その仕草で何人の男子生徒を虜にしてきたのだろうか。
絵になる美女であることは、レベッカも渋々ながら認めていた。
貴族の出身だというが──、それだけでこの指定ワイン色ローブは生地を変えた如く品位を手に入れるものだろうか?

「……ノックは最低限のマナーだと思うんだけど」

レベッカは明後日の方を向いて低く言ったが、

「レベッカ」

押し殺したシャロンの声。

「……ごめんなさい」

彼女はやはり明後日を向いたままそう返事した。

「ま、怪我はねぇんだし、スリリングでいいじゃねぇか。学校ってのはどうも過保護で俺は好きじゃねぇ」

扉の前でコゲひとつなく佇む黒い影が軽快に笑い飛ばす。
──それが……チェンバース会長・フェンネル=バレリー。

「…………」

レベッカは何も返さぬまま、顔の向きも変えぬまま、その男を視界の端に入れた。


口は悪いが頭はいい。
黒いツンツンヘアにシャロン並みの長身。学校指定の黒ローブ。ルックスはいい方だろうがいかんせん目つきが悪い。

シャロン=ストーンが成るべくして君臨した王であるならば、フェンネル=バレリーは覇者として君臨する皇帝だろう。
ふたりには全く同じ芯があり、決定的に違う血が流れているのだ。
どちらが良いというものではなく、それは世に並び立つ天性。

敗北を思えばたやすい事。
シャロン=ストーンは目を据え口を引き結び、散るだろう。
フェンネル=バレリーはそれでも不敵に笑ったまま、逝くだろう。
つまりは、──背を合わせた剣士なのだ、このふたりは。


「なんだか大変そうじゃねぇか、シャロン」

殊勝な言葉とは裏腹に、フェンネルの顔はニヤけている。

「ま、ね」

応じたシャロンの声も不機嫌気味。
このふたりの仲の悪さは周知の事実。
しかし……このフェンネル会長が、唯一剣でシャロンと互角に渡り合える人であるということもまた変わらない事実。
本気でふたりがいがみ合えば、学校は分裂するだろう。

「貴様の首は俺が取ってやろうと決めていたんだがなァ?」

心底楽しそうにフェンネル会長が笑った。
しかしその黒曜石のような双眸は凶悪に据えられていて、一瞬の隙もない。
彼は口の端を吊り上げたまま、顎を上げる。

「不信任は成立で決まりか?」

「……そうかもね」

大したリアクションも見せず、シャロンは足を組みかえた。
彼のサングラスに隠れた紫眼は何も語ることなく、眼前に立つ自らの対である男をただ眺め続け──

「早く落ちろとでも思ってるんだろ」

剣呑に言う。

「それじゃ面白くねぇよ」

フェンネルが斜めの双眸を細め、

「だが悲しいかな、チェンバースの力ではもうどうにもできそうにねぇんだな。お前たちのやらかしたことはどうにも消せねぇ。俺がおまえを叩きのめすまで、おまえにゃ会長でいてもらわなきゃなかったんだけどよ」

肩などすくめてそう述べた。

(──よくもまあすらすら並べ立てられるものねぇ)

レベッカはやはり顔は逸らしたまま、感心した。
さすがは、チェンバースの万年首席な男だ。
口先三寸。いくらでも言葉は捏造できるらしい。

「……用件はそれだけか?」

やや憮然としてシャロンが息をついた。
手元にあったコーヒーを手に取る。
彼は決まってブラック。

「いいえ」

しかし彼に応えたのはフェンネルではなく、マグダレーナ評議委員長だった。
彼女は事務的な口調で一気にしゃべりたててくる。
彼女のような女性特有の、有無を言わさぬ早口で、だ。

「今日はチェンバースから苦情集を持って参りましたの。不信任がまぁほぼ確定の窓際生徒会でも、まだ不信任は総会を通っていませんし、とりあえずチェンバースの業務だけは滞りなくやらせていただきます」

辞書何冊分あるのだろうか、驚くべきほどに大量のファイルを彼女は足元から持ち上げた。
そしてほとんどハンマー投げの要領でそれらをどさっと机に置く。(投げたという方が適切かもしれない)
 
(──テーブル買い変えておいて良かった……)

