- “少なくともシャロンは、あんたたちに潰されるほど弱くはないわね”
レベッカがそう言ったのは、虚勢でも買いかぶりでもない。
彼女は心底そう思っていた。
「──レベッカ。後先考えないおまえの強気は貴重だが……」
フェンネルが不気味に穏やかな顔でその名を呼ぶ。
「後悔するなよ?」
部屋は氷点下。
窒息するほどに張り詰めた空気。
行く先のない沈黙。肩にのしかかる重さ。
ハイネスはかろうじて平静を装っているようだがが、かけている眼鏡が少しズレていた。(彼は少し近眼のため、書類作りの際などはいつもかけているのだ)
ネーベルにいたっては壁にはりついたままピクリとも動かない。
「後悔」
レベッカがそんな空気の中一言を繰り返した。
「後悔」
彼女は妙にぱぁぁっとした華やかな顔でシャロンをつつく。
「後悔って言葉知ってるかしら? 会長」
「いいや」
彼は緩慢に首を振った。答えることすら面倒だと言わんばかりに。
「ハイネス先輩」
「知りません」
毅然とした挑戦状。
「ネーベルは?」
「…し、知りませぇん……」
こちらはやや気圧され気味だったが、レベッカに睨まれてどうにか口を開く。
「──そう」
満足げにうなずいて、レベッカは椅子から立ち上がった。
「すみません、フェンネル会長。メディシスタは浅学なもので。誰も後悔という言葉を知りません」
-
- 「……いいさ。そのうち身をもって知ることになるだろうからな」
フェンネル=バレリーが、気にも留めず軽くかわしてくる。
彼は、将来大物になるかもしれない。
「シャロン、俺は貴様の首が落ちるのを楽しみに待ってるぜ。そしたら貴様のお荷物パートナーと一緒に俺に土下座しな。学校にいることくらい認めてやらんでもないぜ?」
「遠慮する」
またもや面倒臭そうなシャロンの返事。そして彼はもっと面倒臭そうに顔をあげた。やはり、その表情は分からない。穏やかな物言いからも、彼の感情は分からない。
「首を落とされるのも、土下座するのもごめんだ」
「あなたの首が先に落ちなきゃいいですね、フェンネル会長。でも私はあなたほど寛大じゃないから、土下座したって許してやらないわよ」
レベッカがフッと肩をすくめてみせると、フェンネルが全く同じポーズを返してきた。
「──自覚がねぇみたいだから言っておいてやるが……」
そして霜の下りた目で生徒会室を眺め渡す。視線は一度一周し、レベッカの元で再び止まった。
-
- 「この生徒会を破滅に追い込んでるのはアンタだぜ、レベッカ委員長」
『………………』
決定的な沈黙が訪れた。
「…………」
すぐに反論しようと思えばできたが、レベッカはあえて何も言わなかった。
ただ黙る。
チェンバースが創り出した不穏な空気に身体ごと浸かるが如く、放置した。
爆弾を投じたフェンネルは面白そうにそれぞれの顔色を見、マグダレーナがしてやったりという顔でレベッカを見てくる。
腹は立ったが、……彼女は口を閉ざし続けた。
それは余りにも正論すぎたのだ。
そしてあまりにも明白すぎた。
『…………』
誰も何も言わない。
どうしようもない空白が部屋の中に漂い、発せられるべき言葉はそのどこにも浮かんでいない。
- ハイネスもネーベルも、何も言わない。
彼らは言葉を探してすらいない。
彼らは……口を開くべき人物はひとりだけだと承知していた。
「確かにな」
ガラス細工の空気を震わせたのは、深海のようなその人の声。
動きなく、無意味に重い……。
シャロン=ストーン。
「確かに、レベッカ。おまえはオレの手に余る」
シャロンの顔がレベッカを向いた。
「そう」
「だが──」
そして次に彼が見据えたのはフェンネル会長。
組んだ足をぷらぷら揺らしながら──(これでタバコでも吸っていれば完全に犯罪者チックなのだが、彼は吸わない)──ごく当然という口調で言った。
