- 薄刃のような静寂。
レベッカはその中でじっとシャロンの紫眼を見据えた。
もちろんその目は、サングラスに阻まれて実際に見えるわけではないが──しかしレベッカは奥に潜む光をにらみ続けた。
「今までの反乱とは違う。あなたがいくら隠したって私には分かるのよ。防御を専門に学ぶ者として、自分の身の危険が察知できないわけないでしょ」
彼女は階段の欄干に手をかけた。
冷たい金属が彼女の熱を奪ってゆく。
「私は他人のすることに全然興味はないけれど……」
「──何が違う?」
「は?」
遮ったのは紛れもなくシャロンの声。
静かな、駄々っ子を諭すような声音。
「何が違う? ──今回も、いつもと変わらない“反乱”だろうが」
「──らしくもない」
聞いて、レベッカは即座に紅唇からため息を漏らした。
そして彼の調子とは正反対に声を荒げる。
「いつもと変わらない? じゃああなたは気がついていないってわけ? このどんよりした殺気! 剣士であるあなたが気付いてない!? 後ろを歩く魔導師の気配は探れても、つかみ所のない殺気は分からないってわけ!? 今ここにある危険に気がついていないってわけ!?」
「おまえは自身を信じてるんじゃない、オレを信じてるんだと言ったな?」
唐突に話題を変える、その余裕がシャクに触った。
当然、レベッカの返事はトゲだらけ。
「えぇ、言ったわよ」
「あれは嘘か?」
「本当よ」
「ならば今すぐここから消えろ。家に帰れ。おまえが出る幕じゃない」
彼が腰の剣に手をかけた。
地下以外に誰もいない薄気味悪い学校で、闇に溶け込んだこの男に脅される恐ろしさ。
並大抵ではない。
それこそ幽霊にでも出くわした方がまだマシってもんである。
それでも彼女は軽口を叩いてみせた。
「全部自分で解決してみんなの賞賛を独り占めしようって魂胆なのね」
「遊びじゃない!」
「同じようなもんよ」
レベッカは手のひらに汗をかきながら銀の錫杖を握り締めた。3年前、入学祝いに親から買ってもらったものだ。恩師の念が込められている。
しかし身構えたまま、ふと疑問が脳裏をかすめる。
どうして生徒会長と会話をするのにこんなに必死にならねばならないのだろうか???
「ひとりで何でも片付けようなんて、あなた何様のつもりなの……よ!?」
キィィィィ───ン
綺麗に澄んだ音がホールにこだまする。
水波紋のように空気を揺らし、消えてゆく。
レベッカは笑いながら奥歯をギリッと噛んだ。
シャロンが、有無を言わさず斜めに斬り込んできたのだ。
ヒット&アウェイ。
レベッカが顔を上げれば、すでに彼は数メートル先に退いている。
──反射神経に感謝しなきゃね
まさに彼女の受けは脊椎反射そのもの。
しかし二度目はないだろう。
「オレは会長だ。生徒を守る義務がある」
抜き身の剣を右手に持ち、シャロンが言った。
言いながらも距離を測っていそうな隙の無さが、レベッカの背筋を寒くする。
「オレにはお前も守る義務がある。それにだ、いたずらに何千という生徒を恐怖させても意味はないだろう? オレがなんとかできる範囲なら、なかったことにするのが得策だ」
「そんなことだから魔導師はどんどん軟弱になっていくのよ。綺麗な技術ばっかり身につけて。魔王レジェーラ=フェレストが甦ったらなんて言うかしらね。ペンしか持てない魔導師ばっかり戦場に出てくるわけよ? 魔導師に安全なカゴを用意してあげるなんて、過保護も甚だしいのよ!」
「世の中お前みたいな奴ばっかりじゃないんだがな?」
「守ってもらおうなんて思ってる輩が魔導師になんてなる? 王都の役職を狙って魔導師になる奴もいるみたいだけど、私はそーゆーの、許せないタチなの」
「お前が魔導師をどう定義しようが、オレは会長である限り、生徒の命を守る義務があるんだ」
彼の言っていることが正しいということは分かっている。
自分の言っていることがある意味無茶苦茶だということも、分かっている。
だが……納得できない。
「あなた自身の意見はどーなのよ」
レベッカはいつでも防御魔術を発動できる状態にして、訊いた。
瞬時に対応できなければ……半殺しくらいにはあうかもしれない。
自慢じゃないが彼女、シャロン=ストーンに勝ったことがないにしろ、負けたこともないのだ。
真剣勝負に手加減を持ち込むような甘い輩でないのは明白で、だからこそ彼女の名声も轟く。
だが、油断すればあの世逝きも充分あり得るのである。
やっかいな人間だ。
「私は会長としてじゃなくて、あなたとしての意見を訊きたいの」
「オレは会長。だから、オレの意見と会長の意見は同じだ。……当たり前だろうが?」
彼はごく平然と答えてくる。
してやったりという表情で口端に笑みをのせて。
レベッカは、頭の中で水が沸騰する音を聞きながら目をつりあげた。
「あーそう」
大きな声で。発すれば一クラス分の生徒くらいは凍らせることのできる、不機嫌な声で。
「そーですか」
シャロンも思わず剣を構え直すほどの険悪な声で。
「シャロンさまほどの大剣士なら、このワケの分からない危機を一人で乗り切れるってことですか。そりゃ大層な自信ですねぇ! あなたなら一人で全てを解決できるって言うんですか! ご立派なことですねぇ!」