レベッカだけでなく、メディシスタ役員全員そう思ったはず。

「こ・れ・が!」

マグダレーナがばしばしとファイルの山を叩いて言った。

「チェンバース生徒会員のみなさまから預かりました、メディシスタへの苦情でございます。……まぁ」
 
そしてお決まりのようにじろりとレベッカを睨んでくる。

「そちらの風紀委員長サマへの苦情が主ですけれどね」

「──そ…」

「謹んでお受け取り致します」

レベッカが言葉を繋ぐ前に、彼女の後ろに控えたハイネスが慇懃に頭を下げた。
けれどそんな努力空しく、部屋の隅にいたネーベルがぷっとふくれ顔。

「解決策のひとつでも持ってくればいいのにぃ〜〜」

キッと彼女をねめつけるマグダレーナ。
フンッと横を向くネーベル。
眉間を押さえるハイネス。
刹那、

「──言っておくけど。不信任案は通らないわよ」

声は唐突。
主は明確。

皆が息を詰めた不穏な空気の中、レベッカはひとり無意味にきっぱりと断言した。



◇◆◇◆◇



「不信任案は可決されないわよ」

ハイネスとネーベルがギョっとした顔をし、シャロンとフェンネルがゆっくりと彼女を見る。

「私が通らせないもの」

彼女はいつもの通り椅子に座り、足を組み、目を伏せ、ミルクたっぷりのコーヒーを飲みながら、呑気に言葉をつなげる。

「私が通らないって言ったら、通らないのよ」

「また力でねじ伏せるんですの?」

「あなたは力なんかで不信任を否決できると思ってるわけ? マグダレーナ委員長」

「あなたは今までそうやって人を踏みつけてきたのでしょう? その書類を読んで御覧なさいな。あなたに読めるのか分かりませんけど、あなた自身のことをよくご理解いただけますわ」

「あんたは自分のことを理解してるっていうわけね?」

背後で、ハイネスが壁に背中をぶつけた音がする。きっと貧血気味なひきつった笑いを浮べていることだろう。
よくよく見れば、シャロンの口元も微妙に歪んでいる。
もはやこの女性ふたりのやりとりは、一種の名物と化しているのだ。
会えば必ずこうなる。

「それに、悪の陰謀なんてもんは大概最後には崩れ去るように世の中できてんのよ。映画とか、そうじゃない」

「あなたご自身が悪でいらっしゃるというのにそんなことがあり得ると?」

「悪の悪が正義だなんていう論理、まさか信じていないでしょ? マグダレーナ委員長。私の敵、すなわちそれ悪なの。……世界をひっくり返して振ってみれば、奥底でそう思ってる人間なんてばらばら落ちてくるわよ」

「乱暴な論理ですこと」

「ごめんなさいね。私は正義と悪についての高尚な哲学なんかに興味はないわけ。どうせそんなもの、いくら議論したって答えはでないんだから。──事件の内容も知らされないで完璧な対策を練れる人間がいるなら、頭下げてもいいけどね」

「…………」

マグダレーナがふいに黙った。
しかし敗北の沈黙ではない。
ハイネスのそれよりも濃く鮮やかな碧眼には、勝ち誇ったような薄笑いが浮かんでいる。

「……だ、そうです。会長」

彼女が仔細ありげにフェンネル会長を振り返った。

彼女の主は不動。
彼女の主は不敗。
何事があっても意に介さない彼の黒曜の瞳は、剣やペンよりも人を圧するに適している。
人の話を聞かないわけじゃない。
誰の言葉も彼を動かさないだけのこと。
それがチェンバースの会長であり、レーテル双璧の魔剣士、フェンネル=バレリー。
付けられた名は、『黒のヴァンパイア』。


「さすがだな、レベッカ。そこまで自分を過信できるやつァ貴重だよな」

鋭利な刃物のように楽しげな、フェンネルの嘆息。
だがそれは呆れた嘆息ではなく、交戦の口火だ。

(先手なんて取らせてやらない)

レベッカは真っ直ぐ彼を見上げた。

「私は自分を強いとか思ったことは一度もないわ。誰よりも勝っているなんて傲慢なこと、考えたこともないし」

「あら、謙虚ですわね」

「私は私を信じているんじゃないもの。私は──会長を信じてるのよ」

マグダレーナの茶々は黙殺。

「シャロンを、ねぇ?」

フェンネルの揶揄も黙殺。
レベッカは不敵な笑みを浮かべたまま背筋を正した。
そしてフェンネル会長から視線をずらし、意地悪笑いを漏らす。



「少なくともシャロンは、あんたたちに潰されるほど弱くはないわね」





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