「だから何だ?」
「…………」
今度はフェンネルが押し黙る。
「馬鹿魔導師訓練施設とか更生施設とかあれば楽なんだがな。ホラ、犬を躾けるために預けるような場所あるだろう、あれだあれ。しかし人間を品行方正にしてくれるようなところをあいにく俺は知らなくてな」
こういうことを本人を目の前にしてズバズバと言えるのはこの男の特権だと言ってもいい。
- ネーベルでさえ、ここまでは許されないだろう。
口の端にすれた笑みをのせ、彼は更に言い募る。
「確かにこいつの世話してりゃあ疲れるが、だからと言ってオレは別に困っちゃいない。こいつが手に余ってるようじゃ、オレもまだまだ修行が足りんってことだろうな。それにまぁ、レベッカが不信任案は通らないって言うんだ。きっと通らんのだろう。……どこかに問題があるか?」
そして平然と付け加えた。
「それに、誰かが飼ってなきゃ危なくてしょうがないだろ?」
明らかにどこか破綻している台詞だったが、フェンネルは糾弾してこなかった。
ただじっと、底冷えのする視線でシャロンを見ている。
「…………」
狭い生徒会室に再び寒気のする静寂が満ち、ふたりの会長の探り合うような視線が交錯。
- そこに炎はない。
そこにあるのは、背筋が冷たくなるほどの静かな意地。
そして静かなプライド。
ただそれだけだ。
会長同士の途切れぬにらみあい。
その沈黙に耐えかねたのか、先にマグダレーナが口を開いた。
「──この学校と王都が対立していることくらい分かっていらっしゃるんでしょうね? あなた方が失踪に関して何も策を取らなかったということが、王都側にどれだけ有利に働いているかってことも!分かっているんですわよね!?」
「それはつまり――」
シャロンがサングラスの奥で焦点を定めたのはフェンネル。
「王都は今ここを──レーテル魔導学校を潰そうとしているってことか?」
「まずはメディシスタってぇ腹の内だろうが、そのうちレーテルを潰すつもりにゃ変わらねぇだろうな」
「“反乱”が近い今を狙って、ですね」
ハイネスがエメラルドのような碧眼を曇らせ、レベッカの背後で歯噛みしている。
「実に王都がやりそうな手口ではありますけど」
「あんたたちを不信任にして王都の先手を打たねぇと、学校ごと潰される」
──ごもっとも。
レベッカはフェンネルの言に胸中深くうなづいた。確かに彼の言うとおりである。彼が本当にそれを思ってシャロン潰しをしているのかどうかはともかく、不信任以外に選択の余地はないだろう。不信任……それが最も手早く危険を回避できる手持ち札なのだ。何しろこの生徒会、不信任の口実ならば捨てるほどあるのだから。誰のせいかはともかく。
不信任案を提出するとみられるアスト=ミスペル嬢もおそらくこのことを知っているに違いない。
ハイネスの情報によれば、彼女の父親は確か王都派遣の魔導高官である。
──王都。いささか甘く見すぎていたかもしれないわねぇ。
「ごもっとも」
レベッカは口にした。
目を伏せて腕を組む。
「不信任。それしか方法はないでしょうね、王都の追撃から逃げるためには」
そして一拍。
目を開けてチェンバースのふたりを見やる。
「あなたたちにできることは、ね」
「…………」
そしてレベッカはシャロンに向き直り、あっさりと言った。
「私は今日で風紀委員長を辞職します」
『レベッカ!?』
後ろで二重の声が上がるが、シャロンは片眉を動かしただけ。
「問題を起こしていたのは私。行方不明者を放っておくよう方針づけたのも私。その責任を取って私は辞めるわ」
「何ってこと言うのっ、レベッカ! なんでアンタが辞めるのっ!?」
ネーベルがツンツンしながら寄ってくる。
「無責任でしょ!? メディシスタを捨てるつもり!? 私たちを裏切るの!?