言いながらずかずかと彼に近寄っていく。
一歩も下がらなかったのはシャロンの快挙と言えようが、しかしそれは間違いだったかもしれない。
彼女は彼の目の前までくると、彼の着ているロングスーツの襟をぐいっと引き寄せ──そして世にも恐ろしい声音で続ける。
「私は確かにあなたの力量を信じているわ。だけどいつだったかハイネス先輩が言ってたわよ? 力ひとつで勝てるほど世界は甘くないって、最後に笑うのは、力と共に情報、そして切り札を隠し持っていた人ですよって。先人の言うことは聞いておくもんよねぇ?」
「…………」
サングラスの奥の紫眼には恐怖の色はない。だが明らかに後悔の色があった。
過去どこまでさかのぼって後悔しているのかは定かでないけれど。
そんな彼には構わず、レベッカはニヤリと悪魔の笑み。
「私にはあなたに無いものがある。私はハイネス先輩の言う切り札を持っている。私の手の内には──すべてを左右する鍵があるのよ?」
「鍵?」
「あなたの、学校の、王都の、そして魔境の……世界のすべてを左右する鍵がね」
無論それが本当かは分からない。
伝説は未完なわけだし、世界にまで絡むような鍵かどうかなんて、誰も証明していない。
もしかしたら魔王のワインセラーキィかもしれない。
だがレベッカは全く気にしていなかった。してもしょうがないからである。
そして証明ならば、自分がすればいい。
「…………」
ちょっと疑わしげに、しかし驚愕を隠さずにシャロンが疑問符を投げてくる。
──モノを見せろ、と。
レベッカはまたもや肩を揺らして笑い、不敵な目を細めた。
『光よ、帰りなさい』
そう言うと同時に胸元のスカーフをめくってみせる。
いつもどおり染みひとつない純白のスカーフ。
そこには鍵の形をしたペンダントトップが、銀の鎖でつながれていた。
鍵の真ん中には、余計な装飾とも思える大きなルビーの宝石。
一見それはどこにでも売っていそうなものであり──
夜闇が降りたホールには、穏やかな彼女の“力ある言葉”が反響し始めた。
『古の偉大なる者よ、私を導け。
闇を渡り、死を渡る、世界に恐怖を抱かせし者よ
剣をかざし、己が正義を貫き、世界を駆けし者よ
力を尽くし、世を守り、世界の悪意を垣間見し者よ
私を導け。
私を導け』
暗闇に、紅い光がぽっと生まれる。
鍵が呪に反応し始めたのだ。
その光は始め弱々しく遠慮がちで、しかしだんだんと大きく、そして強固になっていった。
それでもまだレベッカは同じ呪文を幾度となく唱え続けてゆく。
とり憑かれたように一心に。
「なんだってんだ」
呆けたようなシャロンのつぶやき。
鍵の頭につけられた大きな宝石に、キャッツアイの如く一本の線が現れた。
方位磁石とも取れる、線。
「これは鍵。全てを動かす、鍵。伝説の鍵。──“始まりの鍵”」
いつの間にか彼女は詠唱を止め、語る。
芝居がかったレベッカの言葉は、けれど伝説など微塵も信じていなかったシャロンにとってむしろ救いだったろう。
映画か、古書の中にいるかのような錯覚のみが、彼にまだ言葉を言葉として認識できるだけの冷静さを残しているようだった。
「この呪文を完成させるまで、私は五年もかかったわ。伝説から拾い出した呪を私用に改造するまでね」
そして彼女は再び鍵をスカーフの中へと隠した。
吹き抜けの上に広がる天窓。そこから入る月光だけがふたりを蒼く照らす。
眠たげな猫のような双眸と、光を反射する黒のサングラスが対峙する。
「私は信じ続けた。“何を望む”、“何を知る”、“何を紡ぐ”、“何を──”このよっつが刻まれた鍵を手にしてからずっと、あの伝説の始まりの鍵、本物だと信じ続けてきた。この宝石が示す方向……何があると思う?」
それはごく普通の問いかけのようで、実は魔導師ならば訊かずとも分かる問いだった。
東西南北が分からない者でなければ誰でも分かる。
だが、シャロンは言葉に詰まった。
ためらうように、しかも疑問形で答える。
「魔境の中心……か?」
魔境の中心。それは誰も目にしたことのない地。
目にしたかもしれない者はもはや人間ではなく、そこは文献にも教科書にも推測しか書かれない。城があるとか言われ、地上の楽園があるとも言われ、あるいは世界から隔絶された街があるとも囁かれていた。
要するに根も葉もないことが無責任に語られているわけだ。
「どう? シャロン会長。まだ秘密を隠すつもり? 私はあなたにとってきっと良い切り札になるわよ?」
レベッカが勝ち誇ったように言うと、シャロンの眉が不機嫌に寄せられた。
──頑固者ねぇ
「私を無視したら……大変なことになるわよ」
輝く鍵をこれみよがしに振ってみせながら笑う。
軽く、上品に。
彼女を無視して大変なことになった人間は数知れない。
……それはシャロンもよく分かっていた。
そして流れるしばしの沈黙。
「────分かった」
無責任に見守るホールが聞いたのは、一生分かと思われるほどに重たいシャロンの嘆息。
彼は思いっきり肺の奥まで空気を吸い込み、一気に吐き出した。
どうしようもない言葉をのせて。
「付いて来い」
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