潰れるときはみんな一緒なのよ!」
「……そうですよレベッカ。今ここで辞めるのは無責任です」
ハイネスも柳眉をひそめている。
「そりゃあなたが辞めれば目前の不信任案だけは意味がなくなって回避されるかもしれませんが……なんだか間違っていますよ。一歩間違えば不信任を決定化しかねませんし」
そう。『辞める』というのは魔法の手段。これは手っ取り早い政権防御策である。しかも暴走委員長と悪名高い彼女の辞職は、それだけでインパクトが強い。何せ誰も彼女が“責任”だなんて言葉を知っているとは思っていないのだから。
「誰に対しての責任だ?」
騒ぐギャラリーとは対照的に、あくまでシャロンの声質は変わらない。
「誰に対してでもないわ。本音で強いて言うなら、責任を負うつもりがないから辞めるのよ」
『なっ!?』
『──!』
事態の進展について行けないのか、チェンバースのふたりはぽかんと目が点で突っ立っている。
フェンネル=バレリーは表情豊かな男だが、お高く澄ましたマグダレーナの間抜け顔はそうそう見られるものではない。
レベッカは面白そうにそれを眺めて、肩をすくめた。
「ま、私が辞めることで少しは王都も圧力を加えにくくなるはずよ」
「そんなレベッカ! 捨石みたいに言うのはやめなさいよ!!」
「責任を負うつもりがないってどういうことですか?」
「…………」
シャロンはひたすら黙ったまま。考え込むようにしてあごをつまんでいる。
それを冷ややかに見下ろしながらフェンネルが言った。
「つまり、シャロンの首のためにお前が犠牲になるってわけか? はん、麗しい主従愛だなァ?」
-
- 「そぉ?」
レベッカは彼の嫌味を感慨なく受け流す。
彼女が辞めることで、シャロンの立場が多少安定することは間違いない。対王都的には。一応責任は取ったということになるわけだし。しかし逆に、対メディシスタ的には『トカゲの尻尾切り』だと非難されることもあろう。
王都に潰されるか、会員に潰されるか。
どちらにしろあまり楽観はできない。
だが、レベッカは敢えてフェンネル会長の言葉を訂正はしなかった。
会長を守るために委員長が辞職する……美談ではないか。わざわざ正す必要もない。
「──いいだろう、辞任を許可する。後で書類をそろえておけ」
駄々っ子の攻撃にお手上げをした母親──いや、この場合は父親か、そんな笑いを浮べたシャロン。
彼の長い沈黙は、これから起こり得るすべての事への覚悟だったのかもしれない。
レベッカが動き出したら誰にも止められない。止めようとするだけ無駄である。
両手を広げて制止したところで、『邪魔よ!』とかナントカ怒鳴られて踏みつけられるのがオチ。
しかし彼女は策謀家でもある。
時に不動のシャロンさえ仰天させるような。
皆の口を呆然と開けさせるような。
「この反動がどう返ってくるかは分からんが、本人の希望ならしょうがない。ネーベル、ハイネス、覚悟しておけよ」
「でもぉ」
「ですが……」
ハイネスもネーベルも、言いかけたが言葉は続かない。
もちろん独裁政権ではないのだから意見する権利くらいあるわけだが、彼らは口をつぐんだ。
シャロンは考えなしに無謀に判断するような男ではない、と彼らは思う。
とりあえずそう信じていた。
『覚悟』
そんなもの、どうして今更必要があろうか。
魔導師たるもの、その門をくぐった時にあらゆる事態への覚悟くらいしなければならない。
魔を扱う者として、常に世界と闘う者として。
心内を読もうとするフェンネルの視線と、何者をも寄せ付けないシャロンの視線が一瞬ぶつかった。
当事者のレベッカは再び椅子に座り直して冷めたコーヒーをすする。
もう何も関係ありませんという、しらっとした顔で。
──飽きたわ……
マグダレーナがものすごい形相でにらんでいるような気もするが、相手にすればまたシャロンに叱られるのでとりあえず黙っておく。彼女を叩きのめす機会はいくらでもあるのだ。
「来週の総会が楽しみだぜ」
ヴァンパイアのような笑みでフェンネルが笑った。
それが似合うのなんのって、彼が微笑を浮べれば人外の妖しさまでが漂うのだ。
薄く、まとわりつくような、夜気。
「乞うご期待」
漆黒のローブをひるがしたフェンネルに向かって、シャロンも薄い笑みを返してひらひらと手を振る。サングラスの奥、しっとりとした紫の瞳で静かに見据えながら。